運命の再会、三助と猿 〈1〉
“何じゃ、あいつは__”
片目を閉じて塀にポツリと開いた節穴を覗き込んだ清洲城の新しい主、織田上総介信長は小腰を屈めて庭の掃除しているらしい新顔の雑人を、その切れ長の双眸をくわっと見開いて観察していた。
尾張名古屋にその人有りと怖れられた東海の餓狼、織田信秀亡き後その跡目を継いだ嫡男信長は、音に聞こえた“たわけ殿”として内外にその勇名を轟かせる豪傑で、変わった物を見るとその傍若無人な好奇心がウズウズと動き出す困った性癖があった。しかも、本人は常に大真面目で、他人から見ればバカバカしいような事でも何がそんなに楽しいのかと言う事でも、一旦興味を抱くと徹底的に、全身全霊を込めてトコトンまでやり抜く生一本の性格である。この時も、この新しい雑人を観察する信長の顔は至って真剣で、周りから見れば何事かと思うほどであった。
“人カト思ヘバ猿、猿カト思ヘバ人__”
これがその時の信長の感想である。塀の向うからその猿面を穴が空くほどしげしげと眺めていた信長の脳裏に、電撃のように閃く遠い日の出来事があった。
“あの猿めは!”
思い出した。
あれは何年位前であろうか。十三、四歳位だったか。当時彼は自ら“三助”と名乗って家来の悪童どもを引き連れて城下をのし歩いては思う存分たわけの限りを尽くしていたのだが、時に城下を離れて領内の村々まで足を伸ばし、そこで心置きなく悪さを働く事も有った。近くで例によって心行くまで狼藉を楽しんだ信長は、中村という農村でいつものように畑の大根を引っこ抜いて泥を払うとそのまま貪り出したのであった。
その時である。
「こりゃあ、貴様、そこで何をしとるかあ!」
甲高くあたりに響き渡る、途方も無い大声と供に鍬を振り上げてこちらに走ってきたのは何とも憐れな身の丈に泥だらけの粗末な着物を纏った、見るからに貧相な如何にも百姓然とした小僧だったが、信長が目を見張ったのはその奇抜な面相であった。
“……猿じゃ”
その大声に一瞬驚いた物の、矢張りこの時もクソ真面目な表情で、小僧の顔を眺めながら信長はしみじみとそう思った。
“猿じゃ、あれは紛う事無き猿じゃ”
「貴様、ようもうちの大根を勝手に食いおったな!」
怒鳴られて逃げもせず、大根を掴んだまま無遠慮にこちらの顔を眺める大根泥棒に、小僧は憎々しげに叫んだ。
「この大根は貴様が作ったのか」
「それがどうした、この大根泥棒めが!」
どうやら信長と然程歳は離れておらぬようだが、その余りに生意気な物言いに信長はむっと来た。それも仕方ないであろう、身に纏っている着物は、元は上等だったがそこら中で暴れ回って泥だらけの継ぎはぎだらけになってボロボロだったし、増してやまさか殿様の御嫡男がこんな所で大根を引っこ抜いて丸齧りなどとは猿面小僧も思い至らなかったに違いない。ここで自分は名古屋の若様であると名乗り上げればこの猿めも恐れ入って平伏するであろうが、頭に来た信長はそれでは面白くないと、わざと黙って大根を食い始めた。
「貴様、うちの大根を__」
「この大根はわしの大根じゃ」
「己、盗人めが何を猛々しう!」
「作ったのは貴様かも知れぬがわしの大根じゃ。持ち主のわしが食うて何が悪い」
「うぬあ、わしをコケにしよるか!」
「貴様の物言いは気に入らんが、大根の美味さに免じて許してくれる」
信長はわざと小僧から目線を外して大口を開けながら、シャクッと小気味良い音を響かせて悠々と大根を齧った。その、大根のみならず人を食った態度に小僧が癇を募らせて叫んだ。
「盗人め、もう許さんぞ!」
信長は食いかけの大根を放り捨てると小僧に飛び掛った。
年の差は精々二、三年くらいだったが、この年代でこの差は大きい。おまけに、この小柄な猿面小僧の体格では同年代の子供にでも余り分は良く無いであろう。たちまち組み伏せられ、信長に上から押さえ込まれた。
「どうじゃ、わしに逆ろうても無駄じゃと言う事が分かったか?」
上から力で押さえ付けながら、信長が小僧に言った。
「どうじゃ、降参せえ。さすれば命ばかりは許してくれるぞ」
勿論子供同士の喧嘩なので只の冗談だが、信長は勝者の優越を剥き出して小僧を見下ろしている。しかし、小僧は呻き声を洩らしながらもその猿マナコをくわっと見開いたまま歯を剥いて、いっかな屈服の気配を見せない。譬え力では負けても意地がある。絶対に降伏などはしないという意思を明確に示していた。それが子供と言うものであった。そのまま小僧と信長は、上と下から暫く睨みあった。
「ふん__」
小僧をそのままに放り出すと、信長は再び大根を拾って食い始めた。小僧の方は興奮が収まらないようだが、意外に自制力があるようで、肩で息をしながら必死に己を抑えて感情を鎮めている模様であった。
「まあ、確かに大根を勝手に引っこ抜いた事はわしが悪い。謝ろう」
喧嘩で勝って余裕が出来たのか、信長がさり気無く小僧に謝罪を述べた。
「代金は払うゆえ申せ、幾らじゃ?」
「別に構わんわい」
猿面小僧が言った。
「何も大根の二、三本、ケチケチする事は無い。一言頼めば恵んでくれるものを」
その、生意気な言い方にまたもカチンと来た信長だったが、その場は黙って収めた。矢張り、喧嘩で勝った為、ゆとりが有るのだろう。小僧の方にすれば悔し紛れの意地だった。
「しかし、美味い大根じゃわい」
信長はガツガツと大根をほお張ると、小僧に言った。
「そりゃそうじゃろ」
気分を解す為に話の水を向けた信長に小僧も明るく答えた。恨みをいつまでも根に持って拘っていない、さっぱりした性格らしい。
「何せ、わしの糞と小便で育てた大根じゃからのう」
それまでムスッとした表情で、遠慮会釈無く大根を貪っていた信長が咀嚼を一時止め、アッケラカンと言い放った小僧に目を白黒させるような顔を向けた。
「そうか、これは貴様の糞か」
信長が、大口を開けて大笑いした。
「そうかそうか__」
してやったりと言う、無邪気で大袈裟な笑顔を浮べる小僧を眺めて、大根を齧りながら信長は笑い続けた。
「なかなか美味い糞じゃ」
そう言いながらもう一本引き抜き、これも勢い良くかぶりついてあっという間に平らげた。
「馳走になったの、礼を言うぞ」
食い終わった信長が、いつものムスッとした顔に戻って言った。
「いやいや」
何がそんなに嬉しいのか、小僧が無茶苦茶嬉しそうな笑顔で言った。
「わしが一生懸命育てた大根を誉めてくれただけで充分じゃ。もう一本食わんか?」
「いや、もう満腹じゃ」
言うや否や、信長がすっくと立ち上がり、畑の畦に繋いであった馬に目を向けた。
「お前様、もう帰るのかえ?」
「まあな。いつもの事じゃとは言え、わしがいつまでも帰らんでは皆が心配する」
小僧の方を振り向きもせず、信長が馬に向かってすたすたと歩き出した。いつ何時でも自分中心の徹底的なマイペースを崩さぬこの男は晩年、とうとう死ぬまで他人に気を使うと言う普通人にとっては当たり前の気配りが出来なかった。否、本人は本人なりに気を使っているつもりだったが、その尺度が、常人とはそもそも存在している世界そのものが違うほどにずれている為に、その気配りは周りには受け入れられ方が違っていた。
「おのれ__」
ヒラリと馬に飛び乗ると、見送りに来た猿面小僧に言った。
「中々に気に入ったぞ。わしの家来になれ」
頭ごなしの命令口調だった。小僧は怒るよりも呆れて、というより感心してしまった。
「お前様は御家中の跡取りかえ?」
「そうじゃ」
信長は短く言った。小僧もまさか、この茶筅髷の悪童が御領主織田信秀の嫡男とは夢にも思うまい。家中の何れかの息子かと思ったのである。
「わしはおのれを気に入ったゆえ、家来にしてくれる」
「そいつは有り難や」
小僧はニコニコしながら答えた。
「お前様、もう跡目は継いだのかえ?」
「いや、まだ親父が生きて居る。わしは部屋住みの身じゃ」
聞きようによっては恐ろしい言葉だが、人の生き死にが珍しくも無いこの乱世にあっては然程に刺激的でもない。
「しかし、今でもわしには多くの家来が居る。おのれもその中に加えてくれるぞ」
「ははあ__」
小僧はニコニコしながら言った。
「わしの事をそれほどまでに買うてくれるのは有り難い。しかし、わしは誰にも仕える気は無いわい__」
「なんじゃと?」
ぬけぬけと言い捨てた小僧に信長が怪訝な顔を向けた。小僧が、妙に不敵な笑顔をこちらに向けているが、その無邪気な小生意気さに信長もつい笑顔を出してしまった。
「生意気な猿じゃ」
ニヤリと信長が笑った。
「益々気に入ったぞ、猿。わしは何としてもわごれを家来にする。そう決めたわい」
高飛車な信長の笑いに、小僧も挑戦的な笑顔で返した。
「これは大根の食い代じゃ、受け取れ」
信長は、腰にぶら下げている幾つかの袋の一つから文銭を取り出し、無造作に小僧に投げた。大きく身を乗り出すようにして銭を取った小僧が、それをこちらに突き出した。
「良いと言うたであろう、これは受け取る訳にはいかんわい」
「受け取れ!」
一喝すると、信長は手綱を引いて馬首を返した。
「良いな、貴様はわしが家来ぞ。しかと申し渡したゆえ、忘れるでないぞ!」
それだけ言い捨てて信長はさっさとその場を引き払った。
それから十年余り__
信長はその時まですっかり忘れていたのだが、間違いない、あの猿面は忘れようとしても忘れられるものではなかった。




