05. ランニング
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待機していると夜が明けた。太陽が顔を出して、熱を地表に放出し始める。
悟倫と江音がいるのは正門から数メートル離れた駐輪場の一角。ここから塀を超えて車道に出て、〈喰人〉を引き寄せながら村から離れる……というのが、ランニング改め、囮作戦の内容だ。
ランナーの悟倫は十メートルほどの長いロープを腰に巻いていて、その先っぽには幾つかの空き缶が括りつけてあった。〈喰人〉は音に敏感なので、これで一定の距離を保ちながら誘導できる。
一見すると簡単に思えるが、外に出たら常に死の危険と隣り合わせだ。
何かの拍子で転んでしまうかもしれないし、進行方向かれ別の群れに挟み撃ちにされたり、一番厄介な『走るタイプ』の〈喰人〉に遭遇する可能性もある。
「悟倫くん、ロープきつくない? すぐに解けるようにしていた方がいいわよ」
「あ、ありがとうございます」
江音に言われて気づいた。これでは〈喰人〉にロープを掴まれたら命取りだ。
悟倫は結び目を緩めて、ロープに何かあればすぐに解いて逃げられるようにした。
「あ、そういえば森守さんが『駅に行け』って言ってましたけど……。それってどういう意味なんですか?」
「駅に?」
「はい。何か、後で合流す……」
江音はシーっと悟倫の口を塞いで、それからニコリと笑った。
「よかったじゃない、悟倫くん! 本当の仲間に認められたってことよ!」
「仲間……」
発せられたその二文字に、悟倫は何だか胸が高鳴るのを感じた。
今まで生きてきた中で仲間と呼べる存在はいなかった。確かに何人かの友達はいたかもしれないが、お互いの命を共有しているという点において、その意味合いは大きく異なる。
特に仲間のミス一つが命取りになるこの世界では、それが持つ意味はとても重要なものだ。
「でも、それが駅と何の……」
「しっ、それをあんまり大きな声で言わないで。後で教えてあげるから」
「――ランナー、始めろ!!」
バリケードの上にいる一人が声を張り上げて、二人に向けて手を振った。
「行きましょ!」
「は、はい!」
作戦開始の合図だ。二人は駐輪場の塀を飛び越えて村の外に出た。
『アアアアア……ッ?』
『アアアアア……』
すぐに着地の音に気付いて〈喰人〉がこちらに向きを変える。
悟倫が走り出すと、空き缶が地面に擦れてカラカラと音を立てた。〈喰人〉のほとんどが獲物の存在に気付き、すぐに呻き声を上げながら追ってくる。
「こ、これ逃げきれるんですか!?」
「逃げ切らないと死ぬだけよ。『ウォーキング・デッド』とか見たことないの?」
「こ、こんなシーンありましたっけ!?」
「さあね!」
言ってから、江音は正面にいた〈喰人〉に鉈を叩きつけた。頭を割られた金髪の道路作業員……だった者は、力なくその場に崩れ落ちる。
その手際の良さに感心しつつ、悟倫は足は止めずに道の先を目指す。
「路地は避けて大通りを行きましょう」
「はい!」
畑の奥や道路脇の家屋にもちらほらと動いている人影が見える。ここら辺の一帯は畑ばかりなので見通しはいいが、安心はできない。
二人は最初の十字路を右折して、なるべく道の真ん中を走りながら先に進んだ。
「他の群れが近くにいなくてよかったわね!」
「そうですけど……。あの、これって大丈夫ですか?」
悟倫が恐る恐る振り返ると、夥しく増えた〈喰人〉のせいでもはや後ろの道が見えなくなっていた。
「村からも離したし、そろそろ撒きましょうか。悟倫くん、全力だーっしゅ!」
「はい!」
悟倫はロープを解いてその場に投げ捨てて、全力疾走で江音に続いた。
一群から距離を取り、角を曲がって大通りから住宅地に入る。家々を隔てる塀を乗り越えて裏路地に入って、それからすぐに表の道路に出て、工事中のまま封鎖されている柵の下をくぐって、ビルの駐車場に入った。
まるでパルクールでもしているような気分だ。
〈喰人〉はゆっくり階段を上がることはできても、塀を超えるといった三次元的な動きはできないこともあって、二人についてきている個体はいなかった。どうやら無事に逃げ切れたらしい。
「ふぅ……。ちょっと休みましょうか」
「えっ、いいんですか?」
「ここ、私たちの休憩所の一つなの。ここを少し行った先に目的の『流山オオタカの森駅』があるわ」
テニスコートほどの駐車場は舗装されておらず、所々に資材とショベルカーなどの重機が置かれているだけで、〈喰人〉の姿は見えなかった。
江音は入口にあった小屋から箱を取り出して、悟倫に小袋を放った。
「お腹空いてるでしょ? 前の狩りで手に入れた保存食よ」
「あ、ありがとうございます」
そういえば朝起きてから何も食べてなかった。今頃、村では処理した死体の片づけが終わって朝食が配られているはずだ。
「ここのことは他の人たちに話さないでね。駅のことは特に」
「駅に何かあるんですか?」
「うん。とっくの昔に閉鎖されて廃駅なんだけど……何故かは知らないけど、TXの所だけ『電気』が使えるのよ」
「えっ、どうしてですか?」
悟倫はカロリー・メイトをよく噛んで飲み込んだ。
それは何とも不思議な話だ。発電所や水道局といった首都圏の主要なインフラが止まってしばらく経つ。初めの内は陸上自衛隊の特殊作戦群によって護衛されながら、どうにか通常通りの運営をしていたと聞いているが、それも一か月ほどの間でしかない。
記憶では五月の上旬ぐらいには水も電気も使えない状態になっていたので、未だに電気が供給されているとはにわかに信じられない話だ。
「さあね。首都圏真都市鉄道は第三セクターだから、もしかしたらその関係かもね。ほら、TXって他の駅とは違って、水道も電気も研究学園要塞都市から独自に供給されているじゃない?」
「……と言うことは、自衛隊の人たちがツクバの都市機能を復活させたってことですかね?」
「大攻勢の前からだから、多分それは関係ないわ。多分、中枢区画の都市管理システムがまだ動いていて、AIが自動制御しているのよ」
「なるほど」
流石は数多の研究機関によって最新鋭の設備が整えられた実験都市だ。どうやら、この終末世界においても人工知能は律儀に自分の仕事をこなしているらしい。
「えっ、というか、それだったらもう駅に住めばいいんじゃないですか? 別に村なんかにいなくても……」
「それがね、駅には博士って言う変わり者のおじさんが住んでるのよ。曰く『人間は他の生き残りと〈喰人〉を呼ぶ』から、ダメだって」
「確かに……それは一理ありますね」
人間はトラブルの元だ。特に生き残り同士で物資を奪い合っているような世界では、敵以外の何ものでもない。
「まー、その点については森守さんも同意みたいだし、今は説得して時々使わせて貰ってるって感じかな? ……だから、村の人たちには絶対に言わないでね」
「分かりました」
「それにしても……暑くなってきたわね」
真夏の空には雲一つなく、透き通るような青がどこまでも広がっている。
滴る汗を拭って空を仰ぐ江音を見ながら、悟倫はふと思い出したように訊いた。
「あの、そういえば江音さんは何で一緒に来てくれたんですか?」
「それはもちろん、弟を守るのは姉の役目だもん!」
「それは……。どうも、ありがとうございます」
何とも頼もしい姉貴だ。どうやら昨日のパートナー契約とかいう話は有効だったらしい。
悟倫はよしよしと頭を撫でる手を払い除けようと思ったが、それは流石に悪いのでそのままにしておいた。