06. 博士
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ふらふらと彷徨っている〈喰人〉から身を隠し、時々排除しながら進むと、ランナーの二人は数分ほどで目的の廃駅に到着した。
駅前の広場は不気味な静寂を湛えていた。道端の花壇はもう何か月も手入れされず荒れ放題になっていて、風雨の影響か床のタイルも所々剥がれかけていた。駅の隣にあるショッピング・センターらしき建物に関しては窓ガラスがほとんど割れ落ち、血痕で黒く汚れた地面に衣類などの商品が散乱している。
かつては周辺の再開発で新興マンションが建てられ、首都圏真都市鉄道と東武野田線の接続駅として賑わっていただろうこの駅も、今や荒廃して見る影もない。
「久しぶりに来たわ。博士、無事だといいけど……」
「もし死んでたらどうしますか?」
「その時は……まぁ、その時よ」
駅の改札口にはシャッターが下ろされており、赤色のペンキで描かれた感染性廃棄物を示すバイオハザード・マークの隣に『KEEP OUT!』と大きく殴り書きされていた。
「はかせー、いるー?」
江音はその横にあるドアから中に入った。悟倫は少し躊躇しながらも、その後に続く。
内部は薄暗く部屋の奥から何かの電気機械が動いているような微かな駆動音がした。どうやらエアコンが働いているようで、ひんやりと涼しい空気が二人の肌を撫でる。
「すごい、本当に電気が使えるのか……」
悟倫は感心して辺りを見回した。一見すると机が並んだ事務所のような部屋だが、その真ん中をでかでかと占領して、ベッドやソファーなどの家具が置かれていた。
ベッド脇に科学関係の雑誌や本が山になって積まれており、特にソファーに投げ捨てられている衣類からは、その博士というらしい人物の生活ぶりが伺える。
「おお、江音か」
部屋の奥から出てきたのは、薄汚れた白衣を着た無精髭の男だった。どうやら作業中だったらしく、額にメッキの剥げたゴーグルを付けていて、金属製の工具箱を手にしていた。
「ん、そいつは?」
「柏木悟倫くん。森守班の新入りよ」
「ほう。よろしく」
「よ、よろしくお願いします……」
油で黒く汚れた博士の手を握って、悟倫は苦笑いで答えた。
「悟倫とやら、もしスマホがあれば充電してやるぞ?」
「あ、スマホは持ってないです。その……」
「――良い心がけだ。スマホは頭を悪くする」
悟倫が「教室に置き忘れてしまって」と続ける前に博士はきっぱりと言った。白衣を翻して去っていく男を悟倫は黙って見送る。
「『スマートなのは端末であって、お前ではない。スマホの奴隷は、それから解放されて初めて自らの無知に気付く』……ってのが博士の口癖なの。あの人、インターネットとかSNSとか、そういうの大嫌いだから」
「そうなんですか。まぁ、持っていても〈壁〉のせいで電波は使えないですし……」
「端末に入れた音楽は聴けるじゃない」
「僕、オンライン派なので端末自体にデータはいれてなくて……」
「――愚か者め!」
いつの間にか博士が戻っていた。博士は持ってきたポータブルCDプレーヤーの電源を入れると、傍にあったCDをセットした。
「この世で信じられるのは常に物質だけだ。つまり、CDこそが最強」
「音出していいんですか?」
「ここは密閉されているから大丈夫だ」
「何の曲?」
「聞けば分かる」
博士が再生ボタンを押すと、一拍置いて管弦楽の濃密な響きが聞こえ始めた。
アメリカの名門であるノーステキサス・ウインド・シンフォニーが奏でる『ラプソディー・イン・ブルー(Rhapsody in Blue)』だった。
「えー、またこれー?」
「……んー、ん♪」
不満そうな江音を無視し、博士は目を閉じて指揮でもするかのように手を振る。
「ガーシュウィンですか?」
「そうだ。彼ほど完璧な音楽家はいない。……彼の音楽は、悲しみとは別の場所にある」
「確かミュージカル映画でありましたよね。ほら、ラストシーンに二十分間ぐらいずっと踊り続ける」
「ほう。『巴里のアメリカ人(An American in Paris.)』を知っているのか」
「あの曲好きです。流石にCDは持ってませんけど……」
悟倫の言葉に、博士は面白そうに笑って頷いた。
「……気が合うな。確か、前にもそう言った奴がいた」






