あの日
ーーーーーーーーーー兄さん!助けて!
帰りが遅い事を心配していた矢先だった。
弟がーーーーーーアレックスが家に飛び込んできたのは。
傷だらけの、弟。
一体何があったのか。
「カレンがっ……カレンが……」
それだけを伝えるのが精一杯の様子だった。
隣に住む、幼馴染のカレンの身が危うい事を
それだけで察した。
二人の帰りが遅いと、
カレンの母親も心配して
ちょうど家に来たところだった。
「アレックス!何があったの!?カレンは……カレンは!?」
彼女の母親は青い顔でアレックスに駆け寄る。
数日前から、街をにぎわせていた『連続殺人』
その事が皆、脳裏をかすめた。
とにかく憲兵に連絡を、と父は電話の受話器を取った。
「憲兵に連絡も取った。じきに来るだろう。
とにかく何があったのか話しなさい。」
アレックスの肩を抱きかかえ
なだめるように、父は言う。
アレックスの目は、恐怖におびえていた。
「……男が。」
全身を振るわせたまま
アレックスは呟き始めた。
「お、男がいたんだ…目の前に。」
そして父の手をギュッと掴む。
「さっきまで誰もいなかったのに……!
街はもう暗くなったから……急いで帰ろうとしたんだ。
ちょっと買物に出ただけだったんだ……!」
『買物に出る』と、二人で街へ行ったのは皆知っている。
カレンが買いたいものがあるから、と。
遅くならないように、といつもの言葉をかけて。
母が笑顔で見送っていた。
アランは仕事があるから、と家に残った。
当時、まだ店を持ったばかりで
頼まれた品を仕上げる事で精一杯だったのだ。
二人で行くのなら、問題ないだろうと
誰もが思っていた。
アレックスは体格が良いほうではないが
見た目よりも強い。
よく兄弟で組み手をやるが、いつも押されていた。
喧嘩好きではないが、
決して弱くはなかった。
静かに、強い。
そんなイメージだった。
とにかく。
昼間の街に行く程度なら
カレンの用心棒には問題ないと
誰もが思っていたのだ。
それが。
今、そのカレンは隣にいない。
目の前にいるのは
恐怖におびえた、傷だらけの弟だった。
「……夕日が、もう傾いていたから…帰ろうって……
まだお店も開いてるし、大丈夫だからって……
そしたら」
目の前に、人が立っていた。
こちらを見ていた。
嫌な予感がした。
周りには、誰もいない。
『人気のある所を通って帰ろう』
そうカレンに耳打ちし、二人で手を繋いで。
目の前の人物より、手前にある角を曲がり
隣の大通りに出る路地を入った途端。
「逃がさぬ」
先ほどの人物が、前に立ちはだかった。
やっぱり、カレンを見ていたんだ。
危ない。
アレックスは咄嗟に身構えた。
喧嘩には自信がある。
相手は大人だが、さほど大男でもない。
この場をやり過ごして、適当に隙を見て逃げ出せればいい。
そう思っていた。
せめて。
カレンだけでも逃がさないと。
が。
「オマエに用はない。その娘だ」
と告げられる。
「……そんなの知るかよ。
世間を賑わせてるのは…オマエだな。」
構えた拳に力が入る。
「話す価値もない事だよ。娘さえ手に入れば良い。」
そう言って男は
静かに歩を進めた。
アレックスはカレンの前に立ち。
『オレがアイツを引きつけてるうちに逃げろ、いいな。』
と耳打ちする。
そんなの無理、できないーとカレンは悲痛な声を出す。
『いいからーーーー逃げろ、家に戻って…兄さんを呼んで』
そう頼んだ。
兄が来てくれたら、何とかなる。
すがる思いもあった。
そして。
そう言ったほうが
カレンも走れると思ったのだ。
せめて。
カレンだけでもこの場から逃がす。
ただ、それだけだった。
男はアレックスなど視界にないようだ。
ただ、カレンだけを見ている。
それはそれで好都合だ、と
アレックスは拳を男に滑らせる。
腹に一撃、のはずだった。
「!」
信じられないスピードだった。
男はするりと身を交わし
何事もなかったかのように通り過ぎた。
後ろにはカレンが
「やめろっっ」
アレックスは男の背中にしがみついた。
カレンは後ろへ後ずさる。
「……娘……汝、その身を我が一族に捧げよ。
さすれば一生、この世界を見る事ができようぞ」
「……やっ……いやっ……!」
カレンの声は恐怖に震えている。
「やめろって言ってんだろっ……!」
アレックスは男の足を引っ掛ける。
が
バランスを崩したのは
アレックスだった。
そして同時に
みぞおちに男の肘が入った。
「!」
あまりの激痛に身体が硬直する。
「アレックス!」
カレンの悲鳴が聞こえる。
ダメだ、
こんな所で……!
アレックスは立ち上がり、
必死で男に食らいついた。
振りほどかれてはしがみつき、
その都度殴られては立ち上がり。
『カレン!逃げろ!』
もうそれしか言えなかった。
カレンは泣きながら後ずさる。
その距離を、男は縮めようと
更に進もうとする。
アレックスは必死で男の背中にしがみつく。
『カレン!兄さんを……兄さんを呼んで!』
その声に、カレンはハッとしたようだ。
「アレックス!待ってて!すぐに呼んでーーーー」
そう言って走り出した時だった。
アレックスはもの凄い力で宙に投げられ。
地面に叩き付けられた。
「男に興味はない。失せろ」
そう言って男は
アレックスの腹を踏みにじった。
声にならない激痛。
意識が途切れそうになる。
霞んだ視界に
カレンの姿が見えた。
男はカレンの肩を掴み
首筋に口を付けていた。
「キャァァアァァァァッッッッ!」
悲鳴ともつかない音が、鼓膜を突き抜けた。
男は口元の血を手でぬぐいながら
確認するようにアレックスを見る。
そして、告げた。
『我が一族はヴァンパイアなり。娘の生き血は極上の捧げもの。しかと頂いた。』
ヴァン……パイ……ア……?
薄れ行く意識の中で見たものは。
男が
気を失って倒れそうになったカレンを抱きかかえる姿。
それが。最後の姿だった。
「……気付いたら……誰もいなくて……静かで……
兄さん……カレンを……カレンを助けて!!」
必死の思いで
ボロボロの身体を引きずって帰ってきたのだ。
話を聞き終えたタイミングで
憲兵がやってきた。
後は説明するから
部屋で休め、と、アランは説得したが
アレックスは聞くはずもなく。
必死で事の成り行きを説明し、
カレンが帰ってくるまで休めないと
自分も今から探しに行くと立ち上がる。
「とりあえず闇雲に動いては面倒がおきるだけだ。
後は憲兵に任せなさい。」
父親に押さえつけられるようにそう説得され
泣きながら拳を床に叩き付ける。
「…くしょう!…畜生!」
アランも、もちろん憲兵と一緒に街を探した。
弟のーーーーアレックスのあの目を忘れない。
「カレンを助けて!兄さん!」
何故一緒に行ってやれなかったのか。
何故もっと早く異変に気付いてやれなかったのか。
早く迎えに行っていれば……
後悔ばかりが胸に積もる。
どうか、無事で。
彼女の無事を祈るしか無かった。
そんな祈りも虚しく。
翌朝。夜が明けると
彼女は
最後にアレックスがいた路地に。
壊れた人形のように
四肢を投げ出して
力なく倒れて、いた。




