⑤喉の渇き
懐中電灯の灯りしかない、仄暗い部屋。
密閉された熱気、畳の匂い。
そして無言の二人。
まず沈黙を破ったのは、真一だ。
「今、何時かな……」
真一は呟いて、畳の上をミシミシと歩いた。
床に転がった置き時計を、拾い上げる。
時刻は午前、八時半。
この状況になって、一時間以上が過ぎた事になる。
真一の背中に、奈緒の声が飛んできた。
「ねぇ、喉乾いたんだけど」
「え、あぁ、飲み物ですか?」
真一はキョロキョロと、部屋の中を見回した。
醤油のボトルがあった。
昨夜、ここで冷奴を食べた時に使用した物だ。
醤油は、500ミリリットルのペットボトル容器に、半分ほど残っている。
「醤油ならありますけど……」
途端に、奈緒が顔をしかめた。
「はあ? ふざけてんの?」
「でも、他に無いですよ」
真一は再度、部屋を確認した。
「あっ、そう言えば……」
何か思い出した真一は、押し入れを開けた。
押し入れは、上下二段になっている。
上段には布団、下段には掃除機や映画雑誌、小物類などがある。
真一は、下段に身体を突っ込むと、ガサゴソと何かを探し始めた。
そして、一本の缶ジュースを取り出した。
コーンポタージュだった。
「これ、どうぞ」
「え? なんで、夏にコンポタ?」
「でも、これしかないですよ」
「……じゃあ、それでいいよ」
仕方がないと、缶を受け取る奈緒。
「それ、冬に一ケース買ってたんですよ。確か一本だけ残ってたような気がして……」
知らねーよ、と心の中で呟いた奈緒が、缶のプルタブを開けようとした。
しかし、奈緒の長い爪では、なかなか開けられない。
「開けましょうか?」と、真一が気遣った。
奈緒は掌を向け、真一を寄せ付けない。
「いいって、来ないで。あんたは醤油でも飲んでて」
「そうですか、分かりました」
真一は、先ほどの醤油ボトルの蓋を開けた。
そして、勢いよくガブリ、ゴブリと飲み始めた。
「うっぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
その直後、真一は断末魔の叫び声を上げた。
畳の上を転がり回り、何度も咳き込んだ。
「ガハッ! ゲホッ! ゴホッ! グハッ!」
苦しむ真一を見て、奈緒が吹き出した。
「アハハハッ。あんた馬鹿だねー。醤油なんか飲めるわけないでしょ? 本当に先生なの?」
真一は、少し辛いくらいだろうと予想していたが、とんでもなかった。
まるで猛毒だ。
とてつもなく、辛くて苦い。
結局、真一は、ほとんどを吐き出してしまった。
「うわっ、きったなー」
奈緒は、汚物を見るような目で真一を見つめた。
「水で薄めないと飲めませんよー、こんなの。水、持ってませんか?」
「水があったら、コンポタなんか貰わないって!」
「コ、コンポタ……」
そう呟いた真一が、奈緒の持つコーンポタージュの缶に目を向けた。
真一からの熱視線に気付いた奈緒が、素早く缶を背中に隠す。
「これは、返さないからねっ!」
「う、うううぅ……」
真一は、残念そうに唸った。
「はあぁぁ」
とうとう真一が、大きな溜息をついた。
「くっさ! ちょっとぉ、醤油くさいんだけど! こっち向いて息しないでよ!」
鼻と口を押さえた奈緒は、生ゴミを見るような目で真一を見つめた。
「え? ああっ、すみません。別にわざとじゃなくて……」
「喋んなって! 臭いんだよ! 向こう行けって!」
奈緒が片足を上げて、蹴り飛ばす様な動作をした。
つづく……




