②暗闇の中で
信じられない。
まさに悪夢のようだった。
これは現実なのか、幻覚なのか?
真一と奈緒は、しばらくの間、言葉を失った。
二人の視界は、何処までも続くような漆黒の闇。
その闇の中で、真一がゆっくりと立ち上がる。
真一は暗闇の中に、奈緒の気配を感じた。
小さな息遣いと、甘い香水の匂いがするのだ。
真一が、ためらいがちに問いかける。
「あの……大丈夫ですか?」
「……」
奈緒は返事をしない。
いや、しないのではなく、出来なかった。
今のこの状況に、気が動転し、言葉が出てこないのだ。
そんな奈緒を心配して、真一は再度、問いかけた。
「あ、あの……怪我は、ないですか?」
やはり返答はない。
しかし、いるのは確かだ。
ゴクリと、奈緒の生唾を飲む音がした。
……それにしても、まいった。
真一は思った。
まさか本当に、土砂災害が起きてしまうとは。
この女性が訪問した時、すぐに二人で避難しておくべきだった。
岡さんの話は、その後でも良かったのだ。
真一の胸に、後悔の念が広がった。
だが、いつまでも悔やんでいられない。
真一は気持ちを切り替えた。
まずは部屋の電気が点くか、確かめよう。
真一が、入り口付近の壁へと手を伸ばす。
たとえ暗くても、長年この部屋を使ってきた真一には、部屋の電気スイッチを探すのは容易かった。
すぐに壁へと、手が辿り着く。
続いて円を描くように掌を滑らすと、スイッチと思しき感触があった。
これだ。
パチ、パチ、パチ。
蛍光灯が点く気配はない。
きっと、外の電線が切れたのだろう。
部屋の電気を諦めた真一は、体の向きを変えて摺り足で進んだ。
ズリズリと、素足と畳の擦れる事がした。
目指した先は、部屋の中央にある座卓。
そこに、避難するために用意したリュックが置いてあるのだ。
懐中電灯も入れてある。
真一は両手を伸ばし、探りながら前進を続けた。
しかし、掴めるものは空気だけ。
なかなか座卓へと辿り着けない。
八畳ほどの部屋が、妙に広く感じた。
ふいに真一の両手が、何かを掴んだ。
丸みのある柔らかいものが、左右に二つ。
何だこれは? やけに素敵な感触だが……。
そう思った瞬間だった。
バキッ!
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁ!」
真一の鼻っ面に、激痛が走った。
「どこ触ってんだよ、この変態クソ野郎!」
奈緒の、怒鳴り声がした。
なんと真一は、奈緒の胸を掴んでしまったのだ。
強烈な一撃に悶える真一。
しかも平手ではなく、拳だ。
「うう……痛い……」
「欲情してんじゃねえよ、エロジジイ!」
「ち、違いますよ! 暗いから見えなかったんです! 僕は懐中電灯を、探してたんですよ!」
真一がそう言うと、しばらくしてから、チッと舌打ちが聞こえた。
真一は、しきりに鼻をさすった。
血は出ていないようだが、大量のワサビを口に含んだように、鼻の奥がツーンと痺れた。
しかし、よくこの暗闇の中で、正確に顔面を殴れるものだ。
真一は妙に感心した。
つづく……




