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第一話_餌場

アマデウス魔王領に隣接する深い森。

そこでは、ジノーブス連邦のA級冒険者パーティー「黒鉄の翼竜」が、野営を張りながら神経を尖らせていた。

彼らの任務は、ローデウス軍からの公式な要請に基づくアマデウス軍の動向監視である。


「…静かすぎるな。」


リーダーのランドが、焚き火の爆ぜる音に眉をひそめた。

本来であれば、魔王軍同士の衝突が予見されるこの地域は、もっと殺気立っているはずだった。

だが、今のこの森には飛竜将軍フェルディナンドの部隊が飛来して以降、目立った動きもない。


その時、茂みを激しく掻き分けて、一人の男が転がり込んできた。

先見として森の深部へ潜っていたリクラットだ。


「戻ったか!アマデウス軍に動きは――」


「アマデウス軍どころの話じゃねぇ!」


リクラットの顔は、かつて見たことがないほど青褪めていた。

膝をつき、肩で激しく息をしながら、彼は震える指先で東方――ジノーブス連邦の方向を指し示した。


「…魔獣だ。とんでもねぇ数の魔獣が、群れを成してジノーブスに向かってやがる!」


「なんだと…!?統率されているのか?」


「わからねぇ…だが、あんな量、まともにぶつかったら国が消えるぞ!」


ランドの表情が強張る。

リクラットの報告が真実なら、これはもはや冒険者が対処できる範疇を遥かに超えている。

アマデウス領からの軍事的侵攻を警戒していたはずが、想定外の方向から「暴力そのもの」が溢れ出したのだ。


「…勝てるわけがない。俺たちだけじゃ、逆立ちしたって一分も持たんぞ。」


戦慄するリクラットに、ランドは即座に判断を下した。


「リクラット!お前は一番足が速い。今すぐジノーブス北部の冒険者組合ギルドへ走れ!この異常事態を伝え、避難と防衛の準備をさせろ!」


「お前たちはどうするんだ!?」


「俺とシャゼル、マーベルでローデウス城へ向かう。正規軍の救援を乞うしかない。」


ランドはリクラットの肩を強く掴み、その瞳をじっと見つめた。


「いいかリクラット、死ぬなよ。報告を終えたらすぐに逃げろ。これは国の仕事だ。俺たちの仕事じゃない。」


「…分かった。お前たちも、無事でな!」


リクラットは弾かれたように、森の闇へと消えていった。


「まったく、どうなってるのよ」と、ため息をつくシャゼル。


「ジノーブス北部には光の勇者もおるし、今は同盟もある。勇者とローデウス魔王軍が組めば魔獣如きに遅れは取らんじゃろう。」


マーベルが冷静に分析するが、ランドは何か胸騒ぎを覚えていた。

そして、三人もまた、装備を整えると逆方向――ローデウスの居城を目指して移動を開始する。

光の勇者が、今はジノーブスにいないことなど、この時の彼らには知る由もなかった。


◇◆◇


ジノーブス連邦北部、城塞都市。

冒険者リクラットの報告を受け、半信半疑でアマデウス領側の森に警戒を行っていた守備兵か声を上げた。


「なんだあれは…!?」


守備兵の叫びと共に、地平線を塗り潰すような「黒」が視界に飛び込んできた。

空を覆い尽くすほどのワイバーンの群れ。地を割りながら進むデスワーム。そして、森そのものをなぎ倒しながら突き進む、山のような巨体を持つギガントバジリスクの群れ。


警告の鐘が鳴り響く。


「防衛体制を整えろ!門を死守せよ!魔法兵、斉射準備!」


兵士たちが集い、弓矢と魔法が雨あられと降り注ぐ。

だが、魔獣たちの進撃は止まらない。

本来、一国に一体現れるだけで国家規模の災害とされる超級の魔獣が、ここでは明確な意思を持って「軍団」として機能していた。


瞬く間に国中に厳戒態勢が引かれ、その情報はジノーブス連邦の上層部にも届く。

ヘパルディア王国を飲み込み、隣接するローデウスとは同盟、アマデウス領へは光の勇者が和平を結びに行っている。

全てが思惑通りに進んでいると考えていた矢先の出来事。

緊急会議の場は絶叫に近い声が飛び交っていた。


「光の勇者はどこだ!なぜ連絡がつかん!」


「教会から僧侶キフィルへ交信を試みていますが、通じず。消息も不明です!」


「くっ、この最悪のタイミングで…!」


冒険者組合ギルドへ救援要請を!金ならいくらでも出すと伝えろっ!」


絶対的な抑止力であった勇者を欠いた連邦に、魔獣たちは容赦なく牙を剥く。

凄まじい衝撃と共に、数百年一度も破られたことのなかった強固な北門が、まるで紙細工のように無惨に崩れ去った。


「門が…門が破られたぞーーッ!!」


怒号と悲鳴が交錯する中、魔獣たちが街へと流れ込む。

家々は木っ端微塵に粉砕され、美しい石畳は瞬く間に、逃げ遅れた人々の真紅の血で染まっていく。

兵士だけでなく、緊急招集された冒険者ギルドの面々も応戦するが、あまりの個体差に、戦いにすらならない。

一撃で肉を爆ぜさせ、一噛みで街区を呑み込む。


「助けて…誰か!勇者様…!」


逃げ惑う母親が、瓦礫の下で泣き叫ぶ我が子を抱きかかえる。

だが、その背後から魔獣の巨大な顎が、冷酷に迫っていた。


阿鼻叫喚の地獄。

かつて平和と繁栄を謳歌していたジノーブス北部の街は、わずか数刻のうちに、生者の声よりも魔獣の咆哮が支配する「餌場」へと変貌を遂げた。

空は黒煙に覆われ、希望は土へと埋もれていく。


セルス=バルハートという「魔王」が放った残酷な『土産』。

その圧倒的な暴力の前に、人類はただ、滅びの足音を聴くしかなかった。

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