第十話_北の猛将と忠告
(――なんだコイツの動きは!?オレの攻撃が、掠りもしねぇ!)
訓練所にディゾルブの驚愕の叫びが響き渡った。
北部魔軍将の名は伊達ではない。
背負った二本の巨大な斧が空を裂くたびに、暴力的な突風が巻き起こり、訓練所の石床が風圧だけで悲鳴を上げる。
さらに、蛇脚魔族特有の変幻自在な尾が、死角から鞭のように清十郎を強襲する。
巨獣の一撃にも匹敵する猛攻。
触れれば、人間など一溜まりもなく肉塊に変わるだろう。
だが、清十郎はその嵐の真っ只中で、まるで柳の枝が風を受け流すように、すべてを紙一重で回避し続けていた。
(…不思議ですね。いつも以上に、体が軽い。)
清十郎は、自身の内に湧き上がる奇妙な感覚に集中していた。
ディゾルブの体の一部――肩の筋肉の収縮や視線の僅かな動きに、微かな「光」のような筋が見えるのだ。
次に斧がどこを通るのか、尾がどこを狙っているのか。
意識せずとも、その「先」が直感的に脳へ流れ込んでくる。
「逃げてばかりで、勝てると思うなよッ!」
ディゾルブが痺れを切らしたように咆哮した。
これまで様子見で抑えていた力を解き放ち、今や全力を超えた一撃。
両の斧を同方向から、清十郎の退路を断つように渾身の力で振り抜く。
回避不能。
まともに受ければ武器ごと粉砕される、必殺の横薙ぎ。
その瞬間、清十郎は「静止」した。
流れるような、あまりに淀みのない動作。
清十郎は腰の刀を抜き放つと、重厚な斧の腹を滑らせるようにしてその威力を逃がし、自身の回転を加速させた。
金属が擦れ合う高い音と共に、銀の閃光がディゾルブの視界を真っ白に染める。
静寂。
気がつけば、清十郎の刀の切っ先が、ディゾルブの首筋にぴたりと突きつけられていた。
「…なっ!?」
あまりに滑らかで、あまりに速い。
何が起きたのか理解できず、ディゾルブは武器を振り抜いた姿勢のまま石像のように固まった。
傍らで観戦していたポトフォウルも、信じられないものを見たという顔で目を丸くしている。
「そこまで!勝負ありだな!」
静寂を破ったのは、勝ち誇ったようなアーデルミノスの声だった。
それを合図に、固唾を呑んでいた兵士たちから地鳴りのような拍手が湧き起こる。
「おお!素晴らしい身のこなしだ。清十郎殿、傷も完全に癒えたようですな!」
クラウハルトも満足げに頷き、義手の拳を打ち鳴らした。
◇◇◇
「…ハッ、負けたぜ!アンタ、マジで恐ろしい強さだな!!」
武器を収めたディゾルブは、先ほどまでの凶暴な表情をどこへやら、清十郎の背中をバシバシと豪快に叩きながら称賛を贈った。
「アネゴがあまりに絶賛するもんだから、少しは出来ると思ってたが…半端じゃねぇよ!」
先ほどまでの威圧的な態度は消え、口調は一気に砕けたものに変わっている。
だが、清十郎は一つ、気になる呼び名に首を傾げた。
「…アネゴ?」
「私も、これほどとは思っていませんでした。我らがアネゴが、これほどまでに惚れ込むのも無理はない。」
ポトフォウルもうんうん、と深く頷きながら清十郎に歩み寄る。
「そうだろう、そうだろう!セイジュウローの凄さが分かったか!」
アーデルミノスの鼻は、今や天井に届かんばかりに高くそびえている。
しかし、ディゾルブがニヤニヤと笑いながら続けた言葉に、その余裕は一変した。
「いやぁ安心したぜ!アネゴには今まで全然男っ気がなかったからな、一生独身なんじゃねぇかって心配してたんだ。でもアンタがいるならもう安泰だ!」
「なっ、ん…!?」
アーデルミノスの顔が、一瞬で茹で上がった蛸のように真っ赤に染まる。
追い打ちをかけるように、ポトフォウルも肩をすくめて笑った。
「あまりに心配で、こうなったら我らのどちらかが立候補して責任を取るしかない、とまで話し合っていたところですよ。」
「なっ…ななな、何を、何を馬鹿なことを言っているのだ貴様らはっ!!」
慌てふためき、身振り手振りで否定するアーデルミノス。
その様子を見て、清十郎は楽しげに目を細めた。
「皆さん、本当に仲がいいんですね。安心しました。」
「おう!オレ等はアネゴに鍛えられて、ここまで強くなったからな。そんなアネゴが見込んだアンタを試すような真似をして、悪かったな!」
ディゾルブが殊勝に手を合わせる。
和やかな空気が訓練所を包むが、清十郎の表情はふと、真剣なものに切り替わった。
「…ですが、皆さん。一つだけ心に留めておいていただきたいことがあります。」
清十郎の纏う空気が、一瞬で「始末屋」の冷徹なそれへと変わる。
「セルス=バルハート――。あの女性の強さは、底が知れません。」
以前対峙した際の記憶。
あの深淵を覗き込むような暗い魔力と、不遜な笑み。
「真っ向勝負をしたわけではありませんが、あの時のボクでは手も足も出ませんでした。皆さんは十分に強く、ローデウス様はさらにその先を行く存在だとは思いますが…決して、油断はしないでください。」
その言葉に、ディゾルブたちの顔から笑みが消えた。
クラウハルトも自身の無骨な義手をさすりながら、重く言葉を添える。
「…私も、あの女の一撃で腕を持って行かれた。清十郎殿の言う通りだ。捕縛などという甘い考えは捨てた方がいい。私は最初から、殺す気で行くつもりだ。」
二人の実力者がそこまで言う相手。
ディゾルブは二本の斧の柄をぎりりと握り込み、真剣な眼差しで応じた。
「…アンタらがそこまで警戒する存在か。一筋縄では行かなそうだな。分かった、肝に銘じておくぜ。」
賑やかだった訓練所に、冷たく鋭い戦意が満ちる。
五日後の決戦。
その中心に君臨する「深淵の王女」の影が、彼らの背後に確実に忍び寄っていた。




