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閑話_勇者召喚

「なぜだ!なぜ我が国には聖剣を与えるに相応しい勇者が現れないのだ!」


バルハート帝国の皇帝、バルハート五世は玉座の間で声を荒らげていた。

その咆哮は高い天井に反響し、跪く神官たちの背を震わせる。

事態は急を告げていた。

ヘパルディア王国、そしてジノーブス連邦の南北において、それぞれ新たな勇者が立ったという知らせが舞い込んだのだ。

本来ならば喜ぶべき吉報だが、帝国の主にとっては屈辱以外の何物でもなかった。

なぜなら、バルハート帝国こそが「勇者降臨の地」と崇められる聖地であり、三国の筆頭たるべき存在だからだ。


「聖剣に選ばれし勇者…。その手が触れれば、剣は光り輝くという。だが…!」


皇帝の視線の先には、一本の剣が鎮座していた。

装飾のない、漆黒の直剣。

かつて最初の勇者がもたらしたとされる「聖剣」である。

だが、この黒剣がその歴史の中で一度たりとも光を放ったことはない。

歴代の強者、英雄候補たちがこぞってその柄を握ったが、剣は沈黙を守り続けていた。

この事実は、国を揺るがす禁忌である。

敵対するジノーブスやヘパルディアに知られるわけにはいかない。

帝国は代々、偽りの勇者を立てることで辛うじて体面を保ってきたが、それも限界に達していた。

隣接する魔王アマデウスの勢力が拡大し、周辺諸国を脅かしている。

勇者による魔王討伐は、人間に課せられた使命であり、その筆頭であるべきバルハートの勇者が「偽物」であれば、実戦の場で即座に露呈する。

本物の勇者と偽物では、その戦闘能力に天と地ほどの差があるからだ。


「…背に腹は代えられぬということか。」


バルハート五世は、暗い情念を瞳に宿し、王座の間の床に刻まれた巨大な魔法陣を見つめた。それは黒剣が出現した際に、同時に現れたとされる古代の術式であった。


◆◆◆


「本当にこのまま続けてよろしいので…?」


魔法陣を囲む神官の一人が、震える声で問いかけた。

魔法陣の中央には、一人の魔族の少女がはりつけにされていた。

服装からして奴隷であることが窺えるが、彼女の瞳にはすでに光はなく、強力な拘束魔法と精神操作によって生ける供物と化していた。


「これで何人目だ?」


「…七十人目にございます。これだけの魔力、そして『黒剣』を媒介にすれば、あるいは…。」


「何人目でも構わぬ。百人でも千人でも捧げろ。すべては帝国の威信のためだ!」


皇帝は冷徹に言い放ち、再び玉座に深く腰を下ろした。

早く、一刻も早く「本物」を手に入れねばならない。その焦燥が彼を狂気に駆り立てていた。


「――始めよ。」


神官たちが一斉に呪文を唱え始める。

供物とされた魔族の少女から、命そのものである魔力が強制的に吸い上げられ、魔法陣へと注ぎ込まれた。


その時、沈黙を守り続けていた黒剣が、不気味な脈動を始めた。

純黒の刀身が、赤黒い光を帯びて震える。

異世界の扉がこじ開けられる、不快な風が王座の間を吹き抜けた。

魔法陣の輝きが激しさを増し、奔流となって渦巻く。

その中心で、光が徐々に「人の形」へと収束していく。


やがて光が収まった時、そこには一人の女が立っていた。

重厚な黒いフルプレートに身を包んだ、金髪の美女。

しかし、その美しさ以上に目を引くのは、彼女の全身から溢れ出し、空間を歪ませるほどの漆黒の圧であった。


「きた…きたぞ!ついに勇者が!!」


皇帝は玉座から身を乗り出し、歓喜の叫びを上げた。

神官たちも、神々しさとは無縁のその禍々しさに戦慄しながらも、ようやく成し遂げた成果に声を上げる。


現れた美女は、ゆっくりと瞼を持ち上げた。

氷のように冷たい、色のない瞳。見つめられただけで魂を削り取られるような、圧倒的な捕食者の視線。


「…なんだ、ここは?」


その口から漏れた声は、静かながらも絶対的な支配者の響きを持っていた。


「おお、勇者よ!よくぞ我がバルハート帝国へ降臨された!」


皇帝が玉座から叫ぶ。

跪くべき対象が目の前にいることも忘れ、ただ「至高の駒」を手に入れた喜びに浸っていた。


「勇者…だと?」


女は、自身の掌を握り、開き、確かめるように動かした。

その瞳に宿るのは感謝でも使命感でもなく、ただ底の知れない空虚と、かすかな不快感であった。


◇◆◇


その後、女はバルハート城内にある巨大な訓練場へと通された。

周囲を囲む高い壁の上からは、皇帝をはじめとする重鎮たちが、値踏みするような視線を投げかけている。

女は、不思議そうに辺りを見渡していた。

石造りの建物、粗末な装備の兵士たち、そして自分を「召喚」したという浅はかな人間たち。

そのすべてが、彼女にとっては奇妙なほど「脆弱」に映った。


「勇者様、申し訳ございません。皇帝陛下が、貴方様の御力をその目で確かめたいと仰せでして…。」


神官の一人が、冷や汗を流しながら平伏する。

訓練場の入り口からは、帝国の精鋭騎士たちが、重い歩調で現れた。

彼らは偽りの勇者時代を支えた猛者たちだ。

見上げれば、バルハート五世が満足げに頷いている。


(人間ごときが、私を試すか…。)


女の口角が、わずかに吊り上がった。

それは、これから始まる虐殺を予感させる、美しくも残酷な微笑みだった。

彼女の名はセルス。

この世界が、望まぬ形で手に入れてしまった「最悪の勇者」であった。

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