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序章

 2040年。

 人工知能の急成長、火星移民計画、軌道エレベータ建設、ダイソンスフィア計画の始動と、人類は自らの予想を上回る速さでの進歩を遂げていた。

 バイオナノマシンの一般化は、電話とパソコンの境界を曖昧にしたように、人とデバイスの境界を曖昧にした。


 しかし、それは文明の話である。

 どんなに科学が発展しても、人間の悩みはいつの時代も大きく変わる物ではない。

 ホモサピエンスが地球上に誕生してから今まで、ただの一度も愛に悩まぬ人類は地上からいなくならなかったし、この先も消える事は無いだろう。




「あんた……まさか、また下に水着、着てきたの? 雑って言うか、ズボラって言うか……ははぁ、昔みたいに下着忘れたりして無いでしょうね?」


 親友の葵は、軽い冗談で言ったつもりだった。


「そんな小学生じゃあるまいし」


 美咲は、そう言いつつも不安にかられて「はっはっは、まっさかぁ」と言いながらロッカーに入れた自分のスポーツバッグの中を探った。

 すると、小さい声で「あれ……」と言った。

 先ほどまで明るかった顔色は、途端に曇っていく。

 その顔には“うそでしょ”と書いてあった。


「どうかした?」


 制服のリボンを外しながら“まさか”を聞いた当の葵が、浮かない顔をしている美咲を見た。


「……パンツ忘れた……」




 水着を家から着て来て自宅に下着を忘れるなんて失敗も、簡単には無くならなかったようだ。

 これから中学生水泳全国大会の大事な予選を控えているのに、美咲は思わぬ事態に困惑したのだった。




 葵は、本当に下着を忘れてきた美咲に、着替えの途中で下着になったまま大爆笑した。

笑い声に、女子更衣室内の視線が葵に注がれるが、そんな事は気にしない。


「あはははははは、おかしい。本当に小学生かあんた。その歳で家から水着着て来て、パンツ忘れるって!」


 周囲の同情の視線が美咲に「あの子パンツ忘れたんだ……」と突き刺さった。


「返す言葉もないです……」


 美咲は、頬を染めて恥ずかしそうに、少しシュンとした。

 家で忘れ物チェックをしようとしたら、兄からメッセージがあって返信に気を取られているうちに忘れ物チェック自体を忘れた事を思い出し「お兄ちゃんめ、ぐぬぬ」と恨めしく思う。


 それから、本日の予定を思い出して気が滅入った。

 仮に、直帰なら濡れた水着を下に着ていようが、ノーパンだろうが、ギリギリ、本当にギリギリだが、イケそうだと考えていた。


 だが、今日は都合が悪かった。

 本日の中学生水泳大会の予選を含め、試合ぐらいでしか実際に会わない他校の友達と、終わったらお疲れ様会をする事になっていたのだ。

 集合は予選会場のロビーで、会場になるお洒落なカフェまで直行である。

 既に参加費を幹事に払っている上に、仲の良い友達の何人かは、昨日渡せなかったと美咲に誕生日プレゼントを用意していそうなので、美咲は是が非でも参加したかった。


 濡れた水着やノーパンで過ごす充実した午後と言うのは、想像するだけでスース―してくる。

 目の前で爆笑している日に焼けた茶髪の少女は、みんなには言わないが、スカートめくりをチョイチョイ仕掛けてくる。

 そういうキャラなのは、長年の友達付き合いから分かっていた。

 美咲は、かなりの精度で到来する未来をシミュレーションし、どうにか回避せねばと思った。


 それから、短い黒髪を指で弄り、モジモジしながら葵に対して安易なお願いを持ちかけようとした。


「……ねえ、葵ちゃん。パンツ」


「貸さないわよ。気持ち悪い」


 まだ言いきってもいないのに、即却下された。

 葵は帰り用の綺麗な下着を用意しているので、そっちを借りればと思ったのに、早速当てが外れた。

流石に安易すぎた。

 だが美咲も、ここで引き下がる訳にはいかなかった。


「昨日、私ね、誕生日だったんだ。葵ちゃん……」


 美咲は、ウルウルと上目遣いをしてみた。

 相手が男なら、騙されずとも、しょうがない奴だと甘やかす所だが、葵には通じない。


「……普通に覚えてるけど。聞くがあんたは、それで良いのか? せっかく親友がプレゼント用意してきたっていうのに」


 葵は、ジトッとした視線を美咲に送ると、ロッカーに入れていたカバンを出して、中を開いて見せた。

 そこには、可愛いリボン付の包み紙が見えた。


「ううっ」


 まっ、眩しい!? 美咲は親友の回復魔法で大ダメージを喰らった。

 そんな気分になった。

 アンデッドか私は、と思った。


「……そうだ。じゃあ、サキッチが全国に行けたら、買ってあげる」


 自身の卑しさで心に傷を負った美咲に対して、葵は何かを思いついたのか、譲歩の姿勢を見せた。


「パンツのハードル、高くない!?」


 美咲は抗議した。

 もちろん、そんな立場じゃない事は分かっている。


「じゃあ、午後はノーパンで頑張るのね。せっかく昨日iDも導入した事だし、パンツの画像でも貼れば風が吹いても大丈夫だしね」


 iDとは、iDEVICEの略で、一般的なナノマシンタイプのデバイスの事だ。

 体内に常駐させて使う、高性能なスマートフォンを想像してもらいたい。


 葵の言葉に、美咲は思わず想像してしまった。

 iDの皮膚モニター機能を使えば、自分の皮膚に画像を映し出せるのだ。

 たしかにボディペイントに見えない事も無いが、絶対にやりたくない。


「それじゃ変態だよ!」


「あんたなら平気よ」


「何を根拠に!? ううっ、わかった。わかりました。全国に行きますよ!」


 言ってから美咲は、ダメだったら母親に買って来てもらおうと思った。

 いや、今、メッセージをたったの一本送れば解決するのでは?

 美咲がそんな事を考えていると、葵は美咲の表情を見て、まるで心を読んだのでは無いかと言うタイミングで美咲の脇をくすぐり始めた。


「約束したからね」


「はははははははっ、や、やめて、お願いだから!」


 おっと、墓穴を掘ったぞと、美咲は気付いた。

 全国に行けなかったらノーパンで半日過ごすみたいな、おかしな流れに誘導され始めている。

 葵は、くすぐる手を止めずに、ニンマリと人の悪い顔をしていた。


 昨日iDを導入したばかりの美咲は、誤作動防止機能の自動ロックをオフにしていないので、視界に浮かぶ画面が固定されてしまう。

 葵が確信犯なのは、間違いなかった。


「やめて、やめて、ください……」


 思わず「ください、だろ?」と言われる気がして自分で付けてしまった。


「しょうがない……」


 葵がくすぐるのを止めると、美咲は早速、iDでメッセージを送ろうと視界に出ているウィンドウに意識を集中し始めた。

 慣れれば簡単に操作できるのだが、意識を集中させてiDに命令するのにはコツがいる。

 今の美咲は、自転車で言えば、地面を蹴りながら進んでいる様な状態なので、一々操作がぎこちない。

すると、そんな美咲を見ながら、葵が言った。


「サキッチ、あんたまさか、自信無いの?」


「なっ!?」


 美咲は、あと一歩で母親に「パンツ忘れた、届けて」と言う情けないメッセージを送信出来たのに、送信ボタンを押す寸前で意識の集中を止めてしまった。

 葵は、美咲の負けず嫌いな性格を的確に突いて来た。

 美咲のiDに搭載されているサポートコンシェルジュAIであるメイド少女のロッテは、情けない文面の手紙をどうすればいいのか、美咲の命令を視界の端で待っている。


「全国、行くつもりでしょ? 今年は優勝するんでしょ?」


 更衣室は、気が付けば二人きりになっていた。


「ま、まあ、そうですけど……」


「じゃあ、大丈夫じゃない。自分を信じて!」


 葵は、ガンバレみたいな感じで言うが、明らかに楽しんでいた。


「ぐっ、じゃあ、私が全国決まったら、葵ちゃん本当にパンツ買ってくるんだからね? 約束だよ。終わったらすぐだよ!」


「よし。ダメだったら、一日ノーパンね。約束だからね」


 葵は面白そうに、早口で言った。

 術中にハマっている事は分かっているのに、我慢できずに無用な約束をしてしまった。

 美咲は心の中で「私のバカバカ」と思った。


 すると、葵は美咲に手の平を見せた。

 別に、皮膚モニターによる画像も何も表示されていない。


「握手?」


 美咲は、間の抜けた顔をして葵の手を握った。


「パンツ代」


 美咲は素直に「なるほど~」と思った。

 葵は買ってあげるとは言っても、自腹でとは一言も言っていない。


 それから美咲は、バッグから小学生の男子が使いそうなボロい三つ折り財布を出すと、マジックテープをビリビリと剥がして開け、自分で見た後に無表情でそっと葵に中身を見せた。

 ボロ財布は美咲の兄が小学生の時に使っていた物で、当時かっこいいと思っていた美咲がおさがりで貰った物だった。

 物は基本的に壊れるまで使う派なので使い続けているが、糸がほつれていたり、かなりガタが来ている。


「あの、あのですね、実は、言いにくいんですけど、見ての通り今、余分なお金が無いといいますか、その、財布に余裕が……」


 葵は、美咲の財布と財布の中身を見ると、何か入れたくなるぐらい切ない気持ちになった。

 中学三年生の財布とは思えないのは、見た目だけでなく中身もである。

 試合終わりにジュースの一本も買えない。

 電子マネーで支払いをする為の家族カードの支払い能力の残高表示は、たったの80円で、クレジットカード機能も無い。

 iDに登録されている支払いカードと共通なので、ネット通販も出来ない。

 財布の中身で一番価値があるのは、一駅区間一ヶ月の通学に使っているチャージ式の定期カードなのは、間違いなかった。

 ちなみに、その定期カードの期限は、しっかりと切れている。


「……はぁ、パンツと、あとブラも揃いのプレゼントしてあげるから。本当に勝ちなさいよ」


 そう言うと葵はiDで通販のウェブページを開いて、美咲にも見える様に腕に表示した。


「ありがとっ! 私頑張るね!」


 美咲がわざとらしく、着替えている葵に抱き着くと「ちょっと、わかったから、美咲、邪魔!」と邪険に引きはがされた。

 美咲は抵抗して、葵のパンツを引っ張り始めた。

 これは完全に、ただの調子に乗った悪ふざけだった。


「ゴムが伸びる! こらっ、やめっ、やめろっ!」


 美咲は、葵に頭を殴られた。

 急に声にドスをきかせるのは、まだ怒ってはいないが、それ以上は本当にやめろの合図である。


「葵ちゃん痛いよぉ。脳細胞が死んだらどうするの」


 もう、と言いながら葵は着替えを続ける。


「コブの分有利になったと思いなさい、まったく」


「頭からゴールしたら、またコブになっちゃう」


「ほら、脳細胞はまだ大丈夫そうよ?」


「ううう」


 口では勝てない美咲は、頭をさすりながら気を取り直した。


「しかたない。今日は、葵ちゃんのご要望に応えるとしますか!」


 と、ワザとらしく気合を入れてみせた。


「……パンツの為だろ、さ、お待たせ、行こう」


 と、水着に着替え終わった葵は、仁王立ちする美咲のお尻をパチンと叩いた。

 美咲は、葵の不意打ちに「ひゃん」と変な声を出し、恥ずかしそうに叩かれた所をさする。


「気合入れなさいよ。とびっきりセクシーなの買ってあげるから」


 葵が美咲に腕を見せた。

 表示されている画面には、かなり際どいデザインの黒いレースの下着がネットショッピングのカートに入れられていた。

 間違いなく勝負下着である。

 値段もお高い。

 美咲の順位が決まった瞬間に注文し、会場に宅配してもらえば、店に買いに行くよりも遥かに早いので実に合理的である。


「そこは、可愛いデザインのにしてよぉ」


 美咲は、内心その値段に心が揺れ動いたが、悟られぬように文句をつけた。

 黒レースの下着など、見せたい相手などいないし、美咲には早すぎるのだが、自分が買えない物となると途端に魅力的に見えるのも事実である。

 しかし、必要ない物は、やっぱり要らないと言うのが美咲の考えだった。


「じゃあ、今日一位だったらね」


「そんなぁ……」


 こうして美咲は、今日の予選で負ける訳にいかなくなったのだった。




「サキッチ、呼ばれてるよ~」


 プールサイドで他の競技を面白そうに見ていた美咲は、葵に指で背中をなぞられてビクッと気付いた。


「ああ、うん」


 ようやく順番が来たかと、すっくと立ち上がる。

 すると、その引き締まったお尻を、また葵がペチンと叩いた。


「ちょっと!?」


 素直に驚く美咲に、葵は「かっこいい所見せてよ!」とエールを送った。

 美咲は、親指を立てて満面の笑みで答えた。

 プールのスタート地点まで歩いていると、声が聞こえてきた。


「ミサキ! ガンバ!」

「ナキリ! 期待してるぞ!」


 応援席に同じ学校の友達数人が応援に来てくれていた。

 美咲は、大きく手を振って返した。


 友達には、まあまあ色々な呼び方をされるが、初対面の半分には「ヒャッキさん?」と疑問符で呼ばれる。

 百鬼と書いて“なきり”と読む。

 これが美咲の苗字である。

 年齢は、昨日で15歳。

 背の高さと成績は、クラスで真ん中ぐらい。

 肩に届かないぐらいまで伸びた髪は、今は水泳キャップの中に納まっているが、キャップを外せば黒のストレート。

 目鼻立ちも悪く無く、黙っていれば清楚な美少女に見られない事も無い。

 だが、自他共に認める「ずぼら」な性格が災いして、清楚なんて誤認は日々の生活の中で既に正されている。


 中学に入ってから親友の葵に誘われて始めたので、水泳の経験はまだまだ浅い。

 だが、今では葵よりも早く泳げるし、こうして大会の予選に出る事も出来る。

 兄がいるせいか、人に頼ったり、教えてもらう事が上手く、そこに負けず嫌いな性格が合わさって、部内では一応の有望株だし、友達も多い方だ。


「百鬼、いいか、練習通りにやれば十分狙えるんだ。集中していけよ、同時にリラックスだ」


 顧問兼コーチの木村先生が、激励に声をかけてきた。


「はい!」


 木村先生の漠然としたアドバイスに対して、元気に返事をした。


 ゴーグルの明度を調整し、最適にして着用しプールに入った。

 視界に見えるiDのウィンドウには、利用制限の文字が出ていた。

 こういった競技会場では、不正に使おうとする者がいるので、インプラントナノデバイスの類は強制的に利用制限される。


 具体的には、競技における最適解のモーションを表示してガイドする事で、本来の実力以上の動きをナビゲーション出来てしまうのだ。

 練習時には大変有用だが、本番では一切の使用が認められていない。

 なので、美咲のiDも一時的に緊急連絡でしか電話をかけられない様に自動的にされていた。


「はぁ……ふぅ……」


 深呼吸をした。

 葵は、一位になれなかったら本当にセクシーな下着を買うし、予選に落ちたら買ってもくれない事は、長い付き合いから分かっていた。

 それはどの道、家に帰ってから面倒な事になる。

 特に、親からのセクシーな下着に対する興味本位の見当外れな質問を受けるのは、想像するだけで億劫でならない。

 だが、そんな事よりも単純に、美咲は負けるのも諦めるのも、人一倍嫌いだった。


 そんな事を考えていると、そう言えばと思い出したように美咲は客席を見た。

 そこには美咲に手を振っている両親と、兄の姿があった。

 兄は美咲にビデオカメラのレンズを向けている。

 美咲が小さく手を振ると、兄も撮影の手を維持したまま手を振り返した。


 美咲は思った。

 みんなの「期待に応えたい」と。

 期待を裏切らない為に、努力をしてきた。

 そしてこれから、その力を出し切るのだ。


 美咲は目を閉じた。

 大会の為に日々練習も重ねて来たし、今朝も自宅の水風呂でわざわざイメトレをして来た。

 準備に抜かりもなければ、今日は快晴で絶好の試合日和である。

 負けたら他人のせいに出来ない状況で泳げると言うのは、勝ち負け関係無く気持ちが良い。


 目を開け、会場にある時計を見ると、時間は11時。

 丁度分針がカタンと動くのが見えた。

 すぐにスタート用意のアナウンスが流れ始める。


 スタート位置にあるハンドルを握ると、膝を抱え込み、足の裏を壁につけ、背泳ぎのスタートの姿勢をとる。

 全身のバネが、スタートダッシュの瞬間を、今か今かと待っている。

 美咲自身も、壁を蹴るタイミングを集中して待つ。

 集中、集中、集中……同時に、リラックス、リラックス、リラックス……

 自分の心音に意識を向ける。

 トクン、トクン、トクン……鼓動はリラックスしている。


 パンッ!


 スタートを知らせる銃声が会場に鳴り響いた。

 美咲の身体は、絶妙なタイミングでスタートを切っていた。

 潜水でイルカの様に身体を動かして全身で水を掻き分け、壁を蹴った勢いで距離を稼ぐスタートは、十分自己ベストも狙えそうな、良い滑り出しだった。

 水の流れを全身に感じるが、水にぶつかるのでは無く、水を掻き分け、水塊の隙間を縫う様に泳ぐ感覚。

 調子が本当に良いと全身で感じている。


 だが、まだ勝負は始まったばかりだった。

 気を抜いては足元をすくわれる。

 水面に顔が出ると、肺いっぱいに息を吸い、手を動かす。

 ここからが本当に練習の成果が試される見せ場である。


 何度も繰り返して来た動き。

 考えずとも自然に動く、美しいストローク。

 ターンも決まり、美咲の泳ぎは勢いを増していく。


 ぷはっ!


 こうして、最初から最後まで全力を出して泳ぎ切った。

 負けたらノーパンと言うのも効いたのかもしれない。

 順位が表示される会場の大型液晶画面に目をやると、そこには、一番上に美咲の名前があった。

 自己ベスト更新の上に、日本記録に迫る好成績であった。


「やった!! やったよ、葵ちゃん! みんな、やったよー!」


 葵は下着を注文する為だろう、美咲を見て嬉しそうに親指を立てると会場を出て行った。

 美咲は大はしゃぎしながら応援してくれていた全ての人に手を振って、プールの中でくるくると周囲を見回す。

 客席では、家族や友達が全国大会で優勝したみたいな喜び方をしているのが見えた。




 会場から電車で二駅の所にある、お洒落なカフェ。

 花火で飾られたバースデーケーキを店員が運んでくる。

 店の照明が落とされ、BGMが誕生日の歌になると、同じ席のみんなが鞄からプレゼントを出して、声を合わせた。


「誕生日&全国大会出場おめでとう!」


 店内の他のお客さんが空気を読んで拍手してくれる。


「ありがとう! みなさんもありがとうございます!」


 律儀に店内のお客さんにまでお礼を言い、美咲はプレゼントに囲まれてご満悦である。

 葵に買ってもらった水色の可愛い下着を着けているし、こうして美咲は何の悩みも無くお疲れ様会を楽しむ筈だった。


「みんな聞いてよ、サキッチの大会出場には、実は私と言う陰の功労者がいてね……」


 始まった途端、これである。

 葵は、大切な話風にかしこまって話を始めた。


「あ、葵ちゃん!?」


「なに? あ、そうだ。じゃあさ、美咲を勝利に導く助けになった私のプレゼント、みんなにも見て貰おうよ!」


「え、なになに、財布以外にもなんかあげたの? 相変わらずの甘やかしっぷりだね。ほんと愛してるね~、見たい見たい」


 隣町に住む真由美の言葉に、他の友達も同調する。

 それを見て葵は、楽しそうに美咲を観察していた。

 観察される美咲は、スカートをまくる訳にもいかずに困って言い訳を考えている。


「ちょっと、あんまり美咲をイジメないの。今日の主役だよ?」


「ゆうちゃん」


 真由美と同じ学校に通う優子が、更衣室で二人の話を聞いていたのか、事情を知っているらしくフォローしてくれた。


「ええ~、面白いのに~」


「それは認めるわ」


「ゆうちゃん……」


 葵の言葉に、味方だと思っていた優子は共感する。

 美咲は、なんて奴らだとケーキをモリモリと食べていく。

 どうも昔から美咲は、色んな意味で可愛がられる立ち位置に落ち着いてしまう。


 別に欲しがっていなくても、今もみんながケーキを“あーん”ってしてくれ、それに美咲は反射的に美味しそうにかぶりつく。

 それだけなら美咲も美味しくて良いのだが、いじる口実を一度与えると、みんなして美咲を玩具にし始めるので、時々自分のポジションを考えさせられてしまう。

 しかし、友達も鞭だけでは美咲がすぐに嫌になってしまうのは分かっているので、鞭を帳消しにしようとケーキと言う飴を与えてくる。

 美咲も、ポジションを考えさせられこそすれ、すぐに居心地がよくてそんな考えは深まる前に消えてしまうので、みんなの妹ポジションを抜け出せないでいた。




 夕方、お疲れ様会を終え、プレゼントとスポーツバッグで両手が塞がった美咲は、みんなと駅に向かっていた。


「美咲、今日はよかったね」


「うん」


 信号待ちの時、葵が話しかけてきた。

 別れが近づくと、葵は時々、急に真面目になる。

 まるで、その日の悪戯を謝る様に。


「大会、一緒にがんばろうね」


「葵ちゃんのお陰で出れるんだからね」


「ちょっと、いじめないでよ。冗談だって、美咲が頑張ってたの、みんな知ってるんだから。でも、大会では負けないわよ」


「うん、ありがと」


「あと、大会では、パンツ忘れるな」


「忘れないって」







「?」


 私は気が付くと、ベッドに寝かされていた。

 確か、家に帰ろうとしていて……

 それよりも、さっきから聞こえるピッピッピと言う電子音は何?

 気怠い。

 息苦しいし身体も動かない。

 目を開けると、視界がぼんやりと像を結び始める。

 薬のにおいがする。

 ここは、病院?

 喋ろうにも、喉と鼻に管が通されているので、声が出しにくい。

 身体中にセンサーパッドが張られ、薬や点滴の管で、全身が自由にならない。


「おあああん?」


 お母さんが私の声に気付いて椅子を立つと、ナースコールを押してから私の手を強く握り絞めた。


「美咲、自分が誰かわかる? お母さんの事わかる?」


「あん」


 わかるけど、喋りづらい。

 すぐに扉を開けて中年のお医者さんみたいな人が部屋に入って来た。


「先生、娘が」


「お母さん、落ち着いてください。美咲さん、これ何本かわかる?」


 お医者さんは、指を三本立てた。

 こういう時って、本当に指の数を聞くんだとぼんやり思った。


「あんおん」


「わかっているようですね、脳波も問題ありません。とりあえず峠は越えましたが、まだ油断は出来ません。お母さんから事情をお話になられると良いかもしれません。すぐに主治医が来るので、私はこれで」


「先生、ありがとうございます、ありがとう」


 お母さんが泣きながら感謝する姿なんて、初めて見た。


「手術をした先生と、お友達に言ってあげてください」


 そう言うとお医者さんは、病室を出て行った。


「美咲、あんた覚えてる? 事故を起こしたトラックがあんた達のいた歩道に突っ込んで来たって」


「ううん」


 殆どの車が完全自動運転になって交通事故は飛行機事故並みに起きていないのに、ついていない。

 iDを表示すると、深刻なエラーが発生しましたと表示され、ナノマシンの増殖に時間がかかりますと復旧予測時間が表示されるだけで使えなかった。


「おあああん、こえ、じゃま」


 管を外せとお母さんに言おうとするが、発音がおぼつかない。

 そこで、管を指さそうとして、自分の手を見てギョッとした。

 腕がまともに曲げられないぐらいにまで、パンパンに浮腫んでいたのだ。

 見ると両手足が同じ状態になっていた。

 怖くて今は鏡を見たくない。


「ごめんね、この管はすぐには外せないの」


 お母さんはちゃんと読み取ってくれたが、なぜ外せないのだろう。

 iDが使えれば、メッセージでも、皮膚スピーカーによる会話でも出来るのに、もどかしい。


「あのね、右の肺に金属の棒が刺さって、グチャグチャで、もう全摘するしかなかったの」


「?」


 今、何と言ったのだろう?

 右の肺を全摘出?

 つまり、片方の肺が無いの?

 それでは、水泳大会は絶望的である。


「で、でもね、先生が言うには、今は人工肺って凄くって、元の肺よりも性能は断然良いんですって、それに、胸の傷も綺麗に消せるから」


「……うん」


 自分の事なのに、他人事の様に感じる。

 ただ、頭の中はみんなに迷惑をかけたとか、手術や入院のお金は高いんだろうななんて事ばかりが思い浮かぶ。


「あと、あの、あのね、えっと、心臓も、壊死してて」


「?」


 それだと死んじゃうよ。

 それとも、こうして生きていると言う事は、人工心臓も有能なのだろうか?


「代わりにね、心臓を……貰ったの……」


 お母さんは言い終える前に、泣き崩れた。

 耳を疑った。

 心臓を貰ったって?

 誰から?


「あえの?」


 急に心臓の鼓動が自己主張する様に、うるさく聞こえてきた。

 これが、他人の鼓動?

 嫌な予感しかしない。

 同じ信号で待っていた、誰かだろうか。


「落ち着いて聞いてね、あなたに心臓をくれたのはね、葵ちゃんなの」


 泣きながら喋るお母さんの言葉を聞いて、私は意識が遠のくのを感じた。

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