4-49.
前話あらすじ
邪神の眷属の生き残りの身の上。
リーベンシャータは睡眠中。
ガッシュから神域結界維持のために建てられたメアルリア教の仮設神殿へと戻る最中、ふと違和感を感じたジェールは立ち止まり周囲を見回した。
一見すると自然の中を辛うじて獣車が通れる幅を確保しただけの道という、ガッシュへ向かったときとの違いはないように思える。行った道を戻ってきているのだから目に映る景色に違いがあるのは当然なのだが、ジェールが感じた違和感はそれとはまた別のものであった。
「ジェールさん、どうかしましたか?」
「うーん。ちょっと待って。フーリ、ウィーク、あれってどう思う?」
メアルリア教の司祭であるスティックの問いかけに制止をかけたジェールは自らの右手側を指差す。
そこは背丈の低い雑草が乱雑に生い茂る場所であった。その中を暫く進むと森林へと踏み入れることができる。
「んー、誰か通ったみたいだね。ガッシュ行くときは気付かなかったなー。反省しないと」
「手前の岩で見逃した? もしくは私たちが通る前ではなく、通り抜けた後で入った?」
規則正しく生えているわけではないので分かりにくいが、よく見ると雑草地帯の中を一本の線が通っており、それは森林へと続いていた。ガッシュへ向かう際には手前の岩が邪魔となって、そこ通り抜けた後に振り返り注視しなければ見つけられないという、ある意味絶妙な場所である。ジェールたちがガッシュへ行く際に見逃したとしても責められるものではない。
「ガッシュへ行くのを急いだこともあるから何とも言えないけど……さて、どうしようか」
ジェールはスティックへと目をやった。
今回の依頼はガッシュでの用事を終わらせ、そして戻るまでスティックを護衛することだ。こんな人通りのほとんどない場所で誰かが森林へと入るような跡らしきものを見つけたからといって、その調査を行う必要も権限もジェールたちにはなかった。
「仮に行くときに見つけたとしても、まずはガッシュでの用事を済ませることが重要でしたので。それはそれとして……気になりますね」
ガッシュの門番や神殿関係者、それから街の噂から考えるとリーベンシャータが昨日今日と街に入っていない確率は高い。そこに彼女が走り去った方向の先であるこの場所で人が通ったような痕跡。
スティックが雑草の中を走る線をリーベンシャータに繋がるかもしれないと考えてもおかしなことではない。
「どうするかは任せるよ。この先を調べるのは依頼内容からは外れるけど、元々の報酬が破格だったから追加報酬はいらない。正直ボクとしては、このまま戻って終わりっていうのは、しっくりこないから調べるっていうなら喜んでやるよ」
ジェールの言葉はパーティーとしての総意であるようで、フーリとウィークも頷いている。
その様子を見たスティックは一瞬の逡巡の後に雑草に残る跡、そしてその先にある森林を調査することを決めた。
現状で分かっていることを報告しただけでスティックがフィーリスから頼まれた依頼は達成である。だがリーベンシャータの行方の手がかりになるやもしれない痕跡を折角見つけたのだから、それを何の調査もせずに放置するのはあまりにも勿体ないというものだ。遠目からでもリーベンシャータの姿を見ることができれば、それは今後の調査に役立つ。スティックは、そう考えたのである。
この後、ジェールたち一行はスティックの要望により雑草地帯の痕跡を追い、今まで以上の警戒しつつ森林の中へと足を踏み入れていくのであった。
◇
森林の中央付近に位置する病院であった建物の一室で、少女は鼻歌交じりに何やら作業に没頭をしていた。
どのくらいの没頭しているのかといえば、朝の遅い時間に起床し作業を始めたとはいえ太陽が一番高いところから大分西側にある現在まで一度の休憩も挟まないほどで、恐ろしいほどの集中力であった。
「ふふーん。できたでーきた。折角奪った力だもん、無駄にはできないよね。それにしても流石わたし。眷属としての力を使わなくてもできるなんて、天才ね」
上機嫌な少女は手に持った一般的な大人の拳ほどの大きさをした赤く透き通った力の結晶を見てにんまりと笑う。それから自分の周りに転がる、大きさこそは小さいがその手に持つ物と同質の塊に目を向けうんうん頷いた。
これら力の結晶は少女が一心不乱に作業した結果作り出されたものである。材料はリーベンシャータから奪った力と自らが纏った魔力だ。奪った力が拡散しないように貯め置き周囲を魔力で覆い、そこまでしてから力と魔力を均等になるように徐々に融合させて物質化させたものが力の結晶である。
大きさが様々な理由は、今の少女では奪った力を一つに纏め切れなかったからだ。力を拡散させないように止め置いておくことはできたが、それを自分の魔力で覆い融合させ一つの結晶として物質化するには少女自身の力が足りなかったのである。無論、邪神の眷属であることを周囲に知られても良いのなら、今の少女でもできなくはなかったが、それをすると間違いなく自身が遠からず消滅する嵌めになるため、それは避けたかった。
さて、そんな少女が暫く考え取ったのが、左右の手で同時に作業を行うという方法である。片方で自分が今できる限界の大きさの結晶を作り、もう片方で最低限役に立つ程度の力を持った結晶を作るという左右同時作業。なかなかに難易度の高いものであるが、結果としてそれは功を奏し一片の力も無駄にすることなく奪った力を全て結晶化させることができたのである。
しかし、この奪った力を無駄にしなかったことの代償というものがあった。それは時間の消費と奪える命を奪い損なったということだ。
当初は自分が逃げ切れるだけの力を奪ったら、それを即座に結晶化させ一目散に逃げる予定であった。だが少女は自分が起きた後も眠り続けるリーベンシャータを見て深く考えることをせずに、その場で作業を開始してしまう。それだけならまだしも、奪った力を無駄にしたくないという思いから四時間以上もの時間をその場で過ごしてしまっていた。
奪える命にしてもそうだ。少女が起きた時点でリーベンシャータは目を覚まさなかったのだから、継続して気付かれないように少しずつ力を奪い続ければ良かったのだが、結晶作成に両手を使うことを選んだために力の奪取を止めてしまった。
つまり少女は奪った力を無駄にしたくないあまり、最も安全で確実であろう危機からの脱却機会を逃してしまっていたのである。
「ほう。眷属とは邪神の眷属のことかな?」
「邪神邪神って、ドルワザヌア様というちゃんとした御名前があるの。いつまでも邪神呼ばわりしないでよね!」
床に散らばっていた結晶を回収していた少女は思わず怒鳴り返し、そこでようやく今この場には自分以外に人種という存在がいたことを思い出す。
「げっ」
少女は自分の行動の愚かさを今更ながらに後悔したが、そのとき既にリーベンシャータは次の行動に移っていた。
「我に祝福を!」
ベッドから跳ね起きたリーベンシャータは、即座に効果を発揮した神の奇跡に感謝をしつつ、腰に付けられたままであった大剣の柄を握り引き抜き邪神の眷属である少女へと刃を振るう。相手が邪神の眷属だと分かった彼女の大剣に躊躇いはなく、正に相手を両断せんばかりの勢いであった。
しかし、リーベンシャータの大剣は少女を両断すること叶わず、鈍い音を立てた後で相手を弾き飛ばすに留まる。
「ちっ」
部屋の窓を突き破り飛ばされた少女を目で追いかけ舌打ちをしたリーベンシャータは、窓枠に足をかけると身体を空中に躍らせ、自らも外へと飛び出す。
少し前から目覚めていたリーベンシャータは寝た振りをしたまま作業に没頭する少女の独り言を聞いていた。そこで耳に入れた情報から、今の自分は良くて先日まで依頼をしていた潜む気配のパーティーメンバーの三人と同等程度。事によったらそれよりも劣っているかもしれないと考えていた。そしてそれは間違っていない。
「逃げぬのか」
身体能力の弱体化を計算に入れ飛び降りたリーベンシャータは、地面に着くとすぐさま大剣の剣先を少女へと向けた。
「あなたがすぐに飛び降りてこないで……飛び降りてきても体勢を崩してたら逃げてたよ。あれだけ力を奪ったのに五階から飛び降りて全くの無傷で、すぐ剣を向けてくるとかどうなってるのよ」
「ふん。今の力でもこれくらいは造作もない。メアルリアの大司教は伊達や酔狂ではない」
「何よそれ……」
大っぴらに動けないからこそ、力の回復とこの世界のことを知ることに少女は労力を割いてきた。そこから得た知識と照らし合わせてみてもリーベンシャータは異常だ。
確かに現在のリーベンシャータが何の技術もなく五階もの高さから飛び降りたのなら良くて骨折、最悪死んでいたかもしれない。しかし彼女は力は奪われていても、それまでの技術や経験といったものまで奪われたわけではなかった。だからこそ、一見冗談にも思える結果を出すことができたのである。
「それにその硬い武器。持ってなかったでしょ、どこに隠していたのよ!?」
「教える必要はなかろう? それはそれとして、先ほど私の剣に何かしたな?」
「こっちも教える必要はないよー、バーカ」
リーベンシャータが構える無属性の魔鋼だけを使った大剣の中ほどには僅かな亀裂ができていた。
大剣に襲い掛かられた少女は咄嗟に作ったばかりの結晶の一つを用いて大剣の刃を砕き難を逃れようとしたのだが、結局は砕くことができず窓から外へと弾き飛ばされてしまったのである。
余談だがリーベンシャータの大剣は常に彼女の腰にあった。大剣の鞘は魔法の物入れと同じような性質を持たせたもので、背丈ほどもある剣身の長さも大剣自体の重量も気にする必要はなくなるという優れものである。ただ平民であれば一家族が贅沢をしなければ五年は暮らせるだけの値段がするにも関わらず、リーベンシャータが条件付けをした大剣の剣身部分しかいれることができないと汎用性が全くない。全世界で一つだけの物ではあるが、使う本人以外には全く価値のないものであった。
「さて話は終わりだ。今の私ではお前を消すことはできないだろうが……この場所をそれができる者に知らせる方法は思いついた。とりあえず、腕を一本貰うぞっ!」
そう言うや否や、リーベンシャータは地面を爆ぜさせる勢いで少女へ向かって突進する。そして無言で目くらましの光属性魔法を一つ放ち、その陰から全力を載せた大剣を振り下ろした。
少女の方も黙って見ていたわけではない。
リーベンシャータの動きからは一瞬遅れはしたが指先ほどの結晶を発動状態にして迎え撃つ。
「目くらましがあっても、そんな大振り!」
少女は光属性の目くらまし魔法を片目を閉じることでやり過ごし、リーベンシャータにより振り下ろされた大剣の剣身、その腹部分に結晶を押し当てて力を解放した。
直後、リーベンシャータの大剣が剣身の半ばから砕け、剣先側の半分が弾け飛ぶ。
「どうよっ! ……な!?」
相手の剣身を半分の長さにした少女は得意気な顔をするも、振り下ろしたときには長さが半分となってしまった大剣を手にしたリーベンシャータが更に一歩踏み込んできたことに驚愕の声を上げる。
「腕を一本貰うと言った!」
少女に肉薄したリーベンシャータは、半分となった剣身で斬り上げを行う。
その斬撃は驚きで動きを止めてしまった少女が対処できる速度ではなく、結果リーベンシャータの言葉どおり肘から先を鮮血とともに斬り飛ばす。
元の剣身が二メートル弱もあるのだから、長さが半分になったとしても十分に武器としての機能は残っている。問題となるのは間合いの違いと振るうときのバランスだ。リーベンシャータには、それらを計算にいれて十分に威力を発揮させることができる技量があったのである。
「があぁぁぁぁああっ!」
肘から先を斬り飛ばされ見た目からは想像ができない声を少女が上げる。
そしてそれと同時に今まではなかった邪気が周囲に漏れ出した。
邪神の、また邪神の眷属が持つ本来の気配や魔力というものは、この世界では異物といえるもので一度外に流れ出れば世界が拡散希釈させ浄化をしようとする。それはつまり、それを感じ取れる者にとって発生元の特定することができるということだ。
リーベンシャータは寝た振りをしている間に少女がこの世界の理を纏い自分の世界の理を覆い隠していることを知った。正直、腕を一本きり飛ばしたくらいでは無理かもしれないと思っていたが、形振り構っていられない損傷を与えれば本来の力を出すのではないかと考えていたのである。
「予想よりも早かったか。後はどれだけ私が時間稼ぎをできるか……なに!?」
少女が自分から切り離された部分を結晶の力を使って消し去った。そしてそれまで周囲に漂っていた邪神の眷属としての気配や魔力が消失する。
「貴様」
「まいったね。腕、元通りにするのに時間がかかっちゃうよ」
苦笑しつつ肘から先がなくなった腕に少女は目を向けた。
そんな少女にリーベンシャータは動くことができないでいる。
相手の腕を斬り飛ばした後、リーベンシャータがすぐに追撃しなかったのは邪神の眷属としての力を発揮した少女相手では今の自分は勝てない、油断したら敗れ殺されるだろうと思っていたからだ。その思いがあり相手がいつ攻撃を仕掛けてきても対応できるように大剣を相手に向け様子を窺っていた。あくまで自分の役割は邪神の眷属を消滅させることができる戦力が到着するまで、相手を逃がさぬようにすること、そう彼女は考えていたのである。
だが少女は襲い掛かってこなかった。痕跡となる切り離された腕を消し去り、邪神の眷属としての気配と魔力を再び押さえ込んだ。
まさか少女がこのような行動を取るとは、リーベンシャータは思ってもみなかった。だから彼女は相手の意図が分からず動けないでいた。
「いや、ほんとに自分の油断が嫌になるね。こういうのを慢心というのかな? 違うか。まあ、それはどうでもいいや。本音を言えば、ここであなたを殺して、あなたから奪った力も持って立ち去りたいところだけど、思った以上にわたしにとっての状況は悪くなりそう。だから、そのどちらも諦める。といっても、素直に逃がしてはくれないよね?」
苦笑のまま少女はリーベンシャータへと問いかける。
それに返されたのは無言での鋭い視線だ。
「だから、お土産を置いていくよ。できればこれであなたも、そしてここに向かってる人たちも死んでくれると嬉しいんだけど、まあそこはいいとしよう。じゃあ、あなたにはもう会うことはないだろうけど、バイバイ」
「逃がすと思うか?」
「あなたが逃がさないように頑張っても無理なもんは無理だよ。『力の結晶よ、今ここにその力を宿せ』」
少女はリーベンシャータの怒気を気にもせずに持っていた結晶を地面にばら撒き、そして叫んだ。
「『ポルヌアの名において、顕れ出でよ。ゴーレム』!」
次の瞬間、二メートル弱の背丈のゴーレムが八体と十メートルを超えるゴーレムが一体現れた。
現れたゴーレムは武器の類を持っているわけではないし、邪神の眷属特有の気配などはない。だが、その威圧感は相当なものであった。
「じゃあね、バイバイ」
ゴーレムに気を取られるリーベンシャータに少女の声が届く。
リーベンシャータはその声で我に返るが、それは遅きに失した。自分を包囲するゴーレムの隙間から見える少女の姿は、到底追いつけないほどに離れたところにあったのである。
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