4-35.
前話あらすじ
ケルネオンへ向かう前日。その日を防壁の外にでない休養日とした彰弘は、央常神社で影虎家族とゆるりと過ごすのであった。
晴天の下、彰弘含む十五名と一体は二台の獣車に分乗してケルネオンへと出発した。
目的は輝亀竜のガルドが休眠のために使っていた殻の欠片を元の状態に戻すことと、その戻したものを加工するためだ。殻の欠片は休眠前の輝亀竜が己の甲羅を超高密度に圧縮したもので、そのままでは普通の用途には使えない。なので、圧縮を解除し元の甲羅という素材に戻す必要があった。
なお、この甲羅の超高密度圧縮という技術は、そうそうできるものではない。数千年の時を生き、力を溜め込んでいた輝亀竜だからこそ可能なことであった。
「アキヒロさんも一緒に行くっていうのは大正解ね」
揺れをほとんど感じない獣車の中で、空色の髪を持つ女のエルフが微笑む。彼女はサティリアーヌ・シルヴェニアといい、メアルリア教の高位司祭だ。
サティリアーヌは、メアルリア教の神の一柱であるアンヌから、今回の案内役を神託により下されたのである。
「そうね。とても普通の人が持ち運べる量じゃなくてよ。お詫びというなら、もう少し相手のことを考えるべきね。今更だけれど」
サティリアーヌに続いたミレイヌに、彰弘は苦笑を浮かべるしかない。よくよく考えれば、いや考えなくても分かることであったからだ。
それだけ、あのときは彰弘にも余裕がなかった――表面上はともかくとして――のである。アンヌや国之穏姫命という神と念話をしたことがある彼でも、小さな陸亀にしか見えないガルドからとあって動揺していたのであった。
「(ワレとしては甲羅をちょっと提供したに過ぎぬのだが……人の身にあの量は多いかの)」
「(気にするな。幸いアンヌから貰ったマジックバングルがあるから持ち運びについては、どうにかなる)」
鉄骨を食むのを一旦止め反省の色を見せるガルドに、彰弘はまたも苦笑を浮かべた。
確かに過剰な量である。ガルドがファムクリツでベント、ケイミング、ショウヤの三人にお詫びとして渡した殻の欠片は全部で八つで、その全てが元に戻せば縦横五十メートルの厚さ十メートルもある輝亀竜の甲羅という素材になるのだ。とても個人で扱うような量ではない。
「まあ、運搬は俺がやるから、そこは勘弁してくれ。それよりも、どう使うのかは決まったのか?」
彰弘の視線が、同じ獣車に乗っているショウヤへと向かう。
今、この獣車に乗って話しているのは彰弘に輝亀竜のガルド。彰弘のパーティーメンバーであるミレイヌ。メアルリア教の高位司祭のサティリアーヌ。グラスウェルの兵士アキラとショウヤの五名と一体である。
アキラがいるのはショウヤに乞われたためだ。
世界の融合から碌に休暇を取っていなかったアキラは、この時期に強制的に休みとされたこともあり、観光を兼ねて同行しているのであった。
なお、ミレイヌの御付であるバラサも当然同じ獣車に乗っている。ただ彼は見張りのために、昨年の夏ファムクリツへ行くときに彰弘に雇われた御者のファルンとともに御者台にいた。
ちなみに、もう一台の獣車にはベントと彼のパーティーメンバー五名、それからカイ商会の代表であるケイミングと彼が連れてきた商会の御者の一名が乗っている。
「一応は。実際にどの程度の量となるのか。どの程度のものが作れるのかを見てから交渉となるのですが、グラスウェル兵士の隊長格、それと一部優秀な兵士の防具を充実させる運びになるはずです。残りの素材は領主へ献上ですね。そして、恐らくは天皇陛下へも献上となる予定です」
素材の量がガルドの言葉どおりであれば、グラスウェルの兵士全員分を作ることも可能であった。しかし、それをすると市場相場を崩す可能性がある。領を運営する貴族たちにとって、自領を守る兵士の強化は喜ばしいことではあるが、武具を取り扱う平民の生活に悪影響を及ぼしかねない事態を招くわけにはいかないのであった。
「まあ全部を使うわけにはいかないか。それにしても、献上品にもなるんだな」
「兵士の武具を作る人たちの生活を壊す可能性がありますから。献上品については、それだけ輝亀竜の素材というのは貴重で有用なんですよ」
彰弘の感想に返したのは、輝亀竜の甲羅素材の防具を受け取ることになるだろうアキラであった。彼の顔を見ると本音では兵士全員に有用な防具が行き渡るのが望ましいと書いてある。だが、それが行われることで市場に悪影響が出る可能性があることも理解していた。
「そういえば、ショウヤさんはどうなるんだ? 今の話だと……」
「それについては心配無用です。ショウヤが手に入れた素材ですから、彼にも普通に与えられますよ。もっとも、ショウヤは兵士の中で優秀と呼ばれる中にいますから、そうでなくても与えられたでしょうが」
アキラの説明の横で、ショウヤは少しだけ恥ずかしそうに笑みを浮かべる。
そんな様子を見て、彰弘は安堵の息を吐き出した。
「そいつは良かった。でも、あれだな。相場を崩す可能性があるとなると、ケイミングさんとかベントはどうするつもりなんだろうな」
もう一台の獣車に乗る、ガルドからお詫びを受け取ることになった二人のことを彰弘は口に出した。
「ケイミングさんの方は、商隊の強化を行う分だけ自分たちで使い、残りはファムクリツの防護柵を強化するために使うみたいですよ。まだ素材の量とかが確定していないので、仮の話ですがファムクリツの代官に話を持っていったらしいです」
「確か私たちが話を上に挙げたときにも、そんな話を聞いたな」
ケイミングとしては、自分自身のために使うのは勿論であるが、その商売の根幹となるファムクリツの防御を上げることを考えていた。個人で使うには過剰であるといっても、輝亀竜の甲羅素材だけでファムクリツの土地全部や点在する集落を囲う防壁を作るだけの量はない。ならば、耕作地の周囲に設けられている木材で作られた柵を強固なものとすればいいと考えたのである。
ただし、ファムクリツの耕作地は広大だ。当然、今回手に入るであろう輝亀竜の甲羅素材だけでは足りないこともありえる。最終的には他の素材と組み合わせた形となるであろうが、少なくとも現在のものよりは大幅に頑丈な柵ができあがる公算であった。
「柵泥棒とかが出そうだな」
「それはそんなに心配いらないと思うわ。造り方次第では、それ以上の加工を防ぐことができるから余程雑に造らない限り大丈夫。それにファムクリツの基幹産業に関わることだから、盗む価値と見つかったときの罪を考えると割に合わないのよ。見つかったら、鉱山行き犯罪奴隷もあるから」
ファムクリツにおいて耕作に被害を及ぼす恐れがある犯罪は罰が重い。もし魔物や野生の動物による被害を抑えようと設置されている柵を何らかの悪意を持って排した場合、良くて数年の犯罪奴隷、ヘタをすると殺人と同等以上の犯罪奴隷に落とされることがある。これは、このファムクリツで取れる作物が周辺の街の食生活の多くを担っているからであった。
「何というか、まだまだ俺は日本の常識から抜け出せていないと思うよ」
「それは私たちも同じですね。この前、心神喪失状態で殺人を犯した人の判例を見たのですが、責任が阻却されてはいませんでした。自らの意思で薬物を使っていたらしく、死ぬまで犯罪奴隷として重労働でしたよ」
無論、誰かに無理矢理その状態にさせられたならば、多少の減刑はありうる。しかし、どのような状態であれ無罪とはならない。
これは生まれつき精神に障害を負っており、それが元で罪を犯したとしても同様だ。ただ、この場合は犯罪奴隷とはならず、それ専用の施設に入れられ精神の障害がなくなるまで、そこで働くことになる。
「それはそれとして、あの……ベントだったかしら、彼はどうするのかしら?」
彰弘、そしてアキラとショウヤが真剣な顔で向き合う横から、ミレイヌが話を本線に戻した。
ミレイヌにとっては常識の範囲であり、改めて話題にする内容ではなかったのである。
ちなみに、サティリアーヌにとっても常識であった。
「常識について、ここで思っていても仕方ないですか。自分たちがヘマをしないように徐々に覚えるしかありませんね」
「隊長に同意します」
「だな」
彰弘たち男三人はそう頷き合う。
それから、ややあってベントが輝亀竜の甲羅をどうするのかを聞いていたショウヤが口を開く。
「ベントさんたちはまだ悩んでいるみたいです。とりあえず、自分たちの装備を予備含め一式揃えることは決まったらしいのですが、残りをどうするかと悩んでいました」
「分からないではないわね」
「ケイミングさんやショウヤのような使い道は難しいだろうからな」
「うちだったら、神殿の補修とか信徒の装備に使うんだけど」
「ベントも大変だな……」
ショウヤの言葉に、それぞれ思ったことを口にする面々。
そんな中で最後に声を出した彰弘に視線が集まった。
「アキヒロ……原因はあなたよ?」
「(主よ。流石にそれはないと思うぞ。いや、ワレのせいでもあるのだが)」
ミレイヌと従魔であるガルドからも突っ込みを受けた彰弘は苦笑を浮かべると、「続きがある」と言葉を続ける。
「悩むなら譲ればいいと俺は思うんだ。ショウヤさんに譲って献上してもらってもいいし、ケイミングさんに譲ってファムクリツのために使ってもらってもいい。どうせ誰がどれだけの素材を手にするか分かっているのは俺たちだけなんだ。ベントが目立ちたくないなら、譲られた人が彼の名前を出さなければいいだけ。悩まんでもいいだろ?」
正にそのとおりである。
ショウヤにしてもケイミングにしても、輝亀竜の甲羅素材が大体どの程度の量が手に入るかをそれぞれの報告相談先に伝えてはいたが、正確な量を伝えていたわけではない。正確に言うと、実際にどれだけの量となるかが不明だったので伝えられなかったのである。なので、彰弘の提案は的外れなものではなかった。
「言われてみれば、それもそうですね。どうも彼のものだという先入観から、その考えには至りませんでした」
「誰かに譲る、か。悪くないと思うわ。とりあえず提案してみて、後はベントさんとパーティーの人たち次第ね」
「そうだな。夜営のときにでも話してみようか」
ショウヤとサティリアーヌの意見にはミレイヌも頷いていた。
だが、アキラは独り難しい顔をしている。
「アキラ隊長?」
「ん? ああ、譲られるのは問題ないが、それでもあまり多く貰うのはと思ってね。ケイミングさんの方は彼に話を聞かないことには何とも言えないが、こちらは当初の量だけでも多すぎるくらいだ。そこにヘタしたら倍となる素材がくる。上の方も馬鹿ではないから、こちらが話した内容からどの程度の量か大体の予想を付けているはず。とすると必然、その説明が必要になるわけで……」
「まあ、それなら大した問題ではなくてよ。あなたたちとケイミングさんが受け取れなかった分はアキヒロが持っていればいいじゃないの。その腕輪なら余裕で入るのではなくて?」
ミレイヌの視線の先は彰弘の左腕にあるマジックバングルであった。
少々特殊な魔法の物入れである彰弘のマジックバングルであれば、殻の欠片から元の甲羅に戻し適度に切り分けさえすれば確かに入れておくことができる。
「ともかく一度二人に話してみよう。もしかしたら、ベントたちがでっかい家を建てるとかいうかもしれないし」
「どれだけ大きい家を建てるというのよ。自分が家を建てることになったからって、それはなくてよ」
ミレイヌのため息に、本日何度目かの苦笑を彰弘は浮かべ、それを見た残る三人も笑いを表す。
その後、他愛のない雑談などで時間を潰した彰弘たちは、やがてケルネオンへの旅路で最初の夜営を行うことになる。
そして、その場で彰弘は自分たちが獣車で話し合ったことをケイミングやベントに伝え、「とりあえず異議なし。でも実際に量の確認をしてから」という返答を貰うのであった。
お読みいただき、ありがとうございます。