4-33.
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前話あらすじ
ファムクリツでの滞在期間を、鬼ごっこ? と呼ばれるようなものをしたり、模擬戦をしたりしながら彰弘たちは過ごす。
それから数日。彰弘たちは何事もなくファムクリツへでの滞在を終え、グラスウェルへの帰途につくのであった。
晴天の下、街道を往く彰弘たちの前に魔物が現れることはなく、野盗の類が姿を見せることもない。ファムクリツを立ち、グラスウェルへ向かう彼らの道中は至って順調であった。
グラスウェルに着いてからも同様だ。ファムクリツへ向かう道中で事を起こした冒険者や商人は深く反省しており、彼らはそれぞれのギルドから与えられる罰を素直に受け入れていた。
そんな中、唯一順調にはいかなかったことといえばサティリアーヌ関係である。
輝亀竜の殻の欠片のことでケルネオンへ行くことになってしまったサティリアーヌのところへ顔を出しに行った彰弘は、荒ぶる彼女と対面することになった。単身赴任でグラスウェルにある治療院の一つで雇われ院長を務めていた彼女は、もう少しでその期間が終わり、晴れて愛しい夫と二人の子供と再会できるはずだった。それなのに予定外のケルネオン行が決定してしまったのだから、彼女が多少荒れるのは仕方のないことである。
なお、サティリアーヌは多少荒れつつも、最終的にはケルネオンにいる二人の人物への案内を承諾していた。夫や二人の子供との再会を心待ちにしていた彼女だが、輝亀竜の素材を加工できるほどの腕を持つ人物と彰弘を引き合わせることは、直感ではあるが必要なことだと考えたからだ。
ともかく、彰弘たちはファムクリツからグラスウェルへ戻り、またいつもの生活に戻ったのである。
◇
八月三十五日の昼下がり。
通称貴族街と呼ばれる場所を彰弘たちは歩いていた。
彰弘たちは十名プラス一体と中々の人数だ。先頭を歩くのは貴族街に居を構えるホーン子爵家の第三女であるミレイヌと、その従者であるバラサである。その後ろにはグラスウェル魔法学園で六花たちの友人となった、パール、セーラ、セリーナという少女たちだ。そして最後尾には彰弘を真ん中に、両脇に六花と紫苑、さらにその脇に瑞穂と香澄の姿がある。ちなみに、少し大きくなった輝亀竜のガルドは彰弘の肩の上で黙々と自分が入っていた殻の欠片を食している。
こんな一行の目的は、ガイエル伯爵家の次女であるクリスティーヌ・ガイエルの誕生会へ出席するためであった。
もっとも、クリスティーヌの誕生会へと出席するのは彼女の同級生で友人となった六花たち七人だけである。ミレイヌとバラサはガイエル伯爵家への案内を買って出たためこの場にいた。彰弘は折角だからと普段立ち入ることはない貴族街の様子を、好奇心から見てみたいと同行しているのである。
なお、余談だがこの貴族街と呼ばれる区画は最も古くからグラスウェルであった場所だ。現在のグラスウェルは、この街を造った貴族たちの住まう場所を中心に数百年の年月をかけて徐々に人が生活できる領域を広げてきているのであった。
ともかく、平民は滅多に足を踏み入れない貴族街を、彰弘たちは進んでいたのである。
「なんというか、随分と立派で品の良い建物が多いな」
その様式は多種多様であったが、そこに建ち並ぶ屋敷はほとんどが品の良さを感じさせる造りであった。悪趣味なほどに豪華さを前面に出している屋敷もあったが、そのようなものは極僅かだ。これはガイエル領に席を置く貴族は、そのほとんどが真っ当な貴族であるという証拠でもあった。
「貴族の責務を考えるなら過剰な豪華さや贅沢さは不要なものよ。でも、ある程度のものは見せなければならない。他領や他国に侮られるわけにはいかないし、領民に不安を与えるわけにもいかないもの」
貴族が質素な生活をするということは、それだけ領に力がないことだと見られる。そうなると、他領他国からは侮られ各種交渉に支障をきたす。領民にしても、いざというときに守ってもらうことができないのではないかと不安を抱く。自領の貴族が裕福であるならば、それだけ魔物などに対する備えもできていると同義。それがこの世界での常識であった。
「生活に困るってのはいただけないが、望みもしないのに贅沢しなきゃならんのは勘弁だな」
「あなたは、もう少し贅沢をすべきね。お金は流通させてこそ意味があるわ」
立ち止まりはしないが、後ろを歩く彰弘にミレイヌはチラリと視線を送る。
魔力を補充すれば繰り返し使える、本来は地中からしか採掘できない魔石を発見した報酬。ほぼ毎日のように魔物を狩り、またその最中に採取した各種薬草などから得た金銭。総額を正確に知っているわけではないが、貯めるだけ貯めているのに消費しない彰弘にミレイヌは苦言を呈する。
「そうは言うが、何に使えばいいやら」
融合前の日本のようにアニメやらゲームやら、また本などが多くあるならば、彰弘もそれらに使ったであろうが、今の世界にはそれがない。
一応、本は普通に売っているのだが、現状強くなることを最優先に考えている彰弘は、買っても暫くは読むことはないだろうことから手を出していない。
もし彰弘が装飾に興味があるのならば、そちら方面に金を使っていただろうが、生憎必要以上に着飾る趣味はないし、そもそも毎日のように魔物を狩りに防壁の外へ出るのだから、それに必要なもの以外を買う気はない。
ならば武具を買ったらどうだとなるのだが武器は暫く買い換える必要性を感じていなかった。主武器である長剣の血喰いは強力な上に手入れの必要がない。長剣はもう一振り所持しているが、剥ぎ取り用のナイフと同様に偶に砥ぎに出せば、それで事足りる。防具については今のところブラックファング製で十分だ。その上、既に新しいものを発注済である。
「お金の使い道ですか……そういえば彰弘さん。仮設住宅を出た後はどうするんですか?」
彰弘とミレイヌの会話を聞きながら貴族街の屋敷を眺めていた紫苑が、不意にそんなことを口にした。
「うちは集合住宅に入るって、準備していたなあ」
「そうだね。冬休みまでには、移動するって言ってたね」
紫苑の言葉に表情を固めた彰弘に代わったわけではないが、瑞穂がそんなことを口にし香澄が補足する。
集合住宅とは元日本人である避難民が仮設住宅を出た後で生活するための住居として、総合管理庁が建てた建物である。仮設住宅との違いは、風呂場があり普通に料理ができる台所があるなど水回り設備が充実していることか。
「ん……ああ、その辺の宿屋でいいかな、と」
明らかに何も考えていなかったであろう彰弘に皆の目が呆れたような色を帯びる。
ミレイヌはため息を一つ吐くと口を開いた。
「あなたね……。あなた一人ならそれでもいいのでしょうけど、今回のように学園が休みの日は、この子たちもいるのよ? この子たちなら気にしないかもしれないけれど、そうじゃないでしょ。保護者というのなら、ちゃんとした住居を用意してあげなさいよ」
勿論、宿屋がちゃんとした住居ではないというわけではない。しかし、普通宿屋というものは家族が何年も過ごす場所ではないのである。
「わたしは別に宿屋でもいいよ?」
「そうですね。私も彰弘さんと一緒であれば、別に構いません」
本心からの言葉だと分かる表情を六花と紫苑は彰弘へと向ける。
それに対する彰弘の顔は、そんな言葉を出させてしまったからか、それが本心であると分かってしまうからか、複雑なものであった。
「いや、うん。宿屋以外で考えるわ」
保護者と被保護者で一緒にいることは別に変なことではない。ではないが、六花や紫苑と宿屋でずっと寝起きして生活するというのは、いろいろな意味で問題がありそうな気がした。
それに宿屋の場合は、基本各部屋に風呂が付いていることはない。余程の高級店でなければ、風呂は公衆浴場を使うしかないのだ。その点、集合住宅などであれば独立した風呂が付いている。公衆浴場も嫌いではないが、やはり好きなとき自由に風呂に入れるのは魅力的だ。
「それがいいわ。あなたは無駄にお金があるでしょうから、土地でも買って家を建ててはどう? 幸い後少ししたら拡張された土地が売り出されるはずだし」
ミレイヌの言うとおり、避難拠点だった土地を含む新たにグラスウェルの地となった土地の利用権が近々売りに出される。金銭が無駄に貯まっている彰弘であれば、集合住宅といわずに土地の利用権を買い、そこに住宅を建てるのも一つの手であった。
「あ、いいね。あたしたちが泊まれるだけの部屋もあるといいな。お風呂もみんなで入れるくらい広いのがいい」
「瑞穂ちゃん……それは図々しいよ。それにみんなでって何考えてるの!?」
「おやん? 香澄ちゃんこそなに考えてるのかなー? あたしは六花ちゃんや紫苑ちゃんとも一緒にって思っただけだけどー?」
ニヤニヤとした笑みで瑞穂が発言の主へを見ると、そこには自分の考えに赤面した香澄の姿があった。
「香澄さん、そういうときは堂々としてればよいのです。瑞穂さんも煽っていないで正直にいきましょう。そうですよね六花さん」
「うんうん。公衆浴場じゃ別々だったから楽しみっ」
何とも良い笑顔の紫苑と六花に、瑞穂と香澄は赤面しつつも期待を表した表情を彰弘へと向けた。
そんな五人に今まで空気のごとく静かであった、パールとセーラにセリーナがマジマジと目を向け、「お兄ちゃん、最近一緒に入ってくれない」、「正門前での行動はガチだったか」、「え? そういうことなの?」等々呟く。
その様子に引き攣らせた顔で彰弘は視線を彷徨わせた。そこにあったのは半眼で自分を見るミレイヌの姿である。
「あなた……」
これ以上はどつぼに嵌ると思った彰弘が、ミレイヌに続く言葉を言わせないように何とかしようと考えていると、今の今まで無言をとおしていたバラサからの助け舟が入る。
「お嬢様、ガイエル伯爵家です」
根本の解決には繋がらないが、少なくともこの場を逃れるだけの意味を持った言葉に彰弘は視線だけで礼を示し、助けを出してくれたバラサが顔を向けた方へと目をやる。
その先にあるのは周辺の屋敷に比べても、ひと際の存在感を放つ大邸宅であった。
「ふぅ。このタイミングで着いたのは、情事に口を出すものではないということかしら」
そんな独り言の後、ミレイヌはガイエル伯爵邸の門番をしている兵士へと整えた顔を向ける。
風呂を一緒にという話題に嬉々としていた少女たちも、大邸宅の雰囲気に僅かな緊張とともに姿勢を正す。
そんな中、「情事とかい言うな」と内心で呟き苦笑した彰弘に、バラサはご愁傷様ですというように、微かに頭を下げるのであった。
「始めまして。私はシオン・サカキと申します。本日はクリスティーヌ様にお招きいただき伺いました。お手数をおかけしますが、お取次ぎ願えますか?」
その立ち居振る舞いから、てっきり一番前にいた貴族の子女らしき人物が話しかけてくるだろうと思っていたところに、楚々とした少女が歩み出て挨拶をしてきたため、現在門を預かる二人の兵士は僅かに動揺を見せた。
しかし、それは一瞬のことで、すぐに今日訪ねてくると知らされていた人物の特徴を思い出す。
「念のため、身分証の確認をさせていただいてもよろしいですか?」
特徴から間違いないだろうと考えた兵士であったが、万が一があってはいけない。自分の職務を遂行するために、兵士は今自分に話しかけてきた少女と、今日訪問予定として知らされていた残る六人の少女に身分証の提示を求める。
それに対して紫苑たちは素直に身分証を差し出す。別段、疚しいことがあるわけではない。
「はい、問題ありません。では少々お待ちください。今使いに出しますので。おい、クリスティーヌ様へお約束の方々が到着したとご報告に行って来い」
身分証を紫苑たちに返した兵士は、共に門を預かるもう一人の兵士へと指示を出す。すると、その兵士は軽いお辞儀を紫苑たちへと見せてから、その場を後にした。
それから程なく、使いに走った兵士とともに侍女であるエレオノールを従えたクリスティーヌがやってくる。
「お待ちしてました。シオンさん、みなさん、ようこそっ!」
余程嬉しいのだろう、クリスティーヌの顔には満面の笑みが浮かんでいた。
後ろに控えるエレオノールの顔も嬉しそうである。
「お招きいただき、ありがとうございますクリスティーヌ様」
「シオンさん、他人行儀が過ぎます」
少しだけ悪戯心を出した紫苑に、クリスティーヌは、「むー」と少し頬を膨らませた。その顔は非常に愛らしい。
「ふふ。冗談です。ちょっとした悪戯です」
「もー、酷いです」
真面目そのものの顔から優しげな笑みへと変えた紫苑に、口では文句を言いながらもクリスティーヌは笑みを見せる。
そのやり取りを見て驚いたのは門番をしていた二人の兵士だ。
伯爵家の令嬢、いやガイエル伯爵家の令嬢とここまで親しげにやり合う人物を、彼らは今まで見たことがなかった。大抵はガイエル伯爵家の者というだけで、年齢云々は関係なく萎縮などをしてしまう。そのために驚きを表したのである。
そんな二人の兵士を更に驚かせたのは、クリスティーヌから出た次の言葉と、その表情であった。
「もしかして、アキヒロ様やミレイヌ様もご一緒してくださるのですか?」
紫苑から視線を彰弘たちに移したクリスティーヌは、何かを期待するような表情で返事を待つ。
「いや、俺らは付き添いで来ただけだよ」
「クリスティーヌ様。お声かけは大変嬉しく存じますが、私たちは本日ご招待をお受けしたわけではございません。残念ですが、お言葉だけありがたく頂戴いたします。それはそれとしまして、お誕生日、おめでとうございます」
彰弘は事実だけをそのまま、ミレイヌはお礼の言葉とともに優雅に一礼を返した。
そんな二人の返しで、明らかに残念そうな顔をしたクリスティーヌは、後ろに控えるエレオノールを見る。
「お嬢様。アキヒロ様たちにもご用事があるのです。無理を仰ってはなりません。今年は残念ですがお諦めになってください」
そう言われ、クリスティーヌは先ほどよりも若干肩を落とし、再び彰弘たちへと顔を向けた。
そんなクリスティーヌに、エレオノールは言葉の続きをかける。
「お嬢様、確かに今年は残念ではあります。ですが、先ほどミレイヌ様も仰っていたではないですか。別に嫌だからお嬢様のお誘いを断ったわけではないのです。しっかりと外堀を……いえ、しっかりとご招待を差し上げればいいのです。ですから、いろいろと準備をして来年お誘いしましょう。ね?」
「そうですね。今年は私のミスでした。アキヒロ様、ミレイヌ様、ご無理を言って申し訳ありません」
気を取り直したように微笑みを浮かべたクリスティーヌは、謝罪の言葉とともに頭を下げた。
「……いや、謝られるようなことじゃない。それより、誕生日おめでとう。それから一晩、六花や紫苑たちをよろしくな」
何故にここまで好感度が上がっているのか分からない彰弘は一瞬の逡巡の後で、そう返す。
「勿論です。では、私たちはこれで失礼します。紫苑さん、みなさん行きましょう。この休みの間のお話とかもいろいろ聞きたいです」
完全に調子を戻したクリスティーヌは、彰弘たちへと別れのお辞儀をしてから自らの家へと紫苑たちを誘う。
それに対して彰弘たちに挨拶した紫苑たちは、笑みの浮かんだ顔でクリスティーヌの側へと近寄った。
「では、私も失礼いたします。来年を楽しみにお待ちください」
エレオノールは柔らかな笑みで、そう彰弘たちに告げると主であるクリスティーヌの後を追う。
暫く、よく分からないままに屋敷へと向かうクリスティーヌたちの背中を見つめていた彰弘たちと門番である兵士二人は、ほぼ同時に息を吐き出した。
「アキヒロ。あなたのせいよ。大してしたしくもない私がクリスティーヌ様のお誕生会に誘われる? ありえなくてよ」
この世界では貴族家の者の誕生日を祝う様子は平民とそれほど変わりはない。家族と親しい友人などとだけで行うのが普通である。逆に言えば、親しくなければ誕生日を祝う席に入ることはできないのだ。会話どころか、ほとんど会ったこともなかったミレイヌが、クリスティーヌに誘われることは普通に考えたらありえないことなのである。
「わけの分からない非難はやめてくれ。何か面倒なことになりそうな気はするが、流石に今回は俺のせいじゃない……と思いたい。本当に意味が分からん」
「お二人とも、そろそろ参りましょう。このままここにいては門番の方の邪魔となってしまいます」
冷静なバラサの言葉に、彰弘とミレイヌは顔を見合わせ同時にため息を吐く。
それから彰弘たちは、明日以降にこうなった理由を紫苑たちに問い質すことを決め、その場を離れたのであった。
◇
何やら言い合いながら立ち去った彰弘たちを見送った門番の内の一人が、隣で同じ職務に就く者へと声をかけた。
「先輩。何か珍しいものを見た気がします」
「同感だ。だが、それ以上は何も言うな。俺たちはこのガイエル伯爵家の門番でそれ以上でもそれ以下でもない。まともだろうが、まともじゃなかろうが、平民である俺やお前が貴族と深く関わると碌なことにはならんぞ」
「それは分かってますよ。僕の幸せは、ほどほどに頑張ってほどほどに幸せな生活を送ることです」
「そうだな、それがいい。まあ、とりあえず、クリスティーヌ様のご友人となられたあの七人と、今立ち去った三人の顔は覚えておけ。いずれ役に立つことがあるだろう」
「そうですね。そうします」
そんな会話をして門番の二人は自分たちの職務に戻る。
普通の平民にとって貴族というものは埒外の存在だ。余程の胆力や実力がなければ、容易く自分の人生を狂わせる存在なのであった。
お読みいただき、ありがとうございます。
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