第十二話「彼女の家族」
小さい頃、家の庭が私の居場所だった。
『なあに? また一人で留守番なの?』
「うん。かすみがおねつでたんだって」
『……そんなに薄着じゃ、アンタも風邪ひいて熱が出るわよ』
「おうちのなかのがさむいよ?」
春も夏も秋も冬も、誰もいない家のなかより庭の方がずっと温かかった。庭に出れば、近所の猫や鳥が誰かしらしゃべりかけてくれるから。
――寂しい。
本当はそう両親に訴えるべきだったのかもしれない。でも、幼い私は“良い子でお留守番しててね”と頭を撫で、慌ただしく妹の入院している病院へと向かう両親の後姿を見送る以外の選択肢を知らなかった。……良い子でいれば、両親が帰って来ると思っていたから。
◇◇◇
ベッドサイドに置いてある時計を見るとまだ五時前だった。……もちろん朝の。
「…………」
折角の休日なのにいつもより早く目が覚めてしまったやり場のない怒りを込めて時計を睨みつけるが、あまりの虚しさに溜め息を吐いて起き上がる。
お風呂入って、洗濯物入れて、夕は……朝ご飯にしよう。
とりあえずは昨日先送りにしたことを一つずつ片付けることにした。……夏菫のことは、なんだったらまた明日の私に任せたら良いわけだし、うん。
「帰って来い、ね」
それでも、熱いシャワーを全身に浴びながら、ぼんやりと妹の――家族のことが頭に浮かぶ。別に、仲が悪いとか特別な確執があるという訳じゃない。
ただ……どうしようもないほど“遠い”のだ。私にとって、家族は。
私の二つ年下の妹――夏菫は、生まれたときに医師から長くは生きられないだろうと言われた超未熟児で、そんな妹の傍に少しでも長くいてあげたいと両親が思うのは普通のことだ。
ほとんど妹の病院に泊まり込んでいる母と、会社と病院と家を忙しく行き来する父。そんな二人に甘えられなかった私は、未だに“家族”という距離感がわからない。
小学校に上がる前に、母方の祖母の家に預けられるようになったのも理由の一つだろう。私がまともに家族と暮らし出したのは中学を卒業してからだ。
会いたくない……っていうか、会っても何を話したらいいのかわかんないんだよね。
だから、できるかぎり帰りたくない。相手を傷つけることのない無難な断り文句を考え、この実家訪問を円満に回避したい。
それが正直な私の気持ちだった。……向き合わずに逃げるのはズルいことだと思うけれど。
お風呂に入り、とりあえず身体だけはさっぱりしたところで、冷蔵庫の中にろくなものがないことに気づいた。
「昨日、買い物行かなかったもんね」
疲れ切って行けなかったともいう。
ちらりと時計を見るがまだスーパーの開く時間ではない。近くのコンビニでおにぎりかパンを買ってもいいのだが、折角なので散歩を兼ねて少し遠出してみることにした。
まあ、歩いて三十分くらいだけど。
通勤のルートとはまるきり反対方向になるのでなかなか行く機会がないが、坂の上に美味しいパン屋さんがあるのだ。
お店の名前は“le nid d'oiseau”。
フランス語で鳥の巣という意味で、発音は“ルニドワゾー”となる。ちなみに、地元の人間に“ルニドワゾーはどこですか?”と聞いても九割の人がなんのことを聞かれたのかわからないはずだ。
しかし、こう聞くとすぐに答えが返ってくる。――“パンくず”の店はどこですか、と。
◇◇◇
坂を上り、杉山公園の中を真っ直ぐ通り抜けると、辺りにはパンの焼ける、あのなんともいえない美味しそうな匂いが漂っている。……そして、“パンくず”の元気な声も。
「パン、美味シーヨ」
人の言葉を話す鳥で一番に思い浮かぶのはオウムだろうが、この子――パンくずはインコだ。このパン屋の看板息子にして、開店以来売上ナンバーワンを誇るベテラン店員でもある。
「イツデモ焼キタテ! ホラ、イマ焼ケタ! イマ買オウ!」
お客が店に近づくと“待ってました”とばかりに声のボリュームをあげる彼は、ルリコンゴウインコという世界最大級のインコで、羽と尾は青、胸からお腹にかけては金色、前頭部は緑という実に鮮やかな見た目をしている。
……また、太ってるわね。
お店に来るのは二週間ぶりくらいだが、彼は確実に二週間前よりも肥えていた。もともと体長80㎝を超す大柄なインコではあるが、お世辞にも“大柄”なんて控えめな表現ができないくらいにデブっていた。
遠目だと鳥というより、なんだか鮮やかな色をしたボールに見えるくらいには丸い。
「パン、パン買ッテクダサーイ」
「ねえ、パンくず。なんでまた太ったの?」
ダイエットはどうした。
私が半年かけて作るのを手伝ったあの美ボディ――言い過ぎた。本当は甘い目で見てギリギリ標準くらいが正しい――はどうした。
『…………』
私の問いかけに、先程まで流暢に言葉を操っていたパンくずはサッと黙って目を逸らした。
「パン食べちゃダメだって言ったよね、私」
『……うちのパン、美味しいんですもん。お客さんもくれますし』
「断りなさい」
「イラナイヨ!」
「そう、そう言えばいいでしょ」
ギッと睨めば、ピンと背筋を伸ばすかのような仕草で私が教えた言葉を返すパンくずに鷹揚に頷く。ダイエッターに甘さは不要だ。
まあ、パンくずだけが悪い訳じゃないけど。
彼がわずか二週間でリバウンドしたのは、“パンくず”という彼の名前――実はあだ名で、本名はアスカ――にも由来するここのお客さんたちのある行為が原因であった。
それは――餌やり。
美味しいパンを買って店を出ると、いつでも元気いっぱいに呼び込みをしている一羽のインコ。そんなインコの健気(?)な姿に“ちょっとだけ”っとパンを千切って与えるお客さんは決して少なくない。
近所の子どもなんかは“パン屑持って来たよ!”と餌を持参したりしているほどだ。
これで太らない訳がない。
もちろん、飼い主である店長も何もしなかった訳ではない。
肥満は健康に悪いし、大事なパンくずを早死にさせたくない。そう考えた店長はパンくずを引退させることにした。しかし、お客さんとの触れ合いがなくなったパンくずはみるみる憔悴していき……その様子を見兼ねた店長が結局店に出すことにして今に至る。
「この看板も、あんまり効果ないみたいね」
パンくずのいる鳥籠のすぐ下には大きな字で“餌を与えないでください!”と書かれた木製のプレートが掛かっている。
『……もう食べません。ちゃんと断ります』
「うん、頑張って!」
「イラナイヨ!」
「そう、そんな感じ!」
強い決意を滲ませるパンくずにエールを送る。
あとで閉店後の運動メニューを店長と相談しなければ。きっと、パンくずの体重に頭を抱えているはずだから。
あっ、鳥籠のところの看板も変えないとね。
“太りすぎて飛べません! ダイエット中につき優しさ不要!!”なんて文句なら、きっと今より効果があるだろう。




