第十一話「生徒の願い」
小学生の行動範囲なんてたかが知れている……なんて思ってはいけない。
後藤母から聞いた“心当たり”をすべて回ったところで、そう痛感した。友達の家に近所の公園、図書館、そして週二で通っているという塾。それが大人の知る彼女の世界。
……でも、実際は違った訳だ。
“人見知りで、あまり外で遊ぶことも多くないんです”と母親からそう評された娘は、友達とバッティングセンタ―の裏にある空き地に秘密基地を作り、二日に一回は校区外の大きな公園でお気に入りの鯉に餌をやるのが趣味な、意外と活発な少女だった。
少なくとも、情報提供者であり彼女の友達でもある渡辺さんは彼女のことを人見知りだとは思っていないだろう。
「先生、チィが秘密基地のことバラしたの内緒にしてね。ホントは誰にも教えちゃいけないことになってるから」
そう言って、情報提供者――というより、うっかり口を滑らせただけ――は顔を俯けた。その声音だけでも彼女が罪悪感でいっぱいなのが伝わってくる。
この様子だと近いうちに“チィ、先生にバラしちゃった!”と友達に謝って回りそうだ。うっかりで聞いてしまった身としてはなんだか申し訳ない。
「秘密基地? なんのこと?」
なので、聞かなかったことにした。
さすがに無理があるかなとも思ったが、“先生忘れちゃった”っと首を傾げると、渡辺さんはパアァっと顔を輝かせた。そのあとに“先生が忘れっぽくて良かった”と小声で聞こえたが……いや、忘れたフリだよ?
◇◇◇
渡辺さんを彼女の家へと帰し、後藤母から借りた自転車を走らせ、私は学校へと戻って来た。もう、他に探す当てもないし。
後藤さん、ウサギを連れてるしねぇ。
捨てウサギをこっそり飼えるところなんて限られている。
友達の家に置かせてもらうか、秘密基地に連れて行くか、公園に隠すか、学校の飼育小屋か、精々そのくらいだろう。
一応、そんな考えで学校に来てみた訳だが……。
「……いた」
二部屋に分かれている飼育小屋の、ミキちゃんの居住スペースにあたるアヒル部屋には後藤さんとウサギとミキちゃんの姿があった。
また後藤さんに逃げられないようにそーっと近づくが、彼女は何やらウサギに葉っぱ(?)を食べさせるのに熱中していて私の接近に気づく様子はない。
「ほら、ご飯だよ」
そこら辺から千切ってきたのだろう雑草をウサギの口元へと押しやっているが、当のウサギは興味なしとばかりにワシャワシャと毛繕いをしている。
「……ニンジンが良いの?」
『別にニンジンが特別好きな訳じゃないから。あと、好き嫌い以前に雑草なんて食べないわよ』
“バカじゃないの”と、どうやらウサギはご機嫌ナナメなようだ。もちろん、その不機嫌さは後藤さんにはろくに伝わっていないが。
『ねえねえ、じゃあ何が好きなの? ミキはね、キュウリが好き。あと水菜とトマトと……あっ、ミミズ! ミミズも美味しいよ!!』
『アンタの好物なんて聞いてないわよ』
突然話に乱入してきたミキちゃんに、ウサギは白けた冷たい視線を向けた。
正直、その可愛らしい見た目と相俟って相手が凍りつきそうな破壊力がある。……まあ、ミキちゃんにはそんなもの微塵も効かないけど。
『あっ! 聞くの忘れてた。ねえねえ、名前なんて言うの? ミキはね、ミキって名前なのよ。ステキでしょ。前の飼い主さんがつけてくれたの。折角つけてもらったのに捨てられちゃったけどね。引っ越し先のマンションはペット禁止なんだって。ミキは遠吠えもイタズラもしないのになんでダメなのかな。変よね。でも……』
『ちょっと! 少しは黙れないの!?』
『少し? 少しってどのくらい? どのくらい黙ってたら良い? もうしゃべっても良いかな?』
『“もう”も何も、アンタ一度も黙ってないじゃない!!』
ミキちゃんのマシンガントークにウサギがキレた。
あの二人、めちゃくちゃ相性悪そう。
これがマイペースなカメキチだったら、聞いているのかいないのかわからないボーっとした態度でミキちゃんの相手をしてくれるのだが。ミキちゃんに悪気がない分、和解の道は遠そうである。
しかし、後藤さんの目には二人の様子も仲睦まじく映ったようだ。
「……楽しそう」
「…………」
「やっぱり、お友達がいた方が寂しくないよね」
果たして、この二人が“お友達”になる日はくるのだろうか。
今にも噛みつきかからんばかりのウサギと、そんな相手の様子を気にすることなく自分の趣味について語っているミキちゃんを見るに、溝が深まることはあってもその逆はないんじゃないかと思う。
「先生……この子、学校で飼えませんか?」
「え?」
どうやら、後藤さんは私が来たことに気づいていたらしい。まあ、途中からミキちゃんとウサギの遣り取りに気をとられてフツーに近づいてたからなぁ。
「でも、後藤さんは自分のうちで飼いたいんじゃないの?」
別れ際の後藤母の表情から察するに、決してダメの一点張りにはならないはずだ。
「飼いたかったけど……」
「けど?」
「うちは共働きだから、私が学校に行っちゃったら、この子独りぼっちになっちゃうなぁって」
「独りぼっちじゃ可哀想?」
「うん」
そう小さく頷いた後藤さんは、ひょっとしたら両親を待つ独りぼっちの時間を慰めてくれる相手が欲しかったのかもしれない。
……まさか、娘のために後藤父が祖父宅で暮らす覚悟を固めているとは、このときの私達は微塵も思っていなかった。
◇◇◇
玄関を開けた瞬間、その場に倒れ込みたい衝動に駆られた。というか、実際倒れ込んだ。
あー、疲れた。
ただでさえ家庭訪問というイベントだけでお腹いっぱいのところに、生徒のプチ家出騒動である。つくづく、今日が週末で良かったと思う。
ちなみに、件のウサギは無事(?)学校で飼うことになった。名前はマシロ。名づけ親の後藤さん曰く、真っ白だかららしい。……うん、わかりやすい方が良いよね。
後藤さんも、なんだかんだでペット飼えることになってよかったよね。
結局、後藤父は家に残留することになり、その代わり喘息持ちでも大丈夫な生き物を探すらしい。毛のない生き物ということで、今のところは熱帯魚か爬虫類が候補に挙がっていた。“爬虫類”と聞いたときの後藤母の顔は完全に引き攣っていたので、ぜひ熱帯魚に決まって欲しいと思う。
「このまま、ここで寝ちゃいたい……」
通勤用の鞄を枕にして床に転がっていたが、ジワジワ這い上がってくる寒さに負けて立ち上がることにした。四月下旬とはいえ、床で寝るにはまだ早かった。
てか、洗濯物取り込んでお風呂入って……夕飯はもういいや。
「ううっ……って、あれ?」
ワンルームのはずなのに恐ろしく遠く感じるベッドへと這うように進んでいると、珍しく家電のランプが点滅しているのが目に入った。
……留守録入ってる。誰だろ?
このマンションに引っ越して来て半年と少し。私がいないときはわからないが、とりあえずこの固定電話が鳴った記憶はない。もちろん、メッセージが吹き込まれていたことも。
「…………」
なんとなく嫌な予感を抱きつつ、そろそろとメッセージ再生ボタンを押す。
『もしもし、お姉ちゃん? 夏菫です』
ピーっという独特の発信音のあとに聞こえてきた声に思わず溜め息を吐いていた。予感は的中したらしい。
こちらの心情などお構いなしに、電話は淡々とメッセージを再生していく。
『元気? 一人暮らしはもう慣れた? もうすぐ、ゴールデンウィークだね。……帰ってくるよね? お姉ちゃん、近いのに全然帰って来ないでしょ。お母さん達も心配してるんだよ。――――じゃあ、絶対顔見せに来てね』
“待ってるね”で、メッセージは終わっていた。
留守録を聞く前よりも格段に重みを増した身体を、ようやく辿り着いたベッドへと投げ出し目を閉じる。洗濯物もお風呂も夕飯も、妹になんと言って断るか考えるのも、もう全部明日の自分に任せることにした。




