第24話:強襲と覇王覚醒
アーゼンベルフ王宮の最奥部に位置する、選ばれた王族と限られた国賓のみが立ち入りを許される『白亜の貴賓室』。
つい数十分前まで、優雅な小鳥のさえずりと高貴な香木の香りに包まれていたその部屋は、今や完全にスラムのドブ川以下のバイオハザード空間と化していた。
その豪奢なペルシャ絨毯の上で、次期女王の最有力候補である第一王女セレスティアが、口から美しい紫色のカニのような泡をブクブクと吹きながら、完全に白目を剥いて卒倒している。
原因は誰の目にも明らかであった。
スラムの底辺酒場『踊る豚亭』の店主、シルヴィママが「朝イチのタンパク質補給よ!」と持ち込んだ特製にして致死量の猛毒――『超濃縮深海クラーケン・プロテイン』。それを、セレスティアが愛の証明(※ヤンデレの暴走と勘違い)として一気飲みしてしまったからである。
「……あーあ。お上品な王宮育ちの温室育ちのお姫様には、アタシの愛情たっぷり特製スープはちょっとばかり刺激が強すぎたみたいねぇ。胃袋がビックリして気絶しちゃったのよ」
シルヴィママは、自分の作ったスープが一国の王女を気絶させたという、普通なら一族郎党皆殺しレベルの大罪(国家反逆罪)を犯したにも関わらず、全く悪びれる様子もなく、巨大な寸胴鍋をお玉でカラカラとかき混ぜていた。
「王女殿下ァァァッ! しっかりなさってください!」
レオンが慌ててセレスティアの細い手首を掴み、脈をとる。
「……生きておられる! だが、すさまじい発汗と全身の痙攣だ! 身体の中で、未知の劇薬成分と王族の魔力が激しく衝突し、細胞レベルでせめぎ合っている……! なんという恐るべき霊薬(劇物)か!」
(霊薬じゃない! ただの重度の食中毒だ! 腐ったオークの骨髄の脂と深海クラーケンの触手エキスが、王女様の繊細な胃壁をダイレクトに物理破壊してるだけなんだよォォォ!)
サトーは三十キロの赤錆びた全身甲冑の中で、兜の十字スリットに極太の木製ストローを刺したまま、恐怖で全身の血の気を完全に失っていた。
心臓が、肋骨の中で狂ったようなドラムソロを叩き続けている。
(終わった。今度こそ本当に、完全に、取り返しのつかないレベルで終わった。一国の王女を毒殺(未遂)したんだぞ。いくら俺が『無敵大将スミス』として英雄扱いされていようと、王族への直接的な危害は絶対に許されない。間違いなくギロチンだ。いや、ギロチンで一瞬で死ねれば御の字だ。王宮の地下牢で、爪を一枚ずつ剥がされるような拷問を受けた末に、広場で火炙りの刑だ……!)
サトーの極限まで追い詰められた社畜脳内で、前職のブラック企業における『社長の愛車のシートに、熱々の缶コーヒーをぶちまけてしまった新入社員の末路』の記憶がフラッシュバックする。
あの時、その新入社員は翌日から会社から姿を消し、実家すら引き払って二度と連絡が取れなくなった。王族相手のやらかしは、その比ではない。国家権力による完全なる『抹消』である。
(逃げられない。ならず者部隊が部屋を塞いでるし、そもそもこの三十キロの重い甲冑じゃ走れない。……そうだ、自首しよう。自首して、「すべては私の不徳の致すところです、おとなしく地下牢に入ります」って言って、涼しくて静かな独房に引きこもろう。そうだ、刑務所なら暗殺者も魔将も来ないし、三食昼寝付きの究極のホワイト環境じゃないか! 定時退社どころか、二四時間完全オフのパラダイスだ!)
サトーは極限のパニックの末、ついに『刑務所の独房=究極のテレワーク環境』という狂った真理に到達してしまった。
サトーが、自らの両手(鉄のガントレット)を前に突き出し、「さあ、私に手錠をかけて縛り上げてください」というポーズを取ろうとした、まさにその時である。
ドゴォォォォォォォォンッ!!!!!
貴賓室の入り口、先ほどレオンたちが肉の壁となって塞いでいたはずの巨大なマホガニーの扉が、凄まじい爆発音と閃光とともに、木っ端微塵に吹き飛んだ。
「ぐわぁっ!?」
「な、なんだ!? 敵襲か!」
扉を塞いでいた独立遊撃部隊のならず者たちが、強力な爆発魔法の直撃を受け、数人まとめて部屋の中へと吹き飛ばされてきた。
「何者だ! スミス将軍の御前であるぞ!」
バルタが巨大な戦斧を構え、レオンが銀の剣を抜いて殺気を放つ。
もうもうと立ち込める爆煙の中から、カツッ、カツッ、と揃いも揃った金属のブーツの音を鳴らして現れたのは、全身を白銀の美しい鎧で包み、胸にアーゼンベルフ王家の紋章を刻んだ五十名の精鋭部隊――『王宮第一近衛騎士団』であった。
彼らの鎧は塵一つなく磨き上げられ、手にする剣は最高級のミスリル製。スラムのならず者たちとは対極に位置する、王国の正規軍のトップエリートたちである。
そして、その部隊の中心から、傲慢さと選民思想を煮詰めたような、金髪碧眼の若い男が、嫌悪感も露わに進み出てきた。
セレスティアの腹違いの兄であり、王位継承権第一位を持つ男。
第一王子、ギルダーである。
「……フン。スラムの薄汚いドブネズミどもが、我が王宮の神聖なる空気を汚しおって。貴様らのようなゴミには、消毒のための爆発魔法すらもったいないわ」
ギルダー王子は、純白のハンカチで鼻を覆いながら、部屋の中に充満する『深海クラーケン・プロテイン』の致死量の悪臭に顔をしかめた。
「第一王子、ギルダー殿下……! いかなるご用件で、この将軍の私室へ無法に押し入られたのか!」
レオンが、王族相手にも一歩も引かずに鋭く睨みつける。
「用件だと? 決まっているだろう。王都を救った英雄を気取る不届きな詐欺師が、我が愛しき妹セレスティアをたぶらかし、あろうことか『毒殺』を企てているという急報を受けたからだ!」
ギルダー王子は、白目を剥いて泡を吹いているセレスティアの姿をビシッと指差して、勝利を確信したような邪悪な笑みを浮かべた。
「見ろ! セレスティアは口から紫色の泡を吹いて倒れているではないか! 部屋に充満するこの異常な悪臭……間違いない、得体の知れない毒ガスと劇薬を用いた暗殺未遂だ! 貴様ら、王宮を乗っ取ろうとした反逆のテロリストとして、今この場で全員処刑してくれる!」
(いや、違うんだよ! 王女が勝手に奪い取って飲んだだけで、俺たちは誰も勧めてないんだよ! ていうか、お前、妹が倒れてるのに全然心配そうじゃないな! むしろ「一番の政敵が減ってラッキー、ついでに邪魔な英雄も始末できて一石二鳥」みたいな顔してるだろ!)
サトーは兜の中で、ギルダー王子のドス黒い政治的野心を一瞬で見抜いていた。
前職の役員会議で、専務が常務のミスを嬉々として糾弾し、責任を押し付けて左遷させようとしていた時の、あの薄汚い笑顔と全く同じだったからだ。
「黙れ、愚弟……いや、愚かき王子よ」
その時、部屋の隅でワイン樽を被ったままの全裸の老人、ヴェインが、シャナリシャナリと進み出た。
「あの泥水は、我らがスミス将軍が己の肉体を鍛え上げるための神聖なる霊薬。王女殿下は自らの意志と愛をもってそれを口にされたのだ。それを毒殺と決めつけるとは、貴様の目は節穴か?」
「ひっ!? なんだこの樽を被った全裸の変質者は! 汚らわしい、目障りだ! 私に近づく第一近衛騎士団よ、この狂人たちを一人残らず血祭りに上げろ! とくにその中心にいる、サビだらけの甲冑の男……スミスとかいう偽物の英雄の首を刎ねよ!」
ギルダー王子の冷酷な号令とともに、五十名の白銀の騎士たちが、一斉にミスリルの剣を抜き、殺気を放ってサトーたちを取り囲んだ。
(ひいいいいいいっ!? 首を刎ねる!? 刑務所行きじゃなくてその場で即死刑!? 嫌だ、死にたくない! 手錠かけて! 早く手錠をかけて連行して!)
サトーは極限の恐怖で完全にパニックになり、思わず先ほど考えていた『自首のポーズ』――両手の鉄のガントレットを前に突き出し、「お縄につきます、抵抗しません、私は無害です」という完全無抵抗の姿勢を取ろうとして、一歩前へフラリと踏み出した。
ガシャンッ。
三十キロの甲冑の重い足音が、大理石の床を微かにひび割らせる。
しかし。
そのサトーの『両手を前に突き出し、無言のまま一歩踏み出した姿』は。
第一近衛騎士団とギルダー王子の目には、どう映ったか。
「……ッ!? な、なんだこの恐ろしいプレッシャーは!」
近衛騎士の隊長が、思わず剣を構えたまま一歩後ずさった。
「見ろ、あの男……我々五十名の王国の精鋭を前にして、剣すら抜こうとしない! ただ両手を前に突き出し、『いつでもかかってこい、素手で貴様ら全員の首をへし折ってやる』という無言の挑発だ!」
「なんという傲慢! 神話の竜を従え、魔将を屠ったという噂は伊達ではないということか! 我々王宮第一近衛騎士団を、ただのスライムかゴブリンと同じように扱うというのか!」
(違う! 手錠をかけてくださいって言ってるんだよ! お願いだから俺を捕まえて、安全な牢屋に連れてってくれェェ!)
サトーが心の中で泣き叫びながら、さらに一歩「捕まえてアピール」のために前へ出た。
ガシャンッ!
「……来るぞ! 構えろ! 魔将三体を瞬殺したバケモノだ、一瞬でも油断すればこちらがやられるぞ!」
近衛騎士たちが一斉に魔法の詠唱を開始し、サトーに向けて無数の『氷の矢』と『炎の弾丸』を放った。
パパパパパパパンッ!!
ドゴォォォン!!
数十発の高位魔法が、サトーのサビだらけの甲冑に情け容赦なく直撃する。
「ひぎゃあああっ!? 撃った! いきなり撃ってきた! 警察が丸腰の市民に発砲したぞ!」
サトーは思わず両腕で顔(兜)を覆い、身をすくめた。
しかし、魔法の煙が晴れた後。
サトーの甲冑には、傷一つ、焦げ跡一つついていなかった。
「な、なんだと……!? 我々の魔法の一斉掃射を、防御魔法すら展開せずに、無傷で弾き返しただと!?」
ギルダー王子が驚愕に目を見開き、アゴを落とした。
それは当然の物理現象(?)であった。
サトーの甲冑には、長年スラムで染み込んだ『赤錆』と、ミスリル・イーター(魔法生物)すら食中毒で死に至らしめた『超濃縮深海クラーケン・プロテイン』の成分が、金属の分子レベルで完全に癒着し、分厚くコーティングされていたのだ。
プロテインの謎のタンパク質とオークの骨髄の脂が、魔法のエネルギーを物理的に『滑らせて』分散させてしまう、究極の生体対魔装甲(ただの激臭の汚れの層)と化していたのである。
炎は脂で滑り落ち、氷は悪臭の層で融解する。
「ば、バカな……! どんな結界魔法を展開しているのだ!」
「あの鎧から放たれる異様な悪臭……まさか、呪われた神話級の魔具か!?」
近衛騎士たちが恐怖に顔を引き攣らせ、剣を持つ手をガタガタと震わせる中、サトーの背後にいたレオンが、狂気に満ちた、そして誇らしげな笑みを浮かべた。
「……フッ。愚かな王宮の犬どもよ。将軍の『覇気(ただの悪臭とサビ)』の前に、貴様らのチャチな魔法など児戯にも等しいわ。将軍は今、あえて無抵抗を装い、貴様らの全力を真っ向から受け止めた上で、その無力さを骨の髄まで教え込もうとされているのだ!」
(教え込んでない! 痛くなかったから助かっただけで、めちゃくちゃビビって心臓止まりそうなんだよ! もう撃たないで! 魔法痛いから! お願いだから手錠かけて!)
サトーはさらに必死になって両手を突き出し、「さあ、早く捕まえて! 私を連行して!」と念じながら、もう一歩、グイッと大きく前へ進み出た。
その時である。
サトーの突き出した右手のガントレットが。
アンティークデスクの上に置かれていた、シルヴィママ特製の『超濃縮深海クラーケン・プロテイン(劇薬)』がなみなみと入った巨大な寸胴鍋の縁に、ガコンッ!と思い切りぶつかってしまったのだ。
「あっ」
サトーの貧弱な体幹と三十キロの腕の質量が、絶妙なテコの原理を生み出し。
巨大な寸胴鍋が、グラリと大きく傾いた。
そして。
ボッチャァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!
鍋の中でグツグツと煮えたぎっていた、赤黒いドブ色をした数十リットルのプロテイン(致死量の悪臭泥水)が。
美しいペルシャ絨毯の上に、津波のようにブワァァァッとぶちまけられたのである。
「うわああああああああっ!?」
サトーは慌てて飛び退いたが。
運悪く(サトーにとっては極めて運良く)、部屋に押し入ってきていた五十名の第一近衛騎士団の足元に、そのドロドロの劇薬の津波が一気に押し寄せた。
「なっ……なんだこの不気味な液体は!」
「くさっ……! ギャアアアアアッ! 目が! 目が焼けるように痛い! 鼻が曲がるゥゥ!」
王宮の温室で育ち、常に清潔でバラの香りのする神聖な環境にしか身を置いてこなかったエリート騎士たちにとって。
スラムの底辺で精製された、生物の尊厳を破壊する強烈なアンモニア臭と、腐った魚介類の腐敗臭の直撃は、まさに未知の生化學兵器であった。
「オエェェェェェェッ!」
「息が、息ができない! 毒ガス兵器だァァ! 陣形が維持できん!」
バタバタバタッ!
エリート騎士たちは、剣を振るうことすらできず、自らの喉を掻きむしり、次々と白目を剥いてその場に倒れ伏していった。
さらに、プロテインに含まれるオークの骨髄の強烈な脂分により、大理石の床がスケートリンクのようにツルツルに滑る状態となり、立とうとした騎士たちも次々と「スベーンッ!」「ドガシャァン!」と無様に転倒し、自らの重い白銀の鎧の重みで後頭部を打ち、次々と気絶していく。
「な、なんだこれは……! 貴様ら、立ち上がれ! たかが泥水ではないか! 王国の精鋭が情けない!」
後方にいたギルダー王子が、パニックになって叫ぶ。
しかし、彼自身の鼻腔にもその致死量の悪臭が到達し、端正な顔面がみるみるうちに緑色に変色し始めていた。
「ごふっ……! オエッ! き、貴様、スミス……! 王宮の神聖な貴賓室で、このような汚物を撒き散らすとは……! 騎士の誇りもないのか! やはり貴様は、悪魔の手先……!」
ギルダー王子が、フラフラと腰を抜かして、ドロドロの床にへたり込んだ、その時。
『――ふふ。ふふふふふっ』
部屋の奥。
先ほどまで白目を剥いて泡を吹き、ベッドの横に倒れていたはずの第一王女セレスティアが。
ゆらり、と。
まるで地獄の底から蘇った亡霊か、あるいはゾンビのように、音もなく立ち上がったのだ。
「セ、セレスティア……!? お前、あの猛毒を飲んで、生きていたのか……!?」
ギルダー王子が驚愕に目を見開く。
「……ええ。生きていますわ、お兄様」
セレスティアの様子は、明らかに異常であった。
先ほどまで青白かった肌は、異常なまでの生命力に満ち溢れたように赤みを帯び、彼女の華奢な身体の奥底から、信じられないほど強大で、禍々しいほどの『物理的な闘気』が立ち昇っていたのである。
(な、なんだ……!? 般若王女の雰囲気が、なんか格闘漫画の覚醒シーンみたいになってるぞ!?)
サトーは兜の中で、ガクガクと震えながらその異変に気づいていた。
そう、これこそが『超濃縮深海クラーケン・プロテイン』の真の恐ろしさ。
強烈な悪臭と不味さで一度は精神と胃袋を破壊し気絶させるが、その成分が体内に完全に吸収された後、失われた筋肉の細胞を超回復させ、基礎体力と筋力を一時的に数十倍に跳ね上げるという、狂気の肉体改造ドラッグ(疲労回復効果)だったのだ。
セレスティアは、無意識のうちに己の細腕をギュッと握りしめた。
ミシッ……。
たったそれだけで、彼女の周囲の空気が圧縮され、悲鳴を上げるような音がした。
「……素晴らしいわ。なんて、なんて素晴らしい力なの……」
セレスティアは、自分の中に満ち溢れる、魔法とは全く違う、純粋で暴力的な『物理の力』に酔いしれ、恍惚とした表情を浮かべた。
「私、今まで王族として、上品な魔法や政治の駆け引きばかりを学んできたけれど……本当に世界を支配するために必要なのは、このような圧倒的な暴力だったのね……! 兄様を黙らせるのも、言葉じゃなくて拳で十分だったんだわ!」
彼女は、うっとりとした目で、サトーのサビだらけの甲冑を見つめた。
「スミス将軍。貴方様は、私にこの『神の霊薬』を与え、私を真の女王へと覚醒させるために、あえてあの過酷な試練(激マズ泥水)を与えてくださったのですね……。ああ、貴方様のその深く、厳しく、そして残酷な愛……! このセレスティア、全身の筋肉で受け止めましたわ!」
(違う! 俺は飲めなんて一言も言ってない! お前が勝手に奪い取って飲んで自爆しただけだろ! ていうか、その目! 恋する乙女の目をしながら、なんか筋肉の躍動感がビシビシ伝わってくるんだけど! 怖い!)
サトーが後ずさりしようとするが、セレスティアは振り返り、床にへたり込むギルダー王子を冷酷に見下ろした。
「……さて。お兄様。貴方、私の『未来の夫』に向かって、ずいぶんと無礼な口を利いてくれましたわね?」
「ふ、ふざけるなセレスティア! このようなスラムのゴミを夫にするなど、王家の血を汚す気か! 私は第一王子だぞ、貴様などいつでも……!」
「黙りなさい、この軟弱者が」
ドンッ!!!
セレスティアが、裸足のまま、大理石の床を軽く踏み抜いた。
たったそれだけで、床一面に巨大な蜘蛛の巣状の地割れが走り、王宮全体が局地的な地震に見舞われたかのように激しく揺れた。
「ひぃぃぃぃぃぃぃっ!?」
ギルダー王子が、悲鳴を上げてチビりそうになる。
「私の選んだ王(スミス将軍)に、二度とその薄汚い口を向けるな。……次はないわよ、お兄様? 次はその細い首を、この手でへし折ってあげる」
セレスティアは、もはや得意の魔法すら使わず、ただ純粋な『暴力のプレッシャー(物理)』だけで、第一王子を完全に屈服させてしまったのである。
プロテインの力によって肉体言語に目覚めてしまった般若王女は、かつてのヒステリックな嫌味な女から、絶対的な力で相手をねじ伏せる『ヤンデレ覇王』へと、最悪のクラスチェンジを遂げてしまったのだ。
「ひぃっ、ひぃぃぃっ……! ば、バケモノ兄妹め……いや、バケモノ夫婦め! 覚えておれェェェ!」
ギルダー王子は、涙と鼻水を撒き散らしながら、倒れた近衛騎士たちを見捨てるようにして、四つん這いでプロテインの滑る床を這いずり回り、部屋から惨めに逃げ出していった。
静寂が戻った貴賓室。
倒れ伏す五十名の精鋭騎士と、床にぶちまけられた致死量の泥水。
その惨状の中心で。
「……将軍」
セレスティアが、頬を紅潮させ、とろけるような熱い視線をサトーに向けながら、ズンッ、ズンッ、と、明らかに常人ではない重い足取りで歩み寄ってきた。
「私の力、見ていただけましたか? 貴方様が与えてくださったこの力で、私、もう誰にも負けませんわ。……これからは、私が貴方様を、その太い腕(※甲冑)ごと、力強く抱きしめて差し上げますわね……!」
ガシィッ!!!
セレスティアが、サトーの三十キロの甲冑に飛びつき、その華奢な腕で、サトーの胴体を思い切りハグした。
ミギィィィィィィッ!!!
「あががががががっ!?!?」
サトーの口から、本物の断末魔の悲鳴が上がった。
セレスティアのハグの力が強烈すぎて、絶対にひしゃげるはずのない鋼鉄の甲冑が、万力で締め上げられた空き缶のように、メキメキと音を立てて内側へと陥没し始めたのだ。
(痛い痛い痛い! 肋骨が折れる! 鎧ごと俺の身体が真っ二つにへし折られる! 腕力が異常すぎる! これがプロテインの力!? ママさん、なんて薬を作ってくれたんだよォォォ!)
サトーは呼吸ができず、白目を剥いてバタバタと暴れたが、超強化されたヤンデレ王女のハグから逃れることなど、体力3の彼には宇宙が滅亡するまで不可能である。
「ああ……将軍の鼓動(※悲鳴)が、私の胸にダイレクトに伝わってきますわ……。私たち、もう誰にも引き裂かれませんのよ。ずっと、ずーっと一緒ですわ……ウフフフフフ……!」
セレスティアは、サトーの甲冑を抱きしめたまま、恍惚とした笑い声を王宮に響き渡らせた。
その光景を見ていたレオンとバルタは、静かに涙を拭い、深く深く頭を下げた。
「見よ、バルタ……。あの誇り高き第一王女殿下が、将軍の『愛の霊薬』によって真の力に覚醒し、将軍の甲冑が軋むほどの熱烈な愛の抱擁を交わしておられる……。王宮の権力闘争など、将軍の圧倒的な愛(物理)の前に、一瞬で終結してしまったのだ」
「ああ……。大将は、戦場だけじゃなく、女の愛し方(調教の仕方)まで規格外だぜ……。俺たち、一生ついていくしかねえな!」
「「「無敵大将スミスバンザイ! 次期国王夫婦バンザイ!!」」」
狂信者たちによる、狂気と祝福の大合唱が、再び王宮を揺るがす。
(誰か……助けて……! 俺は王様になんかなりたくない! ギロチンの方がマシだ! 独房に入れてくれ! このままじゃ、この女の愛(物理)で俺の背骨が粉砕されて死ぬゥゥゥ!)
最弱の社畜・佐藤一郎は、自分の撒き散らしたプロテインが引き起こした最悪の化学反応により。
「暗殺の危機」からは脱したものの、代わりに「超腕力のヤンデレ王女による永遠の物理的ハグ(絞め技)」という、絶対に逃れられない新たな拷問地獄へと叩き落とされたのであった。
兜の奥底で、サトーの肋骨がピキッと嫌な音を立てるのを、誰も気づく者はいなかった。




