24 もう戻れない
城に向かうベルハルト達の馬車を追うように、ジゼルとアーノルドは馬車を走らせていた。
向かい合って座るジゼルは、いつもより少しだけ大人びて見える。丁寧に整えられた髪、淡く光を受けるドレス。その姿に、アーノルドは思わず目を細めた。
(こんな日が来るとは)
かつて、命の終わりを覚悟した自分には、何も追いつかないまま、時間だけが先へ進んでいるようだった。
初めて王宮へ向かうジゼルは、何度も小さく息を吐く。
アーノルドの隣に立つという役割。失態を犯さぬよう、ナタリアから幾度も言い聞かされている。
それだけではない。
自分の異能を、ベルハルトに知られる。
――その先を、考えれば考えるほど、苦しくなる。
まるで、真っ暗な穴の中へと、落ちていくような感覚だった。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」
「私の隣に立っているだけで十分だ」
「何があっても、ジゼルを守るから」
彼の言葉は優しい。
けれど、ジゼルの心に届く前に、風のように流れていく。
アーノルドは、ジゼルの冷たい手をそっと包んだ。
彼は自分に言い聞かせていた。
この世界でたった一人、彼女を救い、守り抜けるのは自分だけなのだと。
もし、誰かが彼女を傷つけようとするなら
――そのすべてを、自分が引き受ける。たとえ、自分が壊れてしまっても。
ジゼルは、縋るように指を絡める。
「離れないで……くださいね」
「ああ、離さないよ」
やがて見えてきた王宮は、
城というより――
底の知れない迷宮のようだった。
一歩踏み込めば、もう戻れない。そんな思いに囚われた。
会場に足を踏み入れた瞬間、ざわめきが広がった。
難病を患っていたはずのデュアム公爵の長男。その姿が、確かにそこにある。
「お隣のご令嬢はどなたでしょう?」
ひそひそとした声が耳に入り、ジゼルの足が一瞬、止まる。
「胸を張って、真っ直ぐ前を向くんだ!」
力強い声に、ジゼルは顔を上げた。
そこにいたのは、いつもの穏やかな彼ではなく、
人々の視線を受け止める、凛とした貴公子だった。
「行こう!」
「はい」
(もう、怖くない)
そう思えたのは、隣にいるのが彼だったから。
確かな足取りで、二人は歩き出す。
約束の場所へと。
*
王族であるセドリックたちと共に、ベルハルトとナタリアが腕を組んで現れると、会場は再びどよめいた。
「今日のパーティは、デュアム公爵兄妹の独擅場ですわね」
「ええ、本当に」
囁きが、あちこちで弾む。
挨拶が終わり、曲が流れ出す。
セドリックとリーゼ、ベルハルトとナタリアがダンスを始めた。
完璧な所作。完璧な美しさ。
人々は自然と、ナタリアとベルハルトから目を離せなくなる。
そして同時に、気づく者もいた。
ナタリアを追い続ける、セドリックの視線に。
ダンスが終わると、ナタリアは人の輪に囲まれた。
「婚約されるのですか?」
「いつ決まったのですか?」
「さぁ? ベルハルト殿下にお聞きくださいませ」
笑顔のまま受け流しながら、ナタリアは兄とジゼルを探す。
──二人はダンスを踊っていた。
ぎこちなく、それでも確かに、微笑み合って。
曲が終わるよりも早く、二人のもとへ近づいた影がある。
「アーノルド様!」
リーゼだった。
そのぞっとするほど滑らかな笑顔に、ナタリアは顔をしかめた。
「お元気になられて嬉しいですわ。治療させていただいて私は力を使い切ってしまいました。それでも後悔はしていません」
大きな声で語られる言葉に、アーノルドは短く答える。
「ありがとうございます」
「そういうことだったのか、さすが聖女様だ」
「わが国の誇りだ」
賞賛の声が、波のように広がる。
話題の中心に立ち、リーゼは満足そうに微笑んだ。
その隙に、アーノルドとジゼルは逃げるように奥へ向かう。
「こちらです」
ベルハルトの従者に導かれ、廊下を抜け、客室へ。
ほどなくナタリアも合流し、紅茶が用意された。
「リーゼの鉄面皮には呆れるわ」
ナタリアの声には、隠しきれない苛立ちがあった。
「だが目を逸らせてくれて助かったよ」
「はい、ドキドキしました。でもダンスを踊れて楽しかったです」
ジゼルはカップを手に取る。
(ここまで来てしまった……)
乾いた喉を紅茶で潤しながら、ジゼルは静かに覚悟を整えた。
半刻ばかり過ぎると、ようやくベルハルトは現れた。
きつくナタリアを睨む。
「俺を置いて、さっさと逃げるなどと、酷いな」
だが、その声は困惑する彼女の反応を、面白がっている。
「申し訳ございません。人ごみは苦手ですの」
彼は軽く肩をすくめ、話題を「目的」へと移す。
「フレイヤを捕えればいいのだな?」
「そうですわ。お願い致します」
ベルハルトは、指先で軽く空をなぞった。
その瞬間、部屋の空気が、わずかに歪む。
「戻れ。フェ・デ・ネージュ」
囁くような声だった。
温度が一気に下がる。
ナタリアは背筋が冷えた。
何かが――近づいてくる。
次の瞬間、
何もなかったはずの空間が、ゆっくりと裂ける。
そこから、冷気と共にフレイヤは姿を現した。
あまりにも静かで、
あまりにも当然。
だからこそ異様だった。
ナタリアは、息を止めて立ち尽くした。
読んでいただいて、ありがとうございました。




