秋には実り、
「……以上っ。おしまいですう」
春の女王が、ふてくされたように言いました。
話に聞き入っていた秋の女王は、意表を突かれました。
ほたるが愛の告白をしたことで、良きにせよ悪きにせよ、何か、ゆきの中に変化が現れたのではと思っていました。
「えっ、終わりなの。告白の返事は?」
「『そうですか』じゃ、なんにも分からないわよ!」
「……そんなこと言われても、本当におしまいなのよう」
秋の女王と夏の女王につめ寄られ、春の女王はほとほと困り果てた様子で言いました。
ほたるから愛の告白を受けたゆきは、そうですかと、その事実を受け止めただけでした。
愛されているということに、嬉しいだとか煩わしいだとか、感想を抱くことはなかったのです……それは心の無い雪うさぎそのものでした。
もしも、ゆきがほたるを拒絶したのなら、春の女王は次の手を打つつもりでいました。拒絶というのは、それはそれで一つの望みであるからです。でも、ゆきの心に――心があるとすればですが――あるのは、無関心でした。
もはや、手は尽くされました。
ほたるの恋が叶うとか叶わない以前に、片思いすら成立しないのでした。
秋の女王は尋ねます。
「じゃあハルは……どうして塔を訪れないの。もう手は尽くしたんでしょ?」
「だってえ……」
春の女王は唇をとがらせて、そっぽを向きました。
恋こそがこの世の至宝、もっとも価値あるものと豪語してはばからない春の女王でしたが、悲恋は好きではありませんでした。
この冬に芽生えたほたるとゆきの恋は、このまま冬が終わってしまったら、悲恋だとしても悲しすぎる恋になってしまいます。ゆきは恋が始まったという自覚も持たないまま消えてしまうのです。ほたるの恋心もずっと宙ぶらりんになるでしょう。
「……わたしは、ハッピーエンドが好きなのよう」
その言葉を聞いた秋の女王は、春の女王が塔を訪れない理由を、この冬が終わらない本当のわけを、今こそ理解しました。
夏の女王も、今度は怒ったりしませんでした。
そんな主たちを〈うさぎ妖精〉たちが不安そうに見上げていました。
もう、どうしようもないのでしょうか。
人々の営みは、いのちの廻りは限界に来ています。事態は切迫しています。今すぐにでも冬を終わらせなければなりません。
でもそうしたら、ほたるの恋は、ゆきのいのちは――。
◆◇◆
――その時、温室の扉がノックされました。
三人の季節の女王と〈うさぎ妖精〉たちは、弾かれたように扉の方を見ました。
「春のきみ。いらっしゃいますか」
ゆきの声でした。
一日と空けず、春の女王の温室を訪れていたゆきは、今日も冬の女王の言葉を伝えにやって来たのです。春になったら自分が消えてしまうことを恐れもせずに、今日も。
「冬のきみは仰せです。『ハル、もう限界です。どうか、どうか塔を訪れて下さい』」
ゆきは扉の外から淡々と、冬の女王の言葉を一字一句もらさずに伝えました。
春の女王は再び椅子に深く腰掛け、頭を抱えました。
どうすれば、誰もが幸せになれるのか、答えは見つかりませんでした。
――秋の女王の瞳の中に、小さな火が灯りました。
秋は実りの季節。物事には結果が無くてはなりません。たとえそれが芽吹かない種だとしても、決着がつかないまま消えてしまうことだけは、あってはならないことでした。
普段、ぐうたらと本を読んでばかりいたとしても、秋の女王は秋の女王でした。
「ハル。最後の賭けをしましょう」
「最後の賭け……? どういうことなのよう?」
「ゆきに聞くのよ。『そうですか』の意味を。ほたるのことをどう思っているか。もしも、ゆきがほんの少しでもほたるに感情を抱いているなら……この冬は終わらせない。だって、ちょっとでも思いがあるなら、いつか愛が結実するかも知れない。秋の女王としてそれを妨げることは出来ない」
秋の女王は、珍しく熱弁をふるいました。
ゆきが少しでもほたるを思っているなら、冬を終わらせない。
とはいえ、もう限界なのです。すぐにでも春が訪れなくてはならないのに……。
夏の女王が言います。
「冬を終わらせないって……アキ!」
「だから賭けなのよ、ナツ。どっちに転んでもこれが最後。ゆきの気持ちを聞いたら、ハルは塔に行って、フユと交代する」
「それは、ゆきがほたるを振ったら、ゆきを消してしまうってことなの!?」
「違う。ゆきに望みがあるかどうかが全てなのよ。ゆきに望みがあれば、フユは本当のいのちを与えてくれる。好きでも嫌いでもいいのよ。そりゃ好きの方が良いけど……」
ゆきに二択を突きつける、ということでした。
好きか嫌いかではありません。何か思っているか。それとも何も思っていないかです。
ゆきがほたるを嫌いなら今はそれでかまわない、その結果を持って冬の女王に訴えるのです。ゆきには心がある、今は何も分からなくても、いずれ望みだって生まれる。心ある生き物を消してしまうべきではない……と。
冬の女王は、ゆきが自ら望むのなら本当のいのちを与えると言っていました。
そのゆきは、何かというと「冬のきみが望むことが、わたしの望み」と言います。
ゆきに心があるということさえ証明できれば、冬の女王はゆきが存続することを望むでしょう。逆転の発想です。「冬のきみの望みが、わたしの望み」とゆきが言うのであれば、冬の女王に望みを持ってもらうのです。
「そんなの、上手くいかないんじゃ……」
「どうすれば、ゆきに心があるなんて証明できるのよう?」
夏の女王も、春の女王も、その賭けの手法に懐疑的でした。
〈うさぎ妖精〉たちも、ちんぷんかんぷんな面持ちで秋の女王を見上げていました。
例えば、虫に心があるでしょうか。あるかも知れません。
植物には? 草花に心があるでしょうか。あるかも知れません。
人形や雪だるまには? ……無いような気がします。
雪うさぎのゆきには? ゆきは、人形や雪だるまとどう違うのでしょうか。
何かが違うとして、それをどうやって証明すればいいのでしょうか。
また、温室の扉の外から、ゆきの声がしました。
「春のきみ。いらっしゃるのなら、どうかお答えください」
無機質な、感情のこもっていない、ゆきの声。
ほたるに愛を告白された時にも、同じ声で「そうですか」と言ったのでしょう。
春になったら自身が消えてしまうことを知りながら、恐れも悲しみも感じさせない、ゆきの声。
「冬のきみは仰せです――」
〈うさぎ妖精〉たちが、泣きそうな顔で秋の女王を見ました。
愛するひと。大切な友達。消えてしまわないでと願っているのに、伝わらない。
そんなゆきに心があると、どうやって……。
「大丈夫」
秋の女王は、もみじを抱き上げて言いました。
ゆきの心の存在を示す方法とは。
皆が見つめる中、秋の女王は続けて言いました。
「言葉が通じる相手なら、たった一つの質問でわかるのよ」
◆◇◆
「冬のきみは仰せです。『ハル、すぐに塔に来て下さい。分かっているのでしょう。もうこれ以上は引き延ばせません』」
温室に招き入れられたゆきは、無表情で春の女王を見上げて言いました。
秋の女王にとっては、秋が終わり冬が始まった、あの時ぶりに見るゆきでした。
夏の女王はこの場にいません。ほたると一緒に、温室の草花の影に隠れています。
「ゆき。今日もご苦労さま。外は寒かったでしょう。すぐにお茶を淹れるからねえ」
「わたしは雪うさぎです。寒いのはへいきです。それより塔に……」
「今日はアキともみじが来ているのよう。せっかくの機会よ。皆でお茶をしましょう」
「春のきみ。塔を訪れてください」
ゆきは、かたくなでした。
でも、これは最後の賭けでした。春の女王は譲りません。
「お茶をしましょう。ゆき。これで最後よう……皆でお茶を飲んだら、わたしは塔に行く。約束するわ」
「なら、わたしはお茶をいただきます」
ゆきは言いました。
これでお別れだから最後にゆっくり話しましょう、という意味ではなく、あくまでも春の女王が塔を訪れるための手続きとして、お茶をいただくという意味でした。
なるほどこれは難攻不落だと、秋の女王は思いました。
そうして、さくらともみじが準備を整え、最後のお茶会が始まったのでした。
◆◇◆
〈うさぎ妖精〉のさくらともみじが、お茶のポットとカップと、甘い焼き菓子が載ったお皿を運びます。
濃く煮出した茶葉にミルクを加えたお茶の香りが、温室に満ちました。
さくらともみじは、お客さまである秋の女王とゆきの前にカップを置き、次に館の主人である春の女王にお茶を供しました。
最後に、自分たちの分のお茶とお菓子を取り分けて、テーブルに着きます。
時と場合によって、〈うさぎ妖精〉が季節の女王と同じテーブルに着くのは許されませんでしたが、今回は人目がありませんし、もしかしたら友達とのお別れの会になるかも知れませんでした。
だから、秋の女王と春の女王は、もみじとさくらに同席を許しました。
ほたるにとってもそうでしたが、万が一、ほたるがいることでゆきが本音を隠してしまったり、また夏の女王がいることで、ほたるを連れて来ているのではないかと疑われることを避けるために、二人には隠れてもらいました。
ゆきに心が無いとしたら無意味なことですが、秋の女王たちは、ゆきに心があることに賭けているのでした。
秋の女王は、お茶のカップに口を付けます。
「……良い香りね、ハル」
「そうでしょう、そうでしょう。香りも良いけど、上等なミルクを使っているから、味も素晴らしいでしょう。ねっ、ゆき」
「はい」
ゆきは、何も思っていないような凍りついた表情で短く答えました。
焼き菓子を勧められたゆきは、一枚手に取り、さくさくと消費していきました。
秋の女王はその様子を見て、しばらく前に王様のお城で見せてもらった「えんぴつ削り器」という手回し式の機械を思い出しました。
〈うさぎ妖精〉のもみじとさくらは、はらはらと落ち着かない様子です。
ゆきにするべき質問は、二つありました。
一つ目は、ほたるをどう思っているか。
ゆきがほたるを好きだと言ったなら、その時点で解決です。それがゆきの望みだからです。冬の女王は、ゆきに本当のいのちを与えてくれるでしょう。
二つ目は、一つ目が失敗した時のための、秋の女王の最後の賭けでした。
ゆきに心があるのかを、試すための質問をします……。
秋の女王はさっそく春の女王に目配せをして、話題を誘導させようとしました。
「……っ。えーとぉ、ゆき。いつもさくらと仲良くしてくれて、ありがとねぇ」
「べつにです」
「そうそう。もみじとも遊んでくれているんでしょう? ありがとうね」
「べつにです」
ゆきは、この調子でした。
手旗信号のように同じ返答を繰り返すゆきに、秋の女王も春の女王も話題を探すのが大変でしたが、会話を途切れさすと、ゆきはすぐに「春のきみ。はやく塔に……」と言い出すので、一時も気が抜けませんでした。
「今日は来ていないけど、ナツのところにも、一人いるよねえ」
「はい。しってます。ほたるのことですね」
ゆきがほたるの名を口にしたところで、秋の女王は上手いっ、よくやった! と春の女王に心の中で拍手喝采を送りました。
春の女王はお茶を一口含み、こくりと嚥下すると、何気ない世間話を装って続けました。
「……そのほたるとも、ゆきは仲良くやってるのう?」
「はい、なんとか」
「『なんとか』?」
「わたし、ほたるのことは……」
何やら、不穏な空気が立ち込めはじめました。
もみじとさくらが緊張のあまり、きしきしと貧乏ゆすりを始めたので、ゆきがそちらを気にして言いました。
「もみじとさくらは、どうかしたのですか」
「何でもないのようっ。きっと二人ともお腹が空いたのよ。さくら、もみじ。焼き菓子を食べなさい。美味しいから、何も考えずに食べなさいっ。咀嚼した回数を数えることだけに集中しなさいっ!」
春の女王は、咄嗟に〈うさぎ妖精〉の二人に命じました。
もみじとさくらは、それぞれに焼き菓子をつまみ、サクサク、さく、さくと食べ始めました。
「えんぴつ削り器」がもう二台増えたようだと、秋の女王は思いました。ですがたぶん、この新しい二台は長くもたないでしょう。
もうすでに、かなり無理してるように見えます。特にもみじが。
秋の女王は、春の女王にまた目配せしました。
「……っ。そーう、何の話だったかなぁ? そう、ほたる! ほたるのことよねえ。ゆきは、ほたるとは普段どんな……」
「もみじとさくらが、そしゃくした回数を数えているいみは……」
「それは気にしなくていいのよう! ゆきは、ほたるをどう思っているの!?」
春の女王が言ってしまいました。
温室のどこかで――たぶん夏の女王とほたるが隠れている辺りで、がさっと音が鳴りました。
そして、ゆきは答えました。
「ほたるのことは、苦手です」
「えっ……」
「ほたるは、わたしの手を引いて速く歩くし、急におおきな声をだすから、苦手です」
「そ、そう……」
春の女王は言葉を失いました。
夏の女王とほたるが隠れている草花の影からは、物音一つしませんでした。
おそらくゆきは、ほたるがゆきの手を取って王様のお城の庭を案内したことや、大きな声で愛を告白したことを、言っているのだと思われました。
全ては裏目でした。春の女王は沈黙し、会話は途切れました。
「春のきみ。ほたるのことはいいです。それより、いつになったら塔を訪れてくれるのですか。冬のきみはそれを気にしています」
「フユはそう言うでしょうけど、ゆき、あなたは春が訪れてもいいの。雪うさぎのあなたは、消えてしまうのよ」
秋の女王が会話を引き継ぎました。
ほたるの恋は破れましたが、元々それは分の悪い勝負で、良くない言い方をすれば想定内の出来事でした。
でも、ゆきはもみじとさくらにとっても友達です。いつか、ほたるの良さにだって気付くかも知れません――ゆきが、いのちを繋ぎさえすれば。
「はい。冬のきみが望むことが、わたしの望みです」
ゆきは、春の女王から秋の女王へと視線を移し、言いました。
いつもの台詞を。歪みのない氷の無表情で。
ここからでした。
秋の女王は、最後の賭けに出ました。
ゆきの中に心はあるのか。それを確かめるために用意していた質問を、ゆきにぶつけました。
難しいことではありません。
ゆきはいつだって「冬のきみが望むことが、わたしの望み」と言います。
言葉が通じるゆきになら、たった一つの質問をすれば分かるのです。
「フユがゆきに、何も望まなくなったら。あるとき急に『好きに生きなさい』って言っていなくなったら、ゆきはどうする?」
「………………」
ゆきは、沈黙しました。
それまではまばたきしていた紅い瞳を見開いて、お茶のカップに伸ばしかけていた手すら止めて、秋の女王を見つめていました。
やった。響いた。秋の女王はそう思いました。
心があるものと、無いものとの違い。
それは、命令する者がいなくても自ら動き、生きようとする意志があるかどうかだと、秋の女王は考えていました。春の女王の温室の草花は、例えば春の女王がいなくなったとしても自ら生き、次代にいのちを繋ごうとするでしょう。
春の女王が、夏の女王が、秋の女王がいなくなったら、〈うさぎ妖精〉たちは悲しんで泣いてくれるでしょう。そして、悲しみを乗り越えて生きるでしょう。
雪うさぎのゆきは? 冬の女王がいなくなった時、ゆきに望みを伝えなくなった時、ゆきはどうするのでしょうか。
何もかもが無くなった時、ただ一つ残る自分――それが心であるはずでした。
心があれば望みは生まれる。今は何もなくとも、いつかは――。
最後の賭けに勝った。秋の女王はそう思いました。
それくらい、ゆきの変化は劇的でした。
「……冬のきみが、いなく……いなくなったら……いなく……」
ゆきは、うわ言のように繰り返しました。
その白い顔は、みるみる血の気を失い、まさに雪のようになりました。
びしっ。ギシッ……。
春先に凍った湖面が溶けてきしむような音がしました。見ると、カップに伸ばしたゆきの手に大きなヒビが入り、腕全体に広がって行くところでした。
ゆきは、もう呼吸もしていませんでした。
「! ゆき、もういいのよう! 戻って来なさいっ!」
「考えるのを止めなさい、ゆき!」
異変に気付いた春の女王と秋の女王、さくらともみじは、椅子を蹴ってゆきに駆け寄りました。
テーブルの上に倒れ伏したゆきを前に、秋の女王は自分のあやまちを悟りました。
秋の女王は、ゆきにしてはいけない質問をしてしまったのです。
どうして冬の女王がかたくなに、ゆきに本当のいのちを与えようとしなかったのか、その答えが目の前にありました。
ゆきは、冬の女王の命令が無ければ、自分で息をすることも出来ないのです。
「望みを持たぬまま生き続けるいのち」が最後にどうなるのか。それは自分であるということすら失って……。その悲しく恐ろしい末路を、秋の女王たちは垣間見ました。
あと少しで、春の到来を待たずして、ゆきを永遠に失うところでした。
――秋の女王は、最後の賭けに敗れました。