夏が過ぎ去り、
「――はぁっ? ほたるが一目ぼれをしたぁ!? あの雪うさぎに!?」
夏の女王の悲鳴が温室に響きました。
ほたるは、恥ずかしそうにうつむいて床を蹴っています。
もみじとさくらは、互いに手を組んで様子を見ています。
夏の女王は、ほたるの柔らかいほっぺを両手で挟むと、眉をつり上げました。
「ほたるっ。あんた、本当にあの雪うさぎが好きなの!?」
ほたるは夏の女王の剣幕に気圧されながらも、こくりとうなづきました。
夏の女王は、あぁなんてこと、と嘆いてほたるを諭しました。
「あれは〈うさぎ妖精〉じゃない、雪うさぎなのよ。冬が終わったら消えてしまうのよ。心だって持ってはいない。去年の雪だるまを覚えてる? フユが塔の前に置いてたやつ。あれと同じなのよ、どんなに綺麗に作られていたとしてもね」
夏の女王は言葉を尽くして、ほたるに諦めさせようとしました。
雪うさぎを愛したとしても、心を通わせることなんか出来やしない。それに雪うさぎは冬の間だけの存在。春が訪れれば消えてしまう。そうなったら、悲しい思いをするのはほたるです。
夏の女王はほたるに悲しい思いなんかさせたくなかったのです。
けれど、夏の女王の言葉にほたるがうなづくことはありませんでした。
その様子を傍で見ていた春の女王が言いました。
「そうかなあ。〈うさぎ妖精〉と雪うさぎの恋。とても素敵じゃないの」
「ハルっ。あんた、他人事だと思って……! そうよ、なんでハルが知っていて、あたしが今日の今日まで知らなかったのよっ!」
「それはねえ、その子たちがわたしの所にお願いに来たからなのよう。『塔には行かないでほしい、春の訪れを遅らせてほしい』って――」
◆◇◆
――冬が始まり、幾月か過ぎたころ。
春の女王はそろそろ役目を交代するかと思い立ち、温室の椅子からよっこらと腰を上げました。年越しの祭りが冬に行われたのは残念でなりませんでしたが、人々は今ごろ春を恋しく思っているはずでした。
まだ春の訪れには少し早い時期でしたが、まぁ構わないだろう、皆が望んでいるならそうするべきだと思い、春の女王は塔に行くことを決めました。
「さくら、さくらー? これから塔に行こうと思うの。わたしのコートとマフラーと手袋と……あとついでに葡萄酒も持って来て。塔への道行きで恋人たちにあったら、葡萄酒を送って祝福してあげたいから」
しかし、いつまで経ってもさくらはやって来ませんでした。
春の女王は、あれと思いました。いつものさくらだったら、すぐに準備を整えて飛んで来てくれるはずでした。しばらく待った後、春の女王はもう一度呼びました。
「さくらー……?」
春の女王は不安になりました。さくらに何かあったのかも。
主としてのひいき目ではなく、さくらは春夏秋の〈うさぎ妖精〉の中でも落ち着きがあって、とびきり優秀な子だと思っています。そのさくらが、こんなに呼んでも姿を見せないなんて。
外で雪に埋もれているのでは、それとも氷に滑って転んでいるのでは。
居ても立ってもいられなくなり、春の女王がさくらを探しに行こうとした時、温室の扉が開いて、そのさくらが入ってきました。
「さくら! 良かった、どうして返事をしないのよう!」
さくらの後ろには、夏と春の〈うさぎ妖精〉、ほたるともみじが続いていました。
三人とも様子が変でした。
ほたるともみじは、どうして主である夏と秋の女王を置いて、春の館にやって来たのでしょう。さくらは、どうしてそんなに耳を伏せているのでしょう。
「……さくら?」
春の女王が問いかけると、しっかり者のさくらは、困り顔で春の女王を見上げました。口をぱくぱくさせましたがすぐにうつむいて、何も言いませんでした。
ここで、ほたるが決意を込めた表情で前に出て言ったのです。
――どうか冬を終わらせないでください。ゆきを消さないでください。ぼくはあの子がすきなのです、と。
雪うさぎに心奪われてしまった〈夏のうさぎ妖精〉ほたる。
恋愛至上主義の春の女王。
二つの歯車が噛み合った時、この終わらない冬は始まったのでした。
◆◇◆
「――ねっ、素敵でしょう!」
春の女王は頬に手を当てて、くねくねしながら言いました。とても楽しそうでした。
でも、楽しそうなのは春の女王だけでした。
夏の女王が、また春の女王の顔面をがしっと掴みました。
「……つまりハル。あんたが冬を長引かせている元凶ということ? そうね?」
「いたいっ。いたたっ、やめ、それ以上力をこめたら、本当に……春が来なくなっちゃうわよう!」
「まあまあ、ナツ。ハルをはなしてあげて。最後まで話を聞きましょう」
秋の女王は、夏の女王をなだめました。
春の女王は涙目で顔をおさえて、夏の女王をうらめし気に見ました。
「こ、これ以上は、ナツが暴力をふるわないって約束したら話す……」
「はぁ!? ハル、あんた、そんなことを言えた立場だと……」
「まあまあまあ、ナツ。暴力はいけないわ。ハルの話を聞きましょうよ」
秋の女王は、夏の女王に暴力をふるわないと約束させました。
それでようやく、春の女王は安心して話を続けることにしました――。
◆◇◆
――ほたるの告白を聞いた春の女王は、感動に打ち震えました。
さくら、ほたる、もみじの三人の〈うさぎ妖精〉たちが、そんな春の女王を不安そうに見上げていると、春の女王は突然にほたるを抱き上げて、ぐるぐる振り回しました。
「素敵! 恋! なんて素敵なの! ああ……素晴らしい。わたしに全部任せなさい、このまま冬を終わらせたりなんかしない! 絶対にハッピーエンドに導いてみせる!」
それから、春の女王は精力的に動き始めました。
ほたるの恋を成就させることはたやすいと思っていました。事情を話して頼みこめば、冬の女王は雪うさぎのゆきに、かりそめではない本当のいのちを授けてくれるはずだと思っていました。
冬の女王は厳しい人ですが、何かそうしなければいけない理由がある時には、揺るぎなく決断し実行する人でもありました。だから今回だって、ゆきに本当のいのちを授けてくれるはずでした。
それを期待して春の女王は、さくらを塔へ遣わしました。
『ゆきに本当のいのちを与えて下さい。ゆきに恋する、ほたるのために』
塔から出られない冬の女王は、ゆきを春の女王へと遣わします。
髪からつま先まで真っ白な体躯、紅い瞳の雪うさぎのゆきは、春の女王に言いました。
「冬のきみは仰せです。『ほたるのために、ゆきに本当のいのちを与えることはしない。ゆきが自ら望んだのならそうする』」
「むう……ゆき、あなたはどうなりたいの。春になっても消えたくない? 消えてもいいって思ってる? ……消えたくなんかないよねえ?」
「わかりません。冬のきみが望むことが、わたしの望みです」
ゆきは、まったく表情を変えずに言うのでした。
それから何度も、春の女王はさくらとゆきを通して、冬の女王とやりとりをしました。
「冬のきみは仰せです。『ゆきが自ら望まないのなら、私はゆきに本当のいのちを与えはしない。望みを持たぬまま生き続けるだけのいのちを、私は作らない』」
冬の女王の言い分は、春の女王にはさっぱり理解出来ませんでした。
自分が温室を作り維持すること、冬の女王が雪うさぎを作り本当のいのちを与えること。どこに違いがあるというのでしょうか。
「フユは頭が固いなあ。ねぇ、ゆき。あなたは……」
「冬のきみが望むことが、わたしの望みです」
ゆきの頭の中は、冬の女王以上にかちんこちんでした。
春が来たらゆき自身は消えてしまうのにも関わらず、ゆきは全く恐れを抱いていませんでした。
氷の彫像のように美しいかんばせは、一度たりとも歪むことはありませんでした。消えてしまうことへの悲しみにも。そして、今生きていることへの喜びにも――。
――けれどこの時、春の女王はまだ気楽にかまえていました。
冬の女王は、何があろうと絶対にゆきに本当のいのちを与えない、とは言っていませんでした。ゆきが自ら望むなら与えると言っていたのです。
ようは、ゆきに言わせればいいのです。
「消えたくない。わたしは本当のいのちがほしい」と。
そして、そのために何をすればいいかということも、春の女王は知っていました。
ほたるの恋を成就させるのです。
恋が叶って、ゆきがほたるを愛するようになれば、きっとゆきは言うでしょう。
「ほたると離れたくない。わたしは消えたくない」と……。
そこで春の女王は、さくらともみじを協力させることにしました。
ゆきは、ほたるとの面識は少なく、そもそも恋の何たるかをまるで知らず、どうしてほたるが「ゆきが消えないでほしい」と願っているのかも理解していませんでした。
だからまず、さくらともみじから、遠回しにほたるのことを紹介させようと思いました。いきなり男の子と二人きりにするより、最初は女の子同士の交流から〈うさぎ妖精〉の交友関係になじませていった方が、最終的には上手く行くと考えたのです。
もちろん、ほたるともみじに言い含めるのも忘れませんでした。
「……ナツとアキには言っちゃだめよう。恋というのは、吹聴すればするほど軽薄になっていくの。ここぞという時だけ、伝えるべき人だけに伝えるの。普段は心に秘めておくものなのよう……分かった?」
ほたるはこくりとうなづき、もみじはぽかんと口を開けていました。
二人が――特にもみじが理解したかは、あやしいものでした。
でも、夏と秋の女王に話してはいけない、ということだけは確実に伝わりました――。
◆◇◆
「――ハル……あんた……あんたって人は」
夏の女王が、ぎりぎりと拳を握りしめて言いました。
今にも春の女王に襲いかかりそうな様子でしたが、暴力を振るわない約束をしてしまっているので、夏の女王は何もできません。
「そ、そんなに怒らないでナツ。上手く行くと思ってたのよう。他ならぬ、ほたるのためよ。恋が叶ってみんな幸せになって、また春が廻ってくるって思ってたのよう……」
春の女王が怯えて言い訳をしました。
上手く行くと思っていた……でも、現状は上手く行っていません。それは明らかでした。なにせ冬がまだ終わっていないのですから。
秋の女王は、春の女王に言いました。
「それから何があったの? まだ冬が続いているのだから、ほたるの恋は成就していないということよね?」
「そう。そうなのよう。あれから――」
◆◇◆
――結論からいって、ゆきは難攻不落でした。
さくらともみじは、彼女たちなりに手を変え品を変え、ゆきの望みを引き出そうとしました。ある程度なじんできた頃には、さりげなく、ほたると二人きりの状況を作ったりもしました。その時のほたるは赤面しながらも勇ましく、ゆきの手を引いて、王様のお城の庭を案内したといいます。
さくらともみじも、次第にゆきに対して友情を感じ始めました。
友達のほたるの想い人だから、という理由ではなく、ゆき自身が友達だから消えて欲しくないと思うようになりました。
けれど、当のゆきは相変わらずでした。
「冬のきみが望むことが、わたしの望みです」
春の女王は、ううむと唸りました。
もう、いいかげんに春が訪れていてもおかしくない時期になっていました。
最初の内は「ゆきに本当のいのちを」という春の女王からの要望を伝えていた、冬の女王とのやりとりは、今や様相を変じていました。
「冬のきみは仰せです。『ハル。貴女はいつになったら塔を訪れるのですか。人々は不安と恐れを抱いていると聞きます。王様がお城の食糧庫を開けたとも。どうか、どうか塔を訪れて下さい。季節の廻りを滞らせてはなりません』」
「むうぅ……」
春の女王は頭を抱えました。
ゆきは一日と空けずに、春の女王の温室を訪れては「いつになったら塔を訪れるのですか」と急かしました。春になったら自分は消えてしまうというのに……。
春の女王は、最後の手段に出ました。
「ほたる。もう猶予が無くなってしまったの。ゆきの様子を見る限り、時期尚早と言わざるを得ないけど……もうこれしかない。愛を告白するのよう!」
ゆきが恋を理解しているとは言いがたく、それどころか、親しい誰かと離れたり別れたりすることが悲しいということすら理解しているとも言いがたく、ほたるが愛を告白したとしても、ゆきがよい返事をする見込みは、あまりありませんでした。
でも……もう、そうするしか無いのでした。
王様がお城の食物を人々に分け与え、お触れを出したということは、もう、これ以上は冬を引き延ばせないという何よりの証拠でした――。
◆◇◆
「――ほたるは告白をしたの!? したんでしょ、それでどうなったのよ!」
夏の女王がまくし立てます。
秋の女王は黙って聞いていました。
春の女王が、表情を曇らせながら答えました。
「そう。ほたるは、ゆきに愛の告白をしたのよう」
◆◇◆
ほたるは、ゆきに愛の告白をしました。
さくらともみじの計らいで、何度目か、ゆきと二人きりになった時に。
――ゆき。あなたがすきです。どうか、ぼくのことをすきになってください。
せいいっぱい、大きな声で。
気持ちがしっかり伝わるように、ほたるは愛を告白しました。
そして、ゆきは応えて言いました。
「そうですか」
それだけでした。
相変わらず、微笑むでもなく頬を染めるでもなく、氷の彫像のような面持ちで、ゆきはそのように応えたのでした。




