春は訪れ、
「まずいっ! まずいことになったわよ、アキ!」
秋の女王が住む館に、夏の女王が乗り込んできたのは、冬が始まってから二百日が経とうとしていたある日のことでした。
読みかけの本を手に、暖炉の前でうとうとしていた秋の女王は、突然に押しかけて来た夏の女王にたたき起こされ、目を白黒させました。
「えぇ……? 騒がしい。騒がしいと思ったら、やっぱりナツが来ている」
「寝てる場合じゃない! まずいことになったのよ!」
「寝てないよ。本を読んでいたのよ。今いいところだったのに……」
「どう見ても寝ていたじゃない!」
秋の女王は目をこすりつつ、夢の中で本を読んでいたのよ、と答えました。
夏の女王が、そんなに本が好きならいっそ本棚になってしまえ、と罵りました。
それも良いかも、と秋の女王は思いましたが、口に出すとまた夏の女王が怒りそうなので黙っていました。
「それよりも大変なのよ。王様がとうとうお触れを出したの!」
「ナツがそんなに慌てているということは、今年から夏が廃止されることに決まったの? 実をいうと、わたし暑いのが苦手だったの。読書に集中できないから……」
「廃止されてたまるもんですか。アキ、あんたそんな風に思ってたのね?」
「今のは言葉のあやで……」
秋の女王は言い訳をしようとしましたが、せっかちな夏の女王は言い訳など聞いちゃいませんでした。まずいことになった、と繰り返します。
終わらない冬を終わらせ、春を迎えるために王様がお触れを出したという話を、秋の女王は今ここで初めて耳にしました。
自分の館にこもって本を読んでばかりいたために、秋の女王はすっかり世間から取り残されていました。
◆◇◆
「……なんということ。冬がまだ終わっていなかったなんて」
「アキ……あんたって秋の女王のくせに、なんて季節感の無い人なの。冬が終わらないなんてずいぶん前から皆が言ってる事よ。もっと外に出なさい。引きこもって本ばかり読んでいるから、こんな一大事のときに出遅れるのよ」
夏の女王がしたり顔で言うものですから、秋の女王は少しむっとしました。
そういう夏の女王こそ、外で遊んでばかりいないで、たまには本を読むべきだと思っていました。
でも、口に出すと怒られそうなので黙っていました。
それに、一大事であることは間違いありませんでした。冬が始まってから六ヶ月以上も経つのに、まだ春が訪れていないなんて。
「フユに何かあったの? フユは規律を重んじる人よ。どんなことがあろうと、季節の廻りを妨げることはしないはず」
「一番に会おうとしたけど、フユには会えていないわ。塔の中だもの。でも冬が続いてるのだから、フユは健やかでいるに決まってる」
冬の女王はいかなることにも厳しい人で、特に自分自身に厳しい人でした。
怪我も病気も無く健康であるなら、季節を滞らせたりするはずがない、そんな強い信頼が冬の女王にはありました。
「じゃあ、ハルは?」
「まだ会いに行ってないけど……」
夏の女王が言葉をにごらせました。
なぜかというと、春の女王はいかにも騒動を引き起こしそうな人だったからでした。
春の女王は常日ごろ、恋のことばかりを考えています。
恋人たちが浮かれ騒ぐ年越しの祭りは春に相応しい、祭りは春にあるべきだと、わけの分からない主張をし、王様を困らせたこともありました。
恋にまさるものは無い、恋こそが最も価値のあるものだ。
そう言ってはばからない春の女王は、ほんわかふわふわした見た目と違って、その実なかなかやっかいな人でした。
「ハルのところに行きましょう。きっと、ハルは何か知っている」
「うん。一人で行ったら酷い目にあいそうだから、先にアキのところに来たんだ」
夏の女王が、ポロリと本音をこぼしました。
秋の女王は聞かなかったことにして〈秋のうさぎ妖精〉のもみじを呼びました。
「もみじ、もみじ。すぐに来て。わたしのコートとマフラーと手袋と……それから、念のために本も持って来て」
「『念のために本』って、どういうこと?」
「もしもハルに会うまで時間がかかって退屈したら、どうしても本が必要でしょう?」
夏の女王は、あきれて何も言いませんでした。
やがて準備を整えたもみじと〈夏のうさぎ妖精〉のほたるが、二人の女王の足元へとやってきました。
「ナツ、ほたるを連れて来ていたの?」
「当たり前よ」
なら、ほたるは主の側を離れて何をしていたのか、と秋の女王は尋ねました。
夏の女王は、もみじと話したり手伝ったりしてたんでしょ、と答えました。
「〈うさぎ妖精〉は、常にあたしたちの側にいるわけじゃないでしょ。命令が無いときは好きに集まって、話したり遊んだりしてるのよ。アキ……あんた、もしかして悪口を言われてるかもよ? あんたときたら、本を読んでるときは何も聞こえてないんだから」
夏の女王が、にやにやしながら言いました。
「うちのもみじは、わたしの悪口を言ったりしません!」
言い返しながらも、秋の女王は思います。
今後は本を読む時、出来るだけ周囲に気を配り、話しかけてくる人を無視しないようにしよう。もみじに嫌われたら、とても悲しい……。
「それでは、春の女王の館に行きましょう」
着ぶくれた秋の女王が言うと、もみじとほたるは、何だかそわそわとし始めました。
どうやら行きたくないようです。
秋の女王と夏の女王は、顔を見合わせました。
「どうしたの。もみじ、ほたる……行きたくないの?」
「ことは急を要するんだよ、アキ。仕方ない、あたしたちだけで……」
〈うさぎ妖精〉たちが行きたくないというなら仕方ない。置いて行こう、と夏の女王が言うと、もみじとほたるは途端に態度を変えて、二人の女王にぎゅうとすがりつきました。
秋の女王と夏の女王は、また顔を見合わせました。
「……春の女王の館には行きたくないけど、わたしたち二人だけで行かせるくらいなら、自分たちも付いて行きたい……?」
「ほたる、お前……ハルが塔を訪れない理由を、知ってるんじゃないでしょうね」
夏の女王はほたるを抱き上げると、じいっとその顔をのぞきこもうとました。
ほたるは顔をぶんぶん振って逃れようとし、もみじは夏の女王の水色のドレスの裾を掴んで、ほたるを助けようとします。
秋の女王は、もみじを後ろから捕まえて抱き上げました。
それぞれの主の腕の中に捕らえられた〈うさぎ妖精〉たちは、じたばたと手足を振り回しました。
秋の女王と夏の女王は、またまた顔を見合わせました。
「この子たち、何か知っているのでは」
「でも、この様子じゃ……」
腕の中であばれる〈うさぎ妖精〉たちからは、話を聞けそうにありませんでした。
やはり春の女王と会わなければいけない、と二人は決めました。
何か知っているらしい、もみじとほたるを置いて行くわけにはいきません。
秋の女王と夏の女王は、〈うさぎ妖精〉を抱っこしながら館の外に出ました。
◆◇◆
「……寒いっ。やっぱり冬は終わってないのね」
「そうよ。だから一大事なのよ」
そう言う夏の女王は、ドレスの上からケープを羽織っているだけでした。
そんな装いで寒くはないのか、と秋の女王が尋ねると、夏の女王は言いました。
「寒いわよ。冬なんだから当然でしょ」
「寒かったら、厚着をしたらいいのに」
「冬は寒くていいのよ。それが長引いてるのが問題なのよ」
「本と暖炉があれば、ずっと冬でも良いんだけどなぁ……」
「何を言ってるの。春と夏が来なければ、薪になる木も育たないのよ」
秋の女王は、もっともだと思いました。
春という季節を取り戻さなければいけません。
王様のお触れによれば、「冬の女王が次の冬に廻って来られなくなる方法は認めない」ということでした。勇者が伝説の剣を手にして、冬の女王をあやめるというようなことは、ひとまず無さそうでした。
秋の女王と夏の女王は〈うさぎ妖精〉を連れ、春の女王の館へ向かいました。
◆◇◆
秋と夏を司る二人の女王は、春の女王が住む館へとやってきました。
抱っこしている〈うさぎ妖精〉たちがなかなか重たいので、難儀しました。
「ハル! わたしです。秋の女王です。中に入れて下さい!」
館の扉を叩くと、〈春のうさぎ妖精〉のさくらが、うんしょと扉を開いて秋の女王と夏の女王を招き入れました。
今日もさくらはつんと澄まして、背筋も兎耳もぴんと伸びていました。
秋の女王に抱っこされていたもみじは、さくらを前に、抱っこされているのが恥ずかしくなったのか、ぴょんと秋の女王の腕から飛び降りました。
「さくら。ハルは……春の女王はいる? わたしたち、会いたいのだけれど」
さくらは、少し考えるそぶりをしました。
いつものさくらなら、すぐに春の女王のもとに案内してくれるはずでした。
さくらは、もみじとほたるを見やりました。
もみじとほたるは、ぴょんぴょん跳ねてさくらに何かを訴えましたが、さくらは首を振って、肩を落としました。
「やっぱり、〈うさぎ妖精〉たちは何か知っているのでは」
「ここまで来たんだから、ハルに会うのが先よ」
さくらの案内で、秋の女王と夏の女王は、館の奥へと進みます。
館の奥にあるのは、春の女王の温室でした。
その温室は外が冬だろうと、夏だろうと秋だろうと、内部では春の草花が咲き乱れている、春の女王の秘密の場所でした。
それは、本当はいけないことなのです。
本来なら、草花は各々が相応しい時期に咲き、散ってやがて実を結び、そして枯れて行くのがさだめ。この温室はそのさだめから外れています。
春の女王はこっそりと、こういうことをやってしまう人なのでした。
秋の女王と夏の女王は、何度かこの温室を訪れたことがありましたが、規律に厳しい冬の女王が温室を訪れたことはありませんでした。
温室に足を踏み入れると、すぐに春の女王は見つかりました。
春の女王は据え付けられた椅子にゆったりと腰かけ、お茶を飲んでいました。
「あらぁ、ナツにアキ。二人が揃って来るなんで珍しい――」
春の女王が二人に気付き、声をかけました。
おそらく、調子はどうかしらとか、何か言葉を続けようとしていたのでしょうが、それを口にするより早く夏の女王がつかつかと歩み寄って、春の女王を締め上げました。
「『あらぁ』じゃない! 何をのんきにしてるの! いつになったら春が来るの!」
「いたいっ。痛いわよう」
春の女王が苦しげにうめいたので、秋の女王は夏の女王を抑え、どうどうとなだめました。夏の女王は納得していない様子で、ふーふー鼻息を荒くしていました。
もみじ、ほたる、さくら。〈うさぎ妖精〉たちはそろってそわそわしていました。
秋の女王と夏の女王は、春の女王を問い詰めます。
「ハル。どうして塔を訪れないの? みんな困ってるのよ」
「あんた、全然元気そうじゃないの。なんで塔に行かないのよ!」
春の女王は、それを聞くと「うふふ」と気持ちの悪い笑みを浮かべました。
なんだか、とても嫌な予感がしました。
「いいのかなあ。言っちゃっていいのかなぁ」
春の女王は、言いたくてたまらない様子でしたが、同時にちらちらと〈うさぎ妖精〉たちに目配せしていました。
もみじはオロオロとし、さくらは諦めたように目を伏せ、ほたるは何故か真っ赤になって両手で顔を隠しました。
やはり〈うさぎ妖精〉たちは何か知っていて、春の女王もそれに関係しているようでした。
しびれを切らした夏の女王が、春の女王の顔面を片手で掴みました。
「何でもいいから、言いなさい。早く全部しゃべりなさい」
「いたいっ。ナツの馬鹿、乱暴者、はなしてよう! ……ああぁ、ごめんなさいごめんなさい、話すから、話すからどうか手をはなして!」
今度は秋の女王も、夏の女王を止めませんでした。