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と言う訳で、どうか俺を殴ってくれ

「アルベルト様はそのままでもいいんですよ」


 あるところに呆れるほど素直で真面目で努力家の王子様がいました。

 婚約者の少女に負けっぱなしだった彼は、次こそは必ず追い越すのだと幼い頃から果敢に挑み続けていたのですが、最近知り合った同級生に言われたこの言葉に大きく心を揺れてしまいます。

 そう、そんな言葉は、生まれてこの方ずっと言われた事がなかったのです――。


「と言う訳で、どうか俺を殴ってくれ」

「どうしてそうなった」

 眼前で土下座する婚約者の第三王子。

 昼下がりの穏やかな日差しが差し込む学園のテラスに不似合いな光景は、当人よりも周囲の生徒を動揺させ、ゾフィーが意味ありげな視線をやると蜘蛛の子を散らすように誰もいなくなった。

 久しぶりに二人きりになれたはいいが、相変わらずこちらの予想の右斜め上を行くアルベルトの言動にゾフィーは大きく溜息をつく。

 しかしそんな彼女の様子に気を配る余裕の無いアルベルトは、眉間の皺を深めながら話を続けた。


「最近の俺はどうもおかしい。このままでは怠惰で王族としてあるまじき愚か者になってしまう」

「具体的には?」

「レベッカ嬢に言われた言葉に甘んじてしまいそうで恐ろしい」

 レベッカとは例の、アルベルトに「そのままの貴方でも充分素敵です」と言ってのけた下級貴族の少女である。

「俺はそんな甘言を生まれてこの方、ずっと言われた事がなかった」

「まあ、そりゃそうでしょう。他人なら貴方に何を言って、その結果貴方がどうなっても責任取る必要ないですもんね」

「そう、そうなんだ!」

 まさにそれが引っかかっていたのだと、アルベルトが俯いていた顔をガバッと上げる。

「第三とはいえ精進するのは王族として当然だ。家族やお前や家臣達は鞭と鞭と鞭ばかりだが、それこそ愛情がなきゃ朝から夜まで全力で扱き倒すなんて所業を出来る筈がない」

「げほっ」

 思った以上に自身の状況をよく理解していたらしい婚約者の話に相槌を打ちながら聞いていたゾフィーだったが、“愛情”の部分で思わず咽てしまう。

 本当に、この人は、どうしてこうもバカ正直なのか――。

 彼の兄曰く、“勉強の出来る猪突猛進バカ”の素直すぎる言動には、出会って十年経った今でも振り回されてしまう。

 それを悟られぬよう小さく深呼吸をしてから、アルベルトに話の続きを促す。


「これまで努力し続けた人生に疑問も後悔も無い――なのにレベッカ嬢の言葉を聞いて、初めて心がグラついてしまった。努力しなくても、このままの自分でもいいのか?って……つまり俺は、グラついてる事がショックなんだ」

「……なるほど」

「だからゾフィーに殴ってもらって正気を取り戻したい」

「前言やっぱり撤回します」

 “調子の悪い魔法回路は叩けば直る”に近い発想なのだろうが、そもそもその発想自体どんだけ古いと思っているのだと指摘すると、アルベルトは再びシュンと項垂れる。


「しかしまあ、見事にアイデンティティが迷子になってますね。貴方は自分の持つ自分らしさって何だと思ってますか?」

「……猪突猛進バカ正直で、クソ真面目で要領が悪い」

 見事にネガティブ全開の答えに深刻だなぁ、と思いながらゾフィーは続ける。

「家族が大好きで、この国が好きで、だからこれまで切磋琢磨してきたんでしょう」

「――あ、」

「目的を見失っちゃ駄目でしょ、このおバカさん」

「……そうか。そうだな、そうだよな」

 ようやく霧が晴れた様な表情になったアルベルトに、ゾフィーがそっと手を差し伸べる。

「それじゃあ行きましょうか――保健室に」

「は?」

 少女の滅多に見れない柔らかな笑顔に心が解れかけたその瞬間、彼女の口から出た言葉にアルベルトは硬直する。


「だいたいそんな高等な弱体効果(デバフ)、素人が殴った程度で治る訳がないじゃないですか」

「な」

「この学園の保健医はその辺も対応出来る人なので安心して良いですよ」

「いや、デバフってどう言う事だよゾフィー!?」

 自分の身に起きていた事態を飲み込めないアルベルトに、ゾフィーは「ああ……」と補足する。


彼女(レベッカ)、某国のスパイなんですよ」


◆ ◆ ◆


 学園の保健医エルンストの治療は、驚くほど卒なく完璧だった。

 ふと、どこかで見た事のある顔だと思ったが、今はそれよりも目の前にいるゾフィーに今日の失態をどう釈明するべきかが重要で、すぐにその考えは霧散した。

 ――ゾフィーはかつて騎士をしていた母の親戚筋の娘で、これまでもアルベルトが知らない所で両親や兄の“表向きは出来ない依頼”をこなす事が多々あった。

 そんな彼女に少しでも早く追いついて、自分にも手伝わせて欲しいと長いこと努力してきた筈なのに、未だこの様だ。

 なかなかどうして、上手くいかない。


「そりゃあ、私は貴方のお母様と同じく生まれた時から鍛えられてきましたし、今でも努力は惜しんでませんから。そんな簡単に追い抜かれたら堪ったもんじゃないですよ」

「う……」

「――なんて。本当はここ数年ずっといっぱいいっぱいでしたよ……今回、貴方に危害が加えられたのは私の落ち度です。謝って済む問題ではありませんが、申し訳ありませんでした」

「待て!それこそ俺が誰彼構わず交流していたのが原因で」

「その是非を選別して進言するのも私の仕事です」

 “仕事”。

 その単語を発した途端に強張ったアルベルトの表情を見て、ゾフィーは己の失言に気付いた。

「ゾフィーにとって、俺との関係もただの“仕事”なのか?」

「……それは」

「俺はお前が好きだ」

 途方に暮れるアルベルトの紺碧の瞳は、しかし逸らさずゾフィーを貫いている。

「世間は政略だなんだ煩いが、うちの家族はその辺も寛容なのは知ってるだろう。けど、お前はそうじゃないって事なのか?」

 それは正式に出会ってこの十年、一度もハッキリさせた事のない話だった。

 まさか今、このタイミングで話題に上がるなんて、そんな。

 ゾフィーは生涯が終わるまでには、と思っていた覚悟をまさにこの瞬間、求められていた。


「答えてくれ、ゾフィー・シュトラウス」

「……」


 ――あるところに呆れるほど素直で真面目で努力家の王子様がいました。

 ゾフィーに負けっぱなしの彼だけど、実はそんな彼の実直な瞳の前で私は嘘をつく事も、取り繕う事も上手くいかない。


「私も、まだ精進が足りないな」

「ゾフィー?」

 怪訝そうに覗き込むアルベルトに、ゾフィーは逸らしていた瞳を合わせる。

「……私は、貴方ほど素直じゃないんです。でも私がこれまでも、これからも“仕事”に身を賭すのは、それは」

「それは?」

「それは――」

 じわじわと熱が上がる。

 普段、冷静であろうと努めているほど、こういう熱には慣れてない。

 思わず潤んだゾフィーの瞳に、アルベルトが息を呑む。

 この時点で既に答えは出たも同然だったが――

「あの、僕たちが居る事も忘れないでもらえませんか」

「ちょっと先生、何でこのタイミングで割り込むのよ――!」

 残念ながら保健室には、保健医のエルンストと教師のエミリーも居たのだった。


◆ ◆ ◆


 後に保健医のエルンストは語る。

「あのクソ恥ずかしい告白大会に最後まで立ち会ったら、将来的に僕達は彼らの関係を証明する立場になりそうで面倒だった」

「面倒ってそんな」

 恋人の身も蓋も無い発言にエミリーは嘆息する。

 しかし、エルンストの話は尤もでもあった。

 学園の長を勤める男の身内と言うだけで、常にこの恋人は様々なものを抱えているのだ。


「今回の件も何とか解決出来て良かったわね」

「ああ。とはいえ前哨戦らしいから面倒くさいのはこれからなんだろうけど」

 それは一先ず置いておくとして、と自分でいれたお茶を差し出しながらエルンストはエミリーをじっと見つめる。

「……どうしたの?」

「いや、貴女といいあのバカ王子といい、その生真面目素直っぷりでよく五体満足に生きて来れたなと」

 薄く笑われたエミリーはムム、と眉間に皺を寄せる。

「それって褒めてないわよね」

「褒めてるよ。だから僕や彼女はこうして、バカみたいに身を賭したくなってしまうんだ」

 何に、とはエミリーは聞かない。

 きっと恐らく、アルベルトもそうなっていくのだろう。

 素直じゃないと自負する彼らの、一見分かりにくい献身は痛いほどよく分かっている。

「私だって、貴方の力になりたい」

「充分なってる」

「それでも、もっと、まだまだ足りないって思うのよ」

 そんなバカがつくほど真面目な恋人に、エルンストは欲張りだな、と苦笑した。


◆ ◆ ◆


「どうか俺を殴ってくれ」

「殴っても時は戻らないので却下」


 保健室からの帰り道。

 ゾフィーしかまだ知らないが、割と親戚に近い立ち位置の顔見知りに見せてしまったあれそれに拗ねてしまった彼女の機嫌を取ろうとアルベルトは随分苦心していた。

「次からは人目の無いところで迫ることにする」

「断固拒否します!」

 だからどうしてそう言う発想になるのだと勢いのまま振り返ると、一瞬目を見開いたアルベルトは、時間を置いて一人納得したように頷いた。

「ゾフィーお前、可愛いな」

「は!?」

「だって顔が、耳まで真っ赤だ」

 そうして嬉しそうに笑うアルベルトにゾフィーの体温は沸騰寸前まで上り詰める。

「これは夕日のせいです!」

「日没寸前なんだか」

「そう言う事にしといて下さい!」

 そうして可笑しくて堪らないと言わんばかりに腹を抱えだす婚約者を置いてゾフィーは歩くスピードを上げる。

 熱を冷まそうと空を見上げると、流星が煌きながら二人の行き先に降り注いでいた。


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