08『配役』
はあ、とため息をつき、薄笑いを浮かべて瀬名川は両手を挙げた。
「何もかもバレてしまいましたね。正直先輩のこと、見直しました。そうです。俺がやりました。……全部、藤島をモノにするためにね」
そして彼はちらりと真理江に視線を向ける。
「いくらなんでもやりすぎじゃないかしら……?」
真理江は、向けられた視線を若干非難のこもった眼差しで返すと、瀬名川は苦笑して肩をすくめた。
「悪かったよ。藤島は男友達もいなくてガードが固そうだったから、ちょっと脅かして俺が頼りになる男だってアピールした方がいいと思ったのさ。山内にも相談してちょっと協力してもらったけど」
いろいろと腑に落ちないが、瀬名川の弁解には筋が通っていた。何かを言い返したいが、言い返す隙がなく、言い返したい欲求をまるごと飲み込む。
さらに瀬名川は、元の爽やかな微笑と、真摯な目を真理江に向けて言った。
「つまり、俺はそれだけ君のことが好きになってたのさ。ほら『追い掛け狸』の話にもあったでしょ? あの百姓みたいに、一途なあまりにやりすぎてしまうくらいに」
真理江は思い出した。あまりに惚れてしまったために、その娘のために庄屋の金を盗み、罪に問われ、化け狸になってまで、まだ娘に会いに来た百姓の話を。
彼がやったことも同じなのだろうか。
「嘘だね」
改めてなされた瀬名川の告白を、千鶴はぴしゃりと切って捨てた。
「……どういうことですか? 俺の言葉がどうして嘘だと?」
「僕は言ったよね? 懐中電灯のトリック以前に、僕は“あること”から君を最初から疑ってたって」
「……言ってましたね。そういえば」
それが何か? と言いたげに瀬名川は眉をひそめる。
「僕は雛子ちゃんから聞いてるんだ。瀬名川君が藤島さんに“追い掛け狸”のことをどう話したか。君ならこれで分かるはずだ」
「うっ……!」
瀬名川が明らかな動揺を示すのをみて、真理江は改めて千鶴に尋ねた。
「どういうことですか?」
「藤島さんは“追い掛け狸”のことを化け狸になるくらい一途に野心家の娘を好いていた百姓の話だって瀬名川君から聞いてるでしょう?」
「……違うんですか?」
「うん。君に聞いた話は後半からほとんど瀬名川君が創作してたんだ」
本当の話はこんなのだよ、と千鶴は平吉を陥れ、庄屋の息子との結婚を果たした野心家の娘・お園が一度目に狸を見たところから話して聞かせた。
* * *
それは、八月の夏真っ盛りの時節、自分がこの生活を手に入れてから丁度一年が経とうとしている頃だった。
夕涼みに散歩に出たお園はここ一月ほどなかった例の視線を背後に感じた。それはいつもよりも強く、ねばりつくような視線だった。
何度もこの視線にさらされていい加減に振り返らないことを憶えたお園だったが、ぞくりと背中を走った悪寒に思わず後ろを振り向いてしまった。
そこにいたのは狸だった。
明らかにただの獣ではない。二本の足で立って歩き、旅人のような三度笠をかぶっている。
そして、小脇に抱えた袋の中にはギッシリと金の小判が詰まっていた。
狸はお園に尋ねた。
――金、持ってきた。たくさん、持ってきた。
――欲しいか、欲しいか?
お園は何も答えられなかった。すると、すーっ、とその狸の姿は消えていき、やがて何事もなかったかのように、涼しい夜風がお園の姿を通り過ぎて行った。
それから、狸は何度もお園の前に姿を現しては「金を持ってきた。欲しいか?」と聞いて消えていく。
正直、お園はもうその狸を恐ろしいと思わなくなっていた。むしろ気になるのは日に日に増える、狸の抱える小判である。一見する限りでは千両……いや、千五百両は堅い。
金銭面で何不自由ない暮らしをしていたお園だったが、やはり嫁入りの身、家の金を自由に使えるわけではない。嫁という立場も少し窮屈に感じていた。好き勝手に金を使って贅沢に暮らしたい。
明らかに妖の類であるあの狸から金を受け取ってしまえば何か良くないことが起きることは容易に想像できた。だが、あの金は欲しい。ついでにあの狸も始末したい。
そこはかつて自分に付きまとっていた平吉を始末し、同時に庄屋の嫁の座を得たお園の悪知恵の働かせどころだった。
お園は、まず、魔を払う霊能者を探した。ようやく見つけた霊能者に対して、お園はこう持ちかけた。
あの狸を退治して欲しい。その狸は何千両も金を持っている。お礼はそのうちの半分でどうだろう、と。
取り分が目減りするのは歓迎できないが、それでも退治すればあの狸はいなくなるし、何かたたりがあるとすれば退治した霊能者のほうに行くに違いない。お園的には何の危険もなく大金を得ることができる。
結果的にお園の計画は成功し、霊能者に狸を払ってもらい、狸の持っていた小判は霊能者とお園で山分けできた。取り分は半分になったものの、それでも千両もの大金だ。
だが、うまく行ったのはそこまでだった。
家に戻ろうとすると、何人もの十手持ちに囲まれて、捕縛されてしまったのである。
何事かと混乱していると、そこに彼女の夫である庄屋の長男が現れて言った。店から二千両を盗まれた、と。そして何者かによって奉行所に「庄屋の嫁が二千両持って逐電するらしい」との密告があったらしい。
つまり、お園は二千両の強奪犯として捕まったのである。
むろん、お裁きの場で、お園は必死で抗弁した。化け狸に遭ったこと。霊能者を雇ったことなど今までの経緯を話したのだ。しかし狸の話などだれも信じるはずもない。嘘を突くべきかもしれなかったが、なぜかお園は狸の件に関して何の隠しだてもすることはできなかった。
そしてついにお園は二千両の強奪犯として投獄され、百叩きの刑に遭った末に、島流しに処せられることとなった。見覚えのあるお裁きにだれしもが思い当っただろう。同じく二千両を盗み、遠島申しつけられた百姓の姿に。
そして、その思いは一気に強まることとなる。
お園の載った島流しの船は、その途中で不意に高波に襲われたのである。目的の島に近かったこともあり、数多く乗っていた人間は多くが命からがら岸にたどり着いたが、お園だけは遺体すら見つからなかった。
その高波は全くの不意打ちで、海を熟知した船頭でさえも予測できなかった。
ただ、この証言だけはみんな口をそろえていた。
「波が来る直前、船の舳先に二本足で立った狸がいた」と。
* * *
「とまあ、こんな感じでね。よくある欲深い人物が報いを受ける類の昔話なんだ」
いつもの真理江なら怖がってしまう類の話であったが、今回は怖がるよりも感心してしまった。違っているのは後半だけなのに、全く違った話になってしまっているからだ。
だがふと疑問に思った。
「あの、それが何を意味するんですか……?」
瀬名川がどうやら本来の話を捻じ曲げて自分に伝えていたらしいことは分かった。だが、それがなぜなのかが分からない。
「藤島さんに気付かれたくなかったんだろうね。自分の本来の目的を」
「……?」
やはり分からない。だが瀬名川は一瞬取り戻した爽やかな表情を失い、先ほどまでの通り、苦々しい顔で目をそむけている。
「今回の事件は、“追い掛け狸”の話と繋がるところがたくさんある。実際、瀬名川君は自分を慕うあまりに悪いことまでしてしまった百姓の平吉に自分を置き換えてる」
庄屋から金を盗んだりしているものの、平吉の目的は一貫して自分の惚れた娘・お園だった。だから、瀬名川も悪戯をしてまで真理江の気を引いた自分を平吉に置き換えたのだ。
「けど、本当の“追い掛け狸”は、今話した通り全く違う話で、どこまでも欲深く、祟りを退魔師に押しつけてまで化け狸の持っているお金まで奪いに行く話になってる。つまりこちらは主人公はお園の方で、彼女が一途な求めているのは、何だろう?」
千鶴は問いかけたが、全員が口をつぐんだままだった。だが答えは明白であり、心の中で返した答えはみんな同じだろう。
それが当然というように千鶴は少しの間をおいた後、話題を変えて話し始めた。
「僕は、今回の事件は偶然か必然か“追い掛け狸”をなぞるものだと思ってる。でも、瀬名川君が言ったのとは“配役”は全く違う」
どちらかと言えば、“一途過ぎた百姓の平吉”は、友達である真理江をある意味裏切る形で瀬名川君の計画に加担した山内紀子である。そこまで彼女を瀬名川に従わせるだけのなにかが瀬名川と紀子の間にはあったのだろう。それは、あの強気な紀子が瀬名川の詰問に一切抗弁できなかった様子からもうかがえる。
そして、千鶴は雛子から藤島真理江の実家は裕福な家庭であることを聞いている。ならば真理江は狙われる側の“庄屋の長男”のほうがしっくりくる。
そして、残る一つのメインキャスト――
「――瀬名川君、君の本当の配役は“平吉”を利用し“庄屋の長男”に取り入ろうとした人物“野心家のお園”。つまり、君の目的は“お金”だったんだ」
瀬名川は気付いていたのだろう、本来の“追い掛け狸”のキャストが、これからの自分たちとあまりにもそっくりなことに。そして、それを隠すために、金に執着するお園からお園に執着する平吉に焦点を移し換えた嘘の物語を用意した。
「そもそもが、ただ女の子を口説き落とすにしては回りくどすぎるんだよね」
今回、瀬名川が行ったことは恐ろしく手が込んでいる。“追い掛け狸”の仕掛けを作り、嘘の話も拵え、紀子という協力者まで動員して真理江を脅かして、それを自分で解決する狂言までしているのだ。
とても真理江に自分が誠実で頼りになる男であることをアピールするためだけとは思えない。
「山内さんをみて思ったんだけど、君は人を支配するのが好きだよね」
どういう経緯を辿ってのことなのかは分からないが、紀子は剣道部で一番仲の良い真理江を、瀬名川のために騙すことまでした。あまり言い方はよくないが“よく躾が行き届いている”と言っていい。
「だから、今回の回りくどい行動も藤島さんを支配するためだったんじゃないか、と僕は思ってる」
真理江を怖がらせている“追い掛け狸”、それから真理江を守るために毎晩彼女をわざわざ家まで送り届け、そして解決をして真理江を守ってやる。そうすることで真理江は瀬名川を頼もしく感じ、恩義と負い目を感じる。その時、瀬名川と真理恵のヒエラルキーは瀬名川のほうが上になるだろう。
そういう状況を作ることで、あとで金を借りたりしやすくするというわけだ。
「あるいは、学生起業とかなんとか言って、藤島さんの実家からお金を引き出そうとしたかもしれないけどね」
「こ、こじつけじゃないですか。人聞きの悪い……人をまるで詐欺師みたいに。僕は、純粋に藤島に振り向いてもらいたくて……」
「純粋に、ね」
いつもにこやかな笑顔を浮かべる千鶴にしては、珍しく、本当に珍しく軽蔑を感じられる皮肉げな笑みを口元に浮かべると、ちらりと紀子と真理江に視線を流していった。
「僕は、君が勉強熱心で優秀な学生だと思ってるよ。でも、男としての君は信用できるものじゃないと思ってる。結構頻繁に電話で話してたり、会話に出てくる女の子の名前が変わってたからね。何なら、今までの君の女性遍歴、全部調べてみようか? それらの女の子達に君がいったい何をしたのかもね」
「……!」
これは半分千鶴のカマ掛けに近い物言いだったが、どうやら後ろ暗いところがあるらしい。瀬名川は明らかな動揺を見せると、黙り込んでしまった。
「瀬名川君。今回の藤島さんの件に関してやったことはただの悪戯だ。驚いただけで損害は出てないからね。警察に駆け込んだところで、何の罪にも問われないと思うよ。……でも、今、藤島さんが君を見ている目を見てみてほしい」
千鶴の言葉に、瀬名川は俯けていた顔を挙げて真理江を見た。昨日まで真理江が瀬名川を見る目は一人の男として完全に信頼しきっている目だった。だが、今はどうだろう、彼を見る目に歓びはなく、怒り、悔しさといった暗い感情と不信感に満ちた目だった。
それは真理江だけではない。千鶴も、雛子も同じだ。そして、紀子でさえ瀬名川と目を合わせようとしなかった。
「これが、君が今回やったことで失ったものだよ」
「くっ……!」
瀬名川は、苦り切った顔で立ち上がると、つかつかと教室の外に出て行こうとする。しかし、出口の前でぴたりと歩を止めると、千鶴に聞いた。
「一つ、聞いていいですか?」
千鶴は、どうぞ、手を差し出して、先を促した。
「昨日の夜、俺たちが見た“追い掛け狸”は何だったんですか?」
千鶴の説明では“追い掛け狸”は懐中電灯を使った簡単な仕掛けだった。だが、昨日の“追い掛け狸”はそれでは説明がつかない。映像を投影する光源の場所には誰もいなかったのだから。
「ああ、アレね。……実は本物の“追い掛け狸”なんだ」
「……は?」
予想外の答えに、瀬名川の目が驚愕に丸くなる。
「僕、割と妖怪変化とか見えちゃう体質でね。コミュニケーションもとれるんだ。だからちょっとお願いして出てもらったんだよ」
千鶴はあくまでも真顔である。先ほどトリックを解き明かしたときと同じように、その言葉は妙に真実味を帯びて響いた。
「嘘だッ! そんなことあるはずないだろ!? 現実的じゃない!」
やはり瀬名川も本気と捉えたのだろう、やや声を荒げて否定する。だが、そんな彼に対して、千鶴はふっと薄く笑って返した。
「現実的じゃない? 現代でも解明されていない不思議なことはいくらでもあるさ。それは民俗学を勉強してる君は、よく知ってることじゃないのかい?」
民俗学の研究対象には、古くから伝わる伝承だけではなく、現在進行形の都市伝説も取り扱う。そして、実際に起きていながら、オチもつかず、その真相が明らかにされていない不可思議な事象も少なくないのは事実だ。
「嘘だというなら、君が証明すればいいんだ。あの時、誰が、どのようにしてあの“追い掛け狸”現象を起こしたのか」
否定に対する千鶴の反論は、主張が滅茶苦茶な割に正論だ。瀬名川は二の句が継げない。
さらに、とどめを差すように続けた。
「………」
彼は、口を開き、まだ何かを言い返しかけたが、結局言葉が見つからなかったらしく、荒々しく足音を立てて教室を出て行ってしまった。
直後、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。




