CHAPTER2 第三話
「えっと……爽兄の先生?」
「そうだ。ついでに一昨年、三年だった渡も俺の生徒だ」
「その節はお世話になりました」
久々の再開に、一瞬目を丸めながらも、恩師との再会に決まり切った文句を兄さんは言い放った。
兄さんも、俺も、兄弟揃って担任に持った先生をじぃっと、穴が開くほど眺めてアルトは観察する。
この頃、俺は少し嫌な予感がした。いつもの、アルトの持っている性癖の中で唯一厄介なものを。
そして、その嫌な予想は虫の知らせのような気がした。かと思うと、興奮した声でアルトは大きな声を放った。
「爽兄と渡くんの先生!? だったら放っておけないよ。ねぇねぇ、僕が高校に入ったら僕の担任になってよ」
この状況で、この小さな少年は何を言っているんだ、と足尾先生が丸くした目から出る視線で問い掛けてきた。
が、そんなもの俺にだって分かる筈がないと、俺と兄さんは素知らぬふりをしてみせた。
とりあえず、先生の意見には同感だ、自分の家は当然、家族もご近所さんも、その家も、全て壊されるようなシリアスな場面で、なぜこいつはこんなにも切羽詰まって高校の話をしているのか。
まあ、さすがに十年近くも一緒に過ごしていれば、聞かずともその理由は、あっさりと、しかも簡単に分かっていた。
俺や兄さんと少しでも違うことをしたり、離れ離れになってしまったとしよう、すると、アルトにとっては生命の危機並に大問題なのだ。
「でも……先生は、能力者で、お前も能力者だ」
「それがどうしたの? お互いに戦いたくないって思ったらそこで競技会<コンテスト>は終わりなんだよ」
先ほど、兄さんが回想の中でメルトという能力者に問い掛けた質問を、アルトも同様にしたらしく、あっさりと自分達は戦わなくて良いと言ってみせた。
しかし、悲しいことにその提案は、先生が戦わないという選択肢を取らない限りは不可能な話だ。
とは言え、この先生の性格だ、生徒に手をかけるような真似はきっとしないだろう。
ここに来たのも俺や兄さんが住んでいるって、家庭訪問とかで知っていたから通りぎわに寄ったのだろう。
それに、先生の事だ。本当に最初から殺そうと思っているなら絶対にその姿は見せないだろう。
隠れた所から隙を窺い、決定的なチャンスで動き、アルトや兄さんに手をくだすなんて事も、先生ならば大いに可能だ。
「まあ、恐れるような人じゃなくて、味方だっていうのはもう“予知した(みた)”から安心だね」
結局、見て話を聞いて、俺や兄さんの担任だと知っただけでは足尾先生が善なのか悪なのか測りかねたアルトは能力を使った模様だ。
しかし、アルトの力で見ることができるのは未来だけであり、その人の心の中などは到底見えない。
それなのに、未来を見て足尾先生が敵ではないと判断できたとすると、見えた未来の中でも考えられるパターンは二通り。
一つ目は、この次の瞬間どころか、数時間後、ないしは数日後に俺たちが生き残っている未来だ。
数時間の後に生き残っているならば、今、先生が俺たちを手にかけるなんてことはまず起こり得ない。
ただしこのパターンの未来が見えた際には、本当に先生は味方であると言い切れるかどうかと問われると、答えは当然ノーだ。
なぜなら、襲い掛かってきた敵である先生を迎撃したとしても、俺たちは生き残っているし、その見た未来の、さらに未来で殺される可能性もある。
そこで出てくるのが、もう一つの考え方、そういう事になるのだ。
もう一つの考え方は、先生が俺たちと共闘する場面を目にした場合だ。
敵の敵は味方の思考回路で、一時的な共闘を取っているだけかもしれないが、根本的に賢いアルトの事だ、かなり念入りにいくつもの時系列で予知したのだろう。
そのいくつもの場面全てで共に戦っていたとしたら、それは確かに味方であると断定できるだろう。まあ、そんなことしなくても俺と兄さんは疑ってなかったのだが。
「とりあえず、しばらくよろしくお願いしま……」
よろしくお願いします、そう言いながらアルトは先生の方に歩み寄っていこうとした。
瞬間、俺の脳裏に嫌な未来がよぎった。足元のおぼつかない状況で、もしも不用意に歩いたりなどしたら……。
その先の展開は天に任せた。が、それはあっさりと間違いという結論に落ち着いた。抑制すべきだった。
瓦礫が積み重なり、歩きにくく、足を取られやすいそこに、アルトは足を引っ掛けて盛大に転んだ。
より一層細かく砕かれた、もはや粉末のようなコンクリート片が、その時の風圧で宙を舞い、その場に立ち込める。
倒れこんだ本人のアルトにはかなり多い、そして正面に立つ先生には少なめの砂煙のようなそれがかかった。
言わんこっちゃないと、同時に俺と兄さんは頭を抱えて、もう一人の表情を崩した人物に目をやった。
引きつった顔からは、強い怒りとまでは言わないが、確かな苛立ちが浮かんでいたのがすぐに分かった。目尻が小刻みに震えている。
痛たた……と呟きながら、頬がコンクリートの粉をこすりつけて、真っ白になってしまったアルトが打ち付けた太股を押さえながら立ち上がる。
それでも、にこやかそうにしながら上目遣いに先生の顔を窺うと、蛇に睨み付けられた小動物のように表情が凍った。
この先の展開が大体読めている俺と兄さんの感情が溢れて、この場に立ち込める氷のような冷たさに拍車が掛かる。
肝試しの途中で、予想外の者に出会い、硬直してしまったようなアルトに、機嫌悪そうな声で、足尾先生が口を開いた。
「小僧……汚れたぞ」
「…………えっ?」
その、危ない集団をまとめるボスが放つような、重苦しく、威厳ある低い声がアルトにその鋭い目を向けた。
この人二十代のはずなのだが、妙な貫禄が出てきてしまっているため、アルトはどもりこんでしまい、問い返すこと以外ができなかった。
「お前が転んで舞った粉で……俺の服が汚れたぞ」
「…………えっ?」
「えっ、じゃねぇんだよ」
瞳孔が開ききり、完全に怒りのスイッチが入り切った先生が、凄むようにしてアルトに自分が言わんとしていることを単刀直入に伝えてみせた。
しかしそれでも、まだ呆けているアルトの胸ぐらを、重圧をかけてゆっくりと手を伸ばし、掴む。
その瞬間、アルトの顔色はこれ以上ないくらいに青白くなってしまった。
分かった人も極少数派として存在するだろうが、先生は超がついてもおかしくない潔癖症だ。
「ごめんなさい! ごめんなさい! 僕が悪かったんです!」
「分かれば良い」
イライラも募れば、結構な怒りに変わるものらしく、我を忘れかけている先生はアルトの胸倉を掴んで持ち上げた。
その剣膜は相当なもので、自由を失い、空中で足をバタバタと暴れさせながら、涙目のアルトは必死に謝る。
その姿に燃えるような怒りが大分消火されたのか、顔つきと眼光がいつも通りの優しげな表情に戻った先生は、怪我をさせないようにと、ゆっくりと地面にアルトを下ろしてやった。
ようやく地面に降り立てたアルトだが、別にトラウマを植え付けられた様子は無く、もっと異なる緊張感を抱えていた。
きょろきょろとあたりを見渡すような動作、そして普段のアルトでは感じられない、ピリピリとした緊張感。
いつ、どこから襲ってくるかも分からない猛獣に気を配る草食動物のように、絶えず神経を張り巡らせるその様子は、日常で接しているアルトでは考えられないほどに凛々しかった。
ちょっと、さっきのアルトの『先生が味方である』宣言について、掘り返してみようかと俺は考えた。
おそらくアルトは、先生と俺達が共闘する場面を見たに違いない。そしてその時は今、場所はここ、それが俺の推論だ。
そうでもない限り、アルトがここまで神経をすり減らしている訳は無いだろう。
「アルト……何人ぐらい来てるのか、視たか?」
「二人だったよ……太ったおっさんと、結構綺麗なおばさん」
その瞬間、肌を焼き焦がすような凄まじい熱気と共に、紅蓮の炎が背後で爆発した。
その光量はかなりのもので、朝、もう日も昇っているというのに、薄暗い暗室で背後から照明を点けられたようだった。
相当強力な、炎を扱う能力者、それを補足するためのアルトの言葉に、かなりの絶望感を、ほんの少しの間だけ感じることとなる。
「多分……これ、現代の“炎の画家<ファイアー・アーティスト>”だよ」




