EP 9
(ドスッ、ドサァァァッ!)
ポポロ村の広場に、重々しい音が響いた。
夕暮れの平穏な空気を引き裂くように、自警団のイグニスが血まみれの若き獣人兵を抱え込んで飛び込んできたのだ。
「誰か! キャルル村長を呼んでくれ!! 見回りの最中に、森で妙な『機械のバケモノ』に脚を食いちぎられやがった!」
広場がパニックに包まれる。
若き獣人兵の右大腿部からは、どくどくと間欠泉のように鮮血が噴き出していた。大腿動脈の損傷。このままでは数分で失血死する致命傷だ。
「ど、どいてください! 私が診ます!」
村長宅からウサギ耳を振り乱して飛び出してきたのは、キャルルだ。
だが、彼女の顔色は紙のように白い。昼間、隣村の怪我人を治療したせいで、彼女の魔力はすでに底を突いている。
「私の命を削ってでも……治さなきゃ……っ!」
キャルルが悲痛な決意と共に、血だまりの中へ両手を突き出そうとした、その時だった。
「——下がって、村長。それ以上の魔力行使は、あなたの命に関わる」
静かな、だが絶対に逆らえない重圧を持った声が響いた。
群衆をかき分けて進み出たのは、飾り気のないパーカーにジーンズ姿の青年。
普段は村で大人しくしている変わり者——中村優太だ。
「な、中村さん……? でも、このままじゃ彼が!」
優太は答えず、背負っていた異様に重いリュックをドサリと下ろした。
普段の温和な『青年の目』は、すでにそこにはない。
極限の火線下で命を繋ぎ止める、冷徹なる『戦術衛生兵の目』に切り替わっていた。
「出血点の確認。大腿動脈の完全断裂」
優太はG-SHOCKの秒針で瞬時に脈拍を測りながら、リュックから黒いベルトのような器具——『CAT(戦闘用止血帯)』を引き抜いた。
魔法の詠唱など一切ない。
獣人の太ももの付け根にベルトを回し、備え付けの棒を容赦なく、無慈悲なほど力強くねじり上げる。
「ぐぁぁぁっ!?」
「痛いだろうが、死ぬよりマシだ。我慢しろ」
(ギリリッ!)と、物理的に血管が完全に圧迫された。
先ほどまで噴き出していた致死の出血が、嘘のようにピタリと止まる。
「な、なんだと……!?」
イグニスが目を剥いた。闘気も回復魔法も使わず、ただの布と棒切れ(に見えるもの)で、致命的な出血を強制停止させたのだ。
「初期止血完了。……リアンさん!」
優太が背後を振り返る。
俺はすでに『ネット通販』のウィンドウを展開し、魔石を握りしめて待機していた。
「オーダーを言え、優太」
「『セファゾリン(抗生剤)』2グラム、『乳酸リンゲル液』、静脈確保用のルート一式。それから傷口に詰める『クイッククロット(止血ガッツェ)』。……用意できますか?」
「三秒で出す」
俺は魔石をスロットに叩き込み、空間からAmazonのロゴが入った段ボールを直接引きずり出した。
箱を開け、要求された現代医療のパッケージをそのまま優太の横へ滑らせる。
「感謝します。……これより戦術医療(TCCC)フェーズから、野戦外科処置に移行する」
優太の指先が、目にも止まらぬ速さで動いた。
止血剤を傷口の奥底まで詰め込み、手首の静脈に素早く針を刺して点滴(リンゲル液)を繋ぐ。
失われた血液のボリュームが補われ、危険領域にあった獣人の呼吸が、次第に深く、安定したものへと変わっていった。
「よし。バイタル安定。循環血液量は確保された」
血に染まった手を拭いながら、優太が小さく息を吐く。
そして、へたり込んでいるキャルルを見下ろした。
「村長。致命傷は『物理的』に塞ぎました。……あなたの残ったわずかな魔法で、表面の組織だけを結合してください。それなら負担はないはずだ」
「は、はいっ……!」
キャルルが微弱な光を放つと、パカッと開いていた傷口が綺麗に塞がった。
「……すげぇ」
イグニスが、呆然と呟いた。
「俺たちの常識じゃ、あんな傷は高位の僧侶でもなきゃ助からねぇ。それを……魔法も使わずに」
「『そなえよつねに』。ただのボーイスカウトの心得ですよ」
優太は小さく肩をすくめると、医療器具のゴミを几帳面にリュックの別ポケットへ回収した。
その顔にはもう、戦場のメシエの張り詰めた緊張感はない。
「リアンさん」
「ん? どうした」
「今日のオーダー、ついでに『ガラムマサラ』と『カルダモン』を追加できませんか。……少し血の匂いを嗅ぎすぎた。今夜は、スパイス強めのバターチキンカレーを作って落ち着きたいんです」
極限の救命劇から一転、今日の晩飯の心配。
俺は思わず吹き出しそうになるのを堪え、親指を立てた。
「任せろ。ナンも焼いてやるよ」
* * *
その夜、ポポロ村の広場には、スパイスの芳醇な香りが漂っていた。
無事に一命を取り留めた獣人兵を囲み、ちょっとした宴会が開かれている。
「はむっ……! んん〜っ! このカレー、お肉がホロホロで、スパイスが弾けますぅ!」
「優太さん、私にもおかわりください! パンの耳につけて食べると最高なんです!」
キャルルとリーザが、優太の作った特製バターチキンカレーを夢中で頬張っている。
その横で、俺と優太、そしてイグニスと力武は、少し離れた席で酒杯を交わしていた。
「……なぁ、リアン。見回り中に部下を襲ったあの『機械』なんだがよ」
イグニスが、苦い顔で切り出した。
「どうやら一匹じゃねぇ。森の奥で、何かが『巣』を作り始めてる痕跡があった」
俺と優太は顔を見合わせる。
死蟲王サルバロスの眷属、死寄生蟲型。あるいは、別の死蟲機たちか。
あれが本格的に村へ雪崩れ込んでくれば、キャルルの魔法や、俺の料理を楽しむ平穏な日常は一瞬で終わる。
「……分かった。明日、森の奥を『消毒』する」
俺はグラスを置き、静かに告げた。
横で、力武がガリッとコーヒーキャンディを噛み砕く音がした。
「予算の確保と、ルナミス帝国への偽装工作は俺にお任せを」
「負傷者が出た場合のメディカルサポートは、俺が引き受けます」
裏の経理担当(力武)と、戦術軍医(優太)。
異世界転生組の『実務部隊』の歯車が、完全に噛み合った瞬間だった。
「ふふっ。頼もしい連中だ」
俺は夜空を見上げる。
明日からは少し、血生臭い『夜の仕込み』が忙しくなりそうだ。
だが、その前に。
「よし、お前ら。カレーの後は、とっておきのコーヒーを淹れてやる。……食後の平和なひとときを、存分に味わおうぜ」
ポポロ村の夜は、まだ始まったばかりだ。




