第一章 ポポロ村の昼と夜
(ジュウウウウウウ……ッ!)
厚切りベーコンから、透き通った脂が弾ける。
フライパンの上で、心地よい音が朝の空気を震わせた。
俺、リアン・クラインは、完璧なタイミングで卵を落とす。
(パチッ、ジュワァァァ!)
白身が縁からカリッと焼け、黄身はぷっくりと半熟を保つ。
そこに、虚空から取り出した『醤油(特選)』を、一滴だけ垂らす。
焦がし醤油と豚肉の脂が混ざり合った、暴力的なまでの香り。
ここ、マンルシア大陸の辺境『ポポロ村』では、絶対に嗅げない匂いだ。
「……ふふっ。やっぱり、これだよな」
俺は、三ツ星シェフの副料理長だった前世(青田優也)の記憶を持つ。
そして今、公爵令息という面倒な地位を弟に押し付け、この村で念願のスローライフを満喫している。
それを可能にしているのが、俺のユニークスキルだ。
『ネット通販』。
魔石をポイントに換算し、前世の地球のあらゆる品物を即座に取り寄せることができる。
今使った醤油も、ゴブリンの魔石一個(銀貨2枚分)で買ったものだ。
お急ぎ便どころか、タイムラグゼロで空間から段ボール箱ごと出てくる。
控えめに言って、最高すぎる。
「クンクン……はわわっ、なんですかこの、抗えない匂いは……!」
台所の入り口から、ひょっこりと顔を出した影。
透き通るような水色の髪。
宝石のような青い瞳。
海中国家シーランの女王の娘にして、自称・絶対無敵スパチャアイドル。
リーザだ。
「おはよう、リーザ。朝飯、食うか?」
「お、おはようございますリアンさん! でも、結構です!」
リーザは、不自然なほど胸を張って断った。
その手には、大切そうに抱えられた茶色い紙袋がある。
「私には、この『パンの耳(大盛り)』と、公園で摘んだ『新鮮な雑草のサラダ』がありますから!」
「……そうか」
彼女は、極貧だった。
ルナミス帝国でポイ活や試食コーナーを極め、反復横跳びでカツ丼にありつく生粋のサバイバー。
今も、カチカチのパンの耳を、誇らしげに掲げている。
(きゅるるるるるるるるるるるぅぅぅ……)
しかし、彼女の腹の虫は、正直だった。
「あっ、違うんです! これはその、発声練習の一環で……!」
「ベーコンエッグに、焼きたての米麦草。それに、ハニーかぼちゃのポタージュもあるぞ」
「うぅっ……!」
リーザの喉が、ゴクリと大きく鳴った。
青い瞳が、フライパンの上の半熟卵に釘付けになっている。
「あ、アイドルは、施しは受けないんです! ファンの皆様に申し訳が……っ!」
「ルナミスマートの試食コーナーの新作だ。アンケートに答えてくれれば無料だよ」
「食べますぅぅぅぅぅぅぅ!!」
光の速さで、リーザが食卓の椅子に座った。
手には、どこから出したのか、しっかりとフォークとナイフが握られている。
俺は苦笑しながら、彼女の前に皿を置いた。
「熱いから、気をつけてな」
「はむっ! ……んんんんんんん!?」
リーザの目が、限界まで見開かれた。
カリッとしたベーコンの食感。
口の中でとろける、濃厚な卵の黄身。
そこに絡む、未知の調味料(醤油)の深みのある旨味。
「な、なんですかこれぇ……! パンの耳とは違う、柔らかくて、甘くて、しょっぱくて……!」
彼女の目から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「おいひぃ……おいひいですぅ……!」
「慌てなくていい。おかわりもあるから」
俺は、自分用のコーヒーを淹れながら、彼女の食べっぷりを眺める。
豆も当然、ネット通販で買った最高級のブルーマウンテンだ。
「リアンさん、神様です! 一生ついていきます!」
「大げさだな」
窓の外には、のどかなポポロ村の風景が広がっている。
鳥が鳴き、村人たちが畑に出る準備をしている。
平和だ。
俺が求めていたのは、こういう何気ない日常なんだ。
誰にも縛られず。
美味い飯を食い。
気のいい隣人たちと笑い合う。
「……ふふっ」
俺は、コーヒーの芳醇な香りを楽しみながら、小さく息を吐いた。
この平穏な日常を壊そうとする奴は。
俺が裏で、全て『排除』する。
夜の暗殺者の顔を、今は心の奥底に隠して。
俺は、極上の朝食を口に運んだ。




