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刺客のこだわり  作者: 実茂 譲
サキの滋味
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32/51

エイウェン家のちぎり麦 一

 ビン州の最後の関所を抜け、ターメ州へ入ると、しばらくして道に迷った。

 芸を仕込んだ熊を連れた男が言うには、関所から一刻も街道を歩けば、オレアホンという町に入る、そこから北へ進めば、サガメ河にかかるスヌラ橋が見えるから、そこで渡河するのが一番の近道らしいが、もう一刻半歩いても、町らしいものは見えなかった。

 ひょっとすると、オレアホンという町は芥子粒みたいに小さくて、わたしたちは気づかないうちに踏み潰しているのかもしれない。


 いま、歩いている道は視界が葦でふさがれて、沼トカゲの水音のする土地を伸びていた。どこも同じに見え、堂々巡りをするようになった。

 人にたずねるという手もあるのだけど、人がいなかった。

 沼地の上に土手がある。その道を右へ左へと引き回されるように歩いていくと、家を見つけた。

 小屋が土手から滑り落ちそうなくらい傾いて立っていた。毛の密集した腕を持つ男が葦を力ずくで煉瓦のように固い束にしては家の土台の下に突っ込んだ。家がこれ以上滑り落ちるのを防ごうとしているらしい。

「すまない。オレアホンはこの道で合っているか」

 男はこちらを見ないで、葦の束をある方角へ向けると、その束を土台の下に突っ込んだ。

 わたしたちはしばらく、正しい(と葦束の男が思っている)道を歩いた。

 水が腐った葉の厚みに吸い尽くされた。葦が消えると、赤く色づいた灌木と背の高い林が入り組んだ場所に出た。野宿になりそうなので、枯れた枝を集めながら歩いた。

 サクランボに似ているけど食べると、ひどく苦い実をつけた木のそばに小さな酒場のようなものがあった。丸太でできていて、道に向いたほうに壁がなく、卓も腰かけもなかった。土床で焚いた火に鍋がかかっている。

 店主らしい男がひとり、なめしていない鹿皮の上衣を肩にかけた男がふたり。壁に弓がかけてあった。木以外の材料を使わない、見たこともない大きな弓だった。

 わたしたちはたずねた。

「オレアホンはこの道で合っているか?」

 三人はじっと睨むだけで何も言わなかった。

 どうも気に入らないので、投げるのに手ごろな大きさの石を拾っておいた。

 通り過ぎて、八歩と歩かないうちに、矢が飛んできた。矢はヒュンガの足元に刺さっていた。

 振り向くと、鹿皮の男がふたり、にやにや笑っていた。

 わたしが石をヒュンガに渡すと、ヒュンガの腕が鞭のようにしなって、石は弓を持っていた男の胸にぶつかった。男はひっくり返って、両足をそろえて空に伸ばした。

 残りふたりを倒すのは特筆するほどのことはなかった。

 ヒュンガは店主の胸を足で踏みつけ、オレアホンへ行くための道をきいた。もし噓だったら、必ず戻ってきて殺すと脅すことも忘れなかった。

 わたしは小屋の隅にある、調理場ということになっているらしいところを調べた。燃え尽きて白くなった小枝と泥炭。木の皿。土にはめ込まれた酒甕。鍋のなかには獣骨と煮崩れた根菜。煮汁は臭みがひどかった。

 弩の矢を入れたりするのに使う袋があったのでなかを見ると、焼き干ししたドジョウが詰まっていた。



 このあたりに住む人間は牢屋に閉じ込められているようなものだった。

 隣近所というものがなく、年に数回やってくる行商人くらいしか他人が存在しない。

 オレアホンに着けないまま、道から降りた先の川辺で、野宿の準備を始めた。

 まず、手に入れた焼き干しドジョウを水を張った鍋につけておく。具はどうしようかと考えると、

「おれが森に行ってこよう」

「……うん」

 首から袋を下げたヒュンガが森に分け入った。

 ドジョウを水に漬けているあいだ、枯れ葉でふたり分の寝床を作った。ヒュンガは野鳥の卵とゴボウ、不揃いな球根を持ち帰ってきた。

「使えるか?」

「まあまあ」

「そうか」

 ヒュンガが、ふ、と笑った。

「おれは料理は葱の羹くらいしかできないからな。少しでも手伝えてよかった」

 わたしたちは相棒だ。

 道中集めた枯れ枝でドジョウを煮て、出汁を取って、塩を振り、ひしおを少々、ドジョウはそのまま煮続けた。ヒュンガが念入りに洗って泥を落としたゴボウと球根を適当な大きさに切ってくわえ、灰汁を取りつつ煮立ったら、野鳥の卵でとじる。

 出来上がりだ。

 世のなかには何でもかんでも食材は新鮮なほうがよいと信じる人間がいる。その手の人間はドジョウを生きたまま煮る。出来上がりはぶよぶよしたものになるが、それは譲る。魚を干すのは保存のためでもあるが、水気を飛ばして、旨味を濃いものにするという理由もあるのだ。だが、それは譲る。では、生き茹での刑の盲信者たちの何が問題かというと、泥抜きをしないところだ。

 これは鯉やウナギでもそうなのだけど、これらの魚は泥臭い。だから、水に入れて、一週間、餌を与えずに飼育して、泥を抜かないといけない。

 ところが、盲信者たちはそんなことをすると、魚の旨味と脂が落ちるという。そもそも魚の旨味はその魚が生まれてから体に貯め続けたものの集大成で、たかだか数日餌を抜いたくらいで消えたりしない。脂を貯めるのだって厳しい冬を丸々使っているのだから、同じ理屈だ。

 これがわからない調理人が実在しているというのだから、驚きだ。

 ヒュンガは鍋から木さじで卵のからんだドジョウの小さいのを口にした。ほとんど食べ終わってから、言った。

「だいぶ前、これと同じものをそれなりの店で食べたことがある」

「うん」

 つまり、仕事の一環、標的を尾行しているうちに立ち寄った店だろう。ヒュンガが葱の羹以外のものをそれなりの店で食べる理由は他に思いつかない。

 さっきいろいろ言ったけど、やはり本職にはかなわないか。

 何も言わないあいだ、岸を絞った川が浅瀬を洗う音だけがする。

「おれは」と、しばらくしてヒュンガが口をひらいた。「お前が作ったほうが好きだ」

「……本当に?」

「ああ」

 ヒュンガは少し困った顔をして、つけ加えた。

「もっとも、おれの舌なんてあてにならないが」

「そんなこと、ない……」

「そうか」

「うん。そう」



 いい雰囲気になったとき、邪魔が入った。

「おーい」

 見ると、オレアホンがあると思われる方向からひとり、体つきのがっしりした男が手をふっていた。

 こちらは風上だから、気配が流れていったのだろう。

「そのドジョウは焼き干しかい?」

 流れたのはドジョウのにおいだった。

 その男は弓と矢筒を肩からかけていたが、獲ったはずの水鳥やウサギがない。

 下手な猟師は体つきこそ大男だったが、髭にも髪にもだいぶ白いものが混じっていた。左足を少しひいていたが、それ以外はすこぶる健康そうだ。

「見ての通り。今日は散々でな。水にはまるし、狼に獲物を横取りされるし。こんな大きなウサギをだぞ」

 そう言って、盗られたウサギの大きさを両腕を開いて示してみたが、それが本当ならむしろウサギが狼を食い殺してもおかしくない。

 この下手な猟師は何が目的なのだろう。わたしたちは鳥肉獣肉の類は持ち合わせていない。

「そのドジョウを分けてくれんか。もちろんタダでとは言いたくないが、あいにく持ち合わせがない」

「家に泊めてもらえないか。食事はいらない。もう食べた」

 ヒュンガが言った。

「そいつぁ、でも、うーん」

 下手な猟師は渋った。家に泊めるのが嫌な理由があるみたいに。

 わたしたちが盗賊か何かの仲間に見えているようではない。それなら、ハナから話しかけてこない。

「別に部屋も布団もいらない。ただ、よりかかる柱か壁、それと屋根があればいいから」

「いや。そういう、わけじゃないんだが……よし、もう口がドジョウを食う口になっちまった。うちに泊まってくれ。ああ、自己紹介が遅れたな。わしはトゥキ。氏族の名乗りはエイウェンだ」

 川原から道へ戻り、しばらく歩いた。薄暗くなったころになって、家が見えてきた。

 トゥキの家は板づくりの茅葺屋根かやぶきやねだったが、見た目は檜皮葺ひわだぶきで通るくらい重々しい厚さがあった。

「さあ、狭いながらも楽しい我が家だ」

 灯の漏れる戸を引いて家に入ると、トゥキが戸口で立ち止まった。

 そこではトゥキほどではないが、背の高い男がいて、塩漬け豚肉を薄く切っているところだった。男は手を止めて、トゥキに笑いかけた。

「親父、お客かい?」

「ああ、焼き干しのドジョウをくれるって言うんでな」

 トゥキの口調は優しかった。そして、ゆっくり、野生動物を刺激しないのに似た動きをした。そこには何か、断固とした様子、絶対に譲れないものを見てしまったような固さがあった。

「こちらの人たちはもう夕飯は食っちまっているが、でも、わしらが目の前で食っていたら、軽くでもいいから食いたくなるだろう。だから、お前、麦の粉を持ってきてくれんか?」

「もちろんだよ、親父」

「ついでに我が家の屋根の次に立派な地下倉をお見せしな」

「おれもそうしたいと思ってたところさ」

 息子は包丁を置いた。

 そのあいだ、ずっとトゥキは包丁から目を離さなかった。

 刃物があるとき、そういう目をする人は見たことがある。

 たいがいは剣客か刺客。

 ただ、トゥキの目はそのどちらのものでもない。

 どちらでもない何か。

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