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刺客のこだわり  作者: 実茂 譲
サキの滋味
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30/51

船大工の焼き魚 一

 笠の縁に赤いトンボが止まっている。

 体は赤いのに羽根は虹を薄く切ったように見える。

 ここはこの世のトンボを集めたようになっていた。トンボの羹のなかを歩いているようだ。そんなものがあればの話だけど。

 トンボが羽を休めるススキが原に広がっていて、丘を上って、木立の向こうも覆い尽くしていく。

「また来るな……」

 ヒュンガが笠の端を少し上げ、行く手の、北西の道を睨んでいる。

 わたしたちはススキのなかに分け入って、身を潜めた。

 まもなく、勾配のある土地から馬に乗った一団があらわれた。

 手に槍、刀。大きな弩を背負っているものもいた。荷馬車には城攻めの際につかう大きな木の盾が積んである。

 盗賊にしては身ぎれいで、官軍にしては殺気が足りない(官軍は往々にして、盗賊の十倍は殺気に満ちているものだ。そうでなければ、官軍にはなれない)。

 騎馬の一団は通り過ぎて、土地の起伏の向こうに消えていった。

 こんな騎馬隊が何度か、正午を越えないうちからこの道を行き来している。

「どのみち、おれたちに友好的とは思えない」

 だから、わたしたちは隠れている。

 敵味方わからない騎馬隊にその身をさらして、無事でいられると考えるほど、わたしたちはおめでたくない。

 また、道へ戻る。

 騎馬隊がやってくるまで、速めに歩を進めた。


 道が少し膨らんで空き地になった。ススキと道の境に平らな大石があったので、そこに座った。

 麦の粉に水と塩を混ぜて、ほどよく粘るまで練り、丸く薄くして鍋に貼りつけて焼く。火が入ると、それを鍋から降ろした。

 さて、中身の準備。

 油紙で念入りに包んだなかから、前の町で買った鶏の水煮を取り出して、山椒と塩をかけ、同じく前の町で買った、塩で絞った菜と合わせ、これを焼いた麦で巻く。

 ススキしか見えない街道で食べられる最高の昼食と自負している。

「うん。うまい。ただ……」

「ただ?」

「旅でうまいものが常に食べられることに慣れるのは、問題がある気がする」

 つまり、ヒュンガの胃袋をつかんだということだ。僥倖である。

 わたしは残りの麦も全部平らに焼いた。

 それは夜に食べる。

 あの騎馬隊たちが夜もうろつくなら、火を焚くことができない。

 草原の火は一里先からでも見える。ススキは光を遮らない。



 西の空色がそろそろ野宿の場所を見繕うべき朱色になるころ、大きな楡の木が見えた。そのそばには屋根の落ちたあばら家がある。

 ここの持ち主はいったい何をして暮らしていたのだろう?

 このあたりには畑はない。ススキとトンボがあるだけだ。

 刺客。それなら田畑はいらない。絞殺用の紐一本で食い扶持を稼げる。

 隠れ住むような家だから、きっと刺客なのだろうけど、本当はカタギで、ススキとトンボをおいしく食べる奥義でもひらめいたのかもしれない。

 幸い、井戸はあった。かなり深いが冷たい、いい水だ。

 崩れた壁によりかかっていると、そのうち、群れる雲が切れて、ギザギザの穴から月の光が落ちてきた。

 長年の風雨と日光にさらされて色あせた壁が塩の塊みたいにぼんやりと光り出し、わたしとヒュンガの形の影を縁取った。

 昼につくった麦と鶏を食べ終えると、わたしはなんとなくをよそおって、ずっと前からききたかったことをきいた。

「エンはあなたに暗殺術を教えたの?」

「ああ」

「どうして?」

「わからない。あのとき、あそこには大勢の子どもがいた。親をなくした子どもだ。それをいろいろな大人がさらっていった。エンが来たとき、残った子どもがおれしかいなかった。エンは人殺しのうまい子どもを見分ける能力があった。だから、おれを里に連れ帰ったんだろう」

「……エンはどうして里を滅ぼしたの?」

「わからない。ただ、エンは、どこか空っぽに生きているところがあった」

「あなたは自分のなかを空っぽにできるって言っていたと思う」

「それは休むときや自分のなかの自分を確かめるための空っぽだ。エンは、……本当に何もなかった。虚無って言葉があるが、まさにあれだと思う」

「エンには誰かいた?」

「背中を預けられる刺客がいたときいたことがある。エンは話さなかったし、里の大人たちも話さなかった。ただ、おれがいることを知らずに、口を滑らせた大人がいた。エンの相棒は、何かどうしても許されない掟を破って、処刑されたらしい」

「処刑?」

「ああ。エンが自分でやった」

「そう……」

 わたしはあなたの背中を預けるにふさわしい?

 ふさわしかったとして、もしわたしが道を誤ったら、わたしを殺してくれる?

 そうきく勇気はまだない。

 でも、いつか。

 いつか、きっと。



 蹄の音がきこえた。

 わたしたちは口をつぐんで、気配を消した。

 廃屋を出て、裏手の窪地に身を潜めた。

 そこはススキが姿を隠してくれるが、こちらからは道と廃屋の前を見ることができる。

 殺気に乏しい官軍騎兵だった。

 騎兵たちは廃屋の前に集まると、鞍から滑り落ちるように下馬し、くたくたの体を思い思いの体で投げ出そうとした。しかし、思いとどまって、馬の世話をし始めた。

 そう言えば、ヒュンガと会う前、ぎょうでルン県に行ったときにきいたことがある。歩兵と騎兵が居酒屋で飲んでいて、歩兵は騎兵をうらやましがった。こっちは一日じゅう自分の足で行軍して、くたくたなのに、そっちは馬にまたがってるだけでいいんだからな、と。

 すると、騎兵は歩兵をうらやましがった。一日じゅう馬の上で跳ねる腰の痛みを覚えながら、くたくたになり、行軍が終わったら、どんなにくたくたでも馬の世話をしなきゃいけない、だから、自分の足だけで行軍するほうが楽なのだと。

 いま、騎兵たちはたいまつを点して、地面に刺し、蹄が割れていないかを調べていた。別の騎兵は泡のような汗をふいた馬の体を拭ってやり、別の騎兵は餌袋に燕麦を流し込み、馬の口に取りつけようと悪戦苦闘していた。

 馬の世話が終わると、騎兵たちは次々と、まるで戦死したように倒れていった。

 いまのうちに移動しようとヒュンガと目を見合わせたところで、騎兵たちが「よっしゃあああ!」と叫んで、次々と立ち上がった。

 そして、荷馬車から乾いた丸太を放り出し、大きな火を起こし始めた。

 ススキに燃え移ったら大変なことになるが、そんなことを気にしていないようだった。

 騎兵たちはさらに城攻め用の大きな木の盾を別の荷馬車から降ろして、炎に向けて並べた。

 いったい、何が始まるのだろう?

 何かの儀式か、ゲン担ぎか。

 この手の好奇心がろくなことにならないのは知っているつもりだったが、

「出て来いよ」

 遅かった。

 大柄で、顔を黒髭で覆った騎兵だった。剣は地面に届くほど長い。ああいう剣なら馬にまたがりながら、歩兵を真っ二つにできる。

「なんだ、かしら? どうした?」

「あっちにふたり隠れてる」

 騎兵たちはわたしたちの隠れている窪地へ振り向き、それぞれ剣を抜いた。

「おれが出ていく。あの頭を殺れば、時間は稼げる。お前は逃げろ」

「腕一本のヒュンガじゃ無理。わたしが行く」

 髭の頭が部下たちに言った。

「お前ら、剣をおさめろ。そんなんじゃない」

 そして、髭の頭はわたしたちのほうに、なあ、と呼びかけた。

「お前らから、わしらがどう見えてるのか、わからないわけじゃない。だが、わしらはそういうやつらじゃないんだ。もし、わしらが気に入らないってんなら、火を消して、このまま行くよ。ただ、なんつうか、わしらは、まあ、とにかく、そういうやつらじゃないんだ。それを知ってほしかっただけなんだよ」

 相手が肩を落としたところで、わたしは姿を見せた。これまでこんな哀し気な目をする騎兵を見たことがなかったからだ。

 わたしが出ていくのを見て、ヒュンガはため息をついて、続いた。

 髭の頭は哀し気な目を少しだけ嬉しそうにして笑った。

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