鐚銭
穴あき銭がなくなりそうになったので、笹舟型の一角銀貨を十枚懐にいれて、両替商へ行った。
そこで落ちていた銭を拾った。
官製ではない、私鋳銭。
端が欠けていて、文字がかすれていて、鉄と鉛の混ざった鐚銭だ。
これで買えるものがこの世に存在するとは思えなかった。
「言っておきますが、うちのではないですよ」両替屋が言った。「持って行ってください。両替の銭を疑われたら、縁起が悪い」
おれは紐でつないだ銭を懐に入れると、鐚銭に赤い紐を通して、革帯から吊るした。
「飾りにするんですか?」
「悪いか?」
「撰銭令も勘弁されるような鐚銭ですよ?」
「そうだな」
「まあ、ご本人がいいならいいですけど」
「カンワン朝時代のもんだな」クジャが言った。
「つまり?」
「こいつは鐚銭のなかの鐚銭、クズのなかのクズってことだ。カンワン朝のころは官も民も銭を鋳った。本物そっくりの銅銭から目も当てられない鉛銭まで氾濫して〈狂銭〉と呼ばれた時代だ。これはその狂銭のなかでも最も価値がない、粗悪な銭だ。まさか、これをおれに買い取れっていうんじゃないだろうな?」
「いや。これは自分で持つことにする」
「こういう銭は貧乏神を呼び寄せるっていうが」
「おれの仕事は切れることを知らない。殺したいやつがいるのに自分でやる度胸のないやつは大勢いる」
「それもそうか。まあ、酔狂でいいんじゃないか」
「ああ。それに……使い潰された道具には、ちょっと思うことがある」
里は刺客を使い潰したりしなかった。
ひとりが捕えられれば、里全体で取り戻しに行った。
刺客が強くなるには絶対に信じられるもの、背中を預けられるものが必要だ。
エンにも昔、そういう刺客がいた。そうきいたことがあるが、おれが覚えているエンはいつだってひとりだった。
もう、きくこともできない。
以前、頼まれたことのある男からまた仕事があった。
「ひとり始末してもらいたいやつがいる。儀鷲主なんだが」
「官職のことはわからない」
「それは問題ない。内城を案内してくれる男がいる。きみはその男についていき、その男が指差した男を殺せばいい」
「そこまでお膳立てするなら自分でやったほうがはやくないか?」
「きみたち刺客にはわからないだろうが、人を殺すというのは非常に精神にこたえるんだよ。兵士として人を殺すのと刺客として人を殺すのは大きな違いがある」
「捕まるか捕まらないかの違いだけだと思うが」
「それも一因だ。それで、まだ五十角かね?」
「ああ」
「受けてもらえるか?」
「やろう」
三日後、おれはあらかじめ言われていた家に行った。
そこに手引き役が待っていた。最初見たときは十三歳くらいの初科学生かと思っていたが、おれよりもふたつ年上だった。
「わかってますよ。僕は童顔です。でも、あなたも似たような顔してますよ」
「あんたほどじゃない」
「僕の名前はキタン。氏族の名乗りはチラ。官職は翰林書賜士です」
「それは何をする役所だ?」
「天子さまが民に賜ったものの目録をつくる官署です」
「それは必要なのか?」
「当今の天子さまによりますね。気前のいい天子さまなら仕事はさばききれませんが、ケチな天子さまでは何もすることがなくて退屈です」
「いまの皇帝は?」
「陛下は十一歳ですよ? とりあえず宰相閣下が誰にどのくらい賜暇するのかをこっそり教えています。量としては可もなく不可もなく。翰林書賜士としてはやりやすいです」
「おれが殺すことになっているやつの官職は?」
「儀鷲主は宮中の宴会で使われる卓や椅子、銀器や香燭を管理する官署です。仕事は宮城内です。だから、あなたに頼んだんですね。あなたは素手で人を殺せるでしょう? 首の骨を折って、階段から転がすなり、窓から突き落とすなりしてほしいんです。斬り殺したら、大騒ぎですよ。天子さまのおわします宮城で殺しなんて」
キタンはおれの着替えを用意していた。それは文官の服で、おれは乳酪院司になった。
「天子さまの口に入る乳製品を作成、保存する官署です」
「宮城には牛がいるのか?」
「もちろんです。最高の乳牛が五十頭。気をつけてくださいね。鮮度の落ちた牛乳で天子さまがお腹を下したら、ヒュンガさんは打ち首ですよ。あはは」
剣と短刀を置いて、家を出た。宮城の門は三丈くらいの高さがあった。門の先は皇帝の町だった。広い敷地にあらゆる役所があった。宮廷に直属の役所はみな皇帝の飲む酒を用意したり、皇帝のための碁石を磨いたりしていた。
役人たちはあちこちで集まり、散らばり、建物から建物へと小走りし、同じ門を出たり入ったりしていた。
おれは紫色の官服を着ていた。キタンも同じ色の服を着ていた。キタンはおれたちが黄色い官服に出会ったらへいこらし、緑の官服には横柄にするようにと教えた。
「そうしないと怪しまれます」
黄色い官服があらわれると、おれたちは立ち止まり、頭を下げた。黄色はおれたちがいることに気づいていないようにも見えた。目いっぱい抱えていた巻物で前が見えていなかった。
「それで。緑を見つけたら、どうする? 蹴飛ばすか?」
「さっきの黄色みたいに、相手がそこにいないみたいにすればいいんです」
米、鮮魚、酒甕その他が山と積まれた広場があった。
「国じゅうから集められた天子さまへの貢ぎ物です」
荷担ぎ人は高価な食材や茶を山に加えていた。貢ぎ物のなかには宝珠もあった。荷担ぎ人の表情はルサムを思い出させた。
儀鷲主のいる建物は朱塗りの柱が並んでいて、その柱がひどく出っ張った石造りの役所を支えていた。ひどく不均衡でなかにいる人間全員が間違った側に集まったら、そのまま倒れて下敷きになってしまいそうだった。
なかにいる役人はみな黄色い服をきていた。やつらに出くわすたびに、おれたちは廊下を端に退いた。お辞儀をして、そいつらが通り過ぎるのを待たなければいけなかった。
階段を三階まで上ると、キタンは口に手をして、それから廊下の奥にある扉を指差した。
「あのなかにいるのが標的です」
おれはキタンを階段口に待たせ、奥の扉を開けた。
巻物と竹簡だらけの部屋だった。出窓があって、この寒いのに開きっぱなしになっていた。
標的は赤い服を着ていた。キタンは赤い服に会ったときはどうするべきか教えなかった。
相手はおれを見て、ぽかんとしていた。おそらくおれが正しいお辞儀をしないことに驚いたのだろう。おれが近づいても、何もせず、驚いた顔をするだけだった。
手刀を首に打ち込んだ。何かが落ちて、筆を折れた。おれは腕をそいつの首にまわし、確実に折れたと思えるまで締めた。ポキンと首の皮の下から音がした。おれは出窓から赤い服の男を突き落とした。
外は大騒ぎだった。人は続々と集まった。黄色い服と緑色の服と紫色の服がお辞儀の掟を捨て去って死体を囲い、ただ驚き戸惑い、首をふった。
キタンがいたので、そちらに行くとおれたちはこっそり裏口のような門から宮城の外に出た。
真っすぐ南へ伸びた大路には宮城の混乱など関係がなかった。人はみな自分の用事のために息をしていた。
服を着替え、帯を締め、剣を吊り、報酬をもらった。
帰りに茶屋に寄り、噂話をきいてみた。水飴売りが宮城で役人が窓から落ちたらしいと言い、話し相手はその役人がどのくらい偉いのかを知りたがっていた。殺しだと言い出すものもいた。だが、暗殺者については、風の精霊と手を結んで透明になった、や、嫉妬に狂った愛人が突き落としたなどいい加減な話ばかりだった。
「刺客の仕業です」
カイだった。リンイに何か点心を買いに出されていたらしく、おれがいるのを見て、そんな説を取り上げた。
「何言ってやがる、このガキ」
「天子さまのお膝元に刺客が入れるわけがねえだろが」
客たちは罵った。カイは大衆は間違えるという鉄則をその身に浴びると、すりつぶした魚を玉にして揚げたものをかなり買い込んで、出ていった。おれのほうへ振り向き、つまらなそうな顔をして。
その日の夕方。
庭に立って、自分のなかを空にして休んでいると、あの老人が来た。
「金銭の正体をよくあらわしている。文人は金銭に窮せず、これを追い求めず。その戒め、古だ」
鐚銭のことを言っているのだろうとわかった。
老人の言葉に素直に嬉しくなったせいで、おれは自分のなかを空にし損ねた。




