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刺客のこだわり  作者: 実茂 譲
ヒュンガの清趣
14/25

弩の箱 二

 翌朝、トエクはよくしゃべった。カロスースの影武者が殺されたと言い、影武者をつかまされるなんて、どこの誰かは知らないが、間抜けの極みだと。

 リンイの顔を見ていれば分かるが、そう遠くない未来に刃傷沙汰になる。

 おれは朝餉が済むと部屋に戻った。影武者なり本物なりカロスースを追えば、いずれリム・インカトに会える。ふたりだけで。そうしたら、頭を半分に割って、葱を盛り、熱い油をかけてやる。

 出かけようとすると、トエクがやってきた。お参りに行かないかと言われた。何が起こるのかだいたい予想はできた。おれは行きたくなかったが、トエクは牙の生えた魚みたいに離れなかった。おれはトエクと神殿に行くことになった。

 神殿の境内には人はいなかった。街じゅうで見かける商人たちすらいなかった。無人の広場は線香のにおいがした。

「あそこの塔です。見晴らしがいいですよ」

 塔は十階以上の高さがあった。鍵はかかっておらず、階段を上れたが、上に行くほど部屋は狭くなり、最上階では腕を伸ばせないほど狭かった。長椅子が一方の壁からもう一方の壁までぴたりと置いてあった。トエクは膝をついて、長椅子の下を探った。平らな赤漆仕上げの箱が出てきた。座布団くらいの大きさだった。箱の隅にはよく磨かれた銅がかぶせてあった。いい箱だと思った。漆の赤と銅の赤が照りながらも、静かに落ち着いていて、飾るのによい。

 箱には小さな錠があり、トエクは鍵を紐を通して首からぶら下げていた。中身は用途の分からない木造の部品がいくつかで、それが箱のなかに開けた窪みにきちっとはまっていた。トエクは慣れた様子で部品を取り出し、つなぎ合わせ始めた。

 大きないしゆみが出来上がった。弩の本体には強い弦を巻き上げるための爪車があり、まわるたびにガチガチと音がした。矢は矢じりから軸の半分までが鉄でできていた。こういう矢をおれは一度も見たことがなかった。

 その弩には奇妙な筒がついていた。両端に硝子がはめ込まれていて、トエクはそれがちょうど矢の上に位置するように固定した。

「なんだそれは?」

「望遠鏡だ。遠いものもすぐ近くにいるように見える」

「なぜ、そんなものが必要なんだ?」

「大きく見えれば、より確かな照準をつけられる」

「そんなものなくともちゃんと大きく見える」

「え?」

「は?」

「見える? どのくらい?」

 おれには人で混み合う眼下の大路で、ふたりの手下の肩に左右の手を置いて、ふんぞり返るカロスースが見えた。昨日、殺された影武者にそっくりだが、鼻が少し、十分の一寸ほど左に曲がっていた。

「本当ですか?」

「ああ」

 トエクは弩を構えた。矢じりは大路へ向いていた。トエクはガラスからカロスースを覗き込んだ。外せば関係のない人間が死ぬだろうが、トエクは狙いを外さなかった。矢は雲雀ひばりのような音を立てて飛び、カロスースの額を砕き抜いた。

 トエクはさっきとは逆の動きをして、弩をバラバラにすると、全てを最初にあったのと同じように箱に収めた。変わったことは矢を入れる窪みが一本空っぽだったことくらいだ。おれたちは一緒に境内を出た。トエクは箱を脇に抱えていた。

 表の道では警吏や捕吏たちが弩を隠せるほどの大きな包みや箱を持った連中を片っ端から足止めさせ、なかをあらためていた。

 トエクの箱には誰も注意を払わなかった。


 射殺(いころ)されたのは影武者だった。

 翌朝、今度はリンイがコケにする番だった。朝餉の席は回を追うごとに空気がひりついていた。

 だが、偽物をつかまされたとはいえ、ふたりの刺客としての技量は高かった。十分、誇れるだけのものだった。

 だが、おれはそれを言わなかった。ふたりは同列一位を許せないだろうから、どちらがより優れているかをおれに決めさせようとするだろう。リンイは同好の士だし、トエクには里の裏切者を調べてもらっている。だから、どちらとは決められなかった。


 リンイとトエクには仕事があるように、おれにもやることがあった。

 リム・インカトの行く店はいくつかあったが、たいていはカロスースを同行していた。おそらく影武者のカロスースが。

 リム・インカトはおれの顔を知っているが、カロスースは知らない。

 ふたりは賭場や酒場、料理屋、それに港湾役場や中流貴族の屋敷にも姿を見せた。

 おれは待つことにした。おれが待っているあいだ、三人の影武者が優れた手口で殺されたが、本物はまだ無事だった。

 リンイとトエクはもはや数をこなすことにしたようだ。影武者とて無尽ではない。いつかきれるときが来る。それにしても、これだけやられても、座はリンイもトエクも捕まえることができない。刺客が権力に走れば、勘が鈍る。末端が立身出世を考えれば、捨て身の利く刺客は少なくなる。もちろん、まったくいなくなるわけではない。

 ふと、サキのことを考えた。こんな調子が続けば、座はサキを返してくれと言ってくるかもしれない。


 やっと見つけた。

 用心棒の子分は表にふたり。料理屋は貸し切りで影武者が厨へ立ち、リム・インカトはひとりで卓についていた。食客ともなれば、そのくらいのことが許されるらしい。

 裏口から厨に忍び込むと、影武者が鍋をふっていた。腕を首に絡めて締め、頭の後ろを押してやると、頸が折れた。鍋では飴色のスッポンが、箸で切れそうなくらい柔らかくなっていた。

 スッポンの鍋をどけて、五徳を見た。炭火は勢いよく燃えていた。

 別の鍋を五徳に乗せ、壺から柄杓四杯の油をすくって、鍋に入れ、輪切り丸太のまな板の上で葱を細切れにした。細切れにした葱を油に入れると、泡立った。鍋を傾けると、ジュッと大きな音がした。

「おい、まだやってるのか?」リム・インカトの声がきこえてきた。こっちに近づいてくる。

 おれは人間の頭を叩き割るのに良さそうな、鉈のような包丁を手に取り、戸口の横に立って、裏切者が間合いに入るのを待った。



 リム・インカトの死にざまは壮絶だった。おれが手がけた仕事のなかでは一番に。

 だが、それは話題に上らなかった。本物のカロスースが死んだからだ。スッポンを炒め煮していた影武者は本物だった。毒の混入を恐れたのと、料理にこだわりがあるのとで、あんなふうに厨に立つことがあった。

 リンイとトエクの顔を潰す形となったが、ふたりは何かをあきらめていた。リンイはもらった金を返さないといけないと言ったが、そのままもらってもいい気がすると言っておいた。トエクは例の箱と弩をくれた。中身は暗殺用の武器だとしても、箱は品があった。よく磨けば、漆に顔が映る。そうなると、これを置くための小さな卓が欲しくなってきた。


 パウングーを出た。トエクは文官としての事務仕事があったので、おれたちの三日後くらいに出発するらしい。

 帰り道、リンイは箱を調べていた。興味があったが、トエクにそれを知られたくなかった。街道脇の古い墓地にある、ビワの木陰に座り込み、リンイは弩を組み立てようと、いろいろ試した。おれも一度だけ見ただけなので、組み立てに自信はなかったが、とりあえず形になった。

 おれはガラスの筒――照準鏡を覗き込んだ。物事が大きく見えすぎて、落ち着かなかった。弓のほうがうまく使えそうだ。同じようなことをリンイも考えたらしく、部品にばらした弩を箱のなかのへこみに押し込んだ。


 家に帰ると、枸櫞が蜜柑に変わっていた。

 違和感を覚えたのは最初の四半刻ですぐに馴染んだ。器が良ければ、何の果実でも問題はないのかもしれない。

 サキは戻ってくると、蜜柑を剥いて食べた。

 サキは弩の箱をじっと見ていた。おれは寝台に座っていて、木箱は寝台の窓側に置いてあった。

「見たければ見ればいいし、開けてもいい。鍵はかけていない」

 サキは箱を開け、おれとリンイよりもはやく弩を組み立てた。

「前にこんなものを使ったことはあるか?」

 サキはうなずいた。

 弩はサキのものになるだろう。

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