弩の箱 一
家は小さいが、前に住んでいた破れ家に比べれば、ずっと広かった。厨以外では家具の少ないのが目立ったが、半端なものを置きたくないというのも事実だった。
パウングーは港町だ。何かいいものがあるかもしれない。
鳥の面倒を頼みたかったので、サキには留守番をさせた。
パウングーにはおれひとりで行くことになった。
小さな駅亭のある宿場町に着くと、宿を取った。日はほとんど沈みかけていた。
宿に入ると、リンイとトエクがいた。なぜかと思ったが、ふたりともパウングーに仕事があるらしかった。
ふたりは知り合いだった。お互いのことを「狂人」「逆賊」と呼び合うくらいに。
両方から肩を持ってくれと頼まれる前におれは自分の部屋に逃げた。
翌日、よせばいいのに、おれたちは三人でパウングーに向かうことになった。
「ヒュンガさん! この逆賊不忠の徒に言ってやってください!」
「ヒュンガ殿! この偽善の狂人の言うことに耳を貸してはならぬ!」
おれは掟を作った。握手して抱き合えとは言わないが、手練れらしくしろと。手練れの刺客は道の途上でわめき散らしたりしないし、くだらない口論に同業者を巻き込んだりしないと。
それぞれが昔、何があったのか、おれに説明しようとしてきたので、おれは掟を追加した。過去のことは過去の自分にまかせて、今ある仕事を大切にしろと。
それぞれの言い分があったとしても、ひとりずつ話す。ふたりで一度に話して口論になるのはうんざりだ。歩きながら話すこととなり、どちらかと話すあいだ、もう一方は三十歩後ろを歩くことになった。
それで分かったのだが、どちらも同じ相手を狙っていた。
おれはそれについて、何も言わないことにした。破綻は必ず起きるが、それに立ち会うつもりはなかった。パウングーについたら、ふたりで解決すべきことだ。
パウングーには以前、仕事で行ったことがあった。
あのときと同じで、港には帆掛け船が何艘も浮いていて、差し渡した板の上を荷物を背負った人夫が行き来していた。
街は国じゅうの商人を集めたようだった。大路や小路、路地裏、料理屋の酒卓も庭園の小道も商人でいっぱいだった。絨毯をめくれば、そこに商人がいても不思議ではなかった。みな舶来ものの香辛料を仕入れに来ていた。
そのせいで宿がなく、おれたち三人は同じ宿、同じ部屋に泊まることになった。最初にやることは衝立をふたつ手に入れることで、それで部屋を三つに区切った。おれはあいだに入る形になった。
酒の飲める店をいくつかまわった。人を探すときはいつもそうだった。
酒場には酌婦がいて、酒を注文するよう客を煽っていた。女たちは歩合で働いていた。女たちの目を離した隙に酒にスデリ茸の粉末を入れた。飲むと首の後ろが熱くなって、慎重を司る霊気が蒸発し、口が軽くなる。あんな客がいた、こんな客がいた、といい、この店は濁り酒に米のとぎ汁を混ぜている、どれだけ注文させても、自分たちにはこれっぽっちしか入らない、ほとんどが店主に持っていかれると愚痴をもらした。
次の店に行った。店の真ん中に闘鶏場があった。男たちが鶏の殺し合いに夢中になっていた。鶏は爪に鋼の刃を結びつけられていて、ときどき鶏の首が飛んだ。店のなかにリム・インカトの顔はなかった。
パウングーの歓楽街は丘にあったので、おれは自然とふもとから頂へと探していった。
頂には店はなかった。ただ、石の手すりがあり、そこから海を臨めた。
星がひとつずつ水平線に消えていた。
海は脹らみ、星空を呑み込もうとしているようだった。
リンイはおれと同様、店をまわって足で稼ぎ、トエクは地元警吏から情報を漁った。獲物は同じでも協力する気はなかった。
昼、リンイに食事に誘われた。楼門を立てる、三階建ての大きな店だった。葦の筆を耳にかけた小使たちが少し上を向いて、料理の大皿を運んでいた。
リンイはおれを上階ではなく、地下へ連れて行こうとした。厨の脇の小さな部屋に下り階段が口を開けていた。抜き身の大刀を手にして座っている男がいた。リンイは手で合図みたいなものをすると、大刀男はうなずいて、階段を差した。
地下は賭場だった。仕事で賭場に行くことは何度もあったが、ここは今まで見たなかで最大の賭場だった。獣骨でつくった絵札と銅貨が四隅に木をはめ込んだ卓の上でやり取りされていた。おれには勝敗のつけ方がさっぱりわからなかった。
食事のできる卓が集まった一角で席を見つけ、しばらくすると、耳に葦の筆をかけた男がやってきて、注文をきいた。リンイは蒸した鯉の頭を注文すると、男は葦の筆でそれを紙に書いた。
「見せておいたほうがいい顔がここにいる」リンイが言った。
指差したほうを見ると、役人の登用試験の監督みたいな男がいた。頭は良さそうだが、融通の利かなさそうな顔で、背は高かった。
「座の人間だ」
おれはもう一度、そいつを見た。自分で殺すよりは手下に殺させるふうだった。おそらく、それなりの顔役だろう。
「ここの店を賭場ごと買ったそうだ」
「そうか」
「座の人間の何人かが気づき始めた。自分たちはどこまで行っても使われる存在なのだと」
「それが刺客だ」
「やつらはそれが気に入らないようだ。殺すために殺すものよりも、商売のために殺すもののほうが富と権力を握る」
「馬鹿げている」
里。ただ殺すことを学ぶ。それが否定された。里を焼いた理由がだんだん見えてきた。
「座はまず都以外の都市の、暗殺以外の商売を押さえる。そうやって力を蓄え、十分だと見たところで、競争相手を全て殺す。誰も座には逆らうことができなくなる。そこで都への本格的な進出をするわけだ」
「おれやあんたを狙わせたのは威力偵察か」
「うむ。そんなところだ。失礼する。少し、席を立つが、いいことを教えよう。賭けをしている卓のなかで左端の隅の卓が見えるか?」
「ああ」
「そのなかに小男がいる。頭髪が全てなくなった男だ」
「いるな」
「その男はもうじき、大当たりを引くことになる」
ふ、と笑って、リンイは席を立った。くだんの男は銅貨を卓に置いていた。叩きつけるように乱暴だった。銅貨はここで座っていてもきこえるくらい、大きな音を立てた。機嫌が悪いようだった。
前掛けをした男がやってきて、おれの目の前に半分に割られた鯉の頭を持ってきた。頭の上には刻んだ葱が山のようにのっていて、沸した油をかけると、ジュッと音がした。頭の骨から肉を外して口に運びながら、おれは例の座の顔役を見ていた。顔役の前に剣客風の男がふたり立っていて、顔役はふんぞり返って、それぞれの左右の肩に自分の両手を乗せていた。
「そろった! 五枚そろった!」
みなが声のするほう、銅貨を叩きつけていた小男を見た。顔役も、顔役を守るふたりの剣客もだ。そのとき、顔役の後ろの人混みにほんの一瞬だが、リンイの姿が見えた。すると、顔役が膝から力が抜けたように崩れて、人混みのなかに見えなくなった。
リンイは席に戻ってくると、鯉の頬肉を箸でつまんで、この旨味がいい、とつぶやき、熱い肉をハフハフと口のなかで冷ました。賭場では医者を連れてこいと怒鳴る声がし、顔役は男たちに四肢をつかまれてぶら下がり、奥の部屋へと連れていかれた。
トエクが負けを認めず、もだえる有様が簡単に想像できた。
それをせせら笑うリンイの姿も。
その日も、おれは日暮れごろから店をまわった。どの店でも、リム・インカトの名前は出さず、誰かを探しているふうには見せなかった。香辛料を仕入れに来た商人が少しいい目を見て、女たちに金を使いたがっているように見せた。
丘では見つからなかったので、低地の店を梯子した。
町の真ん中にある、五軒目の店で当たった。その女はスデリ茸を混ぜるまでもなかった。
「なんか、自分は大物だってやつがいてさ。古酒一杯注文させるのにも百回おだてないといけないケチなやつなんだけど、そいつ、自分は大物で命を狙われてるって、変な自慢をしたのよ」
「からかってはいけないやつをからかったんだろう」
「もっとヤバいんだって。なんかね、ここだけの話、あー、でも、これは話したらやばい話なんだよね」
「じゃあ、話さないほうがいいな」
そう言われて、口をつぐむ女をおれは見たことがない。
「そいつ、殺しを依頼したって言ってた。刺客。本物の刺客。ほら、お寺の前で刃物見せびらかせて、おれは刺客だっていう連中いるでしょ? そういう下らないガキじゃなくて、本物の、危険な刺客。そいつに殺しをさせたんだけど、その客、刺客を殺そうとしたんだって。口封じだって言ってて。それが失敗して、いまは身を隠してるってさ」
「それが本当なら、その刺客、黙っていないだろうな」
「だよね。マジでヤバいなら、こんなところで飲んでないって」
「でも、まあ、うらやましい限りだ」
「どうして?」
「刺客を雇えるくらいには儲かっているってことだろ?」
「まさか。あいつ、無頼だよ」
「てっきり商人だと思っていた」
「違うって。まるっきり。だって、カロスースの旦那と一緒にいるんだから」
「カロスース?」
「顔役だよ。最近、暮空小路の〈紅鷲楼〉を一切合切買った分限者ってやつ」
座の食客だか義兄弟。だが、そのカロスースが死んだのなら、リム・インカトの立場は弱くなっている。悪くない機会がやってくるかもしれない。
「ひょっとすると、カロスースの旦那が襲われたのもその関係かな? だとしたら、その刺客、思ってたよりも、たいした腕じゃないのかも」
そこで女は黙った。続けてくれ、とおれが言うのを待っているようだった。
「どうしてだ?」
「だって、殺されたの、影武者なんだってさ。馬鹿みたいだよねえ」




