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アネモネが華やかに舞いましょう  作者: komado(六種銘菓BOOKS)
アネモネが軽やかに舞いましょう
54/60

◯大きなミルクパズル

「ミルクパズルがようやく完成した」

 ぐったりとした様子のマスターがもたれかかっているのは、人の腰丈ほどの大きさの額縁の中に収められた、真っ白なパズル。ピースは若干大きいようですが、なんせサイズがサイズですから、相当時間がかかったようです。納品先は、カフェアリーヌです。

 喫茶店に飾るには殺風景過ぎるそのパズルは、お客様に見せるためのものとして組まれたわけではなく、カフェアリーヌ個人が自分用にオーダーしたものでした。しかしそのオーダーはマスターにとって大変なものだったようで、生気のない表情が良いものになる様子がありません。

「しんどいったらありゃしなかったよ。でも、そんなに待たせるつもりもなかったんだ。もっと早く完成させるつもりだったのに……」

「弱音を吐くくらい大変な作業だったとしても、無事出来上がったのね。わざわざ額に入れて飾るものでもないでしょうに、わざわざありがとう」

「ところがそうでもない。額に入れておく必要がある」

 苦笑からきょとんとした表情に変わったカフェアリーヌの前で彼は、額縁に触れながら説明します。

「わかりやすい記号があれば、計算は楽になる。足し算だけ覚えていてもできないことが、引き算を覚えていればできることもある。これはそういうもの」

「どういうことかしら」

「これはcafe choker支店への入り口。アネモネや僕のパスケースと同じことができる」

 その言葉でカフェアリーヌは半分ほど納得しました。それは自分が以前に言ったことを思い出したからこその納得でした。彼女のオーダーは「真っ白なミルクパズルを飾りたい」ではなかったのです。

「なるほど? じゃあこれを使えば、貴方に会いたいときに会いに行けるってことなのね?」


 それは今から数ヶ月前のこと。カフェアリーヌから切り出したことでした。

「いつも貴方から来てもらうばかりだと申し訳ないわ。私が貴方に会いたいとき、私から貴方のところに行けるようにもなりたいのよ」

 カフェアリーヌがそう言うので、マスターは自虐気味に笑います。

「僕はこの店にとって、ただの客だったはずだよ」

「それが今や支店のマスター。気軽に会えないほど不便なものはないわ」

「……貴女から『会いたい』と言ってもらえるようになったのなら、それはとても光栄なこと。全然、考えてもみなかったよ」

「貴方が自分で旅人の道案内をするって決めたときから、何かしら変わり始めていたのよ。その変化の一つだわ」

 いつものように、二人の間にはテーブルの上の紅茶。暖かな空気と香りが作る空間は、時間がゆっくりと過ぎるようでした。

「そうか、気軽に会えるように……か。なるほど、わかった。何か作ろう」

 そんな些細な会話がきっかけだったのです。


「ようやく貴方達のお店に視察に行けるようになるのね。貴方、その辺の魔女よりよっぽど魔法使いみたいよね。そんなものが作れるの?」

「作れてしまったんだなこれが」

 自分でも不思議そうにしながら頭をかくマスターに対して、ふふ、と笑いながらカフェアリーヌは紅茶を嗜んでいました。

「でも、ごめんなさい。たぶん行かないわ。私が気軽に行けるところではないのは、重々承知してるわよ。お店というよりも、あの空間ね。自分から頼んでおいて申し訳ないけれど、これは私の使う物ではない」

 マスターは驚いた表情で、とんでもないといった風に、カフェアリーヌの憂い気な表情に対して首を横に振ります。

「何を言ってるんだ。貴女に僕の店を見てもらって、それでどう運営していくか決めようと思っていたくらいなのに。……なにか、理由でも」

「別に、大したことじゃないわ」

 カフェアリーヌが傾けていたカップをソーサーの上に戻します。そして瞼を伏せて言うのです。


「貴方が大人になったところを、見たくないだけよ」


 今このときのマスターの姿というのは、白い世界でのウェイター姿ではなく、本来のシテンとしての姿――それはつゆ草色のローブを羽織った旅人の姿でした。今ではカフェアリーヌの前だけで見せる姿です。旅人としての姿はウェイター姿よりも幼く、他の旅人と比べても未熟なものでした。それを知っていて、カフェアリーヌは憂います。

「そう、それだけ」

 彼女は立ち上がり、ポットの中の出がらしをシンクのゴミ箱に捨てに行きました。マスターに背を向け、あえて避けるように距離を取りました。その姿に、どう声をかけたものかとマスターもためらいます。

「存外、怖がりなのね。私って」

 カフェアリーヌが振り向いたときには、そう言っていました。苦し紛れに出てきた言葉のようです。壁に飾られた、淡いベージュ色の海の写真を前に、目を細めます。行きたいところに行ける。会いたい人に会える。それは間違いなく幸福なことなのですが、それについ怯えてしまうのは、彼女だからでしょうか。

 マスターはまっすぐな眼差しで彼女を見つめていました。そうしてから、ついと視線を額縁の中のパズルに移し、首を横に振ります。

「それでも、これは置いていきますよ。折角作ったから、とかじゃない。いつか必ず必要になる日が来る。そのときのために、貴女の手元に置いておいてください」

「置くだけなら自由よ。使うか使わないか、それを決めかねているだけだもの」

「貴女が来る時までに、立派な店にしておきますから」

 マスターの表情は真剣そのものでした。その言葉にカフェアリーヌは、何故かどことなく悔しそうな表情をしながら、それでも笑っていました。

「頼もしい言葉。それが聞けるだけでも、今は十分よ……!」

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