第83話 海へ行こう
今日は朝から、すごくいい天気だ。
絶好の海水浴日和。
夏の日差しを遮るものもなく、直接僕たちに降り注ぐ。でも、海に入るならこれくらいの暑さがちょうどいいのかもしれない。
僕たちは家で水着に着替えて、そのまま海に向かっていた。
深谷先輩が言っていた通り、確かに歩いて10分もかからず、海岸にたどり着くことが出来た。
昔、僕がまだ子どもの頃、家族で海に行ったことがあったようだが、まったく記憶に残っていない。
……ので、今回のが実質初めての海だ。
その実際に見る海は、テレビや写真で見るよりか、全然すごい!
海は夏の青空よりも蒼く、波は地平線から伸びる入道雲よりも白い。まだ波打ち際まで近づいていないにもかかわらず、波の音がここまでやって来る。
砂浜は三日月のように白く光り湾曲し、海に沿うように続いている。
そして海に近づくにつれ、塩と錆びと生臭い魚の匂いがする。
これが……海なのか……
そんな僕に、壮大な海原を目にし、感慨にふける余裕をも与えようとしない秋芳部長が、隣でおおはしゃぎする。
「春山くん! 海だよ! うみ!!」
「大丈夫ですって、ちゃんと見えてますから」
僕は南先輩の指示のもと、浜辺の一画に抱えていた荷物を置く。
そして僕たちの前線基地の設営に取り掛かる。
パラソルを広げて、突き刺して。
シートを広げ、重石を載せて。
飲み物が入ったクーラーボックス置いて。
浮き輪と、ボールに空気を……
「春山くん、早く行こう!」
「ちょっと待ってください。荷物を……」
早くも上着を脱いで、髪を後ろで丸めた部長が、もう待てないとばかりに、僕を海へと誘ってくる。
部長は僕が選んだ水着を、ちゃんと着てくれている。
嬉しいやら、恥ずかしいやら……
「あとは私がやっておくから、行ってきたら」
深谷先輩がそういって荷物を受け取ってくれた。
……深谷先輩はジャージみたいなのを、上下着ているままだ。
せっかく水着も買って、海にきたというのに、いつもと変わらない地味な格好のままだ。
遠野先輩は座り込んで、なにやら体にクリームを念入りに塗り込んでる。
遠野先輩の着ているのは水着? なのだろうか?
濃紺のワンピースというか……スカートあるし、肩から肘まで布がある半袖みたいになってし。胸の前にヒラヒラついてるし。
露出が全然ない。普通の服みたいだ。
それはそれで可愛いのだが……
この二人からは海に来ている感が、ぜんぜん伝わってこない。
それにひきかえ南先輩は、ビキニタイプの水着で、スポーツブラみたいなの? 着てるので、本物のビーチバレーの選手みたいになってる。
……のだが、どこかいってしまった。
さっきまで、ここにいたのに。
……あれ?
あーあ、南先輩はもう泳いで沖のほうまで行ってしまって、ここから見ると小さく見えるくらい、遠くへ泳いで行ってしまった。
「ねぇ、早く行こう!」
待ちきれない部長が、僕の手を引っ張る。
そんなに急がなくても、海は逃げないですよ。
無邪気に小走りする部長に連れられ、波がやって来るところまで歩いていく。
しかし……
しかし、すごくまぶしい。
まだ午前9時くらいだというのに、この日差し。
空はどこまでも広がり、海は揺れる光が反射し、波しぶきはダイヤモンドのように輝き飛び散っていく。
ベージュ色の砂浜も、粒がキラキラと星のように光を反射する。
歩くたびに砂に指が食い込む感触がして、それがまた気持ちいい。
いやー まぶしい。とても、まぶしい。
思わず目を細めてしまう。
そして何よりも……
「すごいよ! 波がここまで! 海もきれ―い!」
笑顔ではしゃぎまわる部長の姿が、まぶしすぎて……
直視できずに、視線を外してしまう。
まだ時刻も早いため、海水浴に来ている人たちも数えるほど。本当に地元の人達が利用するような穴場なのだろう。
よくテレビで見るリゾートみたいなところでは、浜が人で埋め尽くされて、ぜんぜん楽しそうではないのだが。
よかった……人も少なくて。
ちょっと恥ずかしいんだよな、部長たちといると。
いろんな意味で……注目されるから。
辺りを見渡していて気付かなかったが、僕は部長に引きずられ、足に波がかぶる場所まで引き寄せられていた。
うわっ! つめたっ!
足に波がぶつかって、謝りもせず素通りしていく。
波が足を通り過ぎていくそのたびに、財布をすられたかのように、黙って体温を抜き取っていく。
これが本物の海の波だ。
波がはるか彼方の沖からやってきては、ここに大きな音だけを残して、また沖へと引き返していく。
昨日の流しそうめんの波の比じゃないぞ。
なんだかちょっと、自然とテンションも上がってしまう。
「冷たくて、気持ちいいねー!」
部長は波をよけたり、踏んづけたり、追いかけたり、飛び跳ねたり……
こっちに向けて、水しぶきを蹴っ飛ばしたり。
うわっ! 飛んできた!!
「部長! なにするんですか!」
「早く入ろうよ!!」
あー もうダメだ。興奮して暴走気味になってる。
海水が腰につかるくらいまで進んでいく部長を、ゆっくりと追いかける。
「すごいよ、春山くん! 海だよ! うみ!!」
「いや、それは分かってますから」
いやー でも改めて思う。
本当に海だ、これ。
腰まで浸かった海は、ユラユラと揺れている。
プールと違ってどこまでも広がっているし、波が来るたびに身体が前後左右に揺らされる。
ちょっと、なめてみよう……
あっ! しょっぱい!
「部長! 海ですね! これ!」
「海だね!!」
やばいぞ、なんだか僕までテンション上がってきて、楽しくなってきたぞ!
「おーい」
あっ、南先輩だ。
波をかき分けながら、ここまでやって来る。
「サイコーだな!」
「ねー!」
いやー みんな楽しそうだ。
「あれ? そういえば残りの二人はどうした?」
そういえば……置いてきちゃった。
「ちょっと戻ろうか?」
冷静さを取り戻した部長が引き返す。それにならう僕と南先輩。
そると……浜辺まで引き返したところで、遠野先輩の姿が見えた。
遠野先輩は波打ち際にしゃがみこんで、控えめに手で海水をぴちゃぴちゃ叩いてる。
そして……スマホで自撮りしたり、撮影に夢中になったりしてる。
「なにしてんだよ、入らないのかよ」
「えー ベトベトするし――」
ベトベトするから海に入らないとは……
いったい遠野先輩は何しに来てるのだろうか?
前線基地まで戻ると深谷先輩が静かに座って、ただぼんやりと地平線を眺めていた。
「みーちゃん、海すごいよ! 行こう!」
「私は……いいわよ」
「せっかく水着も買ったんだし、行こう!!」
この部長と深谷先輩の温度差。
真夏と真冬なみの差が開いている
いくら誘っても動かない深谷先輩に、ついに部長は問答無用強引に、座ってる深谷先輩の上着を引っ張り上げた。
「ちょっと、香奈衣!」
今度は足首を持ってひっくり返すと、強引にズボンをひっぺがえす。
うわー なにこの状況……
強引に脱がされて……
なんか……すごく、エロい……
すっかり水着姿へと剥かれた深谷先輩は、恥ずかしそうに体を丸める。
そんな自分の胸を隠す深谷先輩の手を引っ張り、海へと連れ出そうとする部長。
「さっ! 泳ごう!」
「ちょっと……香奈衣ってば!」
行ってらっしゃい。
僕は荷物、見張ってますんで……
砂浜に座りながら、むこうで海と戯れている部長たちの姿をぼんやりと眺める。
あ――
平和だな――
まさかこんな経験を、僕がするなんて。
入学当初の予定では、何事もなく平穏無事に過ごして、目立つこともなく卒業していくつもりだったけど……
こんなこと、もう二度と起きないんだろうな。
女の子たちと夏休みに海に行くなんて。
まさに一期一会。
そう考えると、恥ずかしいとか思っている暇なんてなく、部長みたいに思いっきり、はしゃいだ方がいいのだろうか?
もっと積極的に物事に取り組んだ方がいいのだろうか?
一度っきりの人生……
いや、でも、冷静に考えると……
部長と一緒にいると、やっぱり恥ずかしいよ。
だって、ほら。
周りの人、みんな部長のこと見てるよ。
老若男女問わず。
散歩に来た犬だって、魚を狙いにきた鳥や猫だって、一度止まって部長のこと見てるよ。
だって、太陽よりも明るく、砂浜よりも白く、海よりも美しく、波よりも元気な部長に、誰も視線が向かないわけがない。
今、この時間、この場所で一番輝いているのが部長なんだから……




