5 江ノ電と小町通と
「なんで、私、江ノ電に乗っているんだろう?」
董子は思わず呟いた。
幽世──人ならざる者の世界に連れてくと言った玉藻が、董子を連れてきたのは、江ノ島電鉄、略して江ノ電の長谷駅から出る鎌倉行の電車だった。江ノ電は走行距離10kmに15駅。乗車時間34分。たったこれだけの距離や時間の路面電車であるのに、生活として使う人の他、遠くからわざわざ乗りに来る客もいる。海岸線をのどかに走ったかと思えば、民家の軒先をかすめるようにして走る。また、桜や紫陽花、紅葉などの自然を乗ったまま体感することが出来る。それよりなによりも、せわしない日常を忘れて、ガタゴトとゆっくり走る事自体が人気の源かもしれない。
車内には、董子と玉藻の他はおばあさんが一人だけ。梅雨時期の平日だとはいえ、朝なのにこれだけ人がいないのは珍しい。
(もしかして、この電車も、さっきの長谷寺も、人がいなかったのは玉藻さんの力なのかしら?)
化け狐。それも九本も尻尾がある化け狐といえば、九尾の狐として名高い。人を寄せ付けないか何かの力があるのかもしれない。
董子はじっと玉藻の頭の上、写真で耳が写っていたあたりに目をこらした。
「何ですか?」
分かっているんだぞ、というような玉藻の視線を受けた董子は、気恥ずかしさからパッと目をそらした。
「い、いいえ!! そ、その……。幽世とやらは、江ノ電で行けるところなんだなって思って」
「そんな訳ないですよ。幽世は、現世──人の世とはまったく別の次元にある世界。そこに江ノ電で行けるのかなんて……面白いですね、董子さんは」
「……」
面白いと言われても、少しも嬉しくない。
「じゃあ、なんで江ノ電に乗っているんですか?」
「私が好きだからです」
「……ん?」
「コロンとした形がとってもかわいいですよね! そういえば、例年ならば冬の初めに、タンコロ祭りっていうのがありましてね……。董子さんはもちろん知っていますよね、タンコロ? ええええ! 知らない? タンコロっていうのはですね……」
その後に続く、100形108号──タンコロと呼ばれる昭和初期の車両。そして現在までの車両に続く遍歴も手振り身振りを交えて熱く語る。
怖いと思ったかと無邪気。玉藻という人(?)はつかみどころがない。
そういえば、九尾の狐といえば有名な伝説もある。中国殷の時代、贅沢と暴虐を尽くした警告の美女・妲己。そして日本平安後期に、その姿を見たら恋い焦がれて死んでしまうという噂まであった美女。いずれも、時の最高権力者を色香で惑わした美女の正体が、九尾の狐なのだという。
きっと昔の人も、こんな風に手のひらでコロコロと転がされていたに違いない。
そうこうしているうちに、江ノ電は鎌倉駅についた。何せ、長谷駅から鎌倉駅までは、江ノ電で二駅、五分の距離である。歩いたところでそう時間はかからないくらいだ。
「さ、こっち、こっち」
玉藻は董子の背中を押した。目の前には、どどんと大きな鳥居がある。
「えっと……小町通り?」
鎌倉駅を下りてから、玉藻のうきうきとした様子に、もしかしたら……と思っていた董子の予想が当たった。
小町通りは、若宮大路の西側に平行して鶴岡八幡宮に向かう商店街だ。誤解している人も多いが、実は小町商店街は正式な参道ではないため、若宮大路を表参道。小町通りを裏参道と親しみを込めて呼んでいる人もいる。
カフェやパワーストーンなどで有名な観光スポットだが、意外にも日用品や生活雑貨なども売っており、地元にも根ざした商店街でもある。今は、ぼちぼちお店の開店時間にさしかかっているため、観光客が増え始めている。
その観光客が向かっているのは、やはりスイーツのお店だ。鎌倉という土地柄、和スイーツのお店が多い。抹茶ソフトに、三色団子、黒蜜ゼリーなんていうものもある。しばらくこなかった間に、お店の入れ替わりもかなりあって、董子が知らないお店も多い。
高校生の頃、千織とは毎日のように小町通りに来たなと、董子は思った。
あの頃は、かわいい物や、見栄えのするスイーツの写真をなんでも撮ってはインスタにアップしていた千織に呆れたりもした。
けれど、今はその気持ちがよく分かる。
自分が心動かされた物を、切り取ってとどめておきたいだけなのだ。
そういえば、董子が一眼レフが趣味だと言うと、羽鳥が「女が撮る写真なんて、どうせ空と猫とスイーツなんだろ。くだらない」と言ったことがある。あの頃は、鳥羽の言うことを間に受けていたが、今ならこう思う。
(空と猫とスイーツのどこが悪いのよ!!)
そう。移り行く空の季節感、すぐに動いてしまう猫の瞬間のまどろみ、何より職人さんが手間暇かけて作ったスイーツの魅力を写真に切り取ることがどんなに難しいことか!
「って、いけない、いけない。またあの男の事を考えてるわ!!」
董子は、パタパタと自分の顔を扇いだ。
「ん?」
玉藻がなんとも言えない生ぬるい目で董子を見ている。
「あ、また考えを……!?」
「……ナンノコトデショウカ?」
そこは「化け狐ですから」と、さらっと言って欲しかった。気を遣われているようで、かえっていたたまれない。
そのまま小町通りを進んでいくと、
「さ、着きましたよ」
思わず、「わぁ……」と感嘆の声が漏れた。
そこは大正ロマンといった風情の、半分洋風の建物だった。
白い花がこぼれる二本のニセアカシアの木に挟まれた、まっ白な壁のお店。大きなショーウィンドウは、鳥居のような朱色の格子がはめ込まれている。パリのお菓子屋さんやパン屋さんのような、かわいらしい。どうやら何かのお店のようだ。
董子は小町通りを何度も行き来したことがある。いや、高校生の頃には千織に引っ張られて、毎日のように、用事がなくても何も買わなくてもただただブラブラとしたものだ。けれど、こんな建物は一度として見たことがなかった。
(何の店だろう……?)
よく見ると、ショーウィンドウの中には、いつの時代か分からない、古いのか新しいのかも分からないような写真が、何枚も飾られている。全員が着物を着た家族写真、ふんわりとした白いドレスに肘までの手袋をした女性の写真、着物姿の艶やかな女性。
「写真屋さん……ですか?」
「ええ。でも店主は、写真館って言って欲しいそうですよ」
玉藻は、やはり朱色の扉に印字された少しかすれた黒い飾り文字を指さした。
「AYA……KASHI……写真館?」
「残念。AKASHIYA写真館ですよ。でも、そんな風に呼ぶ人は誰もいません。みんな『あやかし写真館』って呼びます」
「あやかし……写真館」
あやかしといえば、妖怪のことだ。九尾の狐もあやかし。何か、関係があるのだろうか?
「ここで、あなたの目の秘密が分かるはずですよ」
玉藻は、朱色の扉を押し開けた。




