◆第十七話『聖女リエラ・リィンズ』
リエラ・リィンズは神聖都市ヴィフェレスの外壁に上がっていた。ただ、外側の縁付近に立っているため、内側はあまり見えない。ただ、聞こえてくるどよめきから多くの民が集まっていることは窺い知れた。
「聞け、人間たちよ! 《聖石》は我が手に。そしてお前たちの指揮官はこの通り我が配下の責め苦に屈し、絶頂している始末──」
響く声の主は赤角の魔人、カオスのものだ。
彼は外壁内側の縁に立って民衆に演説をしている。
その傍らでは鎖を操る魔人──エルリードが立っていた。
彼女はいまも5本の鎖を出し、民衆にさらす形で禿頭の男を拘束している。爆突連兵第3大隊隊長のベイオーンだ。手足を縛られただけでなく口にも鎖が入れられている。自爆への対応だろう。
さらに多くの兵が外壁の縁に沿う形で座らされていた。その後ろではまるで処刑人のごとく、剣を構えた骸骨戦士たちが立っている。
「もはや我々の勝ちはゆるぎないものとなった。よって……いまこのときより、この神聖都市ヴィフェレスは俺様の支配下に置くこととする」
一方的な宣告だ。
しかし、防衛軍は負けたのだ。
もはや止められる者はいなかった。
「俺様に従うものはここに残り、従わん者はただちに去れ。俺様はとっても寛大だ。去るというのなら、いまだけは見逃してやる」
こちらは戦に負けた側だ。元より殺されてもおかしくはない状況だ。家を捨てれば命が助かるというのなら、たしかに寛大と言えるかもしれない。だが、住み慣れた土地を離れることはそう簡単ではない。民衆が思い思いに声をあげはじめる。
「騙されるな、みんな!」
「あんなこと言って後ろから襲うつもりだぞ!」
「大体、まだ戦いは終わってないだろ!」
「そうだ! 俺たちにはまだリエラ様がいる!」
「ああっ、リエラ様なら必ずあいつを倒してくれるはずだ!」
絶望的な状況の中、民衆に流れていた空気が一転しはじめた。誰もが口を閉ざしていた状況から、あちこちで反抗の意思を見せだしたのだ。
向けられた声は、この身に向けられた〝信頼〟だ。以前までは民から向けられる信頼に応えなければならないと必死になっていた。
だが、いまはどうか。
不思議と他人事のように聞こえてしまう。
どこか遠くで起こっているような、そんな感覚だ。
「たしかにあやつは強かった。お前たちがあやつという希望に縋るのも無理はない。……ふむ、ではそんなお前たちに面白いものを見せてやろう」
カオスが肩越しに振り返ると、悪戯っ子のような笑みを向けてきた。人間の弱さを見ることがなにより好物である彼のことだ。これから起こることがきっと楽しみで仕方ないのだろう。
この身はもはや、彼の楽しみを演出する玩具の1つだ。そう自覚しながら、リエラは躊躇うことなく内側の縁へと歩を進めた。
「紹介しよう。俺様の新しい配下となったリエラ・リィンズだ」
民衆に姿をさらした、瞬間。
先ほどまで騒然としていたのが嘘のように辺りは静まり返った。
みな、信じられないと目を見開くばかりだ。しかし、ぽつりぽつりと言葉を発する者が少しずつ現れ、声が大きくなりはじめる。
「リエラ様が配下って……そんなわけがあるか!」
「きっとリエラ様にはなにか考えがあるはずだ!」
「バカかお前ら!? 魔人が横にいるってのになにもしてないんだぞ! つまり……そういうことだろ」
「やっぱり前の戦いで魔族の助けをしたってのは本当だったのか……」
最初は眼前の光景を信じられない様子だったが、徐々に受け入れる者が現れだした。ついには不信感が高まったか──。
「……裏切者」
ある者からその言葉がこぼれた。
途端に民衆がこちらを見る目に嫌悪の色が滲みはじめる。
「騙されてはなりません!」
流れる空気を一新するほど大きな叫びだった。
声の主は剣を持った女戦士──同僚の聖騎士であるクフィだ。戦闘によるものか、服はぼろぼろなうえに傷だらけだ。
「何らかの力で無理矢理に従わされているのです! リエラ様が魔人に下るなど……絶対にありえません!」
彼女はなおも集まったすべての者に届かせるように声を張り上げ、訴える。その純真な目はとても美しいものだ。
しかし、あまりに想いが強すぎるからか、〝リエラ・リィンズ〟という人間を美化しすぎているようだ。カオスがにやりと笑いながら問いかける。
「ほう、絶対に、か。お前はリエラのことをそこまで理解しているのか?」
「当然です! だから……っ」
クフィが剣を抜くと同時、自身に風を纏わせた。
「原因である貴様を倒せばッ! リエラ様は元に──っ」
そのまま地を蹴り、勢いよく飛び掛かってくるクフィ。残った力のすべてを振り絞ったか、手負いとは思えぬ速さだ。
瞬く間に剣の切っ先がカオスの顔面に迫るが、しかしついぞ触れることはなかった。リエラが直前で間に入リ、剣で弾いたのだ。
「そんな……どうしてっ」
「ごめんなさい、クフィ」
リエラはそう淡々と告げながら、がら空きになったクフィの腹部へと柄尻を見舞った。呻き声をもらしたクフィが勢いよく落下し、地面に激突する。民衆たちは混乱しているのか、こちらと落下したクフィを交互に見ながら言葉を失っている。
「もはやこの身は、あなた方が知るものではなくなりました。操られているわけでも、また脅されているわけでもありません」
この告白をすればきっととてつもない罪悪感に苛まれるだろう。そう思っていたのに驚くほどなにも感じなかった。それどころか胸の内がすっきりしたようにも感じられた。
「わたくしリエラ・リィンズはこの赤角──」
「違うだろう、リエラよ」
「……カオス様に敗北しました。圧倒的な力を見せつけられ、なにもできずに屈したのです。そして……我が身可愛さに、この方の所有物となることを選びました」
言葉では足りないかもしれない、と。
リエラは上衣の裾を左手で少し持ち上げ、へそをあらわにする。
そこに刻まれたのは黒い紋様。
カオスのモノになることを受け入れた直後、刻まれたものだ。
この証がなにであるかを知る者はほとんどいないだろう。だが、禍々しさを感じるものとあってか、すべてを理解したようだ。民衆たちが絶望したように頭を抱えたり、膝をついたりしはじめた。
「こ、こんなの……うそ……うそよ……リエ、ラ……さま……ぁ……あっ、ああああああああああああああああッ!」
クフィに至っては発狂したように叫びながら、泣き崩れている。
「よく言えたぞ、カワイイカワイイ俺様のリエラよ」
カオスの褒め方はまるで幼子に向けたもののようだ。不快感が大半を占めている。ただ、同様にとてつもない安心感を得られた。
刻印契約を結んだ影響か。
あるいは本心から求めているのか。
どちらかはわからない。
ただ、いまはどうでもよかった。
もはや、この身が突き進む道はカオスとともにしかないのだから。
「お願いします。出来ればあなた方と戦いたくはありません」
民衆から向けられた幾つもの目。
その中にはまだわずかな希望を宿しているものも見られた。きっと聖女と呼ばれたこの身に縋っているのだろう。だが、そんなものはもう意味はないのだ、と。
そう告げることが自分の……最後の務めだ。
「どうか降伏してください」
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