第四十話 疲労困憊
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「とりあえず。ある程度はアイツから離れたけど……本当に攻撃してこなかったな……」
雷雲が覆っていた空に光芒が差して、徐々に晴れやかになっていく一方で、太陽の恩恵は弱まって日没まで刻一刻を争う。
現在地は両脇に連なる山々を控えた地点の上空。
なんとかデットを退くことができてから、しばらく経った。
安堵の息をついていたが、それも束の間。
全身が重たく倦怠感が酷い。気力と体力ともに限界寸前で疲労困憊。
辛うじて風魔法で飛行することができ、港町チックへ向かうことができているが、今までまともな休憩を取れていない。
そのせいで扱える魔力量が少なく、俺の風魔法に組み込んだはずの効力も発揮できず、風圧が思うように調整できない。
先を急ぎたいのに周囲の景色にさほど変化がない。距離を稼げていない感があって実際問題でもあった。
竜と悪天候に加え、デットの戦闘で時間がわからず負傷した挙句力の大半を使った。
その結果、力の温存ができないまま向かう羽目になった。
俺は神の眷属としてこの世界に来たが、人間を完全に捨てきったわけじゃない。だから休息や睡眠なしでいられるなんてことはない。
だから今、俺は眠い。
「くっそぉ……こんなとこで朝を迎えるわけにはいかない……。でも、最悪そうなったとしても優花たちに託すしかない。優花たちはチックに着いたのかな……?」
だれでもいい。緊急クエストの猶予に間に合えばいい。
金銭的問題で始めた冒険者だから、クエストの報酬云々も気にするけど、今回は緊急の文字がある。人命が最優先だ。
設定された一日という猶予はおそらく、被害者が出た場合のタイムリミットも意味すると思う。
それも多く見積もっての話。
基本的にこの世界は魔獣と魔物が蔓延る危険な世界だ。都市や町村から外部へ行く場合は危機管理が重要。特に人の往来がない場所の場合はなおさら。
そんな世界でなにかあるとすれば、大抵はそれによる被害。今回のもその被害だ。
俺が元いた世界の動物以上に本能に忠実なヤツが大半。竜がいい例だ。
神界で読みふけった魔獣に関する書物には、コミュニケーションの取れる魔獣・魔物となれば稀有だとか。その稀有な存在こそが世界の保守を目的としている。
でも逆を返せば、大半は崩壊を目的としている。
正直なところ、その間をとった犬や猫みたいな感じだったら愛くるしさはあったのかもしれない。
そんな愛くるしさはなく崩壊を目的とする魔獣・魔物が、人間を目にしてなにをするか。
どちらにしろ、余裕がないことは確かだ。
「でも、一日ってな……確か朝だっけ。王都を出て転移魔法でメスクに到着したときからクエストに向けて集まってたからな。時間を判断しようにも国王陛下のお屋敷で見た時計を参考にしてもいいけど、正直言って信用ならないんだよなぁ。この世界は数字としての時間の概念があまりないように感じる。時計が貴重だから、結局は日の出と日の入りで判断するみたいな話をサリスがしてたし……」
俺は一日の猶予という言葉に対し、悩んでも仕方がないようなことを少しばかり悩んでしまった。
悩んだ末、最終的に結論付けたのは自分の言葉にもあったことだ。
「やっぱ、日の入りとともに一日だよなぁ。夜っていう不利で本能に従わなくちゃいけない時間帯を含めるのもどうかと思うし、仮にそうだとしても睡眠を取るだろうな。寝不足なんていいことないし……」
色々考えられることはあるけど、この場でどう結論付けようが先を急ぐ行動を継続するほかない。
俺は自分に「大丈夫」と言って、繰り返し言い聞かせながら飛行を続けた。
でも、心身とともに疲労が溜まった俺は意識が薄れ始めているのに気が付いた。
つい考えるあまり、異変を押し殺していたみたいだ。
負傷している時点でなにか起こってもおかしくない状況で、デットとも戦闘を繰り広げた。耐えた丈夫な自分を、心の中で称賛してやりたいぐらいだ。
だけど、心の中で自分を称賛するほどの余力すら、徐々に消失していくのがわかった。
まるでこの瞬間、だれかによって魂が抜き取られているようだった。意識を保つことに必死になり始めている。
風魔法のほうも、時折そのせいで魔法陣が薄れて解除寸前になった。
なんとか持ちこたえようと抗うが、長く維持するのも困難。
すでに瀬戸際だ。
これは睡魔なのか、それ以外の可能性も捨てきれないけど重力に身を委ねる気はない。
死へ真っ逆さまだ。
「やめ、ろ。やめろ。横へ動くな。変に……動くな。揺れるな。頼むから、飛び続けていたいのに……こんなところで俺は、俺は……――俺はッ!」
まるで天変地異でも起きたのかと思うほど視界は上下左右に揺動を繰り返す。
どちらが空で、どちらが地上で、前はどこか。ひたすら視界で探し続けるも、判断するに至らず。
時には手を伸ばして基準として、とりあえず上下左右だけでも確かめようと試みてもわからない。
まるで治ることを知らない。
それは俺が知っている睡魔とは違った。
気付けば頭痛も伴い、その激痛でどうにかなってしまいそうだった。
しばらくは、その状態が継続すると風に変化があった。
飛行を続けているなら逆風か追い風のはずだが、なぜか強風が下から吹いているのを感じた。
俺は自分を持ち直そうとする傍ら、風魔法が解除されたのでは、と不安を抱かずにはいられなかった。
だが、そんな不安すらも意識とともに消えかかっていた。
抗うほどの気力はなく、脱力感に満ち溢れた。
やがて、身体は強風でヨットの帆のようにぞんざいに振り回され始め、落ち着いたかと思えば猫背になって背後から落ちる態勢に移り変わっていた。
両腕は神経麻痺でもしたのかと勘違いするほど力が入らず、強風になびいていた。
すぐ真下に恐怖があることを感じるが、揉み消された。
ついには、視界も狭く細くなって閉じていった。
そして……――
『起きろ!』
どこか聞き覚えのある男声に起こされ、俺は目覚めた。
その途端、俺の感覚すべてを感じた。そして頭がコクっと後ろへ倒れれば、視界の両端に木々が密集して生え、地上が近いことを示していた。
俺は歯を食いしばり、反射的に収納魔法を発動させ神剣を取り出すと、絶叫して融通の利かなくなった身体を無理にでも捻じらせ動かした。
勢いのまま神剣を振りかざして空中で待機するが、地面という死は目と鼻の先だった。
決死の思いで振り下ろし――
「【爆風】」
発動させる。それも魔力の調整など意識せず。
周囲の地面は爆発の衝撃で亀裂が走り、土砂の多くが宙に舞い上がって爆音が轟いた。
土煙が視界を覆うも、爆風がその威力を上げる。風刃を形成し竜巻のように範囲攻撃となって広範囲の地面が削られ、そのたびに大量の土砂が舞う。
だが、反射的かつ扱える魔力量が少なかったことで効力をすぐに消失した。
宙に置いてきぼりになった土砂は、俺の頭上から雨のように降り注いだ。
気付けば俺は、なんとか無傷で着地できた。激痛は感じられない。体勢はうつ伏せになってそのまま倒れているだけ。
だが、安堵なんて言葉は一文字も浮かばなかった。
「ま……だ……こんな、ところぉ……で――」
どうにかしてチックに辿り着きたい。
そう意思を抱いて、足掻こうと力んでも、腕力は空しくも俺の身体を支えられない。
手足を支えにしても、身体を捻らせても――。
声を出したらより力が入るとか、学校かどこかで聞いた覚えのある方法を試しても少しの変化もない。
力んだつもりでも、力はまるで入っていない。
ただえさえ意識を失いかけているというのに、足掻こうとして残りわずかの気力と体力を浪費させてしまった。
それでも行きたかった。優花たちの元へ。
俺にとって、優花はただ一人の親友。いや、そう俺が勘違いをしているのかもしれないけど、望みを抱いていた。
そして、サリスやジーク、クラリ、フルト。
今では一緒にいてくれる人がいる。
「頼、むっ……頼むッ……頼むッ! 動いてくれ!」
その一言を言い放った瞬間俺は、ふと意識を手放して暗闇の世界に誘われた。
そして彼は、日没となっても起きる気配を見せなかった――。




