閑話 シズの休日
シズがそのカフェに立ち寄ったのは、ほんの偶然だった。
たまたま休みで、気持ち良く晴れた日だったから、減っていた日用品とヴァルテール孤児院への差し入れを買いに街へ出かけたのだ。
その際に、どうせなら早めに昼食も済ませてしまおうと思い、店を探していたところ、目に入ったのがその店だった。
時告げの大通りから少し逸れて奥へ入った先に、そのカフェは建っていた。コック帽をかぶった鳥が描かれた看板が、なかなか洒落ている。
これまでに何度か店の前を通ったことはあるものの、中へ入るのは実は初めてだった。
どんな店かな、美味しいといいな。
シズはそんな期待をしながら、ドアベルを鳴らして中へと入る。
すると焼いた肉の香りが出迎えてくれた。
何となく店内を見れば、客が二人ほど席に座って食事をしているようだった。
「いらっしゃいませー!」
給仕の女性が、すぐにシズに気が付いて笑顔で迎えてくれる。
彼女に案内されて窓際の席についたシズは、隣の椅子に荷物を置くと、さっそくメニュー表を手に取った。
(んー、何にしよっかな……って、あ、ここもオムライスがある)
上から順番に眺めていたシズは、ちょうどそこで目を留めた。
オムライスは最近よく食べる料理の一つである。
と言うのも、実はレイヴン伯爵家では今、ちょっとしたオムライスブームが起きているのだ。
きっかけはテオの一件だ。表情の変化が薄い彼が、オムライスを食べる時は美味しそうに顔を綻ばせるのを見て、皆がつられて「自分も」と料理長のハンスにリクエストするようになったのである。
そうして、今では誰が一番上手にケチャップで絵を描けるか、という何とも可愛らしい戦いまで発生していた。
最初にエントリーしたのアナスタシアやヴァルテール孤児院の子供たち。そこへロザリーやガースなど、大人たちも参戦し始めて、シズも面白そうだと名乗りを上げたのだが――なんとそこにローランドも混ざったのである。
真剣な顔でケチャップを手にしたローランドを見た時のあの衝撃を、シズは生涯忘れられないだろう。彼と昔から付き合いのあるライヤーですら、驚きすぎて固まっていた。
(いやー、驚いたけど、あの方って結構ノリがいいんだよな)
だから人から好かれるのだろうなと、思い出してシズがくすりと微笑っていると、カランコロン、と再びドアベルが鳴った。
「いや~、腹減った! さすがに朝から何も食べてねぇときついわ」
続いて聞こえてきたのは、豪快で明るい男の声だ。
「ん?」
覚えのある声に、反射的にシズは入口の方へ顔を向ける。
そして、そこに立っていた派手な装いの男を見て「あ」と口を開けた。
「ウィリアムじゃん」
「ん? おお、シズじゃねぇか。珍しいところで会ったな」
手を振って呼びかければ、その男――海都レインリヒトの元海賊ウィリアム・ガーランドはそう言って、シズの席へとやって来る。
「今から昼飯?」
「そうそう。そっちも?」
「おう。ジャックの旦那に頼まれた仕事が、ひと段落したんでな。シズは……って、お嬢様と一緒じゃねぇの?」
「今日は休みでさ」
「へぇ、そいつはいいねぇ」
ウィリアムはニッと笑うと、シズの向かい側の席へ腰を下ろした。
「ウィリアムこそ、トリクシーちゃんは一緒じゃないの?」
「まーな。来たがってはいたんだけど、今は勉強に集中してるとこなんだ」
「あら、勉強?」
「ああ。レイモンド様に教わってるんだよ」
「レイモンド様? アナスタシアちゃんのお父さん?」
そうそう、とウィリアムは頷いた。
意外な人物の名前が飛び出して、シズは目を丸くする。
アナスタシアの父、レイモンド・レイヴン。
レイヴン伯爵領の元領主で、罷免された後は海都で療養していた。第二夫人を失ったことで彼は精神的にひどく不安定になり、そこからずっと抜け出せずにいたようだ。
海都で起きた騒動を経て、少しずつ良くなっているという報告は聞いていたものの、まさかトリクシーに勉強を教えているなんて思いもよらなかった。
彼女と手紙のやり取りをしているアナスタシアからも、そんな話は聞いていない。恐らくアナスタシアも知らないことだろう。
驚くシズに、ウィリアムは悪戯が成功した子供のようににんまり笑う。
「医者の先生が言うには、リハビリの一環なんだそうだ。今のレイモンド様なら、人と接した方が良い刺激になるだろうってな。そこで皆で相談して、最初は子供たちがいいだろうってなったんだと」
「へぇー。あ、でも、貴族のお子さんたちじゃないんだね」
「そこはなー、ほら、忖度がなー」
「あー、なるほど?」
言わんとしていることがなんとなく分かってしまって、シズは苦笑する。
要は裏を読む必要のない相手との自然なやり取りが望ましい、ということだろう。
「それでトリクシーちゃんに?」
「そういうことだ。トリクシーとお嬢様は友達だからな。そういう意味でも、お互いに印象は悪くないだろって頼まれた。ま、アルバイトみたいなもんだ。そのお礼として、トリクシーは勉強を教えてもらうことになったんだよ」
「なるほどなぁ」
シズは感心して頷いた。
ちゃんと対価があることに、海都の人間らしさを感じる。
しっかりしているのは良いことだし、その方が後腐れもないだろうから、一番だなぁとシズが思っていると、
「どうもトリクシーの奴、ランツェモントに行きてぇみたいでよ」
と、ウィリアムは続けた。
思わずシズは、軽く目を開いた。
ランツェモントというのは、正式にはランツェモントアカデミーという、王都にある学校の名前だ。シズの母校のグナーデシルト騎士学校と対を成す、領主や文官などを目指す者が通う学び舎のことである。
貴族の子息・子女が多く通っており、そのため一般的には『貴族の学校』というイメージが強い。しかし、別に平民の入学を禁じているわけでもなく、優秀な者ならば身分問わずに入学が可能だ。
その学校にトリクシーが入りたいと頑張っているらしい。
「ほら、学校を作るって話だろ? 最初はさ、そっちを楽しみにしていたみたいなんだがな……」
ウィリアムは人差し指を口の前に立てて、ほんの少し声を潜めると、
「お嬢様と一緒の学校で勉強したいんだとさ」
と、微笑ましそうに言った。
ああ、とシズもつられて笑顔になる。
「それはアナスタシアちゃん、喜ぶだろうなぁ」
「だろ? ってわけで、まだまだ先だけど、結果出るまで内緒な」
「もちろん! ってか、それさ、俺が聞いちゃっていいの?」
「まーな。シズは見かけによらず口は堅そうだし、バレないように立ち回るには、共犯者がいてくれると都合がいい」
「見かけによらずは余計だけど、大役をもらっちゃったなー」
シズは冗談めかして返しつつ、
「受かるように願ってる」
胸に手を当てて言えば、ウィリアムはニッと笑った。
「おう、ありがとな。トリクシーにも伝えとく」
それから彼はメニュー表へ目を落とす。
「さーて、そろそろ注文するかねぇ。俺は……んー、そうだな、オムライス……いや、今日は肉か。シュニッツェルにしよう」
「あ、じゃあ俺もそうしよ」
何にしようかまだ決めかねていたので、シズも同じものを注文した。
「そういやトリクシーから聞いたんだけど、お前さんたちの間でオムライスって流行ってんの?」
「うん、三日に一回はオムライスだよ」
「へぇー」
「ケチャップで絵を描くと、より美味しくてさ」
「ケチャップの味のおかげじゃないの?」
「それだけじゃないんだな~これが。何でか分からないけど、絵を描くと不思議と美味しいんだよ。で、誰がケチャップで一番上手く絵を描けるかで競ってる最中」
「どういう競争をしてらっしゃる?」
厨房の方から美味しそうな香りが漂う中、二人はしばらくオムライスの話に花を咲かせたのだった。




