第十四話 彼の選択
領都クロックボーゲンの時計塔――その展望台にテオはいた。
靴の音を頼りに、一気に階段を駆け上がったアナスタシアは、肩で息をしながら彼に呼びかける。
「テオさん、帰りましょう」
「……私は」
テオは僅かに顔を動かし、こちらを向いた。
暗い顔だ。背中に背負った太陽が、彼の顔に陰影を落としているのが、よりそう感じさせる。
「……全部を思い出しました。私が何者で、今まで何をしていたのかも」
ぽつりと、零すように彼は言う。
その声は弱々しく掠れていた。宝石のような彼の瞳も、どんよりと濁り、自然と下へ落ちていく。
「私はあなた方の敵で……ただの犯罪者です」
「そうですね。これまでのテオさんはそうでした。今は――」
「いいえ。今も昔も、それが私です」
テオは力なく首を横に振る。
「命令がなければ何もできない役立たず。それが私です。アーデンですら、今の私を裏切り者と判断するでしょう。私はどこへも行けない、どこにもいる場所はない」
虚ろな目でそう呟きながら、テオは展望台の手すりに、背中を向けたまま上る。
(まさか――)
アナスタシアは血相を変えた。
「テオさ――」
「人生を変えるような出会いなんて……なければよかった」
テオは泣いているような顔で薄く微笑むと、そのまま時計塔から身を投げ出した。
仰向けに、彼の体が落ちて行く。
「――っ」
その瞬間、アナスタシアは弾かれたように、それを追いかけて飛び出した。
手すりを掴み、よじ登り、宙を飛ぶ。
躊躇いも恐怖もなかった。
逆にテオの方が、驚愕に目を見開く。
アナスタシアはテオに手を伸ばす。そして風にあおられ浮かび上がった彼の手を、ぎゅっと掴んだ。
「何をして……!」
その驚きはもっともだろうなと思いながら、アナスタシアはにこっと笑った。
「理想の騎士と呼ばれたアーサー・レイヴンは、相手が誰であっても手を差し伸べたそうです。ここは騎士の領地で、私はアーサー・レイヴンの子孫です。ご存じでしょう?」
だから助けるのだと。手を伸ばすのだと。
言葉よりも行動で示し、アナスタシアは自由な方の手で、緑色の水晶玉を引っ張り出して握った。
ぱんっ、と小さな音が響く。
すると水晶玉からぶわりと、傘のような布が広がった。学校に置く避難用の魔法道具のパラシュートだ。
淡い緑色の光が紐のように、アナスタシアとテオの体にふわりと巻き付く。同時に傘状の布の中に、風が吹き始めた。
直後、二人の落下速度が緩やかになる。
「よし、上手くいきましたねぇ」
「……何でも助けるのですね、あなたは。ありえません」
呆然とした声でテオは言う。
ありえない、と口にしつつも、彼はアナスタシアの手を振り払うことはなかった。
「何でもは無理ですよ。私個人が一人で助けられるのは、目の前の人だけです。そして、目の前にはあなたがいた。助ける理由はそれだけです。それに、助けられるとも思いましたから」
アナスタシアはパラシュートを見上げる。
傘のように広がった布は、魔法で生まれた風を受けて、大きく膨らんでいた。
「どうです? 自分で言うのも何ですが、私の魔法道具はなかなかのものでしょう」
「それは……そうですが。ですが私など助けたところで、何の意味もありません」
「何故?」
「……私は死ぬ。それは決まっていることです。死ななければ、私の生きた意味がない」
「おや、それならば、まだまだ猶予がありますね」
「え?」
テオはぱちりと目を瞬く。
アナスタシアは、水晶玉を握っていた方の手の人差し指を、まるで先生のようにピンと立てた。
「私たち生き物はいつかは死にます。それは今かもしれないし、ずっと先のことかもしれない。だからね、テオさん。まだまだ先で良いんじゃありませんか? 具体的には、そうですねぇ……私のオムライスの絵が上手くなるまで」
「…………それは、いつまでかかるのですか?」
本当に困った様子のテオの言葉に、アナスタシアは素知らぬ顔で「さあ」とだけ返す。
「五十年、六十年は先かもしれませんねぇ。私、長生きする予定なので」
「……それは、あまりにも都合の良い話です」
「世の中には、わりとそういうことがあるみたいですよ」
理不尽なことの多い世の中だ。けれども、だからこそ、都合の良いことだってあっていいとアナスタシアは思っている。
「…………あなたは。あなたは私を……生かしたいのですか?」
「はい」
その問いかけには、アナスタシアは先ほどと違って、はっきりとした声で頷いた。
「理由は色々あります。甘いと言われるだろうなって理由も、そうじゃない理由もあります。その上で、私はテオさんに生きていてほしいです」
敵が味方に――それを気にしているのならば、アナスタシアはメレディスとヴァレリーを勧誘することはない。
そもそもロザリーやガースの時だって同じだ。罪の重さに違いがあるとしても、敵対していた相手であることは変わりない。
危険性を何度も説かれた。それを承知した上で、アナスタシアは彼女たちを誘ったのだ。
一緒に、レイヴン伯爵領のために働いてくれませんか、と。
「私は」
テオは奥歯を、ぐっ、と噛みしめる。
「……楽しかった。あんなに穏やかな時間を過ごせたのは、生まれて初めてだった。オムライスに絵を描いたら美味しいことも、ありがとうの言葉が嬉しいのも、何も知らなかった……!」
吐き出すようにテオは叫ぶ。
くしゃりと歪んだ彼に向かって、アナスタシアは微笑んだ。
「テオさん。帰ってオムライスを食べませんか?」
「――――」
テオは目を見開いた。
「帰り、たいです」
彼が選択した時、二人はそっと、地面に降り立ったのだった。
本日、十八時にもう一話投稿します。




