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## 第五章 灰色の夜

---

 主塔に戻り、エドモンが書物の保管について話し始めた。


 ドレクは宝箱の傍に座り、腕を組んでいた。さっきまでの興奮が嘘のように消えている。しばらく黙っていたが、やがて「まあ、一晩考えてもいいか」と言った。声が穏やかだった。「急ぐ話でもない。明日の朝、改めて話し合おう」


 エドモンが少し驚いた顔をした。「……そうだな」


 「厠を借りる」ドレクは立ち上がり、部屋の外に出た。


 アレクはドレクの背中を見ていた。急に折れた。あの金に執着する男が、あっさり引き下がった。変だ、と思った。しかし理由が見つからなかった。人は頭を冷やすこともある。


 ドレクがしばらくして戻ってきた。顔が穏やかだった。穏やかすぎた。


 ガストンはドレクの変化に気づいていなかった。仕事は終わった。山賊は全滅した。報酬を持って帰るだけだ。荷物から干し肉を取り出して、「そうですね、飯を食って頭を冷やしましょう」と言った。エドモンにも一切れ差し出した。傭兵にとって、戦闘の後の食事は儀式に近い。生き残ったことを確かめるための行為だ。


 ドレクがガストンの隣に腰を下ろした。近い。普段のドレクなら離れて座る男だ。


 「手打ちってことで」ドレクがガストンに向かって片手を上げた。笑っている。「さっきはつい熱くなったが、一晩寝れば頭も冷える。あんたの言う通り、依頼通りに領主に持っていくのが筋だ」


 「まあそうですな」ガストンが笑った。干し肉を歯で引き千切りながら、肩の力を抜いた。


 その瞬間、ドレクが短剣を抜いた。


 笑顔のまま、ガストンの脇腹に突き立てた。


 ガストンは干し肉を噛んだまま、それを見ていた。反応できなかった。仕事が終わったと思っていた。終わった仕事の後で、隣に座った味方に刺されるとは思っていなかった。声が出なかった。


 と同時に、城内の廊下から足音が響いた。ハンスだ。縄が切られている。後ろから山賊の残党が数人なだれ込んできた。


 「ドレクと話した。一緒にやろうと言われた」ハンスは静かに言った。「財宝の山分けだ」


 アレクは剣を抜いた。エドモンも構えた。


 ガストンが倒れていた。


 動かなかった。


---


 狭い主塔の入口で、乱戦になった。


 ドレクが腰の斧を抜いてエドモンに打ちかかる。エドモンが盾で受けながら押し戻す。アレクは残党と向き合った。ハンスが後ろで短剣を構えている。


 山賊の残党は三人。廊下から出てきた者たちで、動きが統制されていない。ドレクに言われて動いている、烏合の衆だ。


 ファビアンが残党に踏み込んだ。剣が素早く動く。無駄のない動きで次々に制していく。頼もしかった。


 アレクは弓を使えない距離だった。剣で残党の一人を押さえながら、ハンスの動きを目の端で追う。ハンスは戦う気よりも逃げ場を探している目だった。それでも追い詰められれば動く。


 エドモンがドレクを追い詰めていた。盾で押し込み、斧の間合いを塞いで接近する。ドレクの斧が大きく振られ、受けた盾の縁が跳ね上がった。刃がエドモンの右腕を掠った。血が滲んだが、エドモンは引かなかった。


 ドレクが踏み込んだ。エドモンの盾が弾かれた隙に、斧が横に振れる。エドモンは半歩引いたが、防ぎきれなかった。


 次の瞬間、エドモンの剣がドレクの胸を捉えた。


 ドレクは斧を持ったまま、その場に崩れた。


 残党の動きが乱れた。ファビアンが素早く動いて二人を制した。ハンスがアレクに向かってきた。短剣を持っているが、体が震えている。剣を持つ手が定まらない。


 長くはかからなかった。ハンスは最後まで剣を手放さなかった。


 城内が静かになった。


 アレクはガストンの傍に膝をついた。


 動かなかった。


 「……ガストン」


 返事はなかった。ドレクの最初の一撃が、深すぎた。傭兵として長年鍛えた体が、それでも仕事が終わったと思った一瞬の油断を埋めることはできなかった。


 アレクはしばらくその場を動かなかった。


---


 ファビアンがドレクの死体の傍に屈んだ。書物が落ちていた。乱戦の中でドレクが持ち出していたものだ。ファビアンはそれを拾い上げ、表紙を一瞥した。


 「……こんな紙切れのせいで、さんざんな目にあったな」


 穏やかな声だった。剣は抜いていない。


 アレクが振り向いた瞬間、ファビアンは近くの松明を取り、宣言もなく書物に押しつけた。炎が紙に移った。燃えたまま床に落とす。


 アレクは咄嗟に動いた。足で踏もうとした。ファビアンが立ちはだかった。


 「どういう意味ですか」


 「その書物が世に出ても、混乱するだけです。現在の教義と相反する記述が広まれば、教会だけでなく、それを信じて生きている人々も揺らぐ。あなたも分かっているでしょう。知識は、扱う人間次第で凶器になる」


 「ゲルドの人たちが命をかけて残した記録です。消された歴史です。それを今度は俺たちが消すんですか」


 「歴史は消えることもある」ファビアンは静かに言った。「それでも人は生きています。今ここに生きている人間の安定のほうが、過去の記録より重いこともある」


 「あなたはそう思っている。教会もそう思っている」アレクは言った。「だから消したんでしょう。ずっと」


 ファビアンは答えなかった。その代わり、松明を手に取った。


 「返してください」


 「そういうわけにはいかない」


 アレクとファビアンが向き合った。書物は燃えながら床に落ちている。エドモンは壁に寄りかかっていた。右腕の傷を押さえており、すぐには動けない。


 剣が抜かれた。


 「止めろ」ファビアンが言った。「書物はもう燃えている。これ以上は無駄だ」


 「まだ残っている」


 「あなたが傷つく意味はない。引いてくれれば、それで終わりにする」


 ファビアンがショートソードで踏み込んできた。速い。剣技は確かで、正面から受けると重い。アレクは押しながら間合いを測った。ファビアンの腕の長さ、足の踏み込みの深さ——エドモンやヴォルフとは動きの質が違う。洗練されている。


 打ち合いながら、アレクは書物を踏もうとした。ファビアンがそれを読んで横に動き、書物との間に入る。


 焦らない。アレクはファビアンの動きに集中した。ショートソードの角度、重心の位置、呼吸のタイミング——


 ファビアンの左手が動いた。空いていたはずの手に、いつの間にかナイフが現れている。右のショートソードで目を引きながら、左のナイフが内側から突いてくる——視覚から完全に消えた角度だった。


 アレクは体を捻ってかわした。


 ファビアンの動きが止まった。一瞬だけ。


 「……なぜ」ファビアンが言った。声に初めて感情が滲んだ。「見えたのか」


 「分かりません」アレクは正直に答えた。「体が動きました」


 ファビアンはアレクを見た。目だけが冷静なまま、その奥に何かが動いた。


 「噂通りか」


 低い声だった。独り言のようだった。


 書物の炎が大きくなっていた。すでに半分以上が燃えている。


 ファビアンはアレクから目を離さず、後退した。アレクは追おうとして——足が止まった。書物と、ファビアンと、どちらを選ぶか。


 一秒では決められなかった。


 書物は燃え尽きた。


 ファビアンは窓から外に出た。崖側の窓だった。城壁を伝って降りる音がして、それも消えた。


 アレクは燃え残りの灰を見た。


 文字の形が一瞬残り、崩れた。


---


 夜が明けた。


 エドモンがカルカスに伝令を出した。山賊の討伐完了と、生存者なしの報告だ。


 朝の光の中で、城を改めて見回した。宝箱の金銀財宝は残っている。白竜の像も残っている。書物はない。ガストンも、いない。


 「エドモン殿」アレクは言った。「報告はどうされますか」


 エドモンは少し間を置いた。「山賊退治は完了。ガストン死亡。ドレクは裏切り、戦闘で死亡。ファビアンは素性不明の者で、逃走した。遺物については——」


 止まった。


 「燃えた。何も残っていない。それだけを報告します」


 アレクはエドモンを見た。エドモンはアレクの目を見ていた。揺れてはいない。決めている顔だった。


 「……分かりました。その判断に従います」


 白竜の像は穴の中に戻した。扉を閉め、蔦を戻した。


 ガストンの遺体を城から運び出すのに、二人では時間がかかった。


---


 翌日、アレクはカルカスを出発した。


 マルクから報酬の金貨十枚を受け取り、エドモンへの礼を言った。エドモンは硬い顔で頷いただけだった。それ以上、何も言わなかった。


 西門を出ると、石畳ではなく土の道になる。街道の両側に石灰岩の丘が続き、オリーブの木が朝の光を受けていた。銀色の葉が風に揺れている。


 ガストンが「一番いい時期は春の終わりだ」と言っていた。ラベンダーが咲く頃、この道は紫になるという。


 フィーアが外套から顔を出した。エルフ語だった。


 「あの聖書、頭には入ってるんでしょ」


 「読みましたから。ほとんどは」


 「じゃあ消えてない。記録は残ってる」


 「俺の頭の中にだけ。証拠がない。俺が何を言っても、妄想と同じだ。あのファビアンもそれを分かっていて、だから燃やしていった」


 フィーアは少し黙った。「ひどい話ね。ヴォルフたちだって、半年かけてやっと見つけたのに」


 「……ああ。でもそういうやり方が、今まで通用してきたということだ」


 「それで、悔しくないの」


 「悔しい」アレクは素直に言った。「ガストンを失って、書物まで燃やされた。ただ終わったとは思いたくない。でも今は、何もできない」


 オリーブの木の間に、丘の稜線が見えている。昨日まで泊まっていた城塞都市が、丘の上に小さく残っている。石の城壁と教会の鐘楼。白い朝の光の中で、静かだった。


 「今回はモンスターじゃなかった」アレクは言った。「欲で動く人間と、組織の命令で動く人間が相手だった。どちらも、自分の理屈を持っている」


 「人間のほうが厄介でしょう?」


 「……ああ。モンスターは、少なくとも嘘をつかない。自分の都合で歴史を書き換えたりしない」


 フィーアは外套の中で腕を組んだ。しばらく何も言わなかった。それから、小さな声で言った。「でもあなたは覚えてる。それだけは消えてないわ」


 アレクは何も答えなかった。ただ歩いた。


---


 街門の石垣に、旅装の女が腰かけていた。膝の上に楽器を持ち、弦を一本ずつ調整している。アレクが通りかかると、女は顔を上げた。目が合った。


 女は何も言わず、視線を弦に戻した。


 アレクは足を止めなかった。


 少し歩いてから、フィーアが囁いた。「あの人、昨日の夜もいなかった?」


 アレクは振り返らなかった。街道が続いている。東の丘陵の先に、次の街道がある。


 「さあ」


 朝の光の中、足音が遠ざかっていった。


---


## エピローグ


 高い天井に、色ガラスの光が降りていた。


 壁面を埋める柱廊、石の床、奥に並ぶ長椅子。礼拝堂ではなく、会議室として使われている区画だ。上座の長机に、四人が並んでいた。


 中央に老人。白髪を短く刈り込み、顔の皺が深い。黒と金の法衣は最高位の意匠だ。その右に、四〇代の恰幅のいい男。羊皮紙と羽根ペンを手元に置き、書記を兼ねている。左には三〇代の細身の女。顎が角張っており、視線が鋭い。端に、若い男が一人。二〇代後半で、三人より格が落ちる。


 ファビアンは白と金の聖騎士の装束で、机の前に立っていた。旅装ではない。本来の姿だった。


 「書物の件から聞きましょう」老人が静かに口を開いた。「回収できましたか」


 「燃やしました。本物でした。内容は教義と相反する記述を含む原典の写本です。現物はもうありません」


 恰幅のいい男が羊皮紙に何かを書き留めた。


 「もう一つの件を」老人が続けた。「例の青年の件です」


 ファビアンは姿勢を変えずに続けた。フェズの件の噂は実話と判断する、と。根拠を挙げた。フェズの古代竜。メデューサ。キメラ。今回の件。いずれも単独、非戦闘職、神や邪神の加護なし。通常の冒険者では接触すら難しい相手と、繰り返し渡り合っている。複数の目撃証言を照合した。いずれも一致する。


 「フェズは吟遊詩人の誇張だという話だったが」恰幅のいい男が眉を寄せた。「本当に一人で古代竜と渡り合ったのか」


 「現地の証言を複数確認しました。誇張ではありません。古代竜を倒せる状況で、倒しませんでした」


 沈黙があった。今度は長かった。


 「なぜ倒さなかったのだろう」老人が独り言のように言った。


 「今回、直接観察しました。恐れていたわけではない。ただ……必要がないと判断したように見えました。竜と交渉できる人間がいるとすれば、あるいは竜が従う理由が別にあるとすれば、それはそれで問題です」


 「等級は。神の加護はあるのか」細身の女が口を挟んだ。声が低く、質問というより確認するような言い方だった。


 「等級は新人ですが、実力はベテランと変わりません。しかし英雄には遠く及びません。加護は、神のものも邪神のものも感じられませんでした。ただの人間です。それで古代竜と渡り合えるのは……」ファビアンは言葉を選んだ。「説明がつきません」


 四人が顔を見合わせた。


 「排除すべきでしょう」若い男が言った。「放置すれば制御できなくなる。今のうちに手を打つべきです」


 「早計です」恰幅のいい男が首を振った。「敵に回したときの損失が読めない。そもそも今は何もしていない。根拠なく動けば、こちらが問題になる」


 「取り込むことはできませんか」細身の女が言った。「加護こそないが、あれだけの能力があるなら、使い道はある。教会の旗の下に置ければ、むしろ資産になる」


 「本人が従うとは限らない」恰幅のいい男が言った。「今回の件を見ても、筋を曲げる人間ではなさそうだ」


 議論は短くまとまらなかった。最終的に、老人がゆっくりと口を開いた。


 「観察対象とします。接触はしない。動向だけ把握しておきなさい。何か動きがあれば即座に報告を」


 「承知しました。引き続き注視します」


---


 廊下に出ると、二人が待っていた。


 セレーナとエリカ。知らぬ者のない英雄たちだ。教会の加護を受け、神に愛された剣士と、天使に愛された術士。廊下の柱に背を預けて、ファビアンを待ち構えていた。


 「ファビアン」


 セレーナが声をかけた。英雄の名に恥じない立ち姿だった。廊下の光を受けて、白銀の髪が輝いている。その隣でエリカが小首を傾けた。どちらも、ファビアンより階級は遥かに上だ。


 「お疲れ様でした。少し伺ってもよいですか」


 「……お二人には筒抜けでしたか」


 「廊下に響いてきました。壁を薄くしすぎです、この建物は」実際、そんなわけがないのだが、セレーナは悪びれもせずに言った。「で、その青年というのはどんな人なの。報告だけ聞いていると、どうにも像が結ばなくて」


 「普通の青年です。セレーナ様が想像されるような英雄然とした人物ではありません。見た目も態度も、冒険者の卵と大差ない」


 「それで古代竜と渡り合えるの」エリカが首を傾げた。


 「だから問題なのです」


 「ふうん」セレーナはしばらく考える顔をした。「それで、性格は? 危ない人?」


 「人格は良い人ですが。教会にとって危険な人物かどうかで言えば——判断が難しい。ただ」ファビアンは少し間を置いた。「セレーナ様のことを美人、エリカ様のことを可愛いと言っていました」


 二人が顔を見合わせた。


 「性格は良さそうね」とセレーナが言った。


 エリカが少し頬を染めた。「可愛い、って……私のことを?」


 「事実かどうかのご判断はお二人に委ねます」


 「そういう問題じゃないでしょう」エリカが言った。


 セレーナが腕を組んだ。「なんか、普通の人ね」


 「普通の人です。たぶん」ファビアンは歩き出した。「そこが問題なんですよ」


 廊下の窓から、街の喧騒が聞こえていた。どこかで子供が笑っている声。鐘楼の鐘が、低く鳴り始めた。



Geminiに評論と問題点指摘をお願いしたところ。

ヒロイン不足で「おっさんパラダイス」と評されてしまいました。

確かに、ヒロインが居ない。

う~ん。


「イースみたいに『現地妻』を入れてみたら?」とのAIのアドバイス。

何とも生々しい。

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― 新着の感想 ―
ちっちゃな妖精ツンデレヒロインがいるので、十分ですね。 面白いです。 続きも楽しみにしています。
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