89話 神核の脅威
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エリシアは、遠くに立つ神の姿を見た。
森の奥。
ヴォルツの王宮があったはずの場所から、巨大な影が天へ伸びている。
岩。
古樹。
根。
苔むした大地。
それらすべてが人の形を取り、巨大なエルフの王のように立っていた。
枝分かれした冠が空を裂き、深い翠の瞳が森全体を静かに見下ろしている。
ただ立っているだけで、空気が重かった。
エリシアは本能で理解した。
あれは魔物ではない。
六魔星ですらない。
もっと古く、もっと深く、この世界の底に眠っていた何かだ。
「……神核」
エリシアは小さく呟いた。
昔、兄であるルシエルから聞いたことがある。
各属性の根源には、神核と呼ばれる最上位の存在が眠っている。
ほとんど神話の中だけの存在で、実際に見た者などいないと言われていた。
だが今、それが目の前にいる。
地属性神核――森羅覇神アルヴェルド。
エリシアの背筋に冷たいものが走った。
「ノクト……」
あの神の近くには、ノクトがいるはずだった。
エリシアは駆け出そうとした。
だが、その足が止まる。
背後から、ライナの泣き声が聞こえた。
レオニルを抱きしめたまま、ライナは崩れるように泣いている。
ノエルは必死に雪の精霊を集め続けていたが、顔色は限界を超えていた。
周囲ではまだ反対派と魔王軍の残党が動いている。
エリシアは奥歯を噛んだ。
ノクトのもとへ行きたい。
でも、ここを離れればライナたちが危ない。
その時だった。
森羅覇神アルヴェルドが、ゆっくりと腕を上げた。
それだけで森全体が震える。
地面の下から無数の根がうごめき、古い木の根が大蛇のように地表へ浮かび上がった。
地面が割れ、土が盛り上がる。
まるで森そのものが、一つの巨大な生き物になったようだった。
次の瞬間、遠くの王宮跡から凄まじい音が響いた。
大地が沈む。
森の中心に、巨大な墓穴のような穴が生まれた。
エリシアは息を呑む。
「あんなもの……まともに受けたら終わりじゃない」
その時、地面を伝って黒い炎が走った。
遠く離れていても、その黒焔だけははっきり見えた。
闇の炎が、神の足元へ絡みつくように広がっていく。
ノクトだ。
まだ生きている。
まだ戦っている。
エリシアの胸に、わずかな安堵が灯った。
だが次の瞬間、その黒焔は、アルヴェルドの足元から伸びた巨大な根に踏み潰された。
闇が散り、黒い火の粉が空へ舞う。
「ノクト!」
エリシアは思わず叫んだ。
突然現れた神核は、エルフの森へ向かってゆっくりと歩いている。
どうやら、ここが目的地らしかった。
その頃、ノクトは必死にアルヴェルドを止めようとしていた。
エリシアやライナたちがいる場所へ向かわせないために、黒焔を放ち、闇の鎖を伸ばし、足元を狙って攻撃を繰り返す。
だが、すべて無駄だった。
ノクトの魔法は、アルヴェルドにかすり傷一つつけられない。
神にとっては、肌をなでられた程度のものなのだ。
アルヴェルドはノクトを見ようともしない。
ただ、エルフの森へ向かって歩いていく。
やがて神は、エリシアたちのいる場所へ近づいてきた。
近くで見るその姿に、エリシアは言葉を失う。
誰が、あれを止められるのか。
自分たちは、触れてはいけないものに触れてしまったのではないか。
ただ立ち尽くすしかなかった。
その時、ノクトがこちらへ走ってきた。
「エリシア!」
「ノクト!無事だったのね!」
エリシアはすぐに神核を見上げる。
「それより、あれはいったい何なの!?」
「あれは神核だ。ヴォルツが召喚した」
ノクトは息を切らしながら言った。
「なんとかして止めないと、この国がめちゃくちゃになる」
神はとうとう、エルフの森へ辿り着いた。
ライナもノエルも、その姿に震えている。
ライナはレオニルを抱き、少しでも安全な場所へ下がった。
ノエルは目の前の現実に震え、すぐには魔法を出せそうになかった。
反対派の兵たちが、何人もアルヴェルドへ攻撃を放った。
だが、神はゆっくりと拳を振り下ろした。
それだけで、攻撃した者たちは大地ごと押し潰される。
そこからアルヴェルドは、反対派の市民や魔王軍の残党に向かって攻撃を始めた。
反対派も、魔王軍も、同じように大地へ沈めていく。
なぜか、神核に殺されていくのはエルフの敵となった者たちだけだった。
巨大な拳が振り下ろされるたび、地面が沈む。
古い木の根が蛇のようにうねり、人々を呑み込んでいく。
「まずい……このままだと森ごと全部潰される!」
ノクトが叫んだ。
エリシアはノクトを見る。
「私たちの力で抑えましょう」
「ああ」
ノクトとエリシアは手を重ねた。
光と闇が重なる。
白でも黒でもない、冥澄のマナが生まれる。
「冥澄神降――無涯女神顕現!」
無彩の女神が、森の中心に現れた。
その姿を見たエルフたちは息を呑み、反対派の者たちは膝をついた。
冥澄の女神は静かに境界輪を掲げる。
そして、森羅覇神アルヴェルドへ向けて振り下ろした。
境界輪が、神核の胸を裂こうとする。
無彩の輪は、アルヴェルドの岩肌に深い亀裂を刻んだ。
古樹の身体が砕け、苔むした石の肌が剥がれる。
それでも神は歩みを止めなかった。
「効いてない……?」
エリシアが呟く。
アルヴェルドの翠の瞳が、初めて冥澄の女神を見た。
次の瞬間、大地から無数の根が突き上がる。
森羅根葬
古樹の根が、冥澄の女神に絡みついた。
境界輪が根を切り裂く。
だが、切っても切っても根は再び伸びてくる。
女神の腕へ。
脚へ。
輪郭そのものへ。
太い根が巻きついていく。
ノクトは歯を食いしばった。
「だめだ……力が違いすぎる……!」
冥澄の女神は再び境界輪を放った。
だがアルヴェルドは、巨大な掌でそれを受け止める。
神の掌が削られ、岩と根が砕け散った。
しかしすぐに、大地が盛り上がる。
「古森再生」
失われた掌が、あっという間に再生した。
ノクトの顔が青ざめる。
倒せない。
傷つけても、森と大地が神の身体を作り直してしまう。
森羅覇神アルヴェルドは、ゆっくりと両腕を広げた。
その瞬間、森全体が沈黙する。
風が止まる。
鳥の声も消える。
地面の奥深くから、世界の心臓が脈打つような低い音が響き始めた。
「まずい……何か来る!」
ノクトが叫ぶ。
アルヴェルドの足元から、翠色の魔法陣が広がった。
それは一つではない。
幾重にも重なり、森を、戦場を、空までも覆っていく。
大地そのものが、神の魔法陣になった。
アルヴェルドの瞳が、深い翠に輝く。
神核終式――大地還葬
次の瞬間、世界が沈んだ。
冥澄の女神の足元から、巨大な根が伸びる。
ただ絡みつく根ではなかった。
触れたものの存在を、大地へ還していく神の根だった。
無彩の女神の輪郭が揺らぐ。
境界輪が回転し、根を断とうとする。
だが根は切られても、そこからさらに芽吹き、さらに太くなって女神を包み込んだ。
光でも闇でもない冥澄の領域が、少しずつ土の色に呑まれていく。
「まずいわ!」
エリシアの声が震えた。
ノクトも必死にマナを注ぎ込む。
「まだだ! エリシア、もっと合わせろ!」
「分かってるわ!」
二人はさらに光と闇を重ねた。
冥澄の女神が最後の力で境界輪を掲げる。
そしてアルヴェルドの胸へ向けて、巨大な輪を放った。
アルヴェルドは、ただ巨大な掌を前に出した。
境界輪が神の掌に食い込む。
岩が割れ、古樹が裂ける。
深い亀裂が腕全体に走った。
それでも掌は止まらない。
神は境界輪ごと、冥澄の女神を押し返した。
無彩の女神の身体に亀裂が入る。
「まずい!」
ノクトが叫んだ瞬間、アルヴェルドの根が女神の胸を貫いた。
音はなかった。
ただ、冥澄の女神の輪郭が静かに崩れた。
無彩の光が森に散る。
境界輪が砕け、白でも黒でもない欠片となって空へ消えていく。
ノクトとエリシアは、同時に膝をついた。
「まったく通用しなかったわ……」
エリシアは呆然と呟く。
ノクトは荒い息を吐きながら、目の前の神を睨んだ。
だがアルヴェルドは、二人を見てすらいない。
魔王軍の者が何人か攻撃を仕掛けたが、次の瞬間には大地に沈められた。
古樹がきしむ。
地面が震える。
そして神は、次の命を大地へ還すために、静かに腕を上げた。
もうノクトたちには、逃げるしか道がないように思えた。
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