80話 ヴォルツの王宮
ヴォルツは裸でベッドに包まっていた。彼の両隣にも裸の女エルフが2人いた。彼は美しいエルフ以外は1人も王室に入れなかった。そこで四六時中と彼の理想とするハーレムライフを満喫していたのだった。女エルフは憎いヴォルツではあったが、言うことを聞かないと殺されてしまうので、彼の言いなり人形になってしまっていた。
一方でその頃、セレーネを先頭にノクト、セレフィナ、そして数名のエルフたちはグリュネバルトの森を進んでいた。
森は静かだった。静かすぎるほどに。
鳥の声もない。風が枝葉を揺らす音すら薄い。ただ湿った土の匂いと、古樹の幹に染みついた深い緑の気配だけが、息をひそめるように彼らを包んでいた。
セレーネは何度か立ち止まり、そっと指先を空中へ滑らせた。すると、そこに淡い青白い光の筋が浮かび上がる。だがその光はすぐに歪み、何本もの偽りの道へと分かれて消えていった。
「やはり複数人で維持している大規模幻術ね……」
セレーネが低く呟く。
「王宮そのものを隠しているだけじゃない。この森一帯の景色、風向き、気配、音……全部を少しずつずらしている。外から来た者は、永遠に同じ場所を彷徨わされるでしょうね」
ノクトは周囲を見渡した。確かに森の景色はどこも似ている。だがそれだけではない。ついさっき通ったはずの大樹が、また前方にあるようにも見えた。
「厄介だな」
「ええ。でも術の流れは読めるわ」
セレーネの青い瞳が細くなる。
「この幻術は、生きた魔力を杭みたいに打ち込んで維持されている。つまり囚われたエルフたちが無理やり術式の核にされているのよ」
セレフィナの表情が曇った。
「やっぱり……」
「恐らく城の周囲に、円を描くように配置されているはずよ。彼らの魔力を媒介にして、森全体を覆う幻の幕を張っている」
ノクトの目が鋭くなる。
「なら、そのエルフたちを解放すれば結界は崩れるんですね」
「簡単にはいかないわ。術式は互いに連結している。一つを無理に壊せば、囚われた者の命まで傷つけかねない」
セレーネはそう言って、静かに手をかざした。
すると前方の空間が、水面みたいにわずかに揺らいだ。
何もない森のはずの場所に、一瞬だけ白い光の糸が見えた。蜘蛛の巣のように複雑に絡み合う巨大な魔力の網。その中心から、どこか苦しげなエルフのマナが脈打っている。
「見つけたわ。まずは第一の核」
ノクトたちは息を潜めながら進んだ。
木々の奥、巨大な古木の根元に、一人の若いエルフが座らされていた。両腕を黒い呪紋の鎖で縛られ、胸元には紫色の紋章が刻まれている。瞳は虚ろで、意識はあるのに自分では動けないようだった。
「……っ」
セレフィナが息を呑む。
「大丈夫。まだ助けられるわ」
セレーネが低く言った。
彼女はエルフの額にそっと手を当てる。淡い青い光が指先から流れ込み、黒い呪紋とぶつかり合った。すると周囲の空気がびりびりと震え、森の景色が一瞬だけ大きく歪む。
「ノクト、今よ。この鎖だけを断って。紋章には触れないで」
「分かった」
ノクトは剣を抜いた。
呼吸を整え、呪紋の流れを見極める。斬るべきなのは命を繋ぎ止めている本体ではない。術式だけを伝えている外側の鎖――そこだけだ。
黒い刃光が走る。
ザンッ――。
鎖だけが正確に断たれた。
次の瞬間、若いエルフの身体から黒い霧が噴き出し、足元の魔法陣が砕け散る。セレーネがすぐに青い光でその身体を包み込むと、虚ろだった瞳に少しずつ生気が戻っていった。
「ひとつ目……成功よ」
同時に森の奥で何かが軋むような音がした。
目には見えない幻の幕が、ほんのわずかに薄くなったのだ。
それから彼らは森の中を巡った。
二人目、三人目、四人目――。
囚われたエルフたちは皆、古木や岩場、蔦の絡む祭壇跡に縛り付けられ、城を守るための生きた杭として使われていた。解放するたびに幻術の網は弱まり、景色の歪みが少しずつ剥がれていく。
だが最後の核に辿り着いたとき、森の空気は明らかに変わった。
重い。
冷たい。
まるでそこだけ夜が凝縮したみたいな気配だった。
最後の核にされていたのは、年老いたエルフの男だった。全身に深い呪紋が走り、足元の魔法陣は他の核よりも遥かに大きい。どうやらこの者が、王宮そのものを隠す中心核になっているらしかった。
「これが最後よ」
セレーネの声が緊張を帯びる。
「この人を解放すれば、幻術は完全に崩れる。でも同時に、城を守る本体の結界も姿を現すはず」
「本体の結界?」
「ええ。幻術の奥に、もうひとつあるの。ヴォルツが直接張った防壁がね」
ノクトは無言で頷いた。
セレーネが最後の解除に入る。青白い光が年老いたエルフを包み、黒紫の呪紋と激しくせめぎ合う。空間が揺れる。木々がざわめく。森そのものが悲鳴を上げているようだった。
「ノクト!」
「ああ!」
ノクトは地を蹴った。
剣に闇を纏わせる。だが今度はただ斬るだけでは足りない。ヴォルツの張った防壁が控えている以上、解放と同時に押し切る必要がある。
黒い斬撃が呪紋の核を穿つ。
バキィンッ、と硬い音が響いた。
鎖が砕け、魔法陣が崩壊し、最後のエルフの身体から禍々しい光が弾け飛ぶ。
その瞬間だった。
森全体を覆っていた幻術が、音を立てて割れた。
景色が剥がれる。
偽りの木々が消え、歪んだ道が崩れ、霧の奥に隠されていた本当の空間が姿を現す。
そこにあったのは――王宮だった。
巨大な黒い城。森を切り裂くようにそびえ立つその城は、自然の中にあるものではなかった。岩と鉄を無理やり押し込んだような禍々しい外壁。塔の先端には赤い火花が脈打ち、城全体を半球状の結界が包み込んでいる。
その結界は、赤黒く明滅していた。
まるで巨大な爆弾の膜だった。
「これが……ヴォルツの城……」
セレフィナが息を呑む。
だが次の瞬間、城を覆う結界が反応した。幻術の消失を感知したのだろう。赤黒い膜の表面に無数の火花が走り、周囲の空気が焼けるように震え始めた。
「来るわ!」
セレーネが叫ぶ。
結界から放たれた爆光が一直線にこちらへ走る。ノクトは即座に前へ出た。
「下がってろ!」
漆黒の杖を呼び出す。闇が奔る。黒焔が弧を描き、迫る爆光と正面から衝突した。
ドゴォンッ!!
爆炎と黒焔がぶつかり合い、森を揺るがす轟音が響く。木々がしなり、地面が抉れた。
ノクトは歯を食いしばる。
「この結界……思ったより硬いな」
「ヴォルツの魔法だもの。正面から壊すだけなら簡単ではないわ」
セレーネが言う。
「でも今なら、囚われたエルフたちの魔力は外れた。結界を支える力はヴォルツ自身のものだけ」
ノクトは城を見上げた。
赤黒い膜はまだ健在だ。だがさっきより明らかに不安定になっている。爆ぜる火花に乱れがあり、膜の表面には細かな亀裂が走り始めていた。
「十分だ」
ノクトの声が低く沈む。
「ここまで剥がれたなら、あとは力ずくでこじ開ける」
彼は杖を強く握った。黒いマナが足元に広がり、冷たい闇が森の地面を這っていく。
「城を守る結界だろうが、まとめて斬り裂いてやる」
その言葉とともに、ノクトの周囲で黒焔が渦を巻いた。
幻術は破られた。
そしてついに、ヴォルツの王宮はその禍々しい全貌を現したのだった。




