80話 ヴォルツの王宮
今回も読んで頂きありがとうございます。とうとう3章も終盤に近づいてきています。ぜひお楽しみ下さいませ。
その頃。
ヴォルツは、王宮の一室でだらしなく寝台に横たわっていた。
広い部屋だった。
だが、そこに美しさはない。
高価な布。
金で飾られた家具。
甘ったるい香の匂い。
そのすべてが、ヴォルツの欲のためだけに集められたものだった。
寝台のそばには、二人の女エルフがいた。
どちらも美しかった。
けれど、その顔に笑みはない。
怯えを押し殺し、ただ命令を待つ人形のように黙っている。
ヴォルツは、美しいエルフ以外を自分の部屋に入れなかった。
この王宮を、自分の好きなものだけで埋め尽くしていた。
女エルフたちは、ヴォルツを憎んでいる。
だが逆らえば殺される。
だから言うことを聞くしかなかった。
ヴォルツはそんな彼女たちの恐怖すら、自分のものとして楽しんでいた。
「最高だな」
ヴォルツは寝台の上で笑った。
「王ってのは、こういう暮らしをするためにいるんだよ」
その声に、女エルフたちは何も答えない。
答えられない。
ただ、部屋の空気だけが重く沈んでいた。
一方、その頃。
セレーネを先頭に、ノクト、セレフィナ、そして数名のエルフたちは、グリュネヴァルトの森を進んでいた。
森は静かだった。
静かすぎるほどだった。
鳥の声もない。
風が枝葉を揺らす音すら、どこか遠い。
湿った土の匂いと、古い木々の深い緑だけが、息をひそめるように一行を包んでいた。
セレーネは何度か立ち止まり、指先を空中へ滑らせる。
すると、淡い青白い光の筋が浮かび上がった。
だがその光はすぐに歪み、いくつもの偽物の道へ分かれて消えていく。
「やはり、複数人で維持している大きな幻術ね……」
セレーネが低く呟いた。
「王宮そのものを隠しているだけではありません。この森の景色、風、気配、音……すべてを少しずつずらしている」
ノクトは周囲を見渡した。
確かに、森の景色はどこも似ている。
だが、それだけではない。
さっき通ったはずの大樹が、また前方にあるようにも見えた。
「このまま進めば、同じ場所を歩かされるってことか」
「ええ。外から来た者なら、永遠に迷わされるでしょうね」
セレーネの青い瞳が細くなる。
「でも、術の流れは読めます」
セレフィナが母を見る。
「お母様、分かるの?」
「ええ。この幻術は、生きた魔力を杭のように打ち込んで保たれている」
セレーネの声が少しだけ重くなった。
「囚われたエルフたちが、無理やり術式の核にされているのです」
セレフィナの表情が曇る。
「やっぱり……」
「おそらく王宮の周囲に、円を描くように配置されています。その者たちの魔力を使って、森全体を幻で覆っているのでしょう」
ノクトの目が鋭くなる。
「なら、そのエルフたちを解放すれば、幻術は崩れるんですね」
「ええ。ただし、簡単ではありません」
セレーネは静かに言った。
「術式は互いにつながっています。一つを無理に壊せば、囚われた者の命まで傷つけるかもしれない」
ノクトは頷いた。
「分かりました。慎重にやります」
セレーネが手をかざす。
すると、前方の空間が水面のように揺れた。
何もない森のはずの場所に、一瞬だけ白い光の糸が見える。
それは蜘蛛の巣のように絡み合い、中心から苦しげなエルフのマナが脈打っていた。
「見つけました。まずは第一の核です」
ノクトたちは息を潜めて進んだ。
木々の奥。
巨大な古木の根元に、一人の若いエルフが座らされていた。
両腕は黒い呪紋の鎖で縛られている。
胸元には紫色の紋章が刻まれていた。
瞳は虚ろだった。
意識はある。
けれど、自分では動けないようだった。
「……っ」
セレフィナが息を呑む。
セレーネはすぐに前へ出た。
「大丈夫。まだ助けられます」
セレーネは若いエルフの額に、そっと手を当てた。
淡い青い光が指先から流れ込み、黒い呪紋とぶつかり合う。
周囲の空気がびりびりと震え、森の景色が一瞬だけ大きく歪んだ。
「ノクト、今です。この鎖だけを断ってください。紋章には触れないで」
「分かりました」
ノクトは剣を抜いた。
呼吸を整える。
斬るべきなのは、命につながる本体ではない。
術だけを流している外側の鎖。
そこだけだ。
ノクトの剣に、黒い光が走る。
刃が一閃した。
黒い鎖だけが、正確に断たれる。
次の瞬間、若いエルフの体から黒い霧が噴き出した。
足元の魔法陣が砕ける。
セレーネがすぐに青い光でその体を包み込むと、虚ろだった瞳に少しずつ光が戻っていった。
「ひとつ目……成功です」
同時に、森の奥で何かがきしむような音がした。
見えない幻の幕が、ほんの少し薄くなったのだ。
それから、ノクトたちは森の中を巡った。
二人目。
三人目。
四人目。
囚われたエルフたちは皆、古木や岩場、蔦の絡む祭壇跡に縛られていた。
城を守るための、生きた杭として使われていたのだ。
解放するたびに幻術の網は弱まり、景色の歪みが少しずつ消えていく。
そして、最後の核に辿り着いた時。
森の空気が変わった。
重い。
冷たい。
そこだけ夜が固まっているようだった。
最後の核にされていたのは、年老いたエルフの男だった。
全身に深い呪紋が走っている。
足元の魔法陣も、他の核よりずっと大きかった。
おそらく、この者が王宮そのものを隠す中心なのだ。
「これが最後です」
セレーネの声にも緊張が混じる。
「この方を解放すれば、幻術は完全に崩れます。ただし同時に、城を守る本体の結界も姿を現すでしょう」
「本体の結界?」
「ええ。幻術の奥に、もう一つあります。ヴォルツが直接張った防壁です」
ノクトは無言で頷いた。
セレーネが最後の解除に入る。
青白い光が年老いたエルフを包み、黒紫の呪紋と激しくぶつかり合う。
空間が揺れた。
木々がざわめく。
森そのものが苦しんでいるようだった。
「ノクト!」
「ああ!」
ノクトは地面を蹴った。
剣に闇をまとわせる。
今度はただ斬るだけでは足りない。
解放と同時に、奥にある防壁まで押し切る必要がある。
ノクトは闇のマナを集めた。
胸の奥で、あの黒い塊がどくんと脈打つ。
「……っ」
気味が悪い。
だが、闇の力は以前よりはっきりと流れていた。
ノクトはその感覚を振り払い、剣を振り抜く。
黒い斬撃が、呪紋の核を貫いた。
硬い音が響く。
鎖が砕け、魔法陣が崩れた。
最後のエルフの体から、黒紫の光が弾け飛ぶ。
その瞬間だった。
森全体を覆っていた幻術が、音を立てて割れた。
景色が剥がれる。
偽物の木々が消える。
歪んだ道が崩れる。
霧の奥に隠されていた本当の空間が、ついに姿を現した。
そこにあったのは、王宮だった。
巨大な黒い城。
森を切り裂くようにそびえ立つその城は、自然の中にあるものではなかった。
岩と鉄を無理やり押し込んだような外壁。
塔の先では、赤い火花が脈打っている。
そして城全体を、半球状の結界が包み込んでいた。
その結界は、赤黒く光っていた。
まるで巨大な爆弾の膜だった。
「これが……ヴォルツの城……」
セレフィナが息を呑む。
だが次の瞬間、城を覆う結界が反応した。
幻術が消えたことを感じ取ったのだ。
赤黒い膜の表面に、無数の火花が走る。
周囲の空気が焼けるように震え始めた。
「来ます!」
セレーネが叫ぶ。
結界から、爆発の光が一直線に放たれた。
ノクトはすぐに前へ出る。
「下がってろ!」
漆黒の杖を呼び出す。
闇が走る。
黒焔が弧を描き、迫る爆光と正面からぶつかった。
大きな爆音が森を揺らす。
木々がしなり、地面がえぐれた。
ノクトは歯を食いしばる。
「この結界……思ったより硬いな」
「ヴォルツの魔法です。正面から壊すのは簡単ではありません」
セレーネが言う。
「ですが今なら、囚われたエルフたちの魔力は外れています。結界を支える力は、ヴォルツ自身のものだけです」
ノクトは城を見上げた。
赤黒い膜は、まだ消えていない。
だが、さっきより明らかに不安定になっている。
火花の動きは乱れ、膜の表面には細かな亀裂が走り始めていた。
「十分だ」
ノクトの声が低くなる。
「ここまで剥がれたなら、あとは力ずくでこじ開ける」
ノクトは杖を強く握った。
黒いマナが足元に広がり、冷たい闇が森の地面を這っていく。
「城を守る結界だろうが、まとめて斬り裂いてやる」
その言葉とともに、ノクトの周囲で黒焔が渦を巻いた。
幻術は破られた。
そしてついに、ヴォルツの王宮はその禍々しい姿を現した。
今回もありがとうございました!




