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魔王殺しノクト  作者: 藤原 光希
ベルナール革命編

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39/138

39話 最速と最深

お読み頂きありがとうございます!

 エル=シェイドは、涼しげな表情を変えなかった。


 ノクトとエリシア。


 二人が背中を預け合い、自分の暴風を耐え切った。


 それでも焦る様子はない。


 エルは剣先を二人へ向け、困ったように微笑んだ。


「あーあ。さっさと殺したいんですけどねぇ」


 軽い声だった。


 だが、その剣から放たれる殺気は少しも弱まっていない。


 エルは静かに息を吸った。


 周囲を吹き荒れていた風が、一瞬だけ止まる。


「風階(ふうかい)・伍(ご)・天迅(てんじん)」


 その言葉が落ちた瞬間だった。


 音が遅れた。


 空気が裂ける衝撃だけが、遅れて戦場に響く。


 エルの姿は消えたのではない。


 そこに存在していたはずの体が、目の前の世界から削り取られたように消失した。


「消えた……?」


 ライナが目を見開く。


 次の瞬間。


 ノクトの背後。


 エリシアの視界の外。


 二人のわずかな隙間に、エルの影が現れた。


 理解するよりも先に、風が突き刺さる。


 刃ではない。


 斬撃ですらない。


 超高速で踏み込んだ肉体そのものが、巨大な凶器となって二人へ襲いかかった。


 地面が爆ぜる。


 瓦礫が宙へ浮かぶ。


 落雷のような衝撃波が、戦場を駆け抜けた。


「――っ!」


 ノクトが反射的に闇を広げる。


 エリシアも聖剣から光を叩きつけた。


 光と闇が重なり、迫り来る衝撃を受け止める。


 だが、それでも間に合わない。


 二人の体が大きく揺れた。


 次の瞬間には、エルはもうそこにいなかった。


 戦場の反対側に現れる。


 そして、また消えた。


 一歩ごとに位置が変わる。


 一呼吸の間に、戦場のあらゆる場所から攻撃が迫る。


 ノクトにも。


 エリシアにも。


 次にどこから斬撃が来るのか、まったく分からなかった。


 風階・伍・天迅。


 それは速いという言葉だけでは説明できない剣術だった。


 ノクトが反応した時には、攻撃はすでに終わっている。


 エリシアの聖剣が振るわれる頃には、エルは別の場所に立っている。


「このままでは防ぎ切れないわ!」


 エリシアが叫ぶ。


「分かってる!」


 風が再び集まる。


 エルが次の一歩へ踏み込もうとした、その瞬間。


 ノクトが動いた。


 エルを追おうとはしなかった。


 目で捉えようともしない。


 逃げることさえやめた。


 ただ、漆黒の杖を地面へ突き立てた。


 そして空いている手を背後へ回し、エリシアの手を強く握る。


「エリシア。俺に力を貸してくれ」


 低く、確かな声だった。


 エリシアは何も聞き返さなかった。


 握られた手へ力を込め、光のマナをノクトへ流し込む。


「好きなだけ使いなさい」


「ああ」


 その瞬間。


 ノクトの闇が反応した。


 足元から影が広がっていく。


 ただの黒ではない。


 光を拒み、周囲の色さえ奪っていく闇。


 地面を覆った影が、空気を重く沈ませる。


 戦場を支配していた風が、初めて鈍った。


「これは……」


 エルの声が、風の中から聞こえる。


 ノクトは目を閉じた。


 胸の奥に刻まれた呪印が、焼けるように疼く。


 だが以前とは違う。


 エリシアの光が、暴れようとする闇を抑えている。


 闇を消すのではない。


 ノクトの意思に従うように、形を整えていく。


「闇印解放(あんいんかいほう)――」


 その言葉と同時に、ノクトの背後で何かが目を覚ました。


 闇が燃える。


 黒焔。


 炎でありながら光を放たず、周囲の色彩を喰らい尽くす異形の火。


「黒焔魔人(こくえんまじん)、顕現(けんげん)」


 大地が沈み込んだ。


 ノクトの背後から、巨大な人型の影が立ち上がる。


 身の丈は、ノクトの倍を優に超えている。


 輪郭は曖昧。


 顔と呼べるものも存在しない。


 ただ胸の奥で、赤黒い焔の核だけが脈打っていた。


 ノクトの闇そのものが、形を得た存在。


 黒焔魔人。


 エルが初めて表情を変えた。


「……へえ」


 ほんのわずかに、口元の笑みが薄くなる。


「それは、反則級ですね」


 だがエルは止まらなかった。


 再び風をまとい、地面を蹴る。


 天迅。


 世界が歪み、エルの姿がノクトの背後へ現れた。


 だが、そこにはすでに黒焔魔人がいた。


 黒焔魔人が、ゆっくりと腕を振る。


 速くはない。


 剣技もない。


 ただ巨大な腕が、目の前の空間すべてを闇で塗り潰した。


 エルの風が沈む。


 斬撃が呑み込まれる。


 天迅の勢いさえ、黒焔の中で消えていく。


「……っ!」


 エルが初めて大きく距離を取った。


 その足元へ、黒焔が地面を這って迫る。


 風階剣で踏み込むための場所が、次々と闇に侵食されていった。


 ノクトはゆっくりと目を開ける。


 握っていた手を離し、杖を構え直した。


 その背後で、エリシアも聖剣を掲げる。


「逃げ場はないわ」


 聖剣から、眩い光が溢れ出した。


「熾祈連環(しきれんかん)・聖印合致(せいいんがっち)――天輝護将(てんきごしょう)、降臨(こうりん)」


 光が巨大な人の形へ集まっていく。


 白銀の鎧。


 光り輝く剣。


 天輝護将が、黒焔魔人と並んで戦場へ降り立った。


 光と闇。


 二体の巨人が、エルを見下ろす。


 最速と最深。


 黒翼将エル=シェイドが、初めて追い詰められる側に立った瞬間だった。


「さすがに厄介ですね」


 エルが剣先をわずかに下げた。


 その瞬間、周囲の空気が凍りついたように静まる。


 風が一か所へ集まり始める。


 渦を巻きながら圧縮され、やがて音さえ消えていく。


「風霊顕現(ふうれいけんげん)・疾風鷲(しっぷうしゅう)」


 白い風が、一気に天へ噴き上がった。


 刃のような風の筋が絡み合い、巨大な翼を作っていく。


 鋭い爪。


 長いくちばし。


 白い風で形作られた巨大な鷲が、戦場の上空へ現れた。


 疾風鷲が翼を広げる。


 たった一度の羽ばたきで空間が軋み、凄まじい風圧が周囲を支配した。


 疾風鷲は静かに首を動かし、獲物を定めるように黒焔魔人と天輝護将を見下ろす。


「行きますよ」


 エルが剣を振り下ろした。


 疾風鷲が急降下する。


 ノクトも杖を前へ突き出した。


 黒焔魔人が両腕を広げる。


 エリシアの聖剣が光を放ち、天輝護将が巨大な剣を振り上げた。


 三体の巨大な魔法が、正面から激突する。


 黒焔。


 聖光。


 暴風。


 異なる力が喰らい合い、周囲の空間が激しく歪んだ。


 地面に大きな亀裂が走る。


 瓦礫が次々と空へ巻き上げられた。


 そして次の瞬間。


 巨大な爆発が起こった。


 ノクトとエリシアは、互いを支えながら衝撃に耐える。


 黒焔魔人と天輝護将は大きく揺れ、その輪郭が崩れていった。


 疾風鷲も翼を砕かれ、白い風となって散っていく。


 爆風が収まる。


 エルは少し離れた瓦礫の上に立っていた。


 黒い服の一部が裂け、頬と腕には傷がついている。


 血も流れていた。


 だが致命傷ではない。


「今ので倒れないのか……」


 ノクトが息を整えながら呟いた。


「本当にしぶといわね」


 エリシアも聖剣を構え直す。


 エルは自分の頬についた血を指で拭った。


 赤く染まった指を見ても、笑顔は消えなかった。


「僕に傷をつけるとは、さすがですね」


 そして再び剣を構える。


 ノクトも杖を握り直した。


 エリシアがその隣に立つ。


 もう一度、戦いが始まろうとした時だった。


 周囲に散らばっていた瓦礫が震え始めた。


 砕けた石。


 壊れた柱。


 武器の破片。


 山のような瓦礫が一斉に浮かび上がり、空へ向かって重なっていく。


 やがて十メートルを超える巨大な人型となった。


「まだ動けたのか」


 ノクトが振り返る。


 少し離れた場所で、ユリウスが片膝をつきながら片手を掲げていた。


 顔色は悪い。


 まだ魔力も充分に戻っていないはずだった。


 それでも巨人を動かし、ノクトたちの戦いへ加わろうとしている。


「俺たちの仲間を、これ以上殺させるか……!」


 ユリウスは震える足で立ち上がった。


 その隣では、ライナが炎を集めている。


 紅蓮の炎が、一頭の獅子へ姿を変えた。


 炎の獅子が咆哮を上げ、エルを睨む。


 さらにノエルが両手を広げる。


 無数の雪の精が戦場へ舞い、ノクトたちの傷と魔力を癒やしていく。


 エルは周囲を見渡した。


 ノクト。


 エリシア。


 ライナ。


 ノエル。


 そしてユリウス。


 黒焔と光を操る二人だけでも、簡単には倒せなかった。


 そこへ強力な炎の魔法使い。


 絶対的な防御と回復を持つ氷の魔法使い。


 物体へ魂を宿す地属性魔法使いまで加わった。


 エルは小さく息を吐いた。


「さすがに、この人数を一度に相手にするのは面倒ですね。」


 エルは微笑んだ。


「今日は引くとします。僕もここで死ぬつもりはありませんから」


 周囲に風が集まり始める。


「またお会いしましょう、ノクトさん」


 エルの体が、白い風に包まれていく。


「次に会った時は、必ず殺しますからね」


「待て!」


 ノクトが黒焔を放つ。


 だが、その攻撃が届くよりも早く。


 エルの体は、一瞬吹いた風に溶け込むように消えた。


 あとに残されたのは、血の臭いと、静かに舞い落ちる砂埃だけだった。


 ノクトはエルが立っていた場所を睨み続ける。


 倒すことはできなかった。


 それでも、以前とは違う。


 最年少の黒翼将に、撤退を選ばせた。


 ノクトたちがザルベックで積み重ねてきた鍛錬は、確かに力となっていた。


 だが、周囲には多くの死体が残されている。


 ルネ。


 暁の隊員たち。


 救えなかった命。


 戦いに勝ったとは、誰も思えなかった。


 ノクトは静かに杖を下ろした。


 戦いは終わった。


 だがベルナールの革命は、まだ始まってすらいなかった。

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