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魔王殺しノクト(旧救世の闇魔法)  作者: 藤原 光希
ベルナール革命編

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39/101

39話 最速と最深

お読み頂きありがとうございます!

 エル=シェイドは、涼しげな表情を変えなかった。


 ノクトとエリシア。


 二人が背中を預け合い、自分の暴風を耐え切った。


 それでも焦る様子はない。


 エルは剣先を二人へ向け、困ったように微笑んだ。


「あーあ。さっさと殺したいんですけどねぇ」


 軽い声だった。


 だが、その剣から放たれる殺気は少しも弱まっていない。


 エルは静かに息を吸った。


 周囲を吹き荒れていた風が、一瞬だけ止まる。


風階ふうかい天迅てんじん


 その言葉が落ちた瞬間だった。


 音が遅れた。


 空気が裂ける衝撃だけが、遅れて戦場に響く。


 エルの姿は消えたのではない。


 そこに存在していたはずの体が、目の前の世界から削り取られたように消失した。


「消えた……?」


 ライナが目を見開く。


 次の瞬間。


 ノクトの背後。


 エリシアの視界の外。


 二人のわずかな隙間に、エルの影が現れた。


 理解するよりも先に、風が突き刺さる。


 刃ではない。


 斬撃ですらない。


 超高速で踏み込んだ肉体そのものが、巨大な凶器となって二人へ襲いかかった。


 地面が爆ぜる。


 瓦礫が宙へ浮かぶ。


 落雷のような衝撃波が、戦場を駆け抜けた。


「――っ!」


 ノクトが反射的に闇を広げる。


 エリシアも聖剣から光を叩きつけた。


 光と闇が重なり、迫り来る衝撃を受け止める。


 だが、それでも間に合わない。


 二人の体が大きく揺れた。


 次の瞬間には、エルはもうそこにいなかった。


 戦場の反対側に現れる。


 そして、また消えた。


 一歩ごとに位置が変わる。


 一呼吸の間に、戦場のあらゆる場所から攻撃が迫る。


 ノクトにも。


 エリシアにも。


 次にどこから斬撃が来るのか、まったく分からなかった。


 風階・伍・天迅。


 それは速いという言葉だけでは説明できない剣術だった。


 ノクトが反応した時には、攻撃はすでに終わっている。


 エリシアの聖剣が振るわれる頃には、エルは別の場所に立っている。


「このままでは防ぎ切れないわ!」


 エリシアが叫ぶ。


「分かってる!」


 風が再び集まる。


 エルが次の一歩へ踏み込もうとした、その瞬間。


 ノクトが動いた。


 エルを追おうとはしなかった。


 目で捉えようともしない。


 逃げることさえやめた。


 ただ、漆黒の杖を地面へ突き立てた。


 そして空いている手を背後へ回し、エリシアの手を強く握る。


「エリシア。俺に力を貸してくれ」


 低く、確かな声だった。


 エリシアは何も聞き返さなかった。


 握られた手へ力を込め、光のマナをノクトへ流し込む。


「好きなだけ使いなさい」


「ああ」


 その瞬間。


 ノクトの闇が反応した。


 足元から影が広がっていく。


 ただの黒ではない。


 光を拒み、周囲の色さえ奪っていく闇。


 地面を覆った影が、空気を重く沈ませる。


 戦場を支配していた風が、初めて鈍った。


「これは……」


 エルの声が、風の中から聞こえる。


 ノクトは目を閉じた。


 胸の奥に刻まれた呪印が、焼けるように疼く。


 だが以前とは違う。


 エリシアの光が、暴れようとする闇を抑えている。


 闇を消すのではない。


 ノクトの意思に従うように、形を整えていく。


闇印解放あんいんかいほう――」


 その言葉と同時に、ノクトの背後で何かが目を覚ました。


 闇が燃える。


 黒焔。


 炎でありながら光を放たず、周囲の色彩を喰らい尽くす異形の火。


黒焔魔人こくえんまじん顕現けんげん


 大地が沈み込んだ。


 ノクトの背後から、巨大な人型の影が立ち上がる。


 身の丈は、ノクトの倍を優に超えている。


 輪郭は曖昧。


 顔と呼べるものも存在しない。


 ただ胸の奥で、赤黒い焔の核だけが脈打っていた。


 ノクトの闇そのものが、形を得た存在。


 黒焔魔人。


 エルが初めて表情を変えた。


「……へえ」


 ほんのわずかに、口元の笑みが薄くなる。


「それは、反則級ですね」


 だがエルは止まらなかった。


 再び風をまとい、地面を蹴る。


 天迅。


 世界が歪み、エルの姿がノクトの背後へ現れた。


 だが、そこにはすでに黒焔魔人がいた。


 黒焔魔人が、ゆっくりと腕を振る。


 速くはない。


 剣技もない。


 ただ巨大な腕が、目の前の空間すべてを闇で塗り潰した。


 エルの風が沈む。


 斬撃が呑み込まれる。


 天迅の勢いさえ、黒焔の中で消えていく。


「……っ!」


 エルが初めて大きく距離を取った。


 その足元へ、黒焔が地面を這って迫る。


 風階剣で踏み込むための場所が、次々と闇に侵食されていった。


 ノクトはゆっくりと目を開ける。


 握っていた手を離し、杖を構え直した。


 その背後で、エリシアも聖剣を掲げる。


「逃げ場はないわ」


 聖剣から、眩い光が溢れ出した。


熾祈連環しきれんかん聖印合致せいいんがっち――天輝護将てんきごしょう降臨こうりん


 光が巨大な人の形へ集まっていく。


 白銀の鎧。


 光り輝く剣。


 天輝護将が、黒焔魔人と並んで戦場へ降り立った。


 光と闇。


 二体の巨人が、エルを見下ろす。


 最速と最深。


 黒翼将エル=シェイドが、初めて追い詰められる側に立った瞬間だった。


「さすがに厄介ですね」


 エルが剣先をわずかに下げた。


 その瞬間、周囲の空気が凍りついたように静まる。


 風が一か所へ集まり始める。


 渦を巻きながら圧縮され、やがて音さえ消えていく。


風霊顕現ふうれいけんげん疾風鷲しっぷうしゅう


 白い風が、一気に天へ噴き上がった。


 刃のような風の筋が絡み合い、巨大な翼を作っていく。


 鋭い爪。


 長いくちばし。


 白い風で形作られた巨大な鷲が、戦場の上空へ現れた。


 疾風鷲が翼を広げる。


 たった一度の羽ばたきで空間が軋み、凄まじい風圧が周囲を支配した。


 疾風鷲は静かに首を動かし、獲物を定めるように黒焔魔人と天輝護将を見下ろす。


「行きますよ」


 エルが剣を振り下ろした。


 疾風鷲が急降下する。


 ノクトも杖を前へ突き出した。


 黒焔魔人が両腕を広げる。


 エリシアの聖剣が光を放ち、天輝護将が巨大な剣を振り上げた。


 三体の巨大な魔法が、正面から激突する。


 黒焔。


 聖光。


 暴風。


 異なる力が喰らい合い、周囲の空間が激しく歪んだ。


 地面に大きな亀裂が走る。


 瓦礫が次々と空へ巻き上げられた。


 そして次の瞬間。


 巨大な爆発が起こった。


 ノクトとエリシアは、互いを支えながら衝撃に耐える。


 黒焔魔人と天輝護将は大きく揺れ、その輪郭が崩れていった。


 疾風鷲も翼を砕かれ、白い風となって散っていく。


 爆風が収まる。


 エルは少し離れた瓦礫の上に立っていた。


 黒い服の一部が裂け、頬と腕には傷がついている。


 血も流れていた。


 だが致命傷ではない。


「今ので倒れないのか……」


 ノクトが息を整えながら呟いた。


「本当にしぶといわね」


 エリシアも聖剣を構え直す。


 エルは自分の頬についた血を指で拭った。


 赤く染まった指を見ても、笑顔は消えなかった。


「僕に傷をつけるとは、さすがですね」


 そして再び剣を構える。


 ノクトも杖を握り直した。


 エリシアがその隣に立つ。


 もう一度、戦いが始まろうとした時だった。


 周囲に散らばっていた瓦礫が震え始めた。


 砕けた石。


 壊れた柱。


 武器の破片。


 山のような瓦礫が一斉に浮かび上がり、空へ向かって重なっていく。


 やがて十メートルを超える巨大な人型となった。


「まだ動けたのか」


 ノクトが振り返る。


 少し離れた場所で、ユリウスが片膝をつきながら片手を掲げていた。


 顔色は悪い。


 まだ魔力も充分に戻っていないはずだった。


 それでも巨人を動かし、ノクトたちの戦いへ加わろうとしている。


「俺たちの仲間を、これ以上殺させるか……!」


 ユリウスは震える足で立ち上がった。


 その隣では、ライナが炎を集めている。


 紅蓮の炎が、一頭の獅子へ姿を変えた。


 炎の獅子が咆哮を上げ、エルを睨む。


 さらにノエルが両手を広げる。


 無数の雪の精が戦場へ舞い、ノクトたちの傷と魔力を癒やしていく。


 エルは周囲を見渡した。


 ノクト。


 エリシア。


 ライナ。


 ノエル。


 そしてユリウス。


 黒焔と光を操る二人だけでも、簡単には倒せなかった。


 そこへ強力な炎の魔法使い。


 絶対的な防御と回復を持つ氷の魔法使い。


 物体へ魂を宿す地属性魔法使いまで加わった。


 エルは小さく息を吐いた。


「さすがに、この人数を一度に相手にするのは面倒ですね。」


 エルは微笑んだ。


「今日は引くとします。僕もここで死ぬつもりはありませんから」


 周囲に風が集まり始める。


「またお会いしましょう、ノクトさん」


 エルの体が、白い風に包まれていく。


「次に会った時は、必ず殺しますからね」


「待て!」


 ノクトが黒焔を放つ。


 だが、その攻撃が届くよりも早く。


 エルの体は、一瞬吹いた風に溶け込むように消えた。


 あとに残されたのは、血の臭いと、静かに舞い落ちる砂埃だけだった。


 ノクトはエルが立っていた場所を睨み続ける。


 倒すことはできなかった。


 それでも、以前とは違う。


 最年少の黒翼将に、撤退を選ばせた。


 ノクトたちがザルベックで積み重ねてきた鍛錬は、確かに力となっていた。


 だが、周囲には多くの死体が残されている。


 ルネ。


 暁の隊員たち。


 救えなかった命。


 戦いに勝ったとは、誰も思えなかった。


 ノクトは静かに杖を下ろした。


 戦いは終わった。


 だがベルナールの革命は、まだ始まってすらいなかった。

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