19話 黒翼将バサルト
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ノクトとエリシアがヴァルグランと戦っている頃。
ゼルマンは隠れ家で、ミレオを守っていた。
外では、遠くからかすかに戦いの気配が届いている。
爆音。
風に乗ってくる焦げた匂い。
そして時おり、大地が小さく震える。
ザルベックのどこかで、大きな戦いが起きている。
それだけは隠れ家にいても分かった。
ゼルマンは窓の外を見つめ、胸の前で拳を握った。
「バルザック王様……」
祈るような声だった。
「もしかすると、今日が歴史に残る日になるかもしれません。この国に奇跡が訪れようとしています」
ミレオもまた、黙って座っていた。
何度も立ち上がりかけては、また座る。
今すぐ外へ飛び出したい。
ライナが戦っている。
エリシアも戦っている。
そしてノクトも、ザルベック城へ向かった。
自分だけがここで待っている。
それが苦しかった。
数時間前のことだ。
ノクトは休まされていた部屋から出てきた。
顔にはまだ紫の痣が残っていた。
体調も万全ではない。
それでも彼は、ゼルマンとミレオの前に立ち、深く頭を下げた。
「俺も戦いに行かせてほしい」
ミレオはすぐに叫んだ。
「お前のことなんて信用できない!」
その言葉にノクトは何も言い返さなかった。
ただ、ミレオの前で膝をついた。
そして額を床につけた。
「本当に申し訳ないと思っている」
ミレオは息を呑んだ。
「俺の父や兄が、この世界をめちゃくちゃにしていること。魔王軍が、この国から多くのものを奪ったこと。その全部を、何もなかったことになんてできない」
ノクトの声は低かった。
けれど、逃げてはいなかった。
「俺は魔王の子だ。その事実は変えられない。どれだけ嫌でも、努力しても、血だけは変えられない」
ミレオは何も言えなかった。
「でも、だからこそ行動するしかないんだ」
ノクトは顔を上げる。
その瞳には迷いがなかった。
「俺には魔王家の闇魔法がある。汚らわしい力だと思われても仕方ない。でも俺はこの力で誰かを救いたいんだ」
ノクトはミレオをまっすぐ見た。
「この国を救わせてくれ。ミレオ」
ミレオは黙り込んだ。
怒りはまだあった。
怖さも消えていない。
それでも、目の前で土下座するノクトの姿を見て、何も言えなくなった。
ゼルマンが静かに口を開く。
「ミレオ様」
ミレオはゼルマンを見た。
「行かせてあげましょう」
「ゼルマン……」
「この者の瞳に、嘘はありません」
ゼルマンはノクトを見る。
「私は長く生きてきました。王に仕え、多くの人を見てきました。だからこそ分かります。今の彼は、逃げようとしている目ではありません」
ミレオは俯く。
小さな手が震えていた。
「……本当に、この国を助けてくれるの?」
ノクトは頷いた。
「必ず」
「パパたちが守ろうとした国だよ」
「ああ」
「僕の大切な国だよ」
「分かってる」
ミレオは唇を噛みしめた。
そして、ゆっくりと頭を下げた。
「この国を助けてください」
その声は震えていた。
「お願いします」
ノクトは一瞬、目を見開いた。
それからミレオの前に近づき、少年の両肩にそっと手を置いた。
「任せてくれ」
ノクトは微笑んだ。
それは、戦場で見せる冷たい顔ではなかった。
少しだけ不器用で、でも確かに優しい笑顔だった。
「信じてくれて、ありがとう」
そう言って、ノクトは隠れ家を出ていった。
ザルベック城へ。
ヴァルグランを止めるために。
自分がこの国を救う。
その決意だけを胸に抱いて。
それから、だいぶ時間が経った。
ゼルマンとミレオは、ほとんど言葉を交わしていない。
ただ待つことしかできなかった。
外の様子は分からない。
ライナたちがどうなっているのかも分からない。
ノクトが城に着いたのかも分からない。
一秒が、ひどく長かった。
「どうか……」
ゼルマンは小さく呟いた。
「どうか、この国をお守りください」
その時だった。
床下で、砂がさらりと鳴った。
ゼルマンの表情が変わる。
「ミレオ様、伏せて!」
叫ぶと同時に、床板の隙間から砂が伸びた。
手の形を作り、ミレオの足首を掴もうとする。
「砂縛手……!」
ゼルマンはミレオの肩を押し、床へ伏せさせた。
そのまま足で机を蹴る。
倒れた机が砂の手の前に転がり、ほんの一瞬だけ動きを止めた。
ゼルマンは短剣を抜き、床板を叩き割る。
隙間から見えた砂の手首。
そこへ木楔を打ち込んだ。
砂の流れが詰まる。
手の形をしていた砂は、ばらばらと崩れ落ちた。
「外へ!」
ゼルマンはミレオの手を掴み、隠れ家の外へ飛び出した。
森の空気が冷たい。
だが、そこにも安全はなかった。
戸口の先。
木々の間に、黒い外套をまとった男が立っていた。
胸には、堕天の双翼の紋章。
小柄な体格。
乱れた土色の髪。
琥珀色に濁った瞳。
その男の足元では、砂が生き物のようにうごめいていた。
「王子を渡せ」
男は静かに言った。
「ここで殺す」
ゼルマンは剣を抜いた。
「ミレオ様!走ってください!」
「でも、ゼルマンは……!」
「ここは私が止めます!」
ゼルマンの声は鋭かった。
「振り返らずに、遠くへ!」
ミレオは一瞬だけ迷った。
だがゼルマンの表情を見て、走り出した。
森の奥へ。
必死に。
黒い外套の男は、逃げるミレオを見ても慌てなかった。
「無駄だ」
ゼルマンは男の前に立ちはだかる。
「あなたが黒翼将ですか」
「バサルト」
男は短く名乗った。
「黒翼将バサルト。最近、そう呼ばれるようになった」
ゼルマンの剣先が揺れる。
黒翼将。
ザイモンと同じ階級。
魔王軍の中でも、六魔星直属の強者。
「初任務が王子殺しとは、随分と楽な仕事を与えられたものだと思っていた」
バサルトの瞳が、冷たく細くなる。
「だが邪魔が入るなら、先に潰す」
地面が盛り上がった。
土砂でできた巨大な掌が、ゼルマンへ襲いかかる。
ゼルマンは剣を振るった。
だが刃は砂の間をすり抜ける。
切った手応えがない。
土砂の掌はそのまま形を戻し、横からゼルマンを叩きつけた。
「ぐっ……!」
ゼルマンの体が地面を転がる。
すぐに立ち上がり、距離を取った。
相手は地属性。
ゼルマンは水属性の魔法を使える。
相性が良いとは言えない。
だが、剣だけでは砂を切れない。
ならば。
ゼルマンは手をかざした。
水が宙に集まり、細い流れとなって砂の掌へ降りかかる。
乾いた砂が濡れ、重く固まった。
その瞬間、ゼルマンは踏み込む。
「はあっ!」
剣が砂の腕を斬り崩した。
今度は手応えがあった。
濡れて固まった砂は、刃で砕ける。
バサルトの眉がわずかに動いた。
「なるほど。少しは考えるらしい」
「王子には、指一本触れさせません」
「興味がないな」
バサルトは淡々と言った。
「俺はお前を殺しに来たわけじゃない。王子を殺せば仕事は終わる」
その言葉に、ゼルマンの怒りが燃えた。
「ミレオ様を、ただの仕事のように言うな!」
「それが、ただの仕事なんだ」
バサルトは片手を地面につけた。
「黒翼将になって初めての任務だ。失敗するわけにはいかない」
地面に魔法陣が広がる。
土と石が渦を巻き、バサルトの周囲に集まっていく。
「地脈契印――双柱、起動!」
地面が隆起した。
石塊が形を取り、二つの巨体が膝をつく。
額に紋が灯る。
一体は巨大な盾を構えたゴーレム。
もう一体は、刃のような腕を持つゴーレム。
二体の石巨人が、同時に立ち上がった。
森の木々よりも大きな影が、ゼルマンの前に落ちる。
「行け」
バサルトが命じた。
盾のゴーレムが前へ出る。
ゼルマンは水を放ち、足場を濡らして動きを鈍らせようとした。
だがゴーレムは止まらない。
巨大な盾が振り下ろされる。
ゼルマンは横へ飛ぶ。
直後、地面が砕けた。
続いて刃腕のゴーレムが迫る。
ゼルマンは剣で受けた。
重い。
腕が痺れる。
まともに受け続ければ、骨が折れる。
「まだです……!」
ゼルマンは水を地面へ走らせた。
足元の土をぬかるませ、刃腕のゴーレムの体勢を崩す。
その隙に剣を振り抜く。
石の表面が砕けた。
だが浅い。
ゴーレムはすぐに腕を振り返し、ゼルマンを横から吹き飛ばした。
「がはっ!」
背中が木に叩きつけられる。
肺から息が抜けた。
ゼルマンは膝をつく。
それでも剣を離さない。
バサルトは冷めた目で見下ろしていた。
「よく粘る。だが時間稼ぎにもなっていない」
彼が指を動かす。
二体のうち、刃腕のゴーレムが森の奥を向いた。
ミレオが逃げた方角。
ゼルマンの顔色が変わる。
「待て!」
ゼルマンは立ち上がろうとした。
だが盾のゴーレムが前に立ち塞がる。
巨大な盾が、ゼルマンの進路を塞いだ。
「どけえええ!」
ゼルマンは剣を振るう。
水をまとわせ、盾を斬ろうとする。
だが盾は厚い。
何度斬っても、割れない。
その間に、刃腕のゴーレムは森の奥へ走り出した。
ミレオを追って。
「ミレオ様!」
ゼルマンの叫びが森に響く。
バサルトは淡々と告げた。
「王家の血は、ここで終わる」
ゼルマンは歯を食いしばった。
体は痛い。
息も苦しい。
だが倒れるわけにはいかない。
バルザック王に託された命。
ザルベックの未来。
それを守るために、まだ立たなければならない。
ゼルマンは震える足で立ち上がった。
「終わらせません」
剣を構える。
盾のゴーレムが、再び動き出す。
その奥では、刃腕のゴーレムがミレオの元へ近づいていた。
今回もありがとうございました!まだまだ改稿は続きます。全話の改稿が終わるまで最新話の投稿はしません。改稿を着々と進めてまいります。
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