九十三話
共同葬儀の三週間程前。ガニラ自治区とロウェイ王国の国境近く。
艷やかな毛並みの馬を駆り、川沿いの道をガニラ自治区に向かっていた面々は、国境付近に多くの自治区民が集まっているのを見て、声を上げた。
「おーい、戻ったぞ!」
「今、帰ったぞ!」
馬上から大きく手を振ると、集まっていた人々から歓声が上がった。
「じいちゃん、お帰り!」
「お帰りなさい!」
多くの声に迎えられたガニラ氏族の年寄り部隊は、当初よりも十五名少ない帰還となりはしたものの、長年の悲願を成し遂げたからだろう。彼等の顔は、誇らしげに輝いている。
その後ろを追うようについて来た若い者達は、多くの歓迎に些か照れながらも、やはり誇らしげな表情だ。しかし、こちらも八名を失っていた。
戰場で命を落とした者達は、かつて彼らが語ったように、その身体は馬によって氏族のもとへと戻っていた。既に埋葬も済んだのだろう。喪中を示す服装の者たちが、出迎えの中に何人も居る。
先頭のハアティム・アルサリエは、馬から降りると、その場にいる者達に静かにするよう、両手を上げた。そして。
「この度の戦いで、我等が長年被っていた諸悪の根源を、見事壊す事に成功した。ティグス川はその姿を取り戻し、我々の暮らしを今よりずっと、豊かにしてくれるだろう。しかしその為に、悲しくも二十三名の勇ましき魂がこの地を去り、女神の元へと旅立った。だが、我等はその勇気と勇姿を忘れることは無い。彼等は豊かな水のある暮らしを取り戻した英雄として、後世まで語り継がれるのだ!」
朗々とした声で語られる弔意に、拍手が湧く。喪服の者達の中には、涙を流している者も多くいた。
拍手が収まると、ハアティムは今後についての話を始めた。
「まずはレストウィック王国で予定されている、合同葬儀についてだが、今より三週間後に行われる。これは既にレストウィック国王であるウィリアム殿の了承を得ているが、葬儀の場には、このハアティムと各氏族の代表が赴く事とする」
弔慰金も、各氏族の代表が遺族の代理として受け取って来る事を、付け足す。
「次に、我々が破壊した水門だが、その規模を縮小して再建される事が決まった」
この言葉は、自治区民達を酷く動揺させた。波紋のように不安が広がり、不満の声が次々と上がっていく。せっかく壊したのに何故か、また水に苦労するのは嫌だと。さらに声が上がりかけた、その時。
「話は最後まで聞け!」
氏族長の一人が声を荒げると、途端に静かになった。ハアティムが、話を再開する。
「水門は再建される。その費用は全額、帝国が負担するが、その水量の決定から管理を行うのは、帝国ではない」
そこでいったん区切ると、ハアティムはニヤリと笑う。そして。
「今後は、運河にどれだけ水を流すかを決めるのは、我々だ!」
その場にいた皆の頭に、その言葉の意味がしみ込んでいく。するとこれまでで、一番大きな歓声が湧いた。跳び上がる者や手を叩く者、中には泣き崩れる者までいる。
「なんなら、運河を行く船から、通行料も取れるぞ!」
年寄り部隊の言葉に、今度は笑い声が起こる。これまで、帝国とペルギニ王国には、散々な目に合わされ続けたが、今度は自分達が優位に立つのだ。
既にレストウィック、ロウェイ両国から、運河を縮小するように、ペルギニ王国には通達済みだ。
これは表向きには、ペルギニの商人が帝国に荷担し、毒壺をバラ撒く手伝いをした事を理由としているが、実は香菜姫の持つ五本の『世界樹の枝』が、大きく物を言った。
枝にはペルギニ王国の軍のマークが彫られていたからだ。
「最後に。こちらも既に決定している事だが、わがガニラ自治区は、独立して国家となる!しかも此度の報奨として、ロウェイ国の三領が新たな領地として加わった!」
驚きのあまり、皆が呆然とするのを見て、ハアティムは仕方ないと思った。実際にその話をしてきた己でさえ、未だに本当だとは、思えないのだから。
きっかけは、今後は水のためにペルギニの言うことを聞く必要も無いのだからと、若い者達から声が上がった事だったが、レストウィック王国とロウェイ王国が賛同の意を示した為、話はトントン拍子に進み、残るは内輪での話し合いを残すばかりとなっていた。
ようやく実感が湧いてきたのだろう。自治区民達は、割れんばかりの拍手と喜びの声を上げ、早々に氏族長会議の予定が組まれる事となった。
その結果。
自治区となった時点で既に王は存在せず、長年、氏族長達の話し合いによって物事が決められていた事もあり、国名はガニラ共和国と名乗る事とになった。
政府は十一ある氏族から、それぞれ代表を五人ずつ出しての、五十五人による合議制だ。議長は取り敢えずハアティム・アルサリエが務める事となり、その後任は後々、議会での多数決で決める事となった。
各氏族の領地の分配も明瞭化を試みたが、なにぶん遊牧の事を考えると杓子定規にするのも問題だという事で、結局『だいたい、この辺』的な分配がなされた。
その後行われたペルギニ王国との話し合いは、運河の水量から独立の事まで、全て無事に終わり、ガニラ自治区はついに独立した国家、ガニラ共和国となった。
***
「おい、足の裏が痒い。右足だ。かいてくれ」
椅子に縛り付けられたクーンラート三世の言葉に、兵達は笑い声を上げた。
「あははっ。右も左も、あんたには、足の裏なんか無いだろうが」
「さすがは元皇帝さまだ。無い足が、痒いんだとよ!」
「自分でかけよ!あぁ、悪い。手も無かったか!」
ゲラゲラと笑う兵達を、元皇帝はギリギリと歯軋りしながら睨みつけるが、誰も気にも留めずに、笑い続けている。
(クソが!少し前まで俺が睨みつれば、皆が震えあがり、傅いていたのに。お前等なんて、俺の馬番にさえ成れないような、カスのくせして偉そうにしやがって。クソ、クソ、クソ、クソ、クソ!なんでこんな事に……)
確実に勝てる戦の筈だった。レストウィック、ロウェイ両国に関しては、この二年間でかなりの国力を削る事が出来た上に、こちらには賢者から教えられた兵器『爆炎粒』がある。しかも、それを元にした『爆炎玉』や『地爆』も作られていた。
その威力には、絶対の自信があった。魔獣退治で疲弊した奴等の軍など、『爆炎粒』の威力を目の当たりした途端、恐れをなして降伏するだろうと、確信していた。
なのに、いざ蓋を開けてみれば、相手も似た武器を持っていた上に、バレていたのかと思う程、準備していた策は尽く失敗となった。
その上帝都が襲撃を受けて、皇城は半壊。挙げ句に魔導書まで奪われたのだ。
しかも生意気な聖女によって、賢者を失ったばかりか、捕われの身となってしまった。
そこからは、散々だった。
頭を踏まれ、腹を殴られた後、敗戦国の捕虜として、レストウィック王国に連行されたのだ。その間の扱いも、酷かった。食事や寝床などが、他の捕虜と同じだったので文句を言うと、即座に殴られた。
それでも頭のどこかで、賠償金さえ支払われれば、帝国に戻れるのではと、思っていた。
聖女が些か不穏な話をしていたが、そんな事にはならないだろう。少なくとも、あの暴力的な勇者に連れて行かれたクープマンよりは、可能性があると。
しかし連行後は、形ばかりの裁判が行われ、クーンラート三世は発言をさせて貰えないまま、その日のうちに晒し刑が決まっていた。聖女様の望み通りに。
そして共同葬儀から三日後。クーンラート三世は両手の肘から下と、両足の膝から下を切断された。傷口は、すぐさま神官の手によって癒やされたが、だからといって痛みまで直ぐに消え失せるわけではなく、半日程はズキズキとした痛みが、元皇帝を苛んだ。
そんな状態でのまま、椅子に縛り付けられて、刑場に置かれた。
それからは、地獄だった。
一日目。兵が最新の情報だと言いながら読み上げる帝国情報の大半は、まだ若い新皇帝を誉めそやし、クーンラート三世を悪しざまに罵る言葉が大半だった。しかも見物に来た者達が石だけでなく、動物の糞まで投げつけて来るため、可能な限りもがきながら、怒りの声を上げた。
「あんな青二才に、何が判る!お前らもだ!俺はこの大陸で最も貴い血筋だ!神にも等しい存在なんだ!」
しかし返ってくるのは笑い声か、罵りの言葉で、誰一人として、彼の言葉を真面目に聞く者などいなかった。その日の夜からだ。クーンラート三世の既に無い足の裏が、痒くなったのは。
初めは、軽いものだった。しかし、徐々に痒みは増していった。
(痒い、痒い、痒い、痒い、痒い、痒い、痒い………)
翌朝、再び椅子に縛り付けられ、刑場に置かれた時、痒さを紛らわせるのは、痛みだと判った。
石をぶつけられると、その痛みの分、痒さが和らいだのだ。
その為クーンラート三世は、態と見物人達に向かって暴言を吐き、石を投げるよう仕向けた。全身傷だらけで、血まみれになったが、おかげで痒みは随分と和らいでいた。
しかし夜になり牢に戻される直前、傷は癒やされた。
「まだ、死なれては困るからな」
その為、痒みが一層気になり、クーンラート三世を苛立たせる。
(痒い、痒い、痒い、痒い、痒い、痒い、痒い、痒い、痒い、痒い………)
痒さで眠れず、転がされた寝台の上でのたうっていると、ふと閃いた。
(どこか、噛めば)
試しに腕を噛もうとしたが、着せられている服の袖が邪魔で、上手くいかない。仕方がないので、頬の内側を軽く噛んでみるが、効果はあまり感じられない。
(この程度では、ダメか)
今度は少し、強めに舌先を噛む。すると、僅かだか痒みが収まった。その為、徐々に噛む力を強めていく。そして。
(ああ、やっと痒くなくなっ…………)
「ぐふっ!」
あお向けで寝ていた為、口中に溢れる血は、吐き出すこともままならない状態で喉へと流れ込んでくるが、喉が上手く動かず飲み込めない。
何かが邪魔をしているようで、息もし辛い。指先から痙攣が広がっていくのに、何も出来ないまま、苦しさだけが増していく。
「ぶっ、げふっ」
なんとか少し吐き出すが、既に意識は朦朧としており胸の苦しみは更に増す。
(クソ……こんな筈では……)
深夜、見回りの兵士が囚人の異変に気づいたものの、既に口から血を流して息絶えていた。その遺体を検分した医師は、囚人は自ら舌を噛んで、命を絶ったと報告書を綴った。
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利き腕を失い、ロウェイ王国に連行されたクープマンは、全てをクーンラート三世のせいにする事で、なんとか罰を免れようと試みていた。
(あの馬鹿のせいで、なんで俺までこんな目に……チクショウ、殺されてたまるか!)
実際、前勇者と魔導書に関しては、上手く行った。魔導書は基本、王族しか使用できない物である為、『自分はあくまでも皇帝の命により、魔導書を使用する際に、魔力の提供をしていただけ』という言い分が、通ったからだ。
しかし王女誘拐に関しては、そう上手くはいかなかった。裁判所の証言台に立った三人の男達によって、王女誘拐は間違いなくクープマンの依頼によるもので、しかも拐った王女は帝都ではなく、ペルギニにあるクープマンの別荘に連れて行くよう指示されたと、はっきりと証言したからだ。
その為、王女誘拐の首謀者としての罪からは逃れられず、結果、吊るし首が決まった。
翌日。刑の執行を知らせる太鼓が打ち鳴らされ、クープマンが刑場に引き出されると、既に集まっていた見物人達は大声で彼を罵り、石を投げた。
その石のあまりの多さに、側にいた兵達は彼を一人立たせたまま、その場に置き去りにする。
漸く投げる石がなくなった時、刑場には既に息絶えたクープマンが、転がっていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
三章本編はこれで完結です。この後は、番外編を二話程度、予定しています。




