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番外編 優しいお母様は…… 【前】

ケンドリックが屋敷から追い出した、異母妹達のお話です。

 馬車で五日かけ、(ようや)く着いた父の領地を見たヤスミンは、余りにもみすぼらしい田舎町に、がっかりどころか、絶望を感じていた。

 しかもこれから住む領主館は、侯爵邸の離れよりもずっと狭いうえに、その外観もレンガではなく漆喰で、手入されていないからか薄汚れている。


(まるで平民の家みたい……)


 庭は辛うじて見られる程度には、手入れされていたが、いつ行っても快適に整えられている侯爵家の別荘や別邸と思わず比べてしまい、更に気分が落ち込む。


「お父様、こんな場所では眠るどころか、おそらく座ることさえ出来ませんわ」


 ヤスミンは、先に馬車から降りた父であるレランド・コルバーンに訴えた。


「確かに酷いな。管理人が居る筈だが、どうやらわたしの目が届かないのを良いことに、仕事を怠けていたようだ。これからは、きちんとするように厳しくしなければ」


「主一家が到着したというのに、出迎えもしない管理人など首にして、新しい人を雇いましょうよ」


 御者の手を借りて、馬車から降りたコルバーン夫人のトリスタが言った時、館の横に建つ小さな小屋から、老夫婦が急いで出てきた。


「これは、これは。漸く到着されましたか」


「これでやっと、出発出来るわ」


 その言葉に、三人は眉をしかめる。

 見ると、二人はそれぞれ大きな鞄を抱えており、まるで旅支度のようだ。


「どこに行くつもりだ?我々は今到着したばかりだというのに」


 声を荒げるレランドに対して、老夫婦の態度は冷淡だった。


「そんな事を言われましても、コルバーン様。わたしらは、これまで一度たりともあなた様からは、給金を頂いてませんからな」


「わたしらは、侯爵様に雇われておったのです。その契約も、あなた様方が戻って来た時点で満了となりました。有り難いことに、年金としてまとまったお金を頂いておりますので、これから息子夫婦の住む村へ向かう予定ですので」


 三人が老夫婦から聞かされる話に言葉を無くしていると、さらに追い打ちをかけるように、とんでもない事を言いだした。


「ちなみに、中の掃除は館を使われる方がおられれば、するように申し受かっておりましたが、いかんせん、どなたもお住みになられなかったので、しておりません」


 この十五年もの間、偶に風を通す程度で、掃除は殆どしていないという。衝撃の事実を知らされたヤスミン達は、呆然とした。それでも、なんとか気を取り直したコルバーンが、


「だが、私の代理人が居るだろう。そいつは何処に住んでいるんだ?」


 自分の代わりに、これ迄領地の運営をしてきた者について、尋ねる。年に数回、代理人から金の送金と共に、数枚の書類が届いていたからだ。

 もっともその大半は、『領地の整備のため』という名目の金の無心だった為、コルバーンはその全てを拒否していた。


「ご自分の代理人のお名前も、ご存じないとはね。侯爵様から派遣されていたダルトン様なら、町にお部屋をかりておられましたが、あの方も昨日、引っ越されましたよ。その際お預かりした書類は、総て中に運んであります」


 言いながら、コルバーン夫人に鍵の束を渡す。


「悪いですが、新しく人をお雇いください」


「今からなら、最終の駅馬車に間に合いますのでな」


「求人でしたら、町中の斡旋所に広告を出されたら宜しいかと」


 これ以上関わるのが嫌なのか、老夫婦は早口で言い連ねると、鞄をしっかりと抱え込み、そろそろと門へと向かって動き出した。


「私達は今日、どこで寝れば良いのよ!」  


「少し先に、宿屋がありますよ」


 叫ぶ夫人に対して、最後は言い捨てるようにして、門を抜けて去っていった。



「仕方ない。二、三日は、宿屋に泊まり、掃除や洗濯をする女中や下男の求人を出すことにしよう。お前やヤスミンの身の回りのための侍女や、厨房係も必要だな。だが、その前に、これをなんとかしないと」


 言いながら、レランドは乗ってきた馬車を見る。この馬車は、ケンドリックが餞別としてくれた物だったが、今、ここまで一緒に来た御者の姿は既に無かった。

 こちらに到着して、皆の荷物を玄関に下ろした時点で、馬の世話さえせずに立ち去ったようだ。もしかしたら、最終の駅馬車とやらに乗りに向かったのかもしれない。


「どうせなら、もっと良い馬車をくれれば良かったのに」


 ヤスミンが呟く。簡素な箱馬車は揺れも酷く、この五日間の旅で、身体のあちこちが痛くなっていたからだ。


「まさか、こんな酷い目に合わされるとは、思わなかったわ……」


 全ては兄ケンドリックの嫌がらせだと嘆く母トリスタの言葉に、ヤスミンも同感だった。

 屋敷から追い出したうえに、使用人まで全て取り上げる様なまねは、さすがに酷いと感じていた。



 結局、馬を馬車から外す術など、誰も判らない上に、餌となる飼葉も見当たらない為、それらも併せて宿屋で頼もうとなり、取り敢えず必要な物を旅行鞄から取り出すと、残りの荷物は三人で手分けして、屋敷の玄関の中へと運び込んだ。


 案の定、館の中には蜘蛛の巣や埃が溜まっており、荷物をおいた際に舞い上がった埃に、コルバーン夫人が咳き込む。


「今すぐ、帰りたいわ」


 ハンカチを口に当て、力無く呟く母の背を撫でながら、ヤスミンの中で兄ケンドリックに対する怒りが更に大きくなった。



 宿屋は古びてはいたが、二間続きの部屋が二部屋借りられた事で、三人は漸く落ち着きを取り戻していた。

 宿屋の主に金を払って、夕飯と湯浴みの用意の他に、館に残した馬の世話と頼んだレランドは、明日朝一番で、求人を出すと妻と娘に約束した。


「なに、心配いらない。すぐに住めるようになるさ」


 しかし二日経っても求人に応募はなく、宿の滞在をさらに伸ばす事になった。宿屋の女中は貴婦人の身の回りの世話など出来る筈もなく、結局、自分達でするしかなかった。

 その為トリスタとヤスミンの不満は募る一方で、特にトリスタはお気に入の侍女が、自分に付いてきてくれなかった事に、今も腹を立てていた。


「あんなに贔屓にしてあげたのに、信じられないわ、あの恩知らず!何が、『私は侯爵家に仕えており、その身分に見合う報酬を頂いております』よ!それじゃあ私達には、相応しい報酬は払えないって言ってるようなものじゃない」


 ヤスミンは、母の言葉に返事をする事が出来なかった。

 先程、お湯を貰いに行った際、コルバーン家で侍女をするぐらいなら、侯爵家の厨房の下働きをした方が良い金になると、求人を見た者達が笑っているのが聞こえていた。それ程、父が出した求人の給金が安い事を、この時ヤスミンは初めて知ったのだ。


(お父様に雇人の給金を見直すよう言わないと、このままでは、いつまで経っても誰も応募してこないわ)


 無駄な金は使いたくないという、倹約家の父親を説得するのは大変だったが、ヤスミンはなんとかやってのけ、給金の増額の約束を取り付けた。



 翌日、着替えを取りに領主館に戻ったヤスミンは、そこで馬の世話をしている若者と鉢合わせた。荷物を宿まで運ぶのを億劫に感じていた彼女は、これ幸いと若者に声をかけた。


「あなた、それが済んだらこの荷物を宿まで運んでちょうだい」


 しかし返ってきたのは、あからさまに嫌そうな顔と、拒絶の言葉だった。


「嫌だね。俺は宿屋の主に頼まれたから、こいつの世話をしているが、あんたの親父さんに雇われた訳じゃないんでね」


 侯爵の屋敷に居た頃は、使用人にこんな口の聞き方をされることは無かったのにと、悔しく思う。


「なら、今から雇うわ。だから」


「お断りだ。馬の世話は、明日まで頼まれているから、それまでは世話をしに来るが、そこから後は自分達でやってくれ」


 そう言うと背を向けて、また馬の世話に戻って行った。



 求人の給金を上げることで、ようやく雇えた掃除と洗濯係の女中と、その知人を臨時で雇う事で、館がなんとか住めるようになったのは、到着してから既に十日が経っていた。


 調理人はまだ決まらないため、宿屋に頼んで、夕食は配達してもらっているが、それ以外は自分達でしなければならなかった。市場への買い物もだ。そしてそれは、ヤスミンの仕事になった。母トリスタが市場になど、絶対に行かないと断言したからだ。


 市場に向かい、慣れない買い物に苦労していたヤスミンは、そこで自分達が『侯爵家の寄生虫』と呼ばれている事を知った。


 本来ならば、この場所で領主として采配を揮うべきなのに、全てを侯爵様に押し付けて、王都で遊び暮らしている穀潰し。しかも、金は全部自分たちで使えると思っている能無しだと。


 自分を指差し、コソコソと話す者達から逃げるように歩いていたヤスミンは、俯いていたために、前から歩いて来る人にぶつかることに。それは、先日馬の世話をしていた若者だった。


「なんだ、あんたか。気をつけろよ」


「悪かったわね、コルバーンで」


 それ迄の苛立ちもあり、ヤスミンは口調がきつくなるのを抑えることが出来なかった。


「別に、悪いとは……」


「ここでは、『ベックウィズ侯爵への感謝』ばかりが聞かされるわ。あの時侯爵様は、ああしてくださった、こうして下さった。それに引き換えコルバーンは、ああした、こうしたと……もう、うんざりよ!」


 踵を返しその場から立ち去る彼女の背に、若者が、声をかける。


「なぁ。ここは、あんたが将来継ぐって事を、忘れてないか?」


(私が継ぐ?私達家族に、ちっとも敬意を向けない愚鈍な人達の住む町を?)


 ヤスミンにとって、それは悪夢に思えた。



 領地に来て一月と経たないうちに、母は部屋に閉じこもり、禄に食事も摂らなくなった。

 口を開けば、現状に対する文句ばかりで、最近はヤスミンにまで、当たり散らすようになっている。


「ねぇ、あなた。こんな所、もう、うんざりよ。直ぐにケンドリックに手紙を書いて、私をあのお屋敷に連れて帰ってちょうだい!もう、お屋敷の女主人になりたいなんて言わないし、お金も沢山は使わないって約束すれば、きっと……」


「トリスタ、絶縁状が届いたんだ。もう、手紙も受け取ってもらえない」


「そんな……だって、ヤスミンは妹なのよ!私達は家族なのよ!」


 絶縁状という言葉にヤスミンは、自分は侯爵の妹としての立場さえ、失ったのだと思い知らされた。それと同時に、母にとって大事なのは、貴婦人としての優雅な生活だけだということも、少しずつ判り始めていた。


 そんな日々のなか、戦争が始まるという知らせが舞い込んだ。

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