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チャリーンッ、チャリチャリーン…
店内に広がるのは無残に銀貨と銅貨が転がり落ちる音。
その掌からお金を取りこぼしてしまったはずの女性はといえば、そんなことも気がついていないかのように顔を青ざめさせ、アベルを見つめたまま固まっている。
アベルはというと、その視線に一瞬ギュッと眉を寄せたのち、見ていられないというように俯き、金色の瞳を彼女から逃れるように逸らした。
「マt…「違うっ!!…………人違いだ。」
何かいいかけた彼女の言葉をアベルの鋭い声が遮り、拳を握りしめ、小さく体を震わせるアベルから、その女性もまた辛そうに視線をそらす。
「…シレーヌちゃん、悪いがちょっと先出てる。」
「えっ、ちょっと!!」
「…っ!?待ってっ!!」
くるりと踵を返し、すぐにでも店から出て行こうとするアベルの背中を何が何だか分からず慌てる私の横で、カウンターからこちら側へと乗り出したその女性が呼び止める。
「ごめんなさいっ……」
今にも泣き出しそうな震える声でそう言った女性に、扉を開いたまま立ち止まった背中がゆっくりこちらへと振り返る。
「…だから、人違いですよ…絶対に。」
ぞっとするような笑顔とはこういうことをいうのだろう。
アベルの顔にはニコりと爽やかな笑みが浮かんでいるのに、何故か彼を包む空気は刺々しく攻撃的で、全身で全てを拒絶してるくせに、その瞳は哀しみに満ち、異様に鋭い輝きを持つ。
アベルはそれだけ言うと扉がけたたましく鳴り響くのにも構わず扉の外へとするりと出て行ってしまった。
私の視界の斜め前で彼女が、膝から崩れ落ちていくように床へと座り込んでしまう。
「大丈夫ですかっ!?」
慌てて駆け寄れば、彼女はワナワナと震える口元をなんとか動かし、弱々しく「大丈夫」と返しながら立ち上がった。
しかし、先程より一層悪くなった顔色と、体の震え、それでも気丈に振る舞いカウンターの裏へと戻る彼女が痛々しく、なんだか見ていられない。
ストンッと力尽きたような、糸が切れたようにカウンター裏の椅子に座りながら、彼女がゆっくりこちらに視線を向ける。
「彼とは……いえ、なんでもないわ。ごめんなさい、商品落としてしまって…たぶん傷はついてないはずだけど、一応交換しておくわね。」
その様子になんと返事を返していいかわからず、ただ「ありがとうございます」とだけ返した。
でも…
動揺を必死に隠そうとするように髪を耳にかける指は相変わらず震えており、その憂いの帯びた瞳に宿る感情がなんなのか、わかる気がしてしまい…
「彼、言ってました。この町に手酷く裏切った女がいるって…たぶん恨まれてるから会えないって。」
気がついた時にはそう口にしていた。
アベルの言っていた言葉とは少し違うけれど…
-あのアベルの様子を見るに"会いたくない"というより"会えない"なんだと思うから。
その言葉に彼女は驚いたように目を丸くすると、その後すぐに悲しそうに眉を下げ、赤銅色の睫毛を震わせ、瞼を伏せた。
「相変わらずあの子は……嘘つきね。」
そう掠れた声で呟くと、その伏せていたグレーの瞳をゆっくりとこちらへ向けてくる。
「ちょっと、お願いがあるの……」
店を出ると、予想外にテヤンが店のガラスに寄りかかったまま立っていた。
私の驚いた顔をチラリと確認すると、すっとガラスから背を離し、私の前まで歩いてくる。
「てっきりアベルを追ったと思ったわ。」
「残れと言われた。それにアイツは迷子にはならなさそうだ……」
そう言いながら男らしい端整な横顔が、町の、たぶんアベルの言った方向を追うように眺めている。
「…もう買い物はいいのか?」
「うん、アベル探さないと。」
「…だな。」
それだけ言うと何故か私の手を掴むと、そのまま有無も言わさずグイグイと人波を潜るようにして何処かへと進んでいく。
「ちょっと、テヤン!!」
「今行方不明になられると面倒だ。大人しくしてろ。」
恥ずかしさと動揺から顔が熱くなるのを感じながらそう文句を言えば、そんな素っ気ない説明をされ、こちらの意見も無視して進んでいってしまう。
すっかり見慣れたテヤンの背中と、その暖かな掌の温もりがとても嬉しくて、恥ずかしくて、そして愛おしい。
それを認識した瞬間、キュッと心臓が切なくないた。
私はもう手遅れと気がつきながら、その感情を慰めるようにそっとその瞳を閉じた。
***
逃げるようにして店を飛び出し行き着く場所などたかが知れている。
赤いレンガの町並みを見下ろす小高い丘の上、
そこから町と反対側へ続く坂を下れば、シレーヌの目的地である湖へと続いているこの場所は、今は何もない虚しいだけの場所だ。
焼けて真っ黒に染まり、ボロボロに崩れて跡形もないガラクタの山。
触れれば、今積み重なっているこの形をなさない残骸が、ガラガラと崩れてくることだろう。
そうでなくても野ざらしに放置されていれば、時間をかけて自然と風化し、このガラクタさえも残らず消えていくのは目に見える。
「…ついてくるとは意外だったわ。」
ガラクタの残骸を前に膝をつく俺の頭上を漂う気配。
「何故じゃ?妾はいつだって優しいじゃろ??」
「嘘つけ……どうせ俺が動揺して、掻き乱される様を見たくてしょうがねぇ〜んだろ?」
そう言いながら、本当にその通りに心も頭の中もぐちゃぐちゃにされた自身に、自嘲の笑みしか浮かんでこない。
まさかあそこで彼女に会うとは、俺は夢にも思っていなかったのだ。
「ここだけはあの時のまま何も変わらねぇーんだな……」
「焼け落ちた生家の残骸を見るのは悲しいか?赤髪。」
「いや、むしろ……ホッとした。」
ガラクタと成り果てたこの場所に思うものは何もない。
あるとしたら心地良い"虚無感"。
もうあの頃には決して戻れないと嫌でも突きつけられるこの光景はむしろ笑い出したくなるほど清々しいのだ。
「いくら町が戻り、人が戻ろうとも、この地が俺らの罪の証であることには変わりない。」
「………罪のぉ。」
なにか言いたげな含みのあるターニャの低い声が、俺の言葉を嘲笑う。
「……アベル、」
静かに暖かな風が吹き抜ける丘の上、そこに響くテヤンの声が紡ぐ名は、もうあの頃とは別のものへと変わってしまった。
「おう、思ったより早かったな…」
そんなことを思いながら、立ち上がり振り返れば少し硬い無表情のテヤンと、心配そうに俺を見つめてくるシレーヌの顔が自然と目に入る。
が、今はそれを見たくなくて、すぐに顔を背けた。
「さっさと用終わらせようぜ。こんな"何も"ない場所、長居する意味はない。」
そう、それで十分なのだ。
ここは俺の罪を刻んだ証、
それ以上でも以下でも、この地はあってはならないのだから。
このProcursator において、アベルの罪の真相は出てきません。
たぶん勘のいいというか、細かいところ見てる読者さんはあれっ?と何か感じてると思いますが、それは胸にしまっておいてください。
このゾーリンゲンに隠された真実は、また別の機会に書こうと思います。
次の章、久しぶりに戦闘シーンバリバリになるぞーっ!!笑




