7-3
ゾーリンゲン、その地名を聞いて誰もが思い出す事件がある。
"ゾーリンゲンの悲劇"、
または"マテイの消失"とも言われる、かつてまだ王国が人間族を束ねて国を1つにする以前、ゾーリンゲン火山の麓にあったマテイという小国が一夜にして全て黒い炎へと飲み込まれ、その土地の人々諸共燃やし尽くされた、悪夢のような一夜のことだ。
小国でもかなりの力を持つマテイの者たちが殆ど全て殺されたこの悲惨な事件は大陸中を震撼させた。
その人々を巻き沿いに街に火をつけた犯人であるその小国の頭領の息子は、未だに捕まらず、大陸中を逃げ回っているらしい…
-あれがかの有名なゾーリンゲン…
マテイを改め、地名からそのままとった"ゾーリンゲン"と名を変えた街は、夕暮れにも似た浅緋色のれんが造り建物と所々突き出る長く高い煙突、そしてそこから灰色の煙が立ち上る光景がなんとも趣のある、そんな街であるように山の頂から見て取れた。
なかなかに足場の悪い岩石で固められた山道を登り降り、ようやく街を見下ろせるこの光景はなんとも達成感を感じられる。
その街のすぐ後ろにそびえ立つのはここよりもさらに高くあるゾーリンゲン火山。
街から立ち上る煙か、はたまた雲か、その頂上は靄がかかったように曇り、目にすることは叶わない。
護衛などの依頼でこの山脈を通ることはあっても、このゾーリンゲンの街を訪れたことはなかった。
以前から人間族以外のものは近づきたがらない土地であり、マテイの者たちが余所者が訪れるのを嫌っていたからでもある。
しかし、ゾーリンゲン山脈には鉱山で有名な山がいくつかあり、そこで取れた鉱物で作られた優れた武具の類は、"ゾーリンゲン鍛治物"と呼ばれ、古くから大陸で知らぬ者がいないくらい有名でもある。
「…テヤン、もう登り切ったし、大丈夫だから……その…」
すっかり風景に見入っていたのだろう。
おずおずと、いっそ控えめにも聞こえる戸惑った声が自分の背から聞こえてくる。
「…あぁ、悪い。」
-そういえば、シレーヌを担いだままだった。
背中におぶっていたシレーヌを下ろすためにそっと地に膝をつけば、シレーヌは少しよろめきながらもそのほっそりとした両足を地に下ろした。
「あ、ありがとう…」
「あぁ……」
俺の一挙一動を窺う…といえば聞こえがいい、どこか怯えを含む声。
それに眉を顰めながらも、目を逸らし、素っ気ない言葉を返してしまう自分が情けない。
全てこの状況を招いたのは自分のせい。
わかっているのにどうすることもできず、コントロールの効かない感情にただただ振り回されるばかり。
精霊の森であの舞を初めて見て以来、俺はシレーヌにどう接していいのか図りかねている。
それは聡い2人にはもちろん、シレーヌにも伝わっているのだろう。
現に今もシレーヌは、俺を気遣うように俺から少し距離を空け、何も話すことなく視線を彷徨わせている。
それが変に伝染したのか知らないが、いつも煩いくらいに話すアベルもここのとこずっと黙り込み、皆必要最低限のことしか口にしなくなっていた。
「のぅ、狼の子よ。そちはこのように暑苦しいとこは平気なのかえ?妾は暑うて、暑うてかなわんのじゃが。」
この、皆の、特に俺の周りを常にクルクルと飛び回る"妖精"、精霊族の少女を除いて…
-見た目が幼いだけで、俺よりはかなり歳上…そして、上位の存在なんだろうがな。
「ん?なんじゃ?妾の顔に何かついておるか?」
そんな俺の思考を見抜いているのかいないのか、いや、むしろそんなことはどうでも良いのか、ターニャはその風のように自由に空を舞う細い体をするりと俺の肩に座らせ、俺の顎を自分の方へと向けさせる。
肩に乗っているはずの体、その重みは小枝一本ほどであり、本当にここにいるのかと疑いたくなる。
「…ターニャ、」
「どうした、狼の子よ」
「その呼び方、辞めてくれないか?」
-今はどうか知らないが、余所者、特に亜人嫌いが多かったこの地で、下手に目立つことは避けたい。
「ふむ、良いぞ。テヤン…で合ってたか?そちのその姿、あの者によく似ている故、あまりしっくりこぬのだが…仕方あるまい。」
ターニャはそう言うと眉を上げ、肩を竦めながらフワーッと空中で仰向けに寝転んだまま浮かんで俺から離れていく。
「…そいつとは親しかったのか?」
なんとなしにそう聞けば、ターニャはニヤリと悪戯を思いついた子供のように笑いながら、体を起こし、俺のすぐそばまで戻ってくると俺の顔を至近距離で覗き込む。
「なんじゃ?妾の過去が気になるか?フフフ…そちにならちょっとばかし話してやっても良い。」
「いや、そういうことじゃない。」
近づきすぎた距離を抑えるように、とっさに前に出た両手が、行き場もなく泳いでしまう。
その手の片方をわざと掴み、ターニャがさらにグッと距離を詰めてくる。
「…俺に似たやつと親しかったから俺にも構うのかと思っただけだ。」
俺がそうターニャに告げれば、ターニャはどこか意外そうに片眉を上げ、なんとも分かりづらい微妙な表情を浮かべた。
「…デジと親しいというのはそうじゃのう。ただ、そちに妾が構うのは似てる似てない以前の理由からじゃ。」
そう言うと、乙女が恥じらうようなそれなのにどこか含みある笑みをターニャが浮かべる。
「妾がそちを気に入っている。それで良いではないか。」
そんなよくわからない言葉を言いながら、ターニャは俺に軽快なウインクをしたのだった。
そんなターニャの仕草をどこか呆れた冷めた目で見ていると、ふと視界の端にシレーヌの苦しそうな横顔がチラリと見えた。
***
-なんなのだろう…
シレーヌは言いようもない気持ち悪さを感じていた。
体調面からくるものではない。
心の奥底から湧き上がる黒く渦巻くような靄がどんどん体を侵食していくような、そんな理解できない恐怖と不安に苛まれるのだ。
それは特にテヤンといる時、さらに言えばテヤンがターニャと一緒にいる時に酷くなる。
見たくない、
なのに目が離せない。
伸ばしそうになる手、
それをまだ残る理性が押し止める。
でも、できるなら…
『引き離してしまいたい』
何かを掛け違ったかのようにちぐはぐになったテヤンとの距離。
もうどれくらいあの大好きな瞳をがほんのり緩められるわかりづら過ぎる笑みを見ていないだろう。
なんてことない話をして、隣を歩いて…
そんな当たり前が失われ、互いにはかりかねる距離感に、どうしようもなくて、
それなのに、そんなことお構いなしと言いたげに簡単にテヤンに触れるターニャが羨ましい…
『いや、憎らしい』
テヤンの隣は、
『私の場所だったはずでしょ?』
そこまで至ってまた冷静になるのだ。
そしてギュッと視界を閉ざすのだ。
見たくない景色からも、
見たくない醜い自分からも、
『お願い、取らないで……』
そんなことを願ってしまう、浅ましい気持ちにも…
ただでさえ何もない私の、こんな真っ黒な心を見られたくない…
なのに、
「シレーヌ?どうしたっ!?」
グイッといきなり強い力で引かれた肘、それとともに引き寄せられ、フラついた身体をもうすっかり覚えてしまった心地良い腕の感覚で支えられる。
「…なっ、なにが?」
「…………具合が悪くなったわけじゃないのか?」
逸らすことを許してくれないあの琥珀色の瞳が私をまっすぐ見つめている。
「ち、違うわ。何も……たぶん、ちょっと、疲れただけよ。」
何をもってテヤンがそんなことを言ってきたのかわからないが、とりあえず当たり障りないことを言って誤魔化しておく。
「……そうか…」
その言葉とともに緩められる肘への拘束、そして明らかに安堵が見て取れるテヤンの淡い笑み、それと共に訪れるのは私の心臓をギュッと締め付けるどうしようもない切なさと喜び。
あぁ、やはり…
この人に囚われて抜け出せない。
理解したくない感情が、
私の奥底にストンと絶望を連れて落ちてきた音がした。
どっかのおふたりさんは初めての感情を持て余しっぱなしの振り回されっぱなしですね。
まぁ、しばらく大目に見てあげてください。汗




