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滴水古書堂の名状しがたき事件簿  作者: 黒崎江治
Episode12 蝋梅の花はこぼれて
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-3- 消えてゆく場所

「そういえば、皆さんはどういう集まりなんですか?」


 集落から酒居さんのワゴン車に乗り、二十分ほどの場所にあるという温泉を目指す。行きにも思っていたことだが、宇良木は随分と交通の便が悪い場所にある。一応バス停も見かけたが、おそらく日に一本か二本といったところだろう。これでは買い出しも一苦労だ。


「店長とバイトとその友達二人、ですかね」


 私は自分たちの関係性をざっくりとそう説明する。片倉君は友達と呼べるかどうか微妙なところだが、詳しい事情を話すとややこしくなりそうだ。


「へえ、じゃあさっきのヤサカさんも、お店の関係ですか」


「まあ、そんな感じです。あのもじゃもじゃの人は古戸さんっていうんですけど、見た目と違って結構顔が広いんですよ」


「人間関係が豊かなのは羨ましいですね」


「あの集落はその、あんまり人が住んでないんですか」


 私はほんの少し酒居さんの事情に踏み込んでみた。


「ええ、いわゆる限界集落っていうやつですかね。もう二十人ぐらいしか残ってなくて、みんなお年寄り。僕は生まれてこのかた宇良木ですが、ほかの皆は出て行っちゃって、今じゃ一番若いですよ」


 やはりというかなんというか、彼の声からは将来に対する憂いと諦めとが伝わってくる。もはや集落が消滅するのは時間の問題なのだろう。自分たちの住んでいる、あるいは住んでいた共同体がなくなるというのは、私にはあまり想像のつかない出来事だ。


「働き口がないから仕方ないんですよね。昔やってた林業も廃れちゃったし」


「でも、ゆっくり過ごすにはいい場所だと思います。蝋梅も綺麗で。ずっと前からあるんですか?」


 真奈加が言った。


「ええそうです。明治からあるんじゃなかったかな? 今じゃ唯一の自慢……というほどでもないのかな」


 バックミラー越しの表情からは、故郷へ愛着と、それが消えゆくことへの寂寞(せきばく)がありありと見てとれた。


 少しして辿り着いたささやかな温泉郷で、私たちは車を降りた。一時間半後に迎えに来るという酒居さんを見送り、彼がおすすめしてくれた温泉宿を訪ねる。近隣のスキー場を訪れる旅行客のほか、地元住民も利用しているようだ。


 入浴料の七百円を支払い、やや緑がかった湯に浸かると、旅の疲労がじんわりと溶けていく思いがした。


「ヤサカさん、本当にいるかな」


 こちらに尻を向け、窓の結露に意味のない絵を描きながら真奈加が呟いた。


「場所は間違えてないんじゃないかと思う。私、蝋梅ってあんまり見たことないから、調べてみたんだけどさ」


「うん」


「原産が中国で、日本には自生してないみたいなんだよね。だから宇良木にある蝋梅は、昔に誰かが植えたってこと。池のほとりに、っていう条件を考えると、同じような集落は少ないんじゃないかと思う。福島県内に絞るならなおさら」


「すご。名探偵じゃん。さすが古書堂勤務」


「古書堂は……関係あるのかな」


 ヤサカさんの故郷が宇良木であるのはほぼ間違いない。そして私には、彼が実際に帰ってきているのではないかという強い予感があった。もし幼いときにあの雪と蝋梅を見ていたら、異郷でふと寂しさを覚えたとき、もう一度戻りたくなるだろうと思うのだ。


 それが勢い盛んな都市や観光地の景色ではなく、消えゆく小さな集落のものであれば、なおさら。


 しかし酒居さんは宇良木育ちであるにも関わらず、ヤサカさんを知らないという。もし幼馴染であったとするなら、忘れてしまったというのは考えにくい。


 ヤサカさんに秘密があるのか、酒居さんに秘密があるのか。あるいはその両方かもしれない。古戸さんが集落でなにか情報を得ているだろうか。しかしその秘密が、つついてはいけない種類のものであったなら? いつか私たちが長野山中の外穂村で経験した、陰惨な事件のように。


 とはいえ一度引き受けてしまった仕事。早々に放り出すのは信用に関わる。せっかく真奈加も有休を使っていることだし、焦らずに腰を据えて取り組むとしよう。


 ゆったりした入浴で身体の芯から温まり、肌も心なしか滑らかになった私たちは、酒居さんが迎えに来るまで宿のロビーで待つことにした。籐の椅子にもたれかかり、冷えた瓶の牛乳を飲む。そうしていると、地元住民らしい中年女性に声をかけられた。


「こんにちは。どちらからいらっしゃったの?」


「横浜からです」


 快活で品の良さそうな女性だ。真奈加が持ち前の社交性で応じる。


「あら~、遠いところからようこそ。大学生さんかしら」


「いやーもう大学生じゃなくなっちゃって。社会人です。私たち二人とも」


「まあまあ、せっかくの休みに、こんな辺鄙なところまで」


「そんなことないですよ、温泉気持ち良かったです。あ、そうそうお姉さん」


「やだお姉さんだなんて」


「私たち宇良木に泊まってるんですよ。ぴんくまっていうペンションなんですけど、知ってます?」


 真奈加は女性から噂話を聞き出そうとしているようだ。変に口を挟んでも邪魔になるので、私は牛乳をぐびぐびやりながら傍観することにした。


「ああ、酒居さんのところね」


「集落もお年寄りばっかりみたいで。みんな町の方に引っ越してきたりしないんですかね。色々不便じゃないですか」


「そういう話もあるみたいねえ。やっぱり電気とか水道引くのも税金かかるじゃない? あの辺バスなんかもほとんど通らないから、酒居さんがお年寄りの世話焼いてるのよ。せめて町の近くに住めばそういう苦労はなくなると思うんだけど、離れたがらない人が多いんだって」


「へぇ」


「宇良木の人は頑固っていうか変わってるっていうか……内気っていうのかしらねえ。まあ、都会の人から見ると、ここいらの人間はみんな同じかもしれないけど」


 アハハ、と冗談めかしてはいるが、その言葉には偽らざる気持ちが含まれているように思えた。人里離れた場所に住む者へのいわれない偏見か。それとも事実なり交流の結果なりに基づいて形成された印象なのか。


 こちらの反応で自分が話し過ぎたことに気づいたのか、女性は当たり障りのない社交辞令を口にして、その場を離れていった。相前後して酒居さんのワゴンがやってきたので、私たちもまた温泉宿をあとにした。


 車に乗り込むと、トランクには大量の食糧や雑貨が積み込まれている。聞けば集落のお年寄りに届けるのだという。


「足腰の弱ってる人も多いですからね」


 手伝いましょうか、と言いかけて私は思い留まった。二、三日いるだけの人間が、気まぐれな親切をしたところでどうにもならない。それにしても、このまま若い人が現れなかったら、彼はいつまで配達を続けることになるのだろう?


 行きと同じ時間をかけて、私たちは宇良木まで戻ってきた。ペンションの玄関からラウンジに入ると、古戸さんと片倉君がフローリングの床に腰を下ろし、ガスストーブで足を温めているところだった。私は薄暗い室内に電気を点け、合皮のソファに身体を預ける。


「なにか調べたんですか、古戸さん」


 酒居さんはすぐに配達へと出かけたため、少なくとも十五分ぐらいは戻ってこないだろう。


「ちょっと聞き込みをね。誰もなにも話してくれなかったけど」


「そうですか……」


「ただまあ、おそらくヤサカさんは戻ってきてるだろうね」


 古戸さんはストーブからこちらに向き直り、いつものいやらしい笑みを浮かべた。


「なにかまた違法なことしました?」


「人聞きが悪いことを言っちゃいけない。僕はただ非言語的コミュニケーションを駆使しただけだ」


「はあ」


「物騒な意味じゃないよ? 集落の人たちは、ヤサカなんて知らないって言ってた。けど目と態度を見れば明らかに嘘だと分かる。彼らは普段から客あしらいをしてる酒居さんより、腹芸がうまくないんだろうね」


 私はちらりと片倉君に目をやった。彼は宇良木こそが友人の故郷なのだという確信を得た一方で、集落の住民から拒絶され、なんとも複雑な気分を味わっている様子だった。


「んー。でもヤサカさんって片倉君に優しくしてくれたんですよね。 そんなに悪い人じゃなさそうなのに、村八分? みたいな扱いを受けるのは変じゃないですか」


 真奈加が言った。


「おそらくそこは彼が集落を出た理由とも関係してくるんだろう。善人だからといって地域住民とのトラブルを回避できるとも限らないし。その理由が分かれば、ヤサカさんがなぜ今になって戻ってきたのかも、おのずと明らかになるんじゃないかな」


 とはいえ、と古戸さんは言葉を継ぐ。


「それはきっとこの集落と、ヤサカさんの心情に深く踏み込む行為だ。他人が生半可な気持ちで足を突っ込めば、手痛いしっぺ返しを食らう領域だよ。


 もし片倉君がこのあたりでいいかなと言うなら、僕らはちょっと切ない友情の物語として今回の一件を記憶に留めて、横浜に帰るのも悪くない選択肢だと思うけどね」


 それが挑発であることは、おそらく片倉君にも理解できただろう。今までの言動を見る限り、彼は多少不器用であっても、愚鈍な人間ではない。


「……生半可な気持ちじゃないです」


 そして挑発と分かってなお臆さない程度に、強固な意思を携えている。


 自分が決意を口にすれば、目の前の男はそれを言質に取り、色々な不道徳の片棒を担がせるかもしれない。しかしここで引き下がるわけにはいかないのだ。一番苦しいときにそばにいてくれた友人を見つけるまでは。


 片倉君の声と表情からは、そんな悲壮な想いが感じられた。


「古戸さん、分かってると思いますけど」


「うんうん。もちろん分かってる。僕なりに常識的な配慮はするとも。まあ今回は報酬ありのお仕事だからね。スポンサーの意向や心情も尊重する。で、明日の予定だけど――」


 外で車のエンジン音がして、私たちは口をつぐんだ。思いのほか早い戻りだ。食材を手にした酒居さんがラウンジに顔を出し、キッチンで夕食の準備をはじめた。三十分もすると、ハンバーグらしき匂いがラウンジまで届いてくる。


 いつか彼を追及するような機会も訪れるのだろうか? 私はときおり物思いにふけりつつ、ラウンジで古い漫画を読んだりニュースを眺めたりしながら、ぼんやりと食事の時間を待った。

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