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滴水古書堂の名状しがたき事件簿  作者: 黒崎江治
Episode12 蝋梅の花はこぼれて
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-2- 宇良木集落

 片倉君によれば、ヤサカさんの故郷は宇良木うらきと呼ばれる小さな集落で、それは福島県の内陸部、会津地方にあるらしい。会津といえば時代劇や歴史ドラマでよく聞く名前だが、現代においては人口密度の低い、寂れた自治体も多くなってきているようだ。


 私たちは週末の三日を確保し、ひとまずは二泊の予定で宇良木へと向かうことにした。横浜でレンタカーを借り、たっぷり五時間以上かけて常磐自動車道を北上する。


 運転は私と古戸さんが交代しながら。後部座席の片倉君は、年上で胸の大きなお姉さんが隣にいるせいか、道中ずっと落ち着かなかった。真奈加が気を使って話しかけているのが、むしろ照れを加速させているようだ。


 一月下旬の寒気は、横浜にいたときでさえ肌を刺すようだった。会津はそれよりさらに低温で、目的地付近のサービスエリアで降りたときは、強張った顔がしばらく元に戻らなくなりそうだった。


 雲に覆われた空には粒の細かい雪が舞い、吐息で手を温めながら遠く奥羽山脈を見遣れば、昼なお溶けずに重なっていく真新しい白が、山肌の全てを包もうとしていた。


 冬用タイヤのノイズもいい加減に聞き飽きるころ、車は高速道路を降り、県道を通って山間部に入っていった。


 道の左右に広がる鬱蒼とした森を眺めながら、どんどんと人里離れた方向に進んでいく。時折見かけた建物もしばらく前に絶えた。本当に集落はあるのだろうかと不安になってくる。


 事前の調べによって、私たちは宇良木集落に〝ぴんくま〟という名前のペンションがあることを知った。ヤサカさん捜しの拠点として使えそうだということで、既に予約は済ませてある。


「このあたりだと思います」


 片倉君のナビに従って、私は道路脇に注意を向ける。まもなく、黒地の看板に書かれたピンクの熊が目に入った。車の速度を落とし、ハンドルを右に切る。


 横道は半ば雪に覆われていて、看板がなければ見過ごしてしまいそうだった。アスファルトが老朽化しているのか、地面の凸凹が時折タイヤを突き上げる。


 そのままゆっくり百メートルばかり走ると、いろどりの乏しい植生の中、黄色い小さな花をつけた木々が目に入るようになった。うっすらと雪を冠する蝋梅は鮮やかでありながら凛として佇み、冷たい山間やまあいにひっそりと存在する宇良木集落の場所を示していた。


 薄ピンクの外壁を持つペンションが映りこんでさえこなければ、かなり完成した雪景色だったのだが。


 なにはともあれ、ようやく本日の宿に到着した。縦横斜めに渡された柱や梁は、ドイツあたりの建築を思わせる。バブルのころに建てられたものだろうか? 見ようによっては少し安っぽいが、日本のペンションは大体同じようなものだろう。いや、それは庶民の偏見か。


 敷地に入り、適当な場所に車を停めて降りると、冷たい空気で鼻の奥がつんとなった。私たちはざくざくと静寂を破りながら駐車場を横切り、ペンションの分厚い木扉に手をかけた。把手を引くと小さな鐘がカラランと鳴り、暖房で温められた空気が肌を緩ませる。


 外に比べて薄暗い室内は、飴色の木材が多く使われた古い造りだ。玄関の壁には随分前に亡くなった俳優と管理人夫婦の映る、色褪せた写真が貼りつけられていた。


「すみません」


 私が奥に向かって声をかけると、ぱたぱたと足音がして、五十歳ぐらいの男性が姿を現した。写真の人物かと思ったが微妙に違う。息子かもしれない。


「予約していた楠田です」


「お待ちしてました。四名さまで二泊のご予定ですね」


 管理人は酒居さかいと名乗った。別段大柄というわけではないが、顔の下半分を覆う髭のせいでどことなく熊っぽい。


「は~い、よろしくお願いします」


 私たちは真奈加を先頭に、案内されるまま部屋へと向かった。よく掃除された廊下を通り、昔の漫画が置いてある本棚を横目に階段を昇る。組分けは男性二人と女性二人で一部屋ずつ。ペンションには全部で六部屋あるようだが、今のところ客は私たちだけらしい。


 現在時刻は午後二時半。夕食は七時にしてもらった。のんびり昼寝をしてもいいのだが、私たちには目的がある。まず口火を切ったのは古戸さん。


「ところでこちらの集落に、ヤサカさんって人はいませんか。多分ここ出身で、最近戻ってきたみたいなんですが」


「ヤサカ、ですか」


 唐突な質問に、酒居さんは困惑を示した。しばらく目線を上方に彷徨わせて記憶を手繰っている。


「小さな集落なんで全員名前は把握してますけど、ヤサカという苗字の人はいませんね。最近のお客さんにもいなかったはずです。親戚とか友達とか、そういう人間関係まで含めるとちょっと怪しいですが」


「なるほど。いや変なことを聞いてすいませんね」


「お知り合いなんですか?」


「友人ですよ」


 古戸さんは回答をそこまでに留め、詳しい事情は話さなかった。


「このあたりに大したものはないんですが、車で少し走ると温泉があるんです。お疲れでなければ、お連れしましょうか」


 妙な空気になりかけたのを察してか、酒居さんが話題を変えた。


「いいですね~、温泉。行きに身体が冷えちゃって。連れてってもらってもいいんですか?」


 真奈加が無邪気に応じる。


「ええもちろん。ついでに買い出しも済ませちゃいます」


 私はそれほど温泉好きでないし、また外出するのも正直面倒だが、厚意を無下にするのは申し訳ない。どうしようかと迷っていると、男性陣が互いに目配せしているのに気づいた。


「僕はちょっと遠慮しようかなあ。医者に温泉はあんまりよくないって言われたし」


 古戸さんが大袈裟に肩を回しながら嘘をついた。管理人が不在の間に、なにかするつもりなのだろうか。


「僕もこっちにいます」


 片倉君が便乗した。ここで私も断ると、真奈加が一人になってしまう。


「ええと、私は行きます」


「分かりました。では十五分ぐらいしたら出かけましょうか」


 酒居さんは親切そうな笑みを浮かべ、踵を返して一階に戻っていった。


「……ここにヤサカさんは来てないんでしょうか」


 彼が離れたのを待ってから、片倉君が小さな声で言った。


「どうかな。でもまだ決めつけるのは早いだろうね。管理人さんが把握してないってのもあり得ないことじゃないし、そもそもヤサカっていうのは偽名や通称だったりするのかもしれない。なにかの事情があってこっそり帰ってきた、ってことも考えられる」


「古戸さん、集落の人に聞いて回るつもりですか?」


 私は尋ねた。変なことをしないように、と釘を刺す意味も込めて。


「うん。まあまずは地理の把握からだけど。片倉君も来る?」


「はい」


 そういうわけで二人は探索。寒いのにご苦労なことだ。片倉君は案外しっかりしていそうなので、古戸さんの世話は任せるとしよう。


「滑って怪我しないで下さいよ。あと池に落ちたり」


「さすがにそこまでどんくさくないよ」


「夏に熱中症で倒れたの忘れてませんからね」


「あれはまた別の話だろう」


 ひとまず私と真奈加は部屋に荷物を置き、長時間の乗車でむくんだ脚をさすりながら、約束の時間を待つことにした。

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