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滴水古書堂の名状しがたき事件簿  作者: 黒崎江治
Episode8 一万年の光
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-2- 未知との遭遇

 張り出した木の枝を避け、苔むした切り株を手掛かりに、道に埋め込まれた石の段を踏み、爪先を土で汚しながら歩く。


 見上げる空は快晴で、気温はほんのり汗ばむ程度。湿った落ち葉の地面に見えるのは、小さな花、朽ちた倒木、白や赤のキノコ。ひとまずはオカルトの影などない、のどかな秋の景色が広がる。


 しかし集落を出てから十五分ほど経つと、神経の先端をざわめかせるような、微妙な違和感が頭をもたげはじめた。噂による先入観のせいかもしれないが、どうにも私の動物的な本能が、ちくちくと警戒を促しているようだった。


 あえて言葉にするならば、山らしい気配の不在といったところだろうか。都市部に生まれ育った人間がそれを感じ取るというのも変な話だが、古書堂で経験してきた名状しがたいあれやこれやのせいで、私にはある種の異常を受信する、ねじくれたアンテナが備わりつつあるのだった。


「秋の山ってこんなに静かでしたっけ」

「さあ」


 セミはもういないとしても、山にはウグイスやアカゲラやカッコウや、私の知らない鳥が沢山住んでいて、始終鳴き声を響かせている場所ではなかったか。


 小動物たちは息を潜めているのか、逃げ出してしまったのか、まさか大方食べられてしまったのか。木々の葉擦れさえどこか密やかで、その静かさは逆説的に、なにか奇妙なものの存在を強く意識させた。


 背筋を伸ばして目線を上げれば、山頂へはもう三十分もないと思われた。円盤が降りたという西側を探索するならば、この辺りで道から外れるべきだろう。斜面はそれほど急でなく、木々の間隔も広い。標となるようなものはないが、踏破すること自体は比較的容易そうだった。


 私がその場で立ち止まり、次なる進路について思案していたとき、ふと視界の端を影がよぎった。数十メートル離れているせいで姿かたちは判別できなかったし、目を向ける前に消えてしまったが、その影は私の尖った知覚とざわめく心象に、不穏な余韻を残していった。


「なにかいた?」

 古戸さんは気づかなかったのか、汗を拭いながらお茶のペットボトルを傾けている。


「今の見ました?」


「いいや、なんも見てない」


「そろそろこっち行きましょう。足、気をつけてください」


 もしかしたらムササビかもしれないし、私たちと同じように、オカルト話に引きつけられた人かもしれない。土地柄、危険な獣という可能性は低いだろう。


 なんにせよ、怯えていてははじまらない。私たちは道を外れ、足を滑らせないよう手近な木を掴みながら道を外れる。


「今更ですけど、古戸さんって宇宙人にはあんまり興味ないんですか」


「別にそんなことはないよ。人類以外の知的存在についてはかなり興味津々だ」


「今回はいつもよりテンションが低いような気がするんですが」


「宇宙空間を超えてやってくる、っていう手段があんまり馴染まないからかもね。人間にだって、直接会うのが好きな人とか手紙が好きな人とか色々いるだろう」


 確かに彼は未踏の宇宙を冒険するよりも、静かな書斎や怪しげな魔法陣の真ん中なんかで、得体の知れない存在と念波を交わす方が似合っている。


 不確かな影を追うようにして、道なき道を行くこと数分。古戸さんは早くもふうふうと荒い息を吐いている。


「わざわざ地球までやってくるなら、ウチまで来てくれればいいのに。そうすれば山なんて登らずに――」

「しっ」


 再びなにかの気配を捉えて、私は彼の文句を制した。鳥の鳴き声ではない。人や獣の足音ではない。虫の羽音でもない。形容しづらい、不穏な風をもたらすなにか……。


 振り返った私は、そこで信じ難いものを見た。


 距離二十メートル。木々の間に浮かぶ三つのシルエット。


 それぞれの大きさは、優に一メートル以上もありそうだった。胴体にあたる部分は濃緑色のまだら模様で、ちょうど迷彩のような役割を果たしていた。そこから生える五対のあしは硬質で、どこか海中の甲殻類を連想させた。


 胴体の上に乗っている軟質の物体は、私が知っているどんな生物の組織とも似つかない渦巻き状で、絶えず緑や紫やピンクに色を変えていた。コウモリに似た翼を背に持ち、今はそれをせわしなく動かしながら、高さ数十センチの空中に留まっている。


 私は驚きと嫌悪ゆえにそれから目が離せず、観察の結果にまた激しく慄いた。

本当にいた。地球上の動物ではありえない。人類が観測できる宇宙の外から現れた異界の存在。私たちは早くも、加狩山に潜む宇宙人、もとい宇宙生物と遭遇してしまったのだ。


 私はすぐにカメラを構えることができなかった。遭遇があまりに唐突だったというのもあるが、宇宙生物が明らかにこちらを認識し、敵意めいたものを見せながら接近してきたからだ。肢の一本には流木に似た、正体不明のなにかが握られている。


「古戸さん、あれ、あれ!」


「見えてる見えてる。蟹星人かな」


「襲ってきますよ、逃げましょう!」


 背を向けて走り出そうとしたその瞬間、宇宙生物が持っている流木から雷光が閃き、甲高い音とともに、私たちの間にあった木の幹を黒焦げにした。


「うおお」


 呑気な古戸さんもこれには驚いたらしく、顔を庇いながら頭を下げた。


 宇宙生物は頭の色を激しく変えながら追って来る。あの雷のようなものに撃たれれば重傷は免れない。私たちはスクープなどそっちのけで、方向すら確かめずに逃げ出した。


 足場の悪い斜面を必死に駆ける。幸い、宇宙生物はその図体ゆえか動きは鈍重で、知覚もそれほど鋭くはないらしい。もう一度だけ雷鳴が届いたものの、それはかなり後方からだった。

 しばらくしてからようやく歩を緩め、息を整える。


「まだいる?」


「いや、多分撒いたんじゃないですかね」


「写真撮った?」


「あんな状況じゃ無理ですよ」


「うーん、目撃だけで記事を作るとなる――」


 目の前を歩いていた古戸さんの身体が、突然沈む。転んだのではない。落ちたのだ。


 今度はなんだ。せっかく宇宙生物から逃げ切ったというのに、崖か、洞窟か。感電死を逃れたと思ったら、今度は墜落死の危機なのか。


 咄嗟に手を伸ばし、成すすべなく落ちる古戸さんの腕を掴む。しかし痩せ型とはいえ成人男性の体重。とても私一人で支えきれるものではなかった。そのまま二人して、地下の空間へと吸い込まれていく。


 古戸さんのどんくささと不運を呪いながら、なんとか頭を打たないよう、空中で身体を丸め、痛みを予期して目を瞑る。しかし不幸中の幸いで、落下したのは二メートルほどの距離だった。古戸さんの上に着地したおかげで、なおさらダメージは少なくて済んだ。


 しかし驚きはそれで終わらなかった。落下した先は野生動物の巣でも、風雨の浸食でできた洞窟でもなかった。


 目を開けた私がまず見たのは、薄緑色の柔らかい光だった。それに照らされているのは、曲線的なデザインのもとに形作られた、金属やプラスチックと思しき機器類。空間全体は直径十メートルほどの平たいドーム――もとい、円盤型だった。


 ここはどこだ。展開が目まぐるしすぎて、思考が追いつかない。


 ヴーン、という音を聞いた気がして、空間の奥に目を遣る。


 そこにあったのは、焦げ茶の人形……いや、スーツ? 違う、動いている。あれも宇宙人なのか。


 私は混乱の極みにあったが、なんとか目の前のものを正確に把握しようとした。それが地球産の存在でないのは明らかだったが、先程追いかけて来た宇宙生物とも違っていた。亜種なのか、仲間なのか、まったく違う別個の種族なのか、幼虫と成虫の関係だったりするのだろうか。


 再びヴーン、という音。どうやら奥にいる宇宙人が発しているようだ。


 あの雷を放つ木片は持っていない。殴って殺せるか? たとえそれが可能でも、変な細菌に感染したら困る。


 ひとまず落ち着こう。焦ると思考がバイオレンスになるのは悪い癖だ。


 私は一度深呼吸し、宇宙人に注意を向けたまま天井を見上げた。収納されているのか、タラップのようなものはない。古戸さんも動いていないし、外に逃げるのは難しそうだ。


 じりじりと、緊張を孕む対峙。平和的な接触は可能だろうか。相手に自分と同じ戸惑いがあるのは分かったが、どうやって働きかけたらよいか分からない。


 先程の宇宙生物は甲殻類に似ていたが、この宇宙人はセミに似ている。全身は焦げ茶色。セミを直立させ、手足を太く長くして、頭を少し大きくすると、ちょうどこんな感じになるだろう。首のあたりにある器官を震わせることで音を出し、なにか伝えようとしている気がした。


 宇宙人はゆっくりとした動きで、壁際の収納から不思議なものを取り出した。銀色の光沢を湛えた楕円のブローチ。わずかに震える腕で、それを首の凹凸に嵌めている。


 また未知の武器だろうか。私はあとずさって距離を取る。いざとなればノックアウト状態の古戸さんを盾にするしかない。それでも先手必勝の攻撃を躊躇したのは、照明を受けて輝く四つの複眼に、温和な理性の光を見たからだ。


 ヴーンという解釈不能の重低音が、ブローチを通じて聞き慣れた周波数に変換されていく。音節と音節が一定の秩序を成し、理解可能な言語を作り上げる。


『その、人は、大丈夫?』


 喋った。いや、おそらくずっと喋ってはいたのだ。今は謎の翻訳機で日本語を発し、こちらに語りかけてきている。


 大丈夫。彼(彼女?)は先程の宇宙生物とは違い、すぐさま襲ってくることはなさそうだ。こうして私たちと異界の昆虫族は、ひとまず非暴力的なコミュニケーションを開始した。

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